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第49話:後夜祭の争奪戦
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学園祭の喧騒が嘘のように静まり返った夜。
中庭には、柔らかな魔法の光が無数に灯され、幻想的な雰囲気を醸し出していた。学園祭の締めくくりである、後夜祭の始まりだ。
生徒たちは、日中の興奮も冷めやらぬ様子で、友人たちと語り合い、ダンスを踊り、思い思いに最後の夜を楽しんでいた。
俺は、そんな光景を、少し離れた木陰から、ぼんやりと眺めていた。
疲れていた。
舞台の上での精神的な疲労と、舞台裏での肉体的な疲労。その両方が、鉛のように俺の体にのしかかっている。
闇の教団員たちは、騎士団に秘密裏に引き渡した。学園側には、小規模なボヤ騒ぎがあった、とだけ報告しておいた。これで、大きな騒ぎになることはないだろう。
俺は、ただ静かに、この祭りが終わるのを待っていた。
だが、俺に平穏を与えてくれない存在が、この学園には多すぎる。
「アレン様!探しましたわ!」
俺のささやかな休息を破ったのは、リリアーナだった。
彼女は、昼間の姫君の衣装から、淡いピンク色の可愛らしいドレスに着替えていた。その手には、二つのグラスを持っている。
「あの……もし、よろしければ、一杯いかがですか?」
頬を染め、上目遣いで尋ねてくる彼女の姿は、庇護欲を掻き立てるには十分すぎた。俺が断れるはずもない。
「ありがとう、リリアーナ。演劇、素晴らしかったよ」
俺は当たり障りのない賛辞を述べながら、グラスを受け取った。
「い、いえ!私なんて……!アレン様の王子様ぶりに比べれば……!」
彼女は顔を真っ赤にして、ぶんぶんと首を横に振る。
そして、彼女は意を決したように、俺の顔を真っ直ぐに見つめた。
「あの、アレン様……!もし、ご迷惑でなければ、私と……一曲、踊っていただけませんか?」
来た。
後夜祭のダンス。恋愛イベントの王道だ。
俺の脳内で、再び警報が鳴り響く。ここで彼女と踊れば、リリアーナルートのフラグが、ほぼ確定してしまう。
俺が、どうやって断ろうかと言葉を探している、その時だった。
「待ちなさい、リリアーナ」
氷のように冷たい、しかし燃えるような嫉妬を秘めた声が、俺たちの間に割り込んだ。
セレスティーナだ。彼女もまた、真紅のドレスから、動きやすい紺色のダンスドレスに着替えていた。その腕は、腰に当てられ、明らかに不機嫌さを表している。
「後夜祭の最初のダンスは、婚約者である私が相手を務めるのが筋というものでしょう?」
「せ、セレスティーナ様……!ですが、順番は関係ありませんわ!アレン様が、誰と踊りたいか、です!」
リリアーナも、珍しく一歩も引かない。
二人の間で、バチバチと激しい火花が散っている。
「――無意味な争いです」
その争いに、第三勢力が静かに参入した。
ルナだ。彼女は、珍しくシンプルな黒のドレスを着ていたが、その知的な雰囲気は、他の二人とは違う魅力を放っていた。
「ダンスという行為は、男女間の親密さを高めるための、極めて非合理的な儀式です。ですが、その効果を測定するためのデータは、不足している。アレン、貴方には、被験者として私に協力する義務があります」
彼女は、とんでもない理屈で、ダンスの権利を主張してきた。
三者三様の、ダンスの申し込み。
俺は、三人の美しい少女に囲まれ、完全に逃げ場を失っていた。
周囲の生徒たちが、遠巻きに「始まったぞ」「聖アレン様の争奪戦だ」と、面白そうに囁いている。
カイルは、少し離れた場所で「が、頑張ってください、アレン様……!」と、無責任なエールを送ってくるだけだ。
俺は、頭を抱えたくなった。
誰を選んでも、地獄。誰を選ばなくても、地獄。
胃が、今日何度目か分からない悲鳴を上げた。
だが、この膠着状態を破ったのは、意外な人物だった。
「――皆の者、静粛に!」
凛とした声と共に、人垣を割って現れたのは、学園長その人だった。
彼は、にこやかな、しかし有無を言わせぬ笑みを浮かべ、俺の前に立った。
「アレン・フォン・クラインフェルト君。君の、今宵の最初のダンスの相手は、すでに決まっておる」
