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第34話:最初の兆候
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クラス対抗戦の優勝という、全く望んでいなかった栄誉を手にしてから数日。学園はまだ、その熱狂の余韻に浸っていた。
俺の耳には、どこへ行っても「神の采配」「若き軍神の誕生」などという、聞くに堪えない賞賛の言葉が飛び込んでくる。その度に、俺の胃は抗議の声を上げて締め付けられた。
カイルはすっかり学園の有名人になったが、その評価は「神に愛されし聖人アレン様に認められし、忠実なる一番弟子」といった具合で、俺の計画とは全く違う方向に定着してしまった。
もはや、何をしても裏目に出る。俺は諦観の境地で、ただ嵐が過ぎ去るのを待つように、息を潜めて日々を過ごしていた。
だが、平穏を望む俺の祈りを嘲笑うかのように、新たな面倒事の気配が、静かに忍び寄っていた。
きっかけは、些細な違和感だった。
夜、自室で魔術理論の復習をしていると、学園内に漂う魔力の流れに、微かな澱みを感じたのだ。それは、まるで澄んだ水に一滴の墨汁を落としたような、不自然で、不快な揺らぎだった。
常人なら、いや、並の魔術師でも気づかないほどの僅かな変化。だが、この五年間、常に死の恐怖と共に魔力と向き合ってきた俺の感覚は、その異常を敏感に察知していた。
「……何だ、これは」
俺は眉をひそめた。
この魔力の質。悪意、嫉妬、そして禁忌の匂い。
その感覚に、俺の脳裏で前世の記憶が警鐘を鳴らした。
そうだ。原作ゲームに、こんなイベントがあった。
クラス対抗戦で敗北した生徒の一人が、その屈辱と嫉妬心から、闇の教団に唆される。そして、禁じられた魔術に手を出し、学園内で騒ぎを起こすのだ。
確か、その儀式が行われるのは、満月の夜。そして場所は、今は使われていない、旧校舎の地下実験室。
俺は窓の外を見た。夜空には、忌まわしいほど美しい、満月が浮かんでいる。
「……冗談じゃない」
俺は思わず悪態をついた。
なぜ、俺がこんな面倒事に気づいてしまうんだ。
見過ごすか?いや、ダメだ。禁術が暴走すれば、学園に被害が出る。そうなれば、王女の婚約者であり、聖騎士であり、Sクラスの総監督である俺に、管理責任が問われるかもしれない。それは新たな破滅フラグだ。
それに、騒ぎが大きくなれば、また俺が解決のために駆り出され、目立つことになる。それだけは、絶対に避けなければならない。
ならば、やるべきことは一つ。
事件が起こる前に、その芽を、誰にも知られずに摘み取ることだ。
俺は音を立てないように部屋を抜け出し、闇に紛れて旧校舎へと向かった。
月明かりだけが差し込む、不気味なほど静かな廊下を進む。ひんやりとした空気が、肌を撫でた。
地下へと続く階段を下りると、魔力の澱みはさらに濃くなっていくのが分かった。間違いない。この先だ。
錆び付いた鉄の扉を開けると、そこには埃っぽい、広い空間が広がっていた。古い薬品の匂いが鼻をつく。
その中央で、一人の男子生徒が、床に描かれた禍々しい魔法陣の前に膝をついていた。
「……クラウス先輩」
俺は静かに、その名を呼んだ。
そこにいたのは、二回戦で俺たちに敗れた、Aクラスのリーダー、クラウスだった。いつもは自信に満ちた彼の顔は、今は嫉妬と絶望で歪み、その目は狂的な光を宿していた。
彼は手にした古めかしい魔導書を読み上げながら、魔法陣に自らの血を滴らせている。
「く、来るな……!僕は、もっと力が欲しいんだ!あんな平民や、君のような子供に負ける僕じゃない……!この禁術で、僕は全てを取り戻すんだ!」
彼は俺の姿を認めると、錯乱したように叫んだ。
魔法陣が、彼の狂気に呼応するように、不気味な紫色の光を放ち始める。空間が歪み、異界から何かおぞましいものを呼び出そうとしているのが分かった。
「……見苦しいですよ、先輩」
俺は冷たく言い放った。同情の余地はない。自分の敗北を受け入れられず、安易に禁忌の力に頼る。そんな弱い人間が、力を手にしたところで、待っているのは破滅だけだ。俺自身が、そうならないために必死なのだから。
