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第六十五話:恐怖による支配
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夜明け前の薄明かりがヴェルヘイム邸の地下室をぼんやりと照らし出していた。そこはかつてアッシュが罪人として一夜を過ごした場所とは違う、ワインセラーとして使われていた頑丈な石造りの部屋だった。今は即席の尋問室と化している。
部屋の中央には一人の男が椅子に固く縛り付けられていた。昨夜アッシュの寝室に侵入した『夜想曲』の暗殺者だ。仮面は剥ぎ取られ、その下から現れたのは意外にも平凡な特徴のない中年男の顔だった。だがその瞳だけは尋常ではない光を宿していた。決して屈しないという狂信的な光を。
「……殺せ」
暗殺者は低い声で呟いた。
「拷問など無駄だ。我ら『夜想曲』は何も話さん」
彼の感情は肉体的な苦痛への「覚悟:95」と、ギルドへの絶対的な「忠誠心:100」で満ちていた。
その前に立つアッシュは、静かに首を横に振った。
「拷問? そんな非効率なことはしないさ」
彼は傍らに控えていたリリアに目配せをした。
「リリア。彼に少しだけ『夢』を見せてやれ」
リリアは無言で頷くと、暗殺者の前に進み出た。彼女は何も言わずにただじっとその男の目を見つめた。
暗殺者は最初は嘲笑うかのようにリリアを睨み返していた。だが数秒後、彼の表情に変化が現れた。リリアの大きな瞳がまるで底なしの闇のように彼の意識を吸い込んでいく。
彼の視界がぐにゃりと歪んだ。
彼はもはや石造りの地下室にはいなかった。
気づけば彼は真っ暗な何も無い空間に一人で立っていた。
『ここは……どこだ……?』
彼がそう思った瞬間、闇の向こうから何かが近づいてくる気配がした。
それは彼がこれまでの人生で殺してきた数え切れないほどの亡霊たちだった。恨みの言葉を囁き、血塗れの腕を伸ばして彼に迫ってくる。
『違う! これは幻覚だ!』
彼は暗殺者としての強靭な精神力でその幻を振り払おうとした。
だが幻覚は消えない。それどころか、より鮮明により悍ましくなっていく。
これはリリアが持つ獣人族特有の能力の一つだった。彼女は相手と視線を合わせることでその精神の最も深い部分に干渉し、その者が最も恐れる幻覚を見せることができるのだ。それは肉体的な拷問よりも遥かに深く、そして確実に人の心を破壊する力だった。
「ぎ……ぎゃああああああ!」
暗殺者の絶叫が地下室に響き渡った。現実の世界では彼の体は椅子に縛られたまま微動だにしていない。ただその目は恐怖に見開かれ、顔は滝のような汗で濡れていた。
アッシュはスキルで彼の精神が崩壊していく様を冷静に観察していた。
「忠誠心」の数値に亀裂が入り、代わりに「恐怖」という赤いゲージが凄まじい勢いで上昇していく。
やがてそのゲージは限界を振り切り、彼の精神の最後の砦を破壊した。
「忠誠心」の数値がゼロになった。
リリアは静かに目線を外した。
暗殺者は、はっと息を吸い込み現実の世界へと引き戻された。だが彼の瞳から先ほどの狂信的な光は消え失せていた。そこにあったのはただ純粋な赤子のような恐怖だけだった。
彼は目の前に立つリリアを見て、まるで悪魔でも見るかのように悲鳴を上げた。
「ひぃぃぃ! 来るな! あっちへ行け!」
「さて、と」
アッシュは完全に心が折れた暗殺者の前にゆっくりと屈み込んだ。
「もう一度聞かせてもらおうか。お前の依頼主は誰だ?」
「は、話す! 話します! だからもうあんなものは見せないでくれ!」
暗殺者は堰を切ったように全てを白状し始めた。
依頼主がヴェルヘイム公爵家の次男、ベルナルドであること。
報酬の額とその受け渡し場所。
そして『夜想曲』の組織の構造や他の幹部の名前まで。
それはアッシュが期待していた以上の情報だった。
アッシュはその全てを羊皮紙に記録させると、静かに立ち上がった。
「……どうするの、こいつら」
尋問の様子を壁際で見ていたセレスティアが、青ざめた顔で尋ねた。リリアの能力の恐ろしさに彼女もまた戦慄していたのだ。
「あなたのやり方はやはり……人の道に外れているわ」
