ゲームの悪役貴族に転生した俺、断罪されて処刑される未来を回避するため死ぬ気で努力したら、いつの間にか“救国の聖人”と呼ばれてたんだが

夏見ナイ

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第72話:聖人の指揮

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開戦から数時間が経過した。
陽は完全に落ち、夜の闇が戦場を覆い尽くしている。城壁の篝火と炸裂する魔法の光だけが、おぞましい魔物の群れと必死に抗う兵士たちの姿を断続的に照らし出していた。
戦況は膠着していた。
だが、その均衡は脆いガラス細工のように、いつ崩れてもおかしくなかった。

「報告! 西門、セレスティーナ様がサイクロプスを討ち取りました! しかし騎士団の消耗も激しく、城門の維持が困難です!」
「東門、カイル様の奮戦によりガーゴイル部隊は壊滅! ですが地上部隊の圧力が限界に達しています!」
「南壁、敵の波状攻撃により防衛ラインが後退中!」
司令室に飛び込んでくる報告は、英雄たちの活躍を伝えながらも、戦線全体の疲弊と劣勢を色濃く滲ませていた。
兵士たちの体力と精神力はもはや限界だった。魔術師たちの魔力も底をつきかけている。
このままでは夜が明ける前に王都は陥落する。
司令室の誰もがその残酷な未来を予感し、顔に絶望の色を浮かべていた。

「……アレン殿。もはや、これまでか……」
ライナス団長が絞り出すように言った。その顔には深い疲労と無力感が刻まれている。
俺はそんな彼を一瞥もせず、ただ地図盤を睨みつけていた。
俺の脳は開戦以来、一瞬の休息もなくフル回転を続けていた。
全ての戦力配置、敵の動き、兵士たちの消耗度。無数のパラメータが俺の頭の中で複雑な数式を組み立て、未来を予測し続ける。
まだだ。
まだ終わっていない。
俺たちにはまだ使えるカードが残っている。

俺は静かに顔を上げた。
その瞳には疲労の色など微塵もなかった。そこにあるのは絶対零度の氷のような、冷徹なまでの指揮官の光だけだった。
「――ライナス団長。陛下に伝令を」
俺の声は静かだったが、その場にいた全員の耳を支配した。
「王城地下に眠る古代の魔導兵器『ガーディアン・ゴーレム』の使用許可を、と」

その言葉に、ライナス団長が息を呑んだ。
「なっ……! あれは制御不能の危険物として固く封印されているはず……!」
「制御は俺がやる」
俺は有無を言わせぬ口調で言った。
「ルナ。君は魔術師団の中からまだ魔力が残っている者を十名選抜し、王城の魔力供給炉へ向かえ。ゴーレムを起動させるためのエネルギーを確保するんだ」
「……承知しました。ですが、アレン。貴方一人であれを制御するなど……」
「できる。やらせろ」
俺のその有無を言わせぬ気迫に、ルナは押し黙った。

俺は次の指示を飛ばす。
「カイル、セレスティーティーナ。聞こえるか」
通信機に向かって呼びかける。
『……ああ。聞こえる』
『何よ、アレン。こっちはそれどころじゃ……!』
激しい戦闘の合間に、二人の息の切れた声が返ってきた。
「今から最後の賭けに出る。君たち二人には最も過酷な役目を頼みたい」
俺は地図盤の上、王都の城壁の外を指でなぞった。

「城門を開け、打って出る」

そのあまりにも無謀な作戦内容に、通信機の向こうの二人が絶句したのが分かった。司令室の騎士たちも「正気か!?」とどよめいている。
「敵の狙いはこの王都の陥落だ。だがその意識は全て城壁の内側に向いている。その裏をかく」
俺は冷静に説明を続けた。
「君たち二人が精鋭だけを率いて城外へ出る。そして敵軍の後方にいるはずの指揮官を叩くんだ。指揮系統を失えば、この烏合の衆はただの魔物の群れに戻る」
それはあまりにも危険な、ハイリスク・ハイリターンな作戦。
九死に一生の、自殺行為にも等しい賭けだった。

『……面白い』
沈黙を破ったのはセレスティーナだった。
『いいわ、アレン。その狂った作戦、乗ってあげる。私の剣が敵将の首を刎ねるか、私が屍を晒すか。最高の賭けじゃない』
『アレン様がそう言うなら……! 俺は信じます! 地獄の底までついて行きますよ!』
カイルもまた、迷いのない声で俺の作戦に同意した。
俺たちの間にはもはや言葉は不要だった。
Sクラスとして共に死線を潜り抜けてきた絶対的な信頼関係がそこにはあった。

俺は最後の指示を全軍に向けて発令した。
「全軍に通達! これより反撃を開始する! 各自、残された全ての力を振り絞り、あと半刻持ちこたえろ! 半刻後、この戦いは我々の勝利で終わる!」
その根拠のない、しかし絶対的な自信に満ちた宣言が、絶望の淵にいた兵士たちの心を最後の闘志で燃え上がらせた。
そうだ。俺たちにはこの聖人がいる。
この神のごとき指揮官がいる限り、我々に敗北はない。
兵士たちは雄叫びを上げ、迫りくる魔物の群れに再び立ち向かっていった。

司令室で、俺は一人目を閉じた。
俺の脳内では最後のシナリオが完璧に組み上がっていた。
カイルとセレスティーナが敵の指揮官を討つ。
その混乱の隙に俺が起動させたガーディアン・ゴーレムが城壁の敵を一掃する。
そして夜が明ける。
それが俺の描いた逆転の脚本。
だが、その成功確率は決して高くない。一つでも歯車が狂えば全てが崩壊する。
俺の胃はもはや鉄の塊ではなく、極限の重圧によって圧縮され、ダイヤモンドのように硬く、そして冷たくなっていた。
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