「……と、申しますと?」
「国王陛下からの、御達しだ。『我が娘、セレスティーナと踊る栄誉を、クラインフェルト卿に与える』、とな」
国王。その絶対的な権力の名前を出されては、誰も逆らうことはできない。
リリアーナは悔しそうに唇を噛み、ルナは「……国家権力の介入。非論理的です」と、不満げに呟いた。
セレスティーナは、一転して、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「……というわけよ、アレン。さあ、手をお取りなさい」
彼女は、女王のように、俺に手を差し伸べた。
俺は、諦めの境地で、その手を取るしかなかった。
音楽が流れ始め、俺とセレスティーティーナは、中庭の中央へと歩み出る。
全ての生徒たちの視線が、俺たち二人に注がれていた。
ワルツの調べに合わせ、俺たちは優雅に踊り始める。
貴族としての嗜みで、ダンスは完璧にマスターしていた。俺のリードに、セレスティーティーナは完璧に応える。
その動きは、まるで一組の美しい芸術作品のようだった。
「……満足かしら?」
俺の腕の中で、セレスティーティーナが、楽しそうに囁いた。
「今日の貴方、本当に素敵だったわ。舞台の上でも、そして、舞台の裏でも」
彼女は、俺の裏での活躍も、全て知っている。
「……光栄です、殿下」
「今は、セレスと呼びなさいと言ったでしょう?」
彼女は、少し拗ねたように唇を尖らせた。その姿は、王女ではなく、恋する一人の少女のそれだった。
俺たちは、周囲の喧騒も忘れ、ただ踊り続けた。
だが、俺の背中には、二つの、殺気にも似た視線が、絶えず突き刺さっていた。
リリアーナと、ルナの視線だ。
その視線は「最初のダンスは譲ってあげますわ。でも、次は……」「ダンスにおける心拍数の変化データ、必ず取らせてもらいます」と、雄弁に語っていた。
俺は、美しい婚約者の腕の中で、完璧な笑みを浮かべながら、内心では、これから始まるであろう、ダンスの争奪戦という名の地獄に、静かに絶望していた。
俺の胃は、もはや何の感覚もなかった。
それは、嵐の中心にいる者の、静かな、静かな諦観だった。
中庭には、柔らかな魔法の光が無数に灯され、幻想的な雰囲気を醸し出していた。学園祭の締めくくりである、後夜祭の始まりだ。
生徒たちは、日中の興奮も冷めやらぬ様子で、友人たちと語り合い、ダンスを踊り、思い思いに最後の夜を楽しんでいた。
俺は、そんな光景を、少し離れた木陰から、ぼんやりと眺めていた。
疲れていた。
舞台の上での精神的な疲労と、舞台裏での肉体的な疲労。その両方が、鉛のように俺の体にのしかかっている。
闇の教団員たちは、騎士団に秘密裏に引き渡した。学園側には、小規模なボヤ騒ぎがあった、とだけ報告しておいた。これで、大きな騒ぎになることはないだろう。
俺は、ただ静かに、この祭りが終わるのを待っていた。
だが、俺に平穏を与えてくれない存在が、この学園には多すぎる。
「アレン様!探しましたわ!」
俺のささやかな休息を破ったのは、リリアーナだった。
彼女は、昼間の姫君の衣装から、淡いピンク色の可愛らしいドレスに着替えていた。その手には、二つのグラスを持っている。
「あの……もし、よろしければ、一杯いかがですか?」
頬を染め、上目遣いで尋ねてくる彼女の姿は、庇護欲を掻き立てるには十分すぎた。俺が断れるはずもない。
「ありがとう、リリアーナ。演劇、素晴らしかったよ」
俺は当たり障りのない賛辞を述べながら、グラスを受け取った。
「い、いえ!私なんて……!アレン様の王子様ぶりに比べれば……!」
彼女は顔を真っ赤にして、ぶんぶんと首を横に振る。
そして、彼女は意を決したように、俺の顔を真っ直ぐに見つめた。
「あの、アレン様……!もし、ご迷惑でなければ、私と……一曲、踊っていただけませんか?」
来た。
後夜祭のダンス。恋愛イベントの王道だ。
俺の脳内で、再び警報が鳴り響く。ここで彼女と踊れば、リリアーナルートのフラグが、ほぼ確定してしまう。
俺が、どうやって断ろうかと言葉を探している、その時だった。
「待ちなさい、リリアーナ」
