ゲームの悪役貴族に転生した俺、断罪されて処刑される未来を回避するため死ぬ気で努力したら、いつの間にか“救国の聖人”と呼ばれてたんだが

夏見ナイ

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第96話:女たちの覚悟

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カイルが旅立ってから数ヶ月。
俺の予想通り、クラインフェルト公爵邸の日常はさらに混沌の度合いを深めていた。
これまで三人のヒロインたちの間でかろうじて緩衝材の役割を果たしていたカイルがいなくなったことで、彼女たちの俺へのアプローチはより直接的に、そして熾烈になったのだ。
俺の執務室はもはや彼女たちの社交場と化し、俺の隣の席どころか、俺が飲む紅茶の茶葉の種類、執務室に飾る花の色に至るまで、あらゆる事柄が彼女たちの代理戦争の火種となった。
俺の胃は、友を失った寂しさを感じる暇もなく再びフル稼働を余儀なくされていた。

そんなある日。事件は三方向から同時に、そして唐突に起こった。
まず、朝一番に俺の執務室に飛び込んできたのは血相を変えた侍従だった。
「た、大公閣下!緊急のご報告が!セレスティーナ王女殿下が、先ほど王位継承権の放棄を陛下に宣言された、と!」
「……なんだと?」
俺は耳を疑った。
王位継承権の放棄。それは王族としての身分を捨てるに等しい、あまりにも重大な決断だ。

俺がそのニュースに呆然としていると、今度は聖教会からの緊急通信が執務室の魔力水晶を鳴らした。
通信に映し出されたのは、涙ながらに訴える枢機卿の姿だった。
『アレン様!お助けください!リリアーナ様が突然、次期聖女の地位を返上するとおっしゃって、教会に閉じこもってしまわれたのです!』
聖女の地位を返上。
これもまた、彼女のこれまでの人生の全てを捨てるに等しい行為だった。

そして、とどめは俺の目の前に音もなく現れた。
ルナだった。
彼女はいつも通りの無表情で、しかしその手には王宮魔導師としての地位を示す身分証が握られていた。
「アレン」
彼女は静かに、そしてはっきりと言った。
「私は本日をもって王宮魔導師を辞職しました」
その言葉と共に、彼女は自らの身分証を指先から放った冷気で粉々に凍らせ、砕いてみせた。

立て続けに起こる異常事態。
俺は混乱する頭で必死に思考を巡らせた。
セレスティーナが王位継承権を放棄。
リリアーナが聖女の地位を返上。
ルナが王宮魔導師を辞職。
彼女たちは三人とも、自らの地位と未来と、そしてこれまでの人生そのものを投げ打ったのだ。
なぜ。
一体何のために。
その答えは、考えるまでもなかった。

がらり、と。
執務室の扉がゆっくりと開かれた。
そこに立っていたのは、王女のドレスでも聖女の法衣でも魔導師のローブでもない。
ただの美しい街娘のドレスに身を包んだ、三人の少女たちの姿だった。

「――アレン」
最初に口を開いたのはセレスティーナだった。
その顔には王女としての気高さではなく、一人の女としての覚悟が浮かんでいた。
「私はもう王女ではないわ。ただのセレスティーナよ。だからもう貴方を縛るものは何もない。政略も国家も関係ない。ただ一人の女として、貴方の隣に立ちたいの」

「アレン様……」
次にリリアーナが一歩前に進み出た。
その瞳は潤んでいたが、その光は今までになく力強かった。
「私ももう聖女候補ではありません。ただのリリアーナです。私のこの力は世界のためではなく、貴方様お一人をお守りするために使いたい。そう、あの日誓いましたから」

「アレン」
最後にルナが静かに告げた。
「私ももう王宮魔導師ではありません。ただのルナです。国家や真理の探求よりも、貴方という唯一無二の存在の隣にいること。それが私にとっての最も合理的で、そして幸福な選択だと結論が出ました」

三人の魂からの告白。
彼女たちは全てを捨ててきたのだ。
俺と結ばれる、ただそのためだけに。
俺は言葉を失っていた。
胃の痛みも国家の重責も、全てがどこか遠い世界のことのように感じられた。
目の前にいるのは、王女でも聖女でも天才でもない。
ただ一人の男を愛してしまった、三人の健気で、そして愚かな少女たちの姿だった。

「さあ、アレン」
セレスティーナが俺に向かって手を差し伸べた。
「選びなさい。私か、ルナか、リリアーナか」
「いいえ、セレスティーナ。選ぶのはアレンではありません」
ルナがその言葉を静かに制した。
「私たちが勝ち取るのです。彼の心を」
「そうですわ。私たちの本当の戦いは、ここから始まるのです」
リリアーナも一歩も引かない。

俺の執務室で、三人の女たちの静かな、しかしこの世の何よりも熾烈な最終戦争の火蓋が切って落とされた。
彼女たちはもはや守るべきものも失うものも何もなかった。
ただ俺という唯一つの存在を手に入れるためだけに、その全てを懸けていた。

俺は、そのあまりにも重く、そしてあまりにも純粋な愛の奔流を前にして、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
俺の脳は完全に思考を放棄した。
俺の胃はもはや何も感じなかった。
ただ、俺の心だけがどうしようもなく揺さぶられていた。
平穏な老後。
そんなささやかな夢の代わりに俺が手に入れてしまったのは、世界で最も美しく、そして厄介な三つの愛だったのだから。
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