この聖水、泥の味がする ~まずいと追放された俺の作るポーションが、実は神々も欲しがる奇跡の霊薬だった件~

夏見ナイ

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第31話 森の主

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ギギギ……ギチチ……。

巨大な枯れ木が、軋むような音を立ててその身じろぎを続ける。幹に灯った二つの禍々しい光――目が、俺たち侵入者をゆっくりと捉えた。それは、怒りや憎しみといった感情を感じさせない、ただ絶対的な拒絶を宿した、冷たい光だった。

「あれが、この森の主……『古のトレント』だよ」

ノエルが、低い声で呟いた。トレント。森の精霊が、長い年月をかけて樹木に宿ったとされる、強力な植物型モンスター。目の前のそれは、もはや単なるモンスターというより、森そのものが擬人化したかのような、圧倒的な存在感を放っていた。

その高さは、ゆうに十メートルを超えるだろう。幹は黒く炭化しており、そこから伸びる無数の枝は、まるで巨大な鉤爪のようだ。俺たちが月光草に近づこうとしていることを察知したのか、その体からは、ビリビリと肌を刺すほどの濃密な魔力が放出され始めた。

「……来るぞ!」

リゼットが警告の声を上げた、その瞬間だった。

ゴオッ!

トレントの足元、大地が大きく盛り上がったかと思うと、そこから十数本の、槍のように鋭く尖った木の根が、凄まじい速さで俺たちに向かって突き出してきた。

「散れ!」

リゼットの号令で、俺たちは三方向に飛び退く。俺が先ほどまで立っていた場所に、木の根が突き刺さり、硬い地面を容易く抉り取った。一撃でも食らえば、ただでは済まないだろう。

「リゼット、正面は任せた!」
「言われるまでもない!」

ノエルの声に応じ、リゼットは木の根の猛攻をかいくぐりながら、一気にトレントの懐へと駆け込んだ。彼女の銀色の剣が、トレントの幹に叩きつけられる。

ガギィン!

しかし、金属同士がぶつかったかのような甲高い音が響いただけだった。トレントの樹皮は、鋼鉄のように硬い。リゼットの剣撃は、わずかな傷しか与えることができない。

「くっ……硬い!」

リゼットが歯噛みする。その隙を突き、今度はトレントの枝が、巨大な鞭のようにしなり、彼女に襲いかかった。

「させないよ!」

ノエルが、素早く懐から緑色の液体が入った小瓶を取り出し、トレントの幹に投げつけた。『蔓溶かしの液』だ。液体がかかった部分の樹皮が、ジュウ、と音を立ててわずかに溶け、柔らかくなる。

そこへ、リゼットの第二撃が叩き込まれた。

「はあっ!」

今度は、先ほどよりも深く、剣が幹に食い込んだ。トレントが、初めて苦痛の声を上げたかのように、ギチチ、と不快な音を立てて身をよじる。

戦闘の火蓋は、切って落とされた。

「ルーク、回復を!」

リゼットの肩に、木の根の先端がかすり、鎧が裂けて血が滲んだ。俺はすぐに駆け寄り、創生水を彼女の口に流し込む。

「……っ!」

リゼットは一瞬、不味さに顔を歪めるが、傷は即座に塞がり、再び剣を構えてトレントと対峙する。

これが、俺たちの戦い方だ。

リゼットが前衛でトレントの注意を引きつけ、その圧倒的な攻撃を凌ぎ続ける。ノエルが後方から、様々な薬品を駆使してリゼットを支援し、トレントを弱体化させる。そして俺は、二人の生命線として、傷を負えば即座に回復させる。

三つの歯車が、完璧に噛み合っていた。

「痺れろ!」

ノエルが紫色の鱗粉を投げつける。トレントの動きが、わずかに鈍る。

「そこだ!」

リゼットが、その隙を見逃さず、幹の抉れた部分にさらに追撃を加える。

トレントは、苛立ちを募らせたように、その巨体を大きく揺さぶった。すると、その枝々から、無数の木の葉が舞い散り始めた。ただの木の葉ではない。その一枚一枚が、剃刀のように鋭利な刃となって、嵐のように俺たちに襲いかかってきた。

