元社畜、異世界でダンジョン経営始めます~ブラック企業式効率化による、最強ダンジョン構築計画~

夏見ナイ

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第3話:最初のイベントハンドリングと、A/Bテストの必要性について

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ダンジョンのコアスペースである石造りの部屋は、スラきちの献身的な働きによって塵一つない清潔な状態が保たれていた。壁に背を預け、足を投げ出して座っている俺のそばには、半透明の光球――ダンジョンコアの基本形態であるコアが静かに浮かんでいる。時折、表面が波紋のように揺らめくのは、周囲の魔力を吸収しているからだろうか。

「コア、ダンジョンの自然魔力吸収によるDP獲得量は、現時点でどれくらいだ?」

『現在、1時間あたり約0.5DPです。ダンジョン範囲の拡大や、魔力密度の高い場所への接続により、増加が見込めます。』

「時給0.5DPか…1日で12DP。スラきちの維持費が1日0.1DPだとして、差し引き11.9DPの黒字。まあ、無いよりはマシだが、これだけで拡張や強化を進めるのは非現実的だな。やはり、侵入者の撃退によるDP獲得がメイン収入源になるか。」

システムで言えば、これは基本的なインフラ維持コストと、わずかながら自動生成されるリソースのようなものだ。本格的な開発(ダンジョン強化)を進めるには、外部からのインプット(侵入者=DP)が不可欠というわけだ。

「スラきちの維持費は微々たるものだが、今後モンスターを増やしていけば、ランニングコストも馬鹿にならない。損益分岐点を常に意識する必要があるな…」

ぶつぶつと独り言を呟く俺に、コアが問いかけてくる。

『マスター、「そんえきぶんきてん」とは何でしょうか?』

「ん? ああ…儲けと費用がちょうどトントンになるラインのことだ。それ以上稼げば黒字、下回れば赤字。ダンジョン運営も、一種の事業だと考えれば分かりやすい。」

『じぎょう…黒字、赤字…』

コアは、俺が使う聞き慣れない言葉を反芻しているようだった。感情のない声色のはずなのに、どことなく一生懸命に学ぼうとしている雰囲気が伝わってくる。

「まあ、おいおい覚えていけばいい。それより、スラきちだ。清掃タスクは完了したようだが、他に何か役割を与えられないか?」

俺は足元で待機しているスラきちに視線を移す。ぷるぷると震え、まるで期待しているかのようだ。

(移動速度の遅さがネックだが、特定の場所に留まらせておくなら問題ない。警報システムとして使うのはどうだろうか。)

「コア、スラきちに特定のエリアを監視させ、侵入者がそのエリアに入ったら俺に通知する、というような設定は可能か?」

『可能です。スラきちの感覚器官(原始的な魔力感知)とコアの監視システムをリンクさせ、トリガー条件を設定します。ただし、スラきちの感知範囲は狭く、精度も高くはありません。』

「どの程度の範囲なんだ?」

『半径約1メートルです。また、魔力量の少ない存在や、隠密行動をとる存在には反応できない可能性があります。』

「1メートルか…狭いが、ピンポイントで使うなら有効かもしれんな。例えば、落とし穴の手前の通路に配置しておくとか。」

罠の直前にセンサーがあれば、より確実に侵入者を捉えられる。落とし穴が見破られたとしても、スラきちセンサーが反応すれば、次の手を打つ時間稼ぎにはなるだろう。

「よし、スラきち。新しい任務だ。さっき作った通路の、落とし穴の手前あたりに行って、そこで待機してろ。何か通ったら、俺に知らせるんだ。」

俺がスラきちに直接話しかけると、コアがそれを補足するように指示を伝達する。

『個体名「スラきち」に、指定エリアでの待機および侵入者検知(トリガー:半径1メートル以内への侵入)タスクを付与します。検知した場合、マスターへ即時通達。』

スラきちは、ゆっくりと、しかし確実に通路の方へ移動を開始した。壁際を這うように進み、やがて指示された落とし穴の手前の位置でぴたりと動きを止めた。まるで、そこに置かれた無機質なセンサー装置のようだ。

(これで、防衛ラインが少し厚くなった。落とし穴とスラきちセンサーのコンボだ。まあ、どちらもレベル1の性能だが。)

あとは、最初の「イベント」が発生するのを待つだけだ。
俺は再び壁に背を預け、思考を巡らせる。

(もし侵入者が来たら、まずスラきちセンサーが反応するはずだ。次に、落とし穴にかかるか、避けるか。かかれば、深さ3メートル。ダメージはどれくらいか? 相手によっては、そこからすぐに脱出するかもしれない。穴の底に何か仕掛けたいところだが…今はDPがない。)

(もし落とし穴を避けられた場合、そのままコア安置室(この部屋)に侵入してくることになる。そうなったら、俺自身がどう対応するか…いや、ダンジョンマスターは直接戦闘を行うべきではない。リスクが高すぎる。それに、俺に戦闘能力があるとも思えない。)

(となると、やはりモンスターによる迎撃が必要だ。スライムだけでは心許ない。ゴブリンあたりが召喚できるようになれば、多少はマシになるだろうが…そのためにはダンジョンレベルを上げる必要がある。そのためにはDPが必要で…)

思考がループしそうになる。いかんいかん、冷静にならなければ。
今は、手持ちのリソースで最大限の効果を発揮する方法を考えるべきだ。

(落とし穴の効果を高める方法…そうだ、A/Bテスト的な考え方を導入してみよう。)

A/Bテスト。ウェブサイトやアプリ開発でよく用いられる手法だ。二つの異なるパターン(AとB)を用意し、どちらがより良い成果(コンバージョン率など)を出すかを実際に試して比較検証する。