氷のように冷たい、しかし燃えるような嫉妬を秘めた声が、俺たちの間に割り込んだ。
セレスティーナだ。彼女もまた、真紅のドレスから、動きやすい紺色のダンスドレスに着替えていた。その腕は、腰に当てられ、明らかに不機嫌さを表している。
「後夜祭の最初のダンスは、婚約者である私が相手を務めるのが筋というものでしょう?」
「せ、セレスティーナ様……!ですが、順番は関係ありませんわ!アレン様が、誰と踊りたいか、です!」
リリアーナも、珍しく一歩も引かない。
二人の間で、バチバチと激しい火花が散っている。
「――無意味な争いです」
その争いに、第三勢力が静かに参入した。
ルナだ。彼女は、珍しくシンプルな黒のドレスを着ていたが、その知的な雰囲気は、他の二人とは違う魅力を放っていた。
「ダンスという行為は、男女間の親密さを高めるための、極めて非合理的な儀式です。ですが、その効果を測定するためのデータは、不足している。アレン、貴方には、被験者として私に協力する義務があります」
彼女は、とんでもない理屈で、ダンスの権利を主張してきた。
三者三様の、ダンスの申し込み。
俺は、三人の美しい少女に囲まれ、完全に逃げ場を失っていた。
周囲の生徒たちが、遠巻きに「始まったぞ」「聖アレン様の争奪戦だ」と、面白そうに囁いている。
カイルは、少し離れた場所で「が、頑張ってください、アレン様……!」と、無責任なエールを送ってくるだけだ。
俺は、頭を抱えたくなった。
誰を選んでも、地獄。誰を選ばなくても、地獄。
胃が、今日何度目か分からない悲鳴を上げた。
だが、この膠着状態を破ったのは、意外な人物だった。
「――皆の者、静粛に!」
凛とした声と共に、人垣を割って現れたのは、学園長その人だった。
彼は、にこやかな、しかし有無を言わせぬ笑みを浮かべ、俺の前に立った。
「アレン・フォン・クラインフェルト君。君の、今宵の最初のダンスの相手は、すでに決まっておる」
「……と、申しますと?」
「国王陛下からの、御達しだ。『我が娘、セレスティーナと踊る栄誉を、クラインフェルト卿に与える』、とな」
国王。その絶対的な権力の名前を出されては、誰も逆らうことはできない。
リリアーナは悔しそうに唇を噛み、ルナは「……国家権力の介入。非論理的です」と、不満げに呟いた。
セレスティーナは、一転して、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「……というわけよ、アレン。さあ、手をお取りなさい」
彼女は、女王のように、俺に手を差し伸べた。
俺は、諦めの境地で、その手を取るしかなかった。
音楽が流れ始め、俺とセレスティーティーナは、中庭の中央へと歩み出る。
全ての生徒たちの視線が、俺たち二人に注がれていた。
ワルツの調べに合わせ、俺たちは優雅に踊り始める。
貴族としての嗜みで、ダンスは完璧にマスターしていた。俺のリードに、セレスティーティーナは完璧に応える。
その動きは、まるで一組の美しい芸術作品のようだった。
「……満足かしら?」
俺の腕の中で、セレスティーティーナが、楽しそうに囁いた。
「今日の貴方、本当に素敵だったわ。舞台の上でも、そして、舞台の裏でも」
彼女は、俺の裏での活躍も、全て知っている。
「……光栄です、殿下」
「今は、セレスと呼びなさいと言ったでしょう?」
彼女は、少し拗ねたように唇を尖らせた。その姿は、王女ではなく、恋する一人の少女のそれだった。
俺たちは、周囲の喧騒も忘れ、ただ踊り続けた。
だが、俺の背中には、二つの、殺気にも似た視線が、絶えず突き刺さっていた。
リリアーナと、ルナの視線だ。
その視線は「最初のダンスは譲ってあげますわ。でも、次は……」「ダンスにおける心拍数の変化データ、必ず取らせてもらいます」と、雄弁に語っていた。
俺は、美しい婚約者の腕の中で、完璧な笑みを浮かべながら、内心では、これから始まるであろう、ダンスの争奪戦という名の地獄に、静かに絶望していた。
俺の胃は、もはや何の感覚もなかった。
それは、嵐の中心にいる者の、静かな、静かな諦観だった。
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