「まずい、広範囲攻撃だ!」

俺は咄嗟に、近くにあった岩陰に身を隠す。リゼットは剣を高速で回転させ、飛来する刃を弾き落としていくが、その全てを防ぎきることはできない。彼女の頬や腕に、いくつもの浅い切り傷が刻まれていく。

「リゼット!」

俺が駆け寄ろうとするが、刃の嵐が激しく、近づくことすらできない。

「下がってろ!」

リゼットが叫ぶ。彼女は傷を負いながらも、一歩も引かずに俺とノエルを守るように立ち続けていた。だが、このままではジリ貧だ。

「……これしかないか」

ノエルが、覚悟を決めたように呟いた。彼女は背負っていた籠の中から、ひときわ大きな、ガラス球のようなものを取り出した。中には、粘度の高そうな、琥珀色の液体が満たされている。

「リゼット、耳を塞いで、伏せて!」

ノエルの叫びに、リゼットは一瞬戸惑ったが、すぐにその指示に従った。

ノエルは、助走をつけると、そのガラス球をトレントの顔――二つの光が灯るあたり――に向かって、全力で投げつけた。ガラス球は放物線を描き、トレントの幹に命中して、派手な音を立てて砕け散った。

中の琥珀色の液体が、トレントの全身に降りかかる。それは、松脂のような、非常に燃えやすい樹脂だった。

そして、ノエルは小さな火口石を取り出し、火花を散らした。

次の瞬間。

ゴウッ!!

トレントの巨体が、巨大な松明のように、一瞬にして炎に包まれた。凄まじい熱波が、俺たちのいる場所まで届く。トレントは、断末魔のような軋み音を上げ、苦しげにその身をよじらせた。

「やったか!?」

俺が叫ぶ。だが、ノエルの表情は険しいままだった。

「いや、まだだよ。あれは、ただの威嚇だ」

彼女の言葉通り、トレントを包んでいた炎は、数秒後には急速に勢いを失い、消えてしまった。トレントは、自らの体から樹液を分泌させ、炎を消し止めたのだ。その体は黒く焼け焦げていたが、致命傷には程遠い。

むしろ、その怒りは頂点に達していた。

ギシャアアアアアアア!!

トレントは、これまでとは比べ物にならないほど、甲高い咆哮を上げた。そして、その黒焦げになった幹が、まるで熟した果実のように、ゆっくりと左右に裂け始めたのだ。

裂け目から現れたのは、拍動する、巨大な心臓のような赤い塊だった。無数の血管のようなものが絡みつき、不気味に脈打っている。

「あれが……核か!」

リゼットが、息を呑む。

「まずいな。怒らせすぎちゃったみたいだ」

ノエルが、冷や汗を流しながら呟いた。

核を露出させたトレントは、最後の切り札を使うつもりのようだった。その赤い核が、眩いほどの光を放ち始める。周囲の魔力が、急速にその核へと吸い込まれていく。

あれは、まずい。直感的に、そう感じた。あれを放たれれば、俺たちは三人とも、塵と化すだろう。

「リゼット!ノエル!今です!」

俺は、絶叫していた。

「あの一撃が来る前に、俺が決めます!道を開けてください!」

俺の覚悟を悟った二人は、一瞬だけ顔を見合わせると、力強く頷いた。

「「任せた(せる)!」」

二人の声が、重なった。

リゼットが、最後の力を振り絞って、トレントの足元の根を切り払い、俺が通るための道を切り開く。

ノエルが、残っていた『目くらまし茸の胞子』を全てトレントの顔面に叩きつけ、その視界を奪う。

そして俺は、胸に下げていた、銀色の粒子がきらめく、決戦用の創生水の革袋を、固く握りしめていた。

俺は、仲間が作ってくれた道を、全力で疾走した。
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