元社畜、異世界でダンジョン経営始めます~ブラック企業式効率化による、最強ダンジョン構築計画~

夏見ナイ

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第32話:交渉テーブルという名の戦場

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約束の日、早朝。ダンジョン内には、普段とは違う、張り詰めた空気が漂っていた。コア安置室のダッシュボードには、フロンティア郊外の指定倉庫へ向かうガルバス会長一行の動きを示すマーカーが表示されている。

『マスター、対象(ガルバス会長一行)、指定地点まであと1キロ。護衛は…武装した屈強な男が6名。前回より増強されています。会長本人は、豪華な馬車で移動中。』
コアが冷静に報告する。

「護衛6名か…まあ、当然だろうな。」
俺は頷き、最終確認を行う。

面会場所となるダンジョン入口付近の小部屋は、コアの力で巧妙に偽装されていた。壁や床は滑らかに磨かれ、温かみのある光を発する魔道具が設置され、テーブルの上にはささやかな花まで飾られている。一見すると、ただの安全な待合室にしか見えない。もちろん、壁の向こうにはゴブジとスケルトン部隊が息を潜め、天井には監視用ゴーレムが埋め込まれ、緊急時には防御フィールドを展開する準備も整っている。

「ジン、リナ、準備はいいか?」
俺は、面会場所の手前で待機している二人に、マイクを通じて最終確認を行う。

「へいへい、いつでもどうぞ。」ジンは、新しい鋼鉄の短剣を弄びながら、余裕の表情だ。
「は、はい…! だ、大丈夫です…!」リナは、緊張で顔がこわばっている。

「ミリアは?」
「奥の部屋で、少しそわそわしながら待っています。私が落ち着かせました。」とリナ。

「よし。時間通りだ。コア、会長一行を迎え入れろ。ただし、護衛は指定した場所で待機させるように、ジンから伝えろ。」

『承知いたしました。』

やがて、ダンジョン入口(不可視化は解除済み)に、立派な髭を蓄え、恰幅の良い、しかし娘を心配する親の顔を隠せない初老の紳士――ガルバス・ロウ会長が、護衛たちに守られながら姿を現した。彼は、ダンジョンの入口とおぼしき洞穴を訝しげに見つめ、そして案内のために現れたジン(変装済み)に鋭い視線を向けた。

「…貴様が、連絡役か。」
会長の声は、威厳と警戒心に満ちていた。

「いかにも。ガルバス会長、ようこそ。まずは、お約束通り、この面会場所の安全確認をお願いしたい。専門の鑑定士の方でも、ご自由にどうぞ。」
ジンは、事前に打ち合わせた通り、丁寧な言葉遣いで応対する。

会長は頷き、隣に控えていた鑑定士らしき男に合図を送った。鑑定士は、様々な道具(ルーペや、魔力感知器のようなもの)を取り出し、面会用の部屋と、そこに至る短い通路を念入りに調べ始めた。

俺は、コアを通じてその様子を監視する。
『鑑定士、罠の反応がないか探っています…物理的トラップ、魔術的トラップ、共に反応なし。隠し通路や盗聴器の類も探していますが、発見には至りません。』
コアの完璧な偽装と隠蔽工作が功を奏しているようだ。

数分後、鑑定士は会長に「特に危険な仕掛けは見当たりません」と報告した。

「ふむ…」会長は、まだ疑いの目を向けながらも、ジンに促されて護衛たちをその場に残し、一人で面会用の部屋へと足を踏み入れた。

部屋の中央にはテーブルと椅子が二脚。壁際には、緊張した面持ちのリナが立っている。

「会長、こちらへどうぞ。」
リナが、か細い声で椅子を勧める。

会長は、リナを一瞥し、そして部屋全体を鋭い目で見渡した後、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。

「…娘は、どこにおる。」
会長が、単刀直入に尋ねた。

「はい、奥の部屋で待っております。お呼びしますね。」
リナが頷き、部屋の奥の扉(もちろん、コア安置室とは繋がっていないダミー通路の先だ)を開けた。

そこから、ミリアが小さな体をもじもじさせながら、不安と期待が入り混じった表情で顔を出した。

「パパ…!」
ミリアが、会長の姿を認めて駆け寄ろうとする。

「ミリア! 無事だったか!」
会長も、思わず椅子から立ち上がり、娘を抱きしめようとした。だが、その瞬間、会長はプロの商人としての顔を取り戻し、娘に駆け寄るのを寸前でこらえ、代わりに厳しい目でミリアの全身をチェックした。
「怪我はないか? どこか痛むところは? あの者たちに、何か酷いことをされなかったか?」

「ううん、大丈夫だよ、パパ。ワタルさんたち、優しくしてくれたもん。ご飯もちゃんと食べたし、リナお姉ちゃんが色々教えてくれるし…」
ミリアは、父親の心配そうな顔を見て、健気に笑顔を作った。

会長は、娘の無事な姿と、その言葉を聞いて、ようやく安堵の表情を浮かべた。目には、うっすらと涙が浮かんでいる。
「…そうか、無事なら、それでいい…」

短い、しかし感動的な再会の時間が流れた。リナも、その様子を見て、もらい泣きしそうになっている。

だが、感傷に浸っている時間はない。
「会長、お喜びのところ恐縮ですが、そろそろ本題に入らせていただいても?」
交渉役のジンが、タイミングを見計らって部屋に入ってきた。

