無能と蔑まれた悪役貴族、実は人の心を数値化できる最強の傀儡師でした ~感情を支配するスキルで、腐敗した帝国を裏から作り変えます~

夏見ナイ

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第四十五話:銀閃の獣

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敵将ゲルハルトの本陣は、もはや抜け殻同然だった。主力のほとんどを市街戦に投入した結果、彼の周囲を守る兵は僅か五十名ほど。彼らは、まさか自分たちの総大将の元へ敵が迫ってくるなどとは、夢にも思っていなかった。その油断が、命取りとなる。

闇の中から、一つの影が音もなく現れた。
それは、月明かりを浴びて銀色に輝く髪を持つ、小柄な少女だった。両手には、不気味なまでに鋭い光を放つ二本のショートソードが握られている。リリアだ。
彼女は、アッシュの青い狼煙を合図に、ただ一人、敵の本陣を目指して駆けていた。

「な、何者だ!?」
最初に彼女に気づいた見張りの兵士が、驚愕に声を上げた。だが、その声が仲間に届くことはなかった。
リリアの姿が、一瞬、霞のように揺らめく。次の瞬間、彼女は見張りの兵士の背後に立っていた。兵士は、何が起きたのか理解できないまま、首筋に走る衝撃に意識を失い、音もなく崩れ落ちた。剣の柄による、正確無比な一撃だった。

リリアは、そのまま流れるような動きで本陣の中へと侵入していく。彼女の動きは、もはや人間のそれではない。音を立てず、気配を殺し、まるで闇に溶け込む獣そのものだった。次々と見張りを無力化していくが、誰一人として警報を発する暇さえ与えられない。

彼女の感情は、凪いでいた。そこにあるのは、アッシュから与えられた任務を遂行するという、機械のような「集中力」と、主の元へ生きて帰るという強固な「決意」だけだった。

やがて、彼女はゲルハルトがいるであろう、最も豪華な天幕の前へとたどり着いた。その周りには、将軍を守る最後の砦として、十数名の屈強な近衛兵が固まっている。彼らは、これまでの雑兵とは違う。歴戦の猛者たちだ。

リリアは、隠れるのをやめた。
彼女は、静かに影の中から姿を現し、天幕の前へと歩み出た。
「……小娘?どこから入り込んだ!」
近衛兵の一人が、驚きと侮りが混じった声で叫んだ。

リリアは、何も答えない。ただ、二本の剣を静かに構えた。その姿を見た近衛兵たちは、下卑た笑みを浮かべた。
「はっ、剣の持ち方も知らんのか。お遊びは終わりだ。捕らえろ!」

数人の近衛兵が、リリアを取り囲むようにして、同時に襲いかかった。
その瞬間。
リリアの世界から、音が消えた。
迫り来る剣の軌道が、まるでゆっくりと流れる川のように、はっきりと見えた。敵の筋肉の動き、呼吸、重心の移動。その全てが、彼女の本能によって完璧に解析される。

時間が、極限まで引き延ばされたような感覚。
その中で、リリアの体が、舞った。

銀色の閃光が、闇夜を切り裂く。
キィン、という甲高い金属音が連続して響き渡った。
リリアは、四方八方から迫る剣の刃を、手に持つ二本のショートソードだけで、全て弾き、受け流し、捌ききっていた。その動きは、まるで精密機械のように正確で、荒々しい戦いというよりは、死の舞踏と呼ぶにふさわしいものだった。

近衛兵たちは、信じられないという顔で後ずさった。自分たちの全力の連携攻撃が、小柄な少女一人に、赤子の手を捻るようにあしらわれたのだ。
彼らの感情に、初めて「恐怖」という色が浮かび上がった。

リリアは、反撃に転じた。
彼女の体が、再び消える。近衛兵の一人が、脇腹に走る衝撃に悲鳴を上げた。見れば、鎧の隙間を縫うように、ショートソードの切っ先が突き刺さっている。致命傷ではない。だが、確実に戦闘能力を奪う一撃だった。

一人、また一人と、近衛兵たちが地面に崩れ落ちていく。リリアの剣は、決して命を奪わない。だが、その刃が触れた者は、二度と立ち上がることができなかった。彼女の動きは、もはや人間が目で追える速度を超えていた。ただ、銀色の閃光が走った後に、屈強な兵士たちが倒れていくだけだった。

その姿は、敵兵たちの目に、こう映った。
『銀閃の獣』。
その恐怖は、ウイルスのように本陣全体へと伝染していった。

「ば、化け物だ……!」
最後の近衛兵が、恐怖に顔を引きつらせ、武器を捨てて逃げ出そうとした。だが、その背中に、リリアの容赦ない蹴りが叩き込まれ、彼は意識を失った。

天幕の前には、静寂が戻った。残されたのは、うめき声を上げる十数人の近衛兵と、その中心に静かに佇む、銀髪の少女だけだった。

リリアは、血一滴付いていない剣を構え直し、ゆっくりと天幕の中へと足を踏み入れた。
そこには、外の騒ぎに気づき、慌てて鎧を身に着けようとしているゲルハルトの姿があった。彼は、天幕に入ってきたのが、可憐な少女一人であることを見て、一瞬、呆気に取られた。

「き、貴様……何者だ……」

リリアは、何も答えなかった。ただ、その獣のような瞳で、敵の総大将を静かに見据えた。
ゲルハルトは、その瞳の奥に宿る、抗いがたい死の気配を感じ取り、本能的な恐怖に体を震わせた。

彼は、自分が狩られる側の獲物であることを、この時、初めて悟った。

物見櫓の上。アッシュは、スキルを通じて、敵本陣で起こった全ての出来事を、まるで自分の目で見ているかのように把握していた。
彼は、リリアという投資が、想像を遥かに超える、最高の形で実を結んだことを、静かに確信していた。

「チェックメイトだ」
アッシュは、誰に言うでもなく呟き、チェス盤の最後の駒を、動かした。
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