俺は杖を構えることすらしなかった。
ただ、静かに右手を、魔法陣へと向ける。
「――『ディスペル』」
俺の指先から放たれたのは、魔力を中和し、霧散させるだけの、ごく基本的な解呪魔法。
だが、俺が放つ『ディスペル』は、その規模と純度が桁違いだった。
純白の光の奔流が、クラウスの作り出した禍々しい紫の光を、いとも容易く飲み込んでいく。まるで、太陽の光が朝霧を晴らすかのように。
「な、なんだこれは……!?僕の魔力が、消えていく……!」
クラウスが絶叫する。彼の必死の抵抗も虚しく、魔法陣は輝きを失い、やがてただの床の染みへと変わった。
魔力の逆流に耐えきれなかったクラウスは、白目を剥いてその場に崩れ落ちた。
俺は気絶した彼に近づき、その手から落ちた魔導書を拾い上げた。
表紙は、黒い革で装丁されている。その中央には、一つの紋章が刻まれていた。
螺旋を描く、三つ目の蛇。
その紋章を見た瞬間、俺の背筋を悪寒が走った。
間違いない。
原作ゲームにおける、全ての騒動の黒幕。世界の裏で暗躍し、古代の魔神の復活を目論む、狂信者たちの集団。
『闇の教団』の紋章だ。
「……やっぱり、いるのか」
俺は静かに呟いた。
ゲームは、ゲームでしかなかったはずだ。だが、今、俺の目の前には、その架空だったはずの脅威が、現実のものとして存在している。
面倒事が、一つ増えた。
いや、一つどころの話ではない。これは、いずれ王国全体を巻き込む、巨大な厄介事の始まりだ。
俺はただ、平穏な老後を夢見て、小さな破滅フラグを一つ、こっそりとへし折っただけのつもりだった。
だが、その行動は、俺を物語の、世界の中心へと、さらに深く引きずり込んでしまったらしい。
俺は魔導書を懐にしまい、気絶したクラウスを肩に担いだ。
このことは、誰にも知らせるつもりはない。騒ぎが大きくなるだけだ。彼を医務室の前にでもこっそり置いておけば、適当な理由をつけて誤魔化せるだろう。
旧校舎の冷たい廊下を歩きながら、俺は深いため息をついた。
俺の胃は、もはや痛みを感じることすら忘れていた。
それは、絶望が深すぎると、かえって感覚が麻痺してしまうのと、よく似ていた。
俺の耳には、どこへ行っても「神の采配」「若き軍神の誕生」などという、聞くに堪えない賞賛の言葉が飛び込んでくる。その度に、俺の胃は抗議の声を上げて締め付けられた。
カイルはすっかり学園の有名人になったが、その評価は「神に愛されし聖人アレン様に認められし、忠実なる一番弟子」といった具合で、俺の計画とは全く違う方向に定着してしまった。
もはや、何をしても裏目に出る。俺は諦観の境地で、ただ嵐が過ぎ去るのを待つように、息を潜めて日々を過ごしていた。
だが、平穏を望む俺の祈りを嘲笑うかのように、新たな面倒事の気配が、静かに忍び寄っていた。
きっかけは、些細な違和感だった。
夜、自室で魔術理論の復習をしていると、学園内に漂う魔力の流れに、微かな澱みを感じたのだ。それは、まるで澄んだ水に一滴の墨汁を落としたような、不自然で、不快な揺らぎだった。
常人なら、いや、並の魔術師でも気づかないほどの僅かな変化。だが、この五年間、常に死の恐怖と共に魔力と向き合ってきた俺の感覚は、その異常を敏感に察知していた。
「……何だ、これは」
俺は眉をひそめた。
この魔力の質。悪意、嫉妬、そして禁忌の匂い。
その感覚に、俺の脳裏で前世の記憶が警鐘を鳴らした。
そうだ。原作ゲームに、こんなイベントがあった。
クラス対抗戦で敗北した生徒の一人が、その屈辱と嫉妬心から、闇の教団に唆される。そして、禁じられた魔術に手を出し、学園内で騒ぎを起こすのだ。
確か、その儀式が行われるのは、満月の夜。そして場所は、今は使われていない、旧校舎の地下実験室。
俺は窓の外を見た。夜空には、忌まわしいほど美しい、満月が浮かんでいる。
「……冗談じゃない」
俺は思わず悪態をついた。
なぜ、俺がこんな面倒事に気づいてしまうんだ。
