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第九話 奇跡の泉
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翌朝、私たちは水を探すために洞窟を発った。空は相変わらず高く、乾いた風が私たちの頬を撫でていく。しかし、私の心は昨日までとは違い、確かな希望に満ちていた。
「フェン、お願い」
私が言うと、フェンは『任セヨ』とばかりに一声高く鳴き、先頭に立って駆け出した。私たちはその後を追う。
道なき道を進むのは容易ではなかった。足場は悪く、鋭い岩がいくつも突き出ている。私が足を取られそうになるたびに、すぐそばを歩くギルバートが、さりげなく私の腕を支えてくれた。
「お気をつけください」
彼の大きな手に支えられると、不思議と心が安らいだ。その温もりが、私に前へ進む力をくれる。
一時間ほど歩いただろうか。フェンは、巨大な岩が折り重なるようにしてできた崖の前でぴたりと足を止めた。
「ここか?」
ギルバートが周囲を見回すが、水の気配はどこにも感じられない。見渡す限り、乾いた岩と砂ばかりだ。
フェンは答えず、崖の一点を鼻先で示した。そこには、人一人がようやく通れるくらいの、岩と岩の隙間があった。隙間からは、ひんやりと湿った空気が微かに流れてきている。
「この奥に何かあるのかもしれません。私が先に行きます。アリシア様は私の後ろに」
ギルバートは剣を抜き放ち、慎重に隙間へと足を踏み入れた。私もフェンも、彼の後に続く。
岩の隙間は、すぐに開けた空間へと繋がっていた。そこは、岩壁に三方を囲まれた小さな窪地だった。陽の光はほとんど届かず、薄暗い。そして、その窪地の中心に、それはあった。
「……泉」
私が呟いた声は、落胆の色を隠せなかった。
そこにあったのは、直径数メートルほどの小さな水溜まりだった。水は濁り、底にはヘドロのようなものが溜まっている。かろうじて水と呼べる代物だが、とても飲めそうにはない。フェンが言った通り、命の気配がほとんど感じられない、涸れかけた泉だった。
せっかく見つけた希望が、目の前で萎んでいくような感覚。私は思わず俯いてしまった。
「アリシア様」
ギルバートが慰めるように私の名を呼ぶ。
「落胆されるお気持ちは分かります。しかし、水があることには違いありません。ここを拠点にすれば…」
彼の言葉を遮るように、私は顔を上げた。
「いいえ、ギルバート」
私はゆっくりと泉に近づき、その前に膝をついた。濁った水面を見つめる。
「この泉は、まだ死んでいません。見てください。ほんの少しだけれど、水の底から気泡が上がっています。まだ、生きているんです」
私の指が、そっと水面に触れる。冷たい泥水の中に、ほんのかすかな、けれど確かな生命の脈動を感じた。この泉は、助けを求めている。
「私が、この子を元気にしてみせます」
それは、ほとんど無意識のうちに口から出た言葉だった。しかし、その言葉は私の心に強い決意を灯した。
私は両手を泉の水に浸した。そして、目を閉じて、全身の意識を手のひらに集中させる。心の底から、強く、強く願った。
元気になって。
お願いだから、もう一度その綺麗な水で、この大地を潤して。
その願いに応えるように、私の体から翠色の光があふれ出した。昨日までの淡い光ではない。洞窟の光苔を生み出した時よりも、さらに強く、眩いばかりの生命の輝き。
光は私の両腕を伝い、泉の水へと注ぎ込まれていく。濁っていた水が、光に触れた部分から急速に透明度を増していくのが分かった。底に溜まっていたヘドロは浄化され、さらさらとした白い砂に変わっていく。
「おお……」
背後で、ギルバートが感嘆の声を漏らした。
やがて、奇跡はクライマックスを迎えた。
泉の中心から、ゴポゴポという音と共に、清らかな水が勢いよく湧き出し始めたのだ。湧き出た水は、まるで水晶のように透き通り、陽の光を受けて七色にきらきらと輝いている。それはただの水ではなかった。生命力と、そして清浄な魔力に満ち溢れた、魔法の水だった。
溢れ出した水は窪地を満たし、あっという間に澄み切った美しい泉を形作った。水面は鏡のように穏やかで、私たちの驚いた顔を映し出している。
「……できた」
私は水から手を引き、自分の手のひらを見つめた。信じられない。私に、こんなことができたなんて。
ギルバートが駆け寄り、両手で泉の水をすくい上げた。
「これは……なんという清らかな水だ。魔力さえ感じる」
彼はその水を一口飲むと、驚きに目を見開いた。
