【状態異常無効】の俺、呪われた秘境に捨てられたけど、毒沼はただの温泉だし、呪いの果実は極上の美味でした

夏見ナイ

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第4話 絶望から一転、そこは楽園だった

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全身を打ち付けた衝撃で、しばらく意識が朦朧としていた。
冷たい土の感触と、枯れ枝が皮膚に食い込む鈍い痛み。最後に見たのは、俺をゴミのように捨て置き、満足げに立ち去っていく元仲間たちの背中だった。

(……終わり、か)

薄れゆく意識の中で、自嘲めいた諦めが胸をよぎる。
魔瘴の森。致死性の毒と呪いが満ちる死の大地。ここに放り込まれた時点で、俺の命運は尽きたのだ。苦しむ間もなく、意識を失って死ねるのなら、それがせめてもの救いだろうか。

……。
…………。

しかし、いくら待っても、その「時」は訪れなかった。
意識を刈り取るはずの激痛も、肺を焼き尽くすはずの灼熱感も、体を蝕むはずの呪いの疼きも、何一つやってこない。ただ、ひんやりとした湿った空気が、火照った頬を撫でていくだけだ。

「……あれ?」

俺はゆっくりと目を開けた。
視界を覆うのは、淡く発光しているかのような紫色の靄。それは不気味なほどに濃密で、数メートル先も見通せない。間違いなく、ここが魔瘴の森の中心部であることを示している。

体を起こそうとして、自分の手が何かぬるりとしたものに触れていることに気づいた。見れば、地面にこびりついた紫色の粘菌だった。あれはギルドの資料で見たことがある。『腐肉苔』と呼ばれる、触れた生物の肉を瞬時に腐らせるという、凶悪な呪いの植物だ。

「うわっ!」

俺は悲鳴を上げて手を引いた。だが、掌を見ても、何も起こっていなかった。火傷も、爛れも、腐敗の兆候すらない。ただ、少し粘液がついて汚れているだけだ。

なんだ、これは。
混乱する頭で、俺は恐る恐る、もう一度その粘菌に指先で触れてみた。ひんやりとしていて、少し弾力がある。それだけだ。まるでただの苔に触れているのと変わらない。

まさか。
いや、でも。
一つの可能性が、雷に打たれたように脳裏を貫いた。

俺はゆっくりと立ち上がり、ごくりと喉を鳴らした。そして、意を決して、目の前に立ち込める濃密な魔瘴を、思い切り吸い込んだ。

すぅー……。

肺に満たされるのは、雨上がりの森のような、湿り気を帯びた清浄な空気。ほんのりと甘いような、不思議な香りがする。ガイアスたちといた時に感じた、あの鼻を突く腐臭はどこにもない。

もう一度、吸い込む。深く、深く。
体がおかしくなる予兆は微塵もなかった。むしろ、頭がすっきりと冴えわたり、旅の疲れで重かった体が、少し軽くなったような気さえする。

「……は、はは」

乾いた笑いが漏れた。
信じられない。信じがたい。だが、現実に俺は生きている。この、誰もが生きては帰れないはずの魔瘴の森で、ピンピンしている。

「ははは、あはははははは!」

堪えきれず、大声で笑い出した。
絶望的な状況に頭がおかしくなったのではない。心の底から込み上げてくる、歓喜と興奮に身を任せていた。

そうか、そうだったのか。
俺のスキルは、【状態異常無効】。
毒も、麻痺も、呪いも、幻覚も、精神支配も、ありとあらゆるデバフが、俺には一切通用しない。

魔瘴の森は、致死性の毒と呪いに満ちているから、危険なのだ。
ならば、その毒と呪いが全く効かない人間にとっては?

「……地獄なんかじゃない。ここは……俺にとっての、天国じゃないか!」

ガイアス。イザーク。クローディア。そして、リリアナ。
お前たちは、とんでもない勘違いをしていた。
お前たちは俺を、処刑するつもりで、この世で最も過酷な地獄に突き落としたつもりだったんだろう。

だが、違う。
お前たちがやったのは、俺を、俺だけが快適に過ごせる唯一無二の楽園に、わざわざ送り届けてくれたことだ。これ以上ないほどの、最高の餞じゃないか。

俺は、今まで虐げられてきた日々の鬱憤をすべて吐き出すように、天に向かって叫んだ。
「ざまあみろ、クソったれ!」

声が、不気味なほど静かな森に吸い込まれていく。
すっと、胸のつかえが取れた気がした。あれだけ憎んだ彼らの顔も、今はもうどうでもいい。後悔させてやる、という誓いは忘れない。だが、それは今すぐじゃない。彼らがどうなろうと、今の俺には関係ない。それよりも、もっと大事なことがある。

俺は、この手に入れたばかりの楽園を、じっくりと味わうことにした。

改めて、周囲を見渡してみる。
今まで恐怖の対象でしかなかった景色が、全く違って見えていた。
淡い紫色の魔瘴は、まるでオーロラのように幻想的で、森全体を神秘的な光で満たしている。ねじくれ、黒ずんだ木々は、よく見れば一本一本がユニークな形をしており、まるで前衛的な芸術作品のようだ。その枝には、水晶のように透き通った、淡く光る奇妙な果実がなっている。あれも、きっと猛毒か何かなのだろう。