会長は、ハッと我に返り、再び厳しい商人の顔に戻った。ミリアをリナに預け、椅子に座り直す。
「…うむ。娘が無事であることは確認できた。約束通り、取引の話をしよう。まず、貴殿らの要求はなんだ? ミスリルとやらの安定供給と引き換えに、交易パートナーシップを結びたい、とあったな?」

「その通りです。」ジンが頷く。「こちらが、先日お見せしたミスリル銀を精錬したインゴットです。品質をご確認ください。」
ジンは、ゴブジが精錬したばかりの中品質ミスリルインゴットを数本、テーブルの上に置いた。

会長は、鑑定士(部屋の外で待機させていた)を呼び寄せ、インゴットを鑑定させた。鑑定士は、ルーペで表面を調べ、小さなハンマーで叩いて音を確認し、魔力感知器をかざして、慎重に鑑定を進める。

やがて、鑑定士は会長に耳打ちした。
「…間違いなく、ミスリル銀です。純度は30%前後と推定されます。精錬技術も、なかなかのものでしょう。」

会長の目が、再び驚きで見開かれた。純度30%のミスリルインゴット。辺境の地で、これだけの品質のものを安定供給できるとなれば、それは莫大な利益を生む可能性を秘めている。

「…なるほど。確かに、これは魅力的な『商品』だ。これほどのものを、どこで、どのように?」
会長が、探るような目でジンを見る。

「それは、我々の『企業秘密』というやつです。」ジンは、はぐらかすように笑った。「重要なのは、我々がこれを、安定的かつ継続的に供給できる、ということです。ガルバス商会のような強力な販売網を持つパートナーがいれば、互いにとって大きな利益となるでしょう。」

「ふむ…」会長は腕を組み、考え込む。「供給量と価格次第では、確かに興味深い話だ。具体的には、どれくらいの量を、いくらで供給できるというのかね?」

いよいよ、具体的な条件交渉が始まった。
ジンは、俺があらかじめ指示しておいた最低ラインと目標ラインを念頭に置きながら、慎重に言葉を選び、会長と駆け引きを始める。

「供給量については、当面は月にインゴット10本程度から始めたいと考えています。価格については、市場価格の8割、といったところでいかがでしょう?」

「月に10本か…少ないな。それに、市場価格の8割とは、随分と強気な値段だ。こちらの販売リスクも考慮していただきたい。」
会長は、さすがに手強い。簡単には首を縦に振らない。

「品質には自信があります。それに、これは始まりに過ぎません。将来的には、供給量を増やすことも可能です。さらに言えば、我々はミスリル以外にも、希少な資源を保有しています。」
ジンは、懐から小さな魔力水晶の欠片を取り出し、テーブルの上に置いた。

「これは…魔力水晶!?」
鑑定士が、驚きの声を上げる。
「しかも、この透明度と輝き…かなりの高品質ですぞ!」

会長の目が、三度、大きく見開かれた。ミスリル銀に加えて、高品質の魔力水晶まで。この謎の組織は、一体どれほどの資源を秘めているのか。

「…よろしい。」会長は、ついに決断したようだった。「取引条件の詳細については、時間をかけて詰める必要があるだろう。だが、基本的な合意として、我々ガルバス商会は、貴殿らとの交易パートナーシップを前向きに検討しよう。」

「それは、ありがたいお言葉です。」ジンが頭を下げる。

「ただし、条件がある。」会長は続けた。「まず、第一回目の納品が、滞りなく、約束通りの品質で行われること。これが確認できるまでは、正式な契約とはしない。そして、娘の身柄についてだ。交易が開始され次第、速やかに、安全な形でこちらへ引き渡していただきたい。」

「承知いたしました。」ジンは頷いた。「第一回目の納品は、一月後。インゴット10本を、指定された方法でお届けします。ミリア嬢の引き渡しについても、納品と同時に、安全を確保した上で行いましょう。」

「うむ。それでよろしい。」

こうして、ガルバス商会との間に、限定的ながらも、最初の取引合意が成立した。正式契約はまだ先だが、大きな一歩であることは間違いない。

交渉がまとまり、会長は名残惜しそうにミリアと別れを告げ、護衛たちと共にダンジョンを後にした。去り際に、彼は俺(の声)に向かって、一言だけ呟いた。
「ワタル殿…と言ったかな。貴殿が何者かは知らぬが、娘を無事に保護してくれたことには感謝する。だが、忘れるな。もし娘の身に何かあれば、ガルバス商会は総力を挙げて、貴殿らを滅ぼすだろう。」
その言葉には、感謝と、そして明確な警告が込められていた。

俺は、彼の言葉を黙って受け止めた。

会長一行が完全に立ち去り、ダンジョンに再び静寂が戻った。
ジン、リナ、ゴブジが、緊張から解放され、どっと疲れが出たようにその場に座り込んだ。

「…やったな。」俺は、彼らに労いの言葉をかけた。「よくやってくれた。」

「へっ、まあな。だが、これからが本番だぜ、マスター。」ジンがニヤリと笑う。

今回の会談は成功した。だが、それは同時に、俺たちのダンジョンが、外部世界と本格的に繋がりを持ったことを意味する。それは、新たなチャンスであると同時に、未知のリスクの始まりでもあった。

俺は、ダッシュボードに「ガルバス商会 交渉フェーズ1 完了」と記録しながら、この新たな局面に向けて、気を引き締め直す必要性を感じていた。ホワイトダンジョンへの道は、また一つ、複雑な分岐点を迎えたのだ。
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