彼女の感情にはアッシュへの「恐怖」と「嫌悪」が再び強まっていた。
「正義の鉄槌では闇に潜むネズミの口は割れない。そうだろう?」
アッシュは冷ややかに答えた。
「こいつらは監察府に引き渡す。帝国の法で裁いてもらうさ。俺は法を犯してはいない」
アッシュは捕らえた暗殺者たち全員の身柄を、セレスティアを通じて監察府へと引き渡した。帝都最強の暗殺ギルドが一網打尽にされたというニュースは、帝都の裏社会を震撼させた。
そしてアッシュは次なる手を打った。
彼は暗殺者が自白した内容を記した羊皮紙を手に、一人、次兄ベルナルドの私室を訪れた。
ベルナルドはアッシュの突然の訪問に狼狽を隠せなかった。
「な、何の用だ……アッシュ……」
彼の感情は、「恐怖:90」「焦り:85」。彼は昨夜の襲撃が失敗したことをすでに知っていた。
アッシュは何も言わずに、机の上に羊皮紙を置いた。
ベルナルドはその内容に目を通し、顔から全ての血の気を失った。そこには暗殺者とのやり取りが詳細に記されていた。動かぬ証拠だった。
「……どうするつもりだ」
ベルナルドは絞り出すような声で言った。
これを公にされれば自分も兄アルフォンスも完全に破滅する。
「別にどうもしないさ」
アッシュは静かに答えた。
「俺は兄上を失脚させたいわけじゃない。ただ少しだけ『協力』してほしいだけだ」
「……協力、だと?」
「そうだ」
アッシュの赤い瞳が恐怖に震える兄を、まるで獲物でも見るかのように見つめた。
「兄上にはこれから俺の『駒』になってもらう。アルフォンス兄上の派閥の内部情報を逐一俺に報告するんだ。そして時には俺の指示通りに動いてもらう。簡単なことだろう?」
それは完全な支配宣言だった。
ベルナルドは選択の余地なく、その屈辱的な要求を呑むしかなかった。彼のプライドはズタズタに引き裂かれ、その感情は「屈辱:100」「絶望:95」に染まった。
こうしてアッシュは自分を殺そうとした兄を、逆に最も忠実なスパイへと変えてしまった。
恐怖による支配。それは恩義や理想による支配よりも遥かに確実で、そして冷徹な繋がりだった。
アッシュの復讐の網は今や敵の陣営の最も内側深くまで張り巡らされた。兄ベルナルドという駒を手に入れたことで、彼の計画は最終段階へと大きく前進することになる。
部屋の中央には一人の男が椅子に固く縛り付けられていた。昨夜アッシュの寝室に侵入した『夜想曲』の暗殺者だ。仮面は剥ぎ取られ、その下から現れたのは意外にも平凡な特徴のない中年男の顔だった。だがその瞳だけは尋常ではない光を宿していた。決して屈しないという狂信的な光を。
「……殺せ」
暗殺者は低い声で呟いた。
「拷問など無駄だ。我ら『夜想曲』は何も話さん」
彼の感情は肉体的な苦痛への「覚悟:95」と、ギルドへの絶対的な「忠誠心:100」で満ちていた。
その前に立つアッシュは、静かに首を横に振った。
「拷問? そんな非効率なことはしないさ」
彼は傍らに控えていたリリアに目配せをした。
「リリア。彼に少しだけ『夢』を見せてやれ」
リリアは無言で頷くと、暗殺者の前に進み出た。彼女は何も言わずにただじっとその男の目を見つめた。
暗殺者は最初は嘲笑うかのようにリリアを睨み返していた。だが数秒後、彼の表情に変化が現れた。リリアの大きな瞳がまるで底なしの闇のように彼の意識を吸い込んでいく。
彼の視界がぐにゃりと歪んだ。
彼はもはや石造りの地下室にはいなかった。
気づけば彼は真っ暗な何も無い空間に一人で立っていた。
『ここは……どこだ……?』
彼がそう思った瞬間、闇の向こうから何かが近づいてくる気配がした。
それは彼がこれまでの人生で殺してきた数え切れないほどの亡霊たちだった。恨みの言葉を囁き、血塗れの腕を伸ばして彼に迫ってくる。
『違う! これは幻覚だ!』
彼は暗殺者としての強靭な精神力でその幻を振り払おうとした。
だが幻覚は消えない。それどころか、より鮮明により悍ましくなっていく。
これはリリアが持つ獣人族特有の能力の一つだった。彼女は相手と視線を合わせることでその精神の最も深い部分に干渉し、その者が最も恐れる幻覚を見せることができるのだ。それは肉体的な拷問よりも遥かに深く、そして確実に人の心を破壊する力だった。