「美味い……!旅の疲れが、体から抜けていくようだ」
フェンも嬉しそうに泉に飛び込み、気持ちよさそうに水を飲んでいる。その姿を見て、私の胸は温かい喜びで満たされた。
私はもう一度、生まれ変わった泉に手を浸した。水は心地よく冷たく、私の肌に優しく馴染む。この泉があれば、私たちは生きていける。畑を作り、作物を育て、この地で根を下ろすことができる。
絶望の地で見つけた、涸れかけた泉。
それは今、私たちの未来を照らす、希望の泉へと生まれ変わった。
私は隣に立つギルバートと顔を見合わせ、力強く頷いた。私たちの本当の開拓は、ここから始まるのだ。
「フェン、お願い」
私が言うと、フェンは『任セヨ』とばかりに一声高く鳴き、先頭に立って駆け出した。私たちはその後を追う。
道なき道を進むのは容易ではなかった。足場は悪く、鋭い岩がいくつも突き出ている。私が足を取られそうになるたびに、すぐそばを歩くギルバートが、さりげなく私の腕を支えてくれた。
「お気をつけください」
彼の大きな手に支えられると、不思議と心が安らいだ。その温もりが、私に前へ進む力をくれる。
一時間ほど歩いただろうか。フェンは、巨大な岩が折り重なるようにしてできた崖の前でぴたりと足を止めた。
「ここか?」
ギルバートが周囲を見回すが、水の気配はどこにも感じられない。見渡す限り、乾いた岩と砂ばかりだ。
フェンは答えず、崖の一点を鼻先で示した。そこには、人一人がようやく通れるくらいの、岩と岩の隙間があった。隙間からは、ひんやりと湿った空気が微かに流れてきている。
「この奥に何かあるのかもしれません。私が先に行きます。アリシア様は私の後ろに」
ギルバートは剣を抜き放ち、慎重に隙間へと足を踏み入れた。私もフェンも、彼の後に続く。
岩の隙間は、すぐに開けた空間へと繋がっていた。そこは、岩壁に三方を囲まれた小さな窪地だった。陽の光はほとんど届かず、薄暗い。そして、その窪地の中心に、それはあった。
「……泉」
私が呟いた声は、落胆の色を隠せなかった。
そこにあったのは、直径数メートルほどの小さな水溜まりだった。水は濁り、底にはヘドロのようなものが溜まっている。かろうじて水と呼べる代物だが、とても飲めそうにはない。フェンが言った通り、命の気配がほとんど感じられない、涸れかけた泉だった。
せっかく見つけた希望が、目の前で萎んでいくような感覚。私は思わず俯いてしまった。
「アリシア様」
ギルバートが慰めるように私の名を呼ぶ。
「落胆されるお気持ちは分かります。しかし、水があることには違いありません。ここを拠点にすれば…」
彼の言葉を遮るように、私は顔を上げた。
「いいえ、ギルバート」
私はゆっくりと泉に近づき、その前に膝をついた。濁った水面を見つめる。
「この泉は、まだ死んでいません。見てください。ほんの少しだけれど、水の底から気泡が上がっています。まだ、生きているんです」
私の指が、そっと水面に触れる。冷たい泥水の中に、ほんのかすかな、けれど確かな生命の脈動を感じた。この泉は、助けを求めている。
「私が、この子を元気にしてみせます」
それは、ほとんど無意識のうちに口から出た言葉だった。しかし、その言葉は私の心に強い決意を灯した。
私は両手を泉の水に浸した。そして、目を閉じて、全身の意識を手のひらに集中させる。心の底から、強く、強く願った。
元気になって。
お願いだから、もう一度その綺麗な水で、この大地を潤して。
その願いに応えるように、私の体から翠色の光があふれ出した。昨日までの淡い光ではない。洞窟の光苔を生み出した時よりも、さらに強く、眩いばかりの生命の輝き。
光は私の両腕を伝い、泉の水へと注ぎ込まれていく。濁っていた水が、光に触れた部分から急速に透明度を増していくのが分かった。底に溜まっていたヘドロは浄化され、さらさらとした白い砂に変わっていく。
「おお……」
背後で、ギルバートが感嘆の声を漏らした。
やがて、奇跡はクライマックスを迎えた。
泉の中心から、ゴポゴポという音と共に、清らかな水が勢いよく湧き出し始めたのだ。湧き出た水は、まるで水晶のように透き通り、陽の光を受けて七色にきらきらと輝いている。それはただの水ではなかった。生命力と、そして清浄な魔力に満ち溢れた、魔法の水だった。
溢れ出した水は窪地を満たし、あっという間に澄み切った美しい泉を形作った。水面は鏡のように穏やかで、私たちの驚いた顔を映し出している。
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