地面に目をやれば、『腐肉苔』の他にも、様々な色や形をした植物が生えていた。暗闇でぼんやりと青い光を放つキノコ。蛇のようにとぐろを巻く、黒い蔓草。どれもこれも、ギルドの資料で「危険度Sランク」の札をつけられていた動植物ばかりだ。

普通の冒険者なら、一歩足を踏み出すことすら命懸けだろう。だが、俺にとっては、ただの珍しい植物が群生している森でしかない。

「すごいな……」

思わず感嘆の声が漏れる。今までいた世界とは、まるで生態系が違う。好奇心が、恐怖を完全に上回っていた。

ふと、喉の渇きを覚えた。そういえば、ガイアスに蹴り飛ばされた時に、唯一の持ち物だった水筒をどこかに落としてしまったらしい。まずは飲み水の確保が必要だ。

俺は、森の奥へと慎重に足を踏み入れた。足元は腐葉土のようにふかふかとしていて歩きやすい。瘴気で動物や魔物の気配がしないのも、かえって好都合だった。少なくとも、いきなり大型の獣に襲われる心配はなさそうだ。

しばらく歩くと、水の流れる音が聞こえてきた。音のする方へ向かうと、小さな沢があった。しかし、その光景に俺は眉をひそめた。
流れている水は、透明ではなく、どろりとした緑色をしていたのだ。水面からは、ゆらゆらと湯気のようなものが立ち上っている。どう見ても、まともな水ではない。おそらく、強力な溶解毒か何かが溶け込んでいるのだろう。

普通の人間なら、絶望的な気分になるところだろう。だが、今の俺は違う。
【状態異常無効】は、毒にも効く。
俺は確信を持って、その不気味な緑色の沢に、躊躇なく手を浸した。

「……お、おお……!」

掌に伝わってきたのは、焼けるような痛みではなく、じんわりとした心地よい温かさだった。まるで、上質な温泉に手を入れたかのような感覚。

俺は試しに、その緑色の水を両手ですくい、口に含んでみた。
味は、ない。無味無臭。だが、喉を通っていく感覚は、まろやかで、体の芯から温まるような気がした。

「……うまい」

毒水どころか、極上のミネラルウォーターだった。それも、天然の温泉水だ。
俺は夢中でその水を飲み、渇ききった喉を潤した。飲み終わる頃には、体中の疲労がすっきりと洗い流され、活力がみなぎってくるのを感じた。この水には、回復効果まであるのかもしれない。

水の確保ができたとなれば、次は食料だ。
腹が、ぐぅ、と情けない音を立てた。最後にまともな食事をしたのは、いつだったか。

俺は先ほど見かけた、水晶のような果実がなっている木を目指して引き返した。木に近づくと、ほんのりと甘い香りが漂ってくる。果実は、大人の拳ほどの大きさで、半透明の果皮の向こう側が透けて見えそうだった。

ギルドの資料によれば、これは『呪晶果(カースドクリスタル)』。食べた者を内側から結晶化させ、即死させるという呪いの果実だ。もちろん、俺には関係ない。

俺は一つもぎ取ると、服の袖で軽く拭い、ためらうことなくかじりついた。

サクッ、という軽快な歯応え。
その瞬間、俺の口の中に、今までの人生で味わったことのないような、芳醇な甘さと瑞々しい酸味が爆発的に広がった。

「なっ……! う、うまいっ!!」

なんだこれは!
王侯貴族が食べるという最高級のデザートでも、これほどではないだろう。緻密な果肉は舌の上でとろけ、後から追いかけてくる爽やかな香りが鼻腔を抜けていく。一つ食べ終わる頃には、空腹感だけでなく、精神的な疲労までが癒されていくようだった。

俺は夢中で、さらに二つ、三つと果実をもぎ取って食べた。
水も、食料も、この森にはいくらでもある。それも、外の世界では決して手に入らない、最高品質のものが。

「はは……最高だ……」

満腹になった俺は、近くにあった巨大なキノコ(おそらく強力な幻覚作用があるのだろう)に寄りかかり、満足のため息をついた。
ガイアスたちへの怒りも、追放された悲しみも、今はもう遠い昔のことのようだ。

これからどうしようか。
まずは、雨風をしのげる、安全な寝床を探すのが先決だろう。幸い、この森には危険な魔物はいないようだ。夜になっても、安心して眠れそうだ。

俺は、新しい生活への期待に胸を膨らませながら、再び森の奥へと歩き始めた。
地獄のはずだったこの森は、俺だけの楽園に変わった。
これから始まる、誰にも邪魔されない自由な生活。そう考えただけで、自然と笑みがこぼれてくる。理不尽な日常は終わりを告げ、俺の本当の人生が、今、ここから始まるのだ。
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