この聖水、泥の味がする ~まずいと追放された俺の作るポーションが、実は神々も欲しがる奇跡の霊薬だった件~

夏見ナイ

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第30話 迷いの森・深部へ

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三日間の準備期間は、瞬く間に過ぎ去った。

決戦の日。満月が夜空に昇るその日の朝、俺たち三人はノエルの研究小屋の前に立っていた。空気はひんやりと澄み渡り、森の木々の間から差し込む朝日が、俺たちの覚悟を照らし出しているようだった。

「準備はいいかい?」

ノエルが、いつものマイペースな笑顔で尋ねる。その背中にはいつもより大きな籠が背負われ、腰のポーチは様々な薬品で膨らんでいた。

「いつでもいける」

リゼットが、手入れの行き届いた愛剣の柄を握りしめて答えた。その横顔には、一切の迷いがない。創生水を毎日飲み続けたおかげで、彼女の体調はここ数年で最も良い状態にあった。もちろん、毎朝の悶絶タイムは欠かせなかったが。

「行きましょう」

俺も、胸に下げた決戦用の創生水の革袋を握りしめ、力強く頷いた。

俺たちは互いの顔を見合わせ、一つ頷くと、森のさらに奥深くへと続く道なき道へと足を踏み入れた。目指すは、森の主が縄張りとする、月光草の自生地だ。

ノエルの案内で進む道は、これまで俺たちが迷い込んだエリアとは比べ物にならないほど、険しく、そして危険に満ちていた。地面はぬかるみ、足を取られる。頭上からは、毒を持つ蔦が蛇のように垂れ下がり、木々の根元には、甘い香りで獲物をおびき寄せる食虫植物が大きな口を開けていた。

「気をつけて。この先の谷は、『夢見の花』の群生地だよ」

しばらく進んだところで、ノエルが足を止めた。目の前には、霧が立ち込める小さな谷が広がっている。谷底には、青白い光を放つ美しい花が一面に咲き乱れていた。幻想的な光景だが、ノエルの表情は真剣だった。

「あの花の花粉には、強い幻覚作用がある。吸い込むと、楽しい夢を見ながら、谷の底で永遠に眠ることになるんだ」

俺とリゼットは、息を呑んだ。美しいものほど、牙を隠し持っている。この森の鉄則だった。

「これを鼻の下に塗って。特殊な油膜が、花粉を弾いてくれるから」

ノエルは小さな壺を取り出し、中の軟膏を俺たちに手渡した。ひんやりとした、ミントのような香りがする。俺たちは言われた通りに軟膏を塗ると、息を止め、慎重に谷を渡り始めた。足元で揺れる花々が、まるで手招きしているかのように見え、背筋がぞっとした。

谷を無事に渡り終え、安堵のため息をついたのも束の間。森の雰囲気が、一変した。それまでの不気味な静寂が破られ、周囲の茂みから、獣の低い唸り声が聞こえ始めたのだ。

「……囲まれているな」

リゼットが、素早く剣を抜いた。俺も、いつでも創生水を取り出せるように、革袋に手をかける。

次の瞬間、四方八方の茂みから、黒い影が同時に飛び出してきた。

「シャドウウルフ!」

ノエルが叫ぶ。それは、森の影に潜むという狼型の魔物だった。その数は、十匹以上。彼らは俺たちを円形に取り囲み、赤い瞳を爛々と輝かせながら、じりじりと包囲網を狭めてくる。

「私が前に出る!」

リゼットが叫び、俺とノエルを背後にかばうように、狼たちの前に立ちはだかった。一匹の狼が、鋭い牙を剥き出しにして彼女に飛びかかる。

キィン!