見過ごすか?いや、ダメだ。禁術が暴走すれば、学園に被害が出る。そうなれば、王女の婚約者であり、聖騎士であり、Sクラスの総監督である俺に、管理責任が問われるかもしれない。それは新たな破滅フラグだ。
それに、騒ぎが大きくなれば、また俺が解決のために駆り出され、目立つことになる。それだけは、絶対に避けなければならない。
ならば、やるべきことは一つ。
事件が起こる前に、その芽を、誰にも知られずに摘み取ることだ。
俺は音を立てないように部屋を抜け出し、闇に紛れて旧校舎へと向かった。
月明かりだけが差し込む、不気味なほど静かな廊下を進む。ひんやりとした空気が、肌を撫でた。
地下へと続く階段を下りると、魔力の澱みはさらに濃くなっていくのが分かった。間違いない。この先だ。
錆び付いた鉄の扉を開けると、そこには埃っぽい、広い空間が広がっていた。古い薬品の匂いが鼻をつく。
その中央で、一人の男子生徒が、床に描かれた禍々しい魔法陣の前に膝をついていた。
「……クラウス先輩」
俺は静かに、その名を呼んだ。
そこにいたのは、二回戦で俺たちに敗れた、Aクラスのリーダー、クラウスだった。いつもは自信に満ちた彼の顔は、今は嫉妬と絶望で歪み、その目は狂的な光を宿していた。
彼は手にした古めかしい魔導書を読み上げながら、魔法陣に自らの血を滴らせている。
「く、来るな……!僕は、もっと力が欲しいんだ!あんな平民や、君のような子供に負ける僕じゃない……!この禁術で、僕は全てを取り戻すんだ!」
彼は俺の姿を認めると、錯乱したように叫んだ。
魔法陣が、彼の狂気に呼応するように、不気味な紫色の光を放ち始める。空間が歪み、異界から何かおぞましいものを呼び出そうとしているのが分かった。
「……見苦しいですよ、先輩」
俺は冷たく言い放った。同情の余地はない。自分の敗北を受け入れられず、安易に禁忌の力に頼る。そんな弱い人間が、力を手にしたところで、待っているのは破滅だけだ。俺自身が、そうならないために必死なのだから。
俺は杖を構えることすらしなかった。
ただ、静かに右手を、魔法陣へと向ける。
「――『ディスペル』」
俺の指先から放たれたのは、魔力を中和し、霧散させるだけの、ごく基本的な解呪魔法。
だが、俺が放つ『ディスペル』は、その規模と純度が桁違いだった。
純白の光の奔流が、クラウスの作り出した禍々しい紫の光を、いとも容易く飲み込んでいく。まるで、太陽の光が朝霧を晴らすかのように。
「な、なんだこれは……!?僕の魔力が、消えていく……!」
クラウスが絶叫する。彼の必死の抵抗も虚しく、魔法陣は輝きを失い、やがてただの床の染みへと変わった。
魔力の逆流に耐えきれなかったクラウスは、白目を剥いてその場に崩れ落ちた。
俺は気絶した彼に近づき、その手から落ちた魔導書を拾い上げた。
表紙は、黒い革で装丁されている。その中央には、一つの紋章が刻まれていた。
螺旋を描く、三つ目の蛇。
その紋章を見た瞬間、俺の背筋を悪寒が走った。
間違いない。
原作ゲームにおける、全ての騒動の黒幕。世界の裏で暗躍し、古代の魔神の復活を目論む、狂信者たちの集団。
『闇の教団』の紋章だ。
「……やっぱり、いるのか」
俺は静かに呟いた。
ゲームは、ゲームでしかなかったはずだ。だが、今、俺の目の前には、その架空だったはずの脅威が、現実のものとして存在している。
面倒事が、一つ増えた。
いや、一つどころの話ではない。これは、いずれ王国全体を巻き込む、巨大な厄介事の始まりだ。
俺はただ、平穏な老後を夢見て、小さな破滅フラグを一つ、こっそりとへし折っただけのつもりだった。
だが、その行動は、俺を物語の、世界の中心へと、さらに深く引きずり込んでしまったらしい。
俺は魔導書を懐にしまい、気絶したクラウスを肩に担いだ。
このことは、誰にも知らせるつもりはない。騒ぎが大きくなるだけだ。彼を医務室の前にでもこっそり置いておけば、適当な理由をつけて誤魔化せるだろう。
旧校舎の冷たい廊下を歩きながら、俺は深いため息をついた。
俺の胃は、もはや痛みを感じることすら忘れていた。
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