ゲームの悪役貴族に転生した俺、断罪されて処刑される未来を回避するため死ぬ気で努力したら、いつの間にか“救国の聖人”と呼ばれてたんだが

夏見ナイ

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第60話 舌戦と交渉

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帝国の皇帝、ヴァルハルト・フォン・ガルニアとの謁見の日が来た。
俺たち使節団は、黒鋼と深紅で彩られた威圧的な謁見の間へと通された。磨き上げられた黒曜石の床には、俺たちの緊張した面持ちが映り込んでいる。
玉座に座る皇帝は壮年を過ぎ、その顔には深い皺が刻まれていたが、その瞳は老いを感じさせない猛禽類のような鋭い光を宿していた。その両脇には歴戦の将軍たちが微動だにせず控えている。
空気が重い。まるで鉛のようだ。
一触即発。交渉というより、もはや戦場のそれに近い殺伐とした雰囲気が、謁見の間を支配していた。

俺は仲間たちを背後に従え、一歩前に進み出た。そして帝国の作法に則り、深々と、しかし堂々と一礼した。
「エルドラド王国、全権大使、アレン・フォン・クラインフェルトにございます。皇帝陛下に謁見の栄誉を賜り、心より感謝申し上げます」
俺の静かな、しかしよく通る声が謁見の間に響き渡った。
皇帝ヴァルハルトは何も言わず、ただ俺を値踏みするような目で見下ろしている。その視線だけで、並の人間なら萎縮してしまうだろう。

「……ふん。エルドラドも人がおらんのか。このような乳飲み子を全権大使としてよこすとはな」
皇帝が初めて口を開いた。その声は地響きのように低く、威厳に満ちていた。あからさまな侮蔑と挑発。
俺の背後でセレスティーナがカッとなって一歩前に出ようとするのを、俺は片手を上げて制した。
ここで感情的になれば相手の思う壺だ。
俺は穏やかな笑みを浮かべたまま答えた。

「お言葉ですが、皇帝陛下。人は年齢や見た目で測るものではございません。国を思う心に、老いも若きもないかと」
俺の堂々とした切り返しに、皇帝の眉がわずかにぴくりと動いた。
「ほう。口だけは達者なようだな。では、その赤子の口から何が語られるか聞かせてもらおうか。貴様らは我が帝国の軍事演習に対し、何を思うておる」
皇帝は腕を組み、試すように俺を睨みつけた。
ここからが本番だ。
俺は息を一つ吸い込み、交渉の火蓋を切った。

「我がエルドラド王国は、貴国の軍事演習を友好の意思表示と受け取っております」
「……何?」
俺の予想外の言葉に、皇帝だけでなく周囲の将軍たちからも困惑の声が上がった。
俺は構わず続けた。
「我が国と、より強固な関係を築きたい。そのための力強いアピール。そうではございませんか?」
俺は相手の「威嚇」を一方的に「友好のジェスチャー」だと解釈してみせたのだ。
これで相手は梯子を外された形になる。ここで「いや、あれは威嚇だ」と言えば、自ら侵略の意図を認めることになるからだ。

「……面白いことを言う小僧だ」
皇帝の口元に初めて笑みが浮かんだ。だが、その目は笑っていない。
「ならばその友好の証として、貴様らは我が国に何をもたらす? 我が帝国が今、何を欲しているか、貴様ほどの賢者であれば分かっておろうな?」
核心を突いてきた。食料援助の話だ。
ここで下手に「援助してしんぜよう」などと言えば、相手のプライドを傷つけ交渉は決裂する。
俺は用意していた最高のカードを切った。

「もたらす、などと。滅相もございません。我々は貴国と『取引』をしたいのです」
「取引だと?」
「はい。我がクラインフェルト領では近年の農業改革により、食料が有り余っております。その余剰分を、ぜひ貴国にお買い上げいただきたい。もちろん友好国としての特別価格で」
俺は援助ではなく、あくまで対等な『ビジネス』としてこの話を持ちかけた。
これにより帝国はプライドを傷つけられることなく実利を得ることができる。
そして王国も、ただ食料を与えるのではなく適正な対価を得て経済を潤すことができる。
これぞ俺が目指したWin-Winの関係だ。

謁見の間がざわめいた。
皇帝の隣に控えていた宰相らしき老人が、皇帝の耳元で何事かを囁いている。
皇帝ヴァルハルトは目を閉じ、しばし沈黙した。
その沈黙が永遠のように長く感じられた。俺の背中を冷たい汗が伝う。
やがて皇帝はゆっくりと目を開けた。
その猛禽類のようだった瞳から、先ほどまでの刺々しさが消えていた。

「……ククク。ハハハハハ!」
皇帝は腹の底から豪快に笑い出した。
その笑い声は謁見の間全体を震わせた。
「見事だ、小僧! 実に見事! 貴様、気に入ったぞ!」
皇帝は玉座から立ち上がった。
「よかろう! その取引、受けようではないか! 食料援助の対価として我がガルニア帝国は、エルドラド王国との間に不可侵条約を締結する! 今後五十年、いや百年、帝国が貴国に牙を剥くことはないと、このヴァルハルトが神に誓って約束しよう!」
その宣言は歴史が動いた瞬間だった。

俺の背後で仲間たちが安堵のため息を漏らすのが分かった。
セレスティーナもカイルも信じられないといった顔で、しかし誇らしげに俺の背中を見つめている。
俺は完璧な外交交渉を成功させたのだ。
俺は玉座の皇帝に向かい、再び深く、深く頭を下げた。
「……皇帝陛下のご英断に、心より感謝申し上げます」
その言葉を口にした瞬間、俺の胃は数ヶ月ぶりにその機能を完全に停止させたかのような、穏やかな静けさを取り戻した。
いや、それは安堵ではなかった。
あまりにも強大なストレスから解放された反動で感覚が完全に麻痺してしまっただけだった。
俺は歴史的な外交勝利の中心に立ちながら、ただ一人、自分の体の異変に静かに耐えるだけだった。
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