「ぎ……ぎゃああああああ!」
暗殺者の絶叫が地下室に響き渡った。現実の世界では彼の体は椅子に縛られたまま微動だにしていない。ただその目は恐怖に見開かれ、顔は滝のような汗で濡れていた。
アッシュはスキルで彼の精神が崩壊していく様を冷静に観察していた。
「忠誠心」の数値に亀裂が入り、代わりに「恐怖」という赤いゲージが凄まじい勢いで上昇していく。
やがてそのゲージは限界を振り切り、彼の精神の最後の砦を破壊した。
「忠誠心」の数値がゼロになった。
リリアは静かに目線を外した。
暗殺者は、はっと息を吸い込み現実の世界へと引き戻された。だが彼の瞳から先ほどの狂信的な光は消え失せていた。そこにあったのはただ純粋な赤子のような恐怖だけだった。
彼は目の前に立つリリアを見て、まるで悪魔でも見るかのように悲鳴を上げた。
「ひぃぃぃ! 来るな! あっちへ行け!」
「さて、と」
アッシュは完全に心が折れた暗殺者の前にゆっくりと屈み込んだ。
「もう一度聞かせてもらおうか。お前の依頼主は誰だ?」
「は、話す! 話します! だからもうあんなものは見せないでくれ!」
暗殺者は堰を切ったように全てを白状し始めた。
依頼主がヴェルヘイム公爵家の次男、ベルナルドであること。
報酬の額とその受け渡し場所。
そして『夜想曲』の組織の構造や他の幹部の名前まで。
それはアッシュが期待していた以上の情報だった。
アッシュはその全てを羊皮紙に記録させると、静かに立ち上がった。
「……どうするの、こいつら」
尋問の様子を壁際で見ていたセレスティアが、青ざめた顔で尋ねた。リリアの能力の恐ろしさに彼女もまた戦慄していたのだ。
「あなたのやり方はやはり……人の道に外れているわ」
彼女の感情にはアッシュへの「恐怖」と「嫌悪」が再び強まっていた。
「正義の鉄槌では闇に潜むネズミの口は割れない。そうだろう?」
アッシュは冷ややかに答えた。
「こいつらは監察府に引き渡す。帝国の法で裁いてもらうさ。俺は法を犯してはいない」
アッシュは捕らえた暗殺者たち全員の身柄を、セレスティアを通じて監察府へと引き渡した。帝都最強の暗殺ギルドが一網打尽にされたというニュースは、帝都の裏社会を震撼させた。
そしてアッシュは次なる手を打った。
彼は暗殺者が自白した内容を記した羊皮紙を手に、一人、次兄ベルナルドの私室を訪れた。
ベルナルドはアッシュの突然の訪問に狼狽を隠せなかった。
「な、何の用だ……アッシュ……」
彼の感情は、「恐怖:90」「焦り:85」。彼は昨夜の襲撃が失敗したことをすでに知っていた。
アッシュは何も言わずに、机の上に羊皮紙を置いた。
ベルナルドはその内容に目を通し、顔から全ての血の気を失った。そこには暗殺者とのやり取りが詳細に記されていた。動かぬ証拠だった。
「……どうするつもりだ」
ベルナルドは絞り出すような声で言った。
これを公にされれば自分も兄アルフォンスも完全に破滅する。
「別にどうもしないさ」
アッシュは静かに答えた。
「俺は兄上を失脚させたいわけじゃない。ただ少しだけ『協力』してほしいだけだ」
「……協力、だと?」
「そうだ」
アッシュの赤い瞳が恐怖に震える兄を、まるで獲物でも見るかのように見つめた。
「兄上にはこれから俺の『駒』になってもらう。アルフォンス兄上の派閥の内部情報を逐一俺に報告するんだ。そして時には俺の指示通りに動いてもらう。簡単なことだろう?」
それは完全な支配宣言だった。
ベルナルドは選択の余地なく、その屈辱的な要求を呑むしかなかった。彼のプライドはズタズタに引き裂かれ、その感情は「屈辱:100」「絶望:95」に染まった。
こうしてアッシュは自分を殺そうとした兄を、逆に最も忠実なスパイへと変えてしまった。
恐怖による支配。それは恩義や理想による支配よりも遥かに確実で、そして冷徹な繋がりだった。
アッシュの復讐の網は今や敵の陣営の最も内側深くまで張り巡らされた。兄ベルナルドという駒を手に入れたことで、彼の計画は最終段階へと大きく前進することになる。
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