甲高い金属音と共に、リゼットの剣が狼の爪を弾き返した。彼女はそのまま流れるような動きで剣を翻し、別の狼を牽制する。その剣筋に、迷いはない。呪いに蝕まれていた頃の彼女とは、別人だった。

だが、敵の数が多い。連携も巧みだ。一匹が正面から注意を引き、別の二匹が側面と背後から同時に襲いかかってきた。

「リゼット!」

俺が叫ぶ。リゼットは背後の気配に気づき、身を翻して攻撃をかわすが、側面から来た狼の爪が、彼女の左腕の鎧を浅く引き裂いた。

「ぐっ……!」

かすり傷だ。だが、魔物の爪には毒があるかもしれない。

「下がって!」

ノエルが叫び、懐から紫色の粉末が入った革袋を取り出すと、リゼットの頭上を越えるようにして狼たちの群れへと投げつけた。革袋が破裂し、紫色の煙が広がる。

「グルル……?」

煙を吸い込んだ狼たちが、ふらりとよろめき、その動きが明らかに鈍くなった。『痺れ花の鱗粉』だ。

「今です!」

俺はリゼットの元へ駆け寄り、創生水の革袋の口を開けた。

「飲んでください!」
「……っ!」

リゼットは一瞬、その茶色い液体を見て顔をひきつらせたが、今はそんなことを言っている場合ではない。彼女は覚悟を決めると、革袋を受け取り、中身を一口呷った。

「まず……っ!」

約束された不味さに顔をしかめる。だが、その効果は絶大だった。腕の傷は瞬時に塞がり、毒の気配も消え失せる。それどころか、体の中から新たな活力が湧き上がってくるのを感じた。

「……すごいな。戦いながら、回復できるとは」

彼女は驚きを隠せない様子で呟くと、再び剣を構えた。

俺たちの連携は、ここからだった。

リゼットが前線で敵の攻撃を一手に引き受ける。彼女の華麗な剣技が、狼たちを寄せ付けない。

ノエルが後方から、的確な支援を行う。『蔓溶かしの液』を投げつけ、狼の硬い毛皮を柔らかくする。『目くらまし茸の胞子』を使い、敵の視界を奪う。

そして俺は、二人が少しでも傷を負えば、即座に創生水で回復させる。

最初はぎこちなかった三人の動きが、戦いの中で徐々に噛み合い始めた。互いの位置を把握し、次の動きを予測し、補い合う。言葉を交わさずとも、不思議な一体感が生まれていた。

「はあっ!」

リゼットの気合一閃。動きの鈍った最後の一匹の首を、銀色の剣が一閃し、戦闘は終わった。

森には再び静寂が戻った。俺たちは、互いの顔を見合わせる。息は上がっていたが、その顔には確かな手応えと、仲間への信頼感が浮かんでいた。初めての共同戦闘は、見事な成功を収めたのだ。

「……やるな、お前たち」

リゼットが、少しだけ口元を緩めて言った。

「君こそね」

ノエルも、楽しそうに笑う。俺も、頼もしい仲間たちを誇らしく思った。

シャドウウルフの群れを退けた俺たちは、さらに森の深部へと進んでいく。目的地は、もう近いはずだった。

やがて、森の空気が再び変化した。これまでの不気味さとは違う、もっと根源的で、邪悪なプレッシャーが肌を刺す。木々の姿も、さらに異様になってきた。幹が人間の顔のように歪み、枝が苦悶するように天を掻いている。

「……着いたよ」

ノエルが、足を止めて囁いた。

俺たちは、息を呑んだ。目の前に広がっていたのは、巨大な窪地だった。その中央には、一本の、天を突くほど巨大な枯れ木がそびえ立っている。その周囲だけ、まるで生命を吸い取られたかのように、他の植物は一切生えていない。

そして、その枯れ木の根元。月明かりを受ければ、きっと美しい花を咲かせるであろう、小さな緑の草が一面に群生していた。

月光草だ。

だが、その群生地を守るように、巨大な枯れ木の幹が、ゆっくりと動き始めた。ギシ、ギシ、と。まるで、永い眠りから覚めるかのように。

幹に、二つの禍々しい光が灯る。それは、この森の主の、目だった。

俺たち三人は、武器を構え、覚悟を決めた。最後の戦いが、今、始まろうとしていた。
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