(例えば、落とし穴の底に、別のスライムを配置しておくパターンAと、何もないパターンB。どちらが侵入者の拘束時間が長いか、データを取る。あるいは、落とし穴の壁面を、スライムの粘液で滑りやすくするパターンAと、何もしないパターンB。どちらが脱出困難か…)

もちろん、実際にA/Bテストを行うには、それなりの数の試行回数(侵入者)が必要になる。今はまだ、そこまでの余裕はない。だが、常に比較検証の視点を持って、罠やモンスターの配置を最適化していく意識は重要だろう。ログを取り、分析し、改善する。PDCAサイクルを回すのだ。

そんなことを考えていると、不意にコアの声が響いた。

『マスター! スラきちより緊急通報! 設定エリア内に侵入者を感知しました!』

ついに来たか!
俺は思わず身構えた。初めての侵入者。どんな相手だ?

「コア! 侵入者の情報を表示しろ! 種族、数、装備、進行方向!」

『了解! 侵入者情報:種族・モリネズミ(Forest Rat)、数・1匹、装備・なし。現在、スラきちの感知エリアを通過し、落とし穴に向かって進行中!』

モリネズミ…森に住むネズミか。まあ、最初の相手としては妥当なところだろう。練習台にはちょうどいい。

俺は、コアが提示した簡易マップに表示される、小さな光点(侵入者を示す)の動きを注視する。光点は、スラきちが待機していたポイントを通り過ぎ、落とし穴の位置に差し掛かった。

次の瞬間、

『落とし穴、作動! 侵入者の落下を確認!』

コアの報告と同時に、通路の奥から「チュー!」という甲高い鳴き声と、何かが落ちる鈍い音が微かに聞こえてきた。

やった! 最初の罠が、見事に機能した。

「よし! コア、落とし穴の状況をモニターしてくれ。侵入者の生死、活動状況をリアルタイムで報告しろ。」

『了解しました。落とし穴内部をスキャンします…侵入者(モリネズミ)、生存を確認。深さ3メートルの落下により軽度のダメージ。現在、穴の底で混乱状態。壁面を登ろうと試みていますが、困難な模様。』

「よしよし…」

思わず安堵の息が漏れる。初めての防衛成功だ。相手がネズミとはいえ、計画通りに事が進むのは気分がいい。

(だが、油断は禁物だ。ネズミとはいえ、生命力は侮れない。もし脱出されたら、このコア安置室まで到達されてしまう。)

「コア、モリネズミを排除する方法はあるか? このまま放置しておけば、いずれ餓死するか、あるいは脱出するかもしれないが…」

『現時点で、マスターが直接攻撃する手段はありません。モンスターによる追撃も、スラきちでは効果が期待できません。罠の追加機能(槍の発射など)も未実装です。』

「つまり、打つ手なしか…?」

『いえ、マスター。侵入者がダンジョン内で死亡した場合、その魔力をDPとして吸収できます。モリネズミが穴の中で衰弱死するのを待つのも一つの手です。あるいは…』

コアは少し間を置いて続けた。

『ダンジョンマスター権能の一部として、「存在消滅」コマンドの実行が可能です。これは、ダンジョン内の無力化された対象(罠にかかった、瀕死状態など)の存在を強制的に消滅させ、魔力をDPに変換する機能です。ただし、対象の抵抗力が高い場合や、マスターの精神力が不足している場合は失敗する可能性があります。』

「存在消滅…? そんな機能があったのか。」

それはまるで、デバッグツールで不要なオブジェクトを削除するような機能だ。使い方によっては便利だが、少し物騒な響きでもある。

「モリネズミ程度なら、問題なく実行できるか?」

『はい、低級モンスターであるモリネズミに対しては、ほぼ確実に成功します。実行しますか?』

「…ああ、実行してくれ。最初のDP獲得だ。」

『了解しました。「存在消滅」コマンドを実行します。』

コアの言葉と共に、落とし穴の奥から聞こえていたネズミのかすかな鳴き声が、ぷつりと途絶えた。

そして、コアのインターフェースに変化が現れた。

**【DP獲得:1DP】**
**【現在の所持DP:871DP】**

たった、1DP。
モリネズミ一体の価値は、それだけらしい。

「…まあ、そんなものか。」

少し拍子抜けしたが、これが現実なのだろう。塵も積もれば山となる、というやつだ。

(しかし、1DPのために毎回「存在消滅」コマンドを使うのは、精神衛生上あまり良くないな。やはり、罠自体で確実に仕留めるか、モンスターに後処理を任せるのが理想的だ。)

「コア、今回の迎撃に関するログを記録しておいてくれ。侵入者の種類、検知時刻、罠の作動状況、獲得DPなど。今後の分析に使う。」

『承知いたしました。迎撃ログNo.001として記録します。』

「それから、スラきちを呼び戻して、また部屋の掃除をさせておいてくれ。落とし穴の周辺も念入りにな。」

『了解しました。スラきちにタスク変更を指示します。』

通路の奥から、スラきちがゆっくりと戻ってくるのが見えた。任務ご苦労、と心の中で労う。

最初の侵入者を撃退し、初めてのDPを獲得した。ほんのわずかな前進だが、確実な一歩だ。

(さて、ログ分析と改善案の検討といこうか。最初のイテレーションはこれからだ。)

俺は気持ちを切り替え、次の「顧客」――より多くのDPをもたらしてくれるであろう、新たな侵入者に備えるべく、思考を再開した。ダンジョン運営という名の、終わりのないプロジェクトは、まだ始まったばかりなのだ。
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