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第25話 二人だけの新生活
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エルシュタット公爵家との訣別を果たした私の足は、迷いなく王立魔法学園へと向かっていた。
高くそびえる尖塔。歴史の重みを感じさせる石造りの校舎。その全てが、これから始まる私の新しい人生を象徴しているかのようだった。
学園の敷地内にある学生寮は校舎に劣らず壮麗だった。
蔦の絡まる白亜の壁に、大きな窓がいくつも並んでいる。庭には手入れの行き届いた花壇があり、色とりどりの花が咲き誇っていた。
新入生とその家族たちで賑わう玄関ホールを抜け、私は寮監だという初老の女性に案内されて自分の部屋へと向かった。
「こちらでございます。リリアーナ・フォン・エルシュタット様」
寮監は最上階の角部屋の前で足を止めると、恭しく鍵を差し出した。
主席合格者には最も条件の良い部屋が与えられるという学園の伝統らしい。
「何かご不便がございましたら、いつでもわたくしをお呼びつけくださいませ」
丁寧すぎるほどの一礼を残して寮監が去っていくと、長い廊下には私一人だけが残された。
私は期待と緊張で高鳴る胸を抑えながら、ゆっくりと扉を開ける。
その瞬間、私の目に飛び込んできたのは陽光に満ち溢れた、明るく広々とした空間だった。
離れの薄暗い部屋とは比べ物にならない。
磨き上げられた木の床。壁には上品な花の模様が入った壁紙が貼られ、大きな窓には清潔な白いレースのカーテンがかかっている。
部屋の中央には天蓋付きの大きなベッド。窓際には書き物をするためのしっかりとした机と椅子。そして、たくさんの本が収納できそうな空っぽの本棚。
全てが私のために用意された、私だけの空間。
私は夢を見ているような心地で、部屋の中央までゆっくりと歩みを進めた。
そして、大きな窓を思い切り開け放つ。
眼下には学園の広大な庭と、その向こうに広がる王都の美しい街並みが見えた。
今まで私がいた離れの窓から見えていたのは、鬱蒼と茂る木々と本邸の高い壁だけだった。
吹き込んできた風は、花の香りと自由の匂いがした。
「……すごい」
思わず感嘆のため息が漏れた。
これが私の新しい家。私の新しい世界。
「気に入ったかい、リリアーナ?」
いつの間にかルークが私の隣に立っていた。
彼の金の瞳は窓の外の景色ではなく、輝くような表情をしている私を愛おしそうに見つめていた。
「はい! とても! まるでお城のようですわ」
「君は城の主にふさわしい」
彼はそう言うと、部屋の中を満足げに見回した。
「いい部屋だ。日当たりも良く風通しもいい。何より、君以外の余計な気配がしないのがいい」
その言葉に、私はふと気になっていたことを尋ねた。
「あの、ルーク。あなたはこの部屋に……?」
「ああ。問題ない」
私の不安を先読みしたかのように、彼は穏やかに頷いた。
「やはり、あの時の推測通りだったな。君さえいれば、僕はどこへだって行ける。僕を縛っていたのは、あの離れの部屋ではなく、君という光そのものだったようだ。君がいる場所が僕のいる場所になる。君がどこへ行こうと、僕は君のそばを離れはしないよ」
その言葉が、どれほど私を安心させてくれたことか。
この自由な空間で彼と離れ離れになってしまうことだけが、私の唯一の不安だったのだ。
「よかった……」
心の底から安堵のため息をつく私を見て、ルークは楽しそうに笑った。
「さあ、荷解きをしよう。今日からここが君の、そして僕たちの新しい家だ」
私たちは二人で小さなトランクから荷物を出していった。
私が制服をクローゼ-ットにかけると、ルークが「その隣に夜会で着た銀のドレスも掛けておくといい。きっとまた着る機会があるだろうから」と助言をくれる。
私が教科書を本棚に並べると、ルークが「魔法史は紋章学の隣に置いた方が分かりやすい」と教えてくれる。
彼が物理的に荷物に触れることはできなくても、私たちの共同作業は温かくて幸せな時間に満ちていた。
全ての荷物を片付け終えた頃には、窓の外は美しい夕焼けに染まっていた。
私は旅の準備の日に買った、とっておきのお菓子をテーブルの上に広げた。色とりどりのマカロンと小さなフルーツタルト。
「ささやかですが、お祝いをしましょう」
「何の、だい?」
「決まっていますわ。私たちの新しい生活の始まりを祝して」
私は一番大きな苺のタルトを手に取り、彼に見せるように掲げた。
「乾杯」
ルークも見えない手でカップを持ち上げる仕草をして、それに答えた。
「乾杯。君の輝かしい未来に」
一口食べたタルトは、あの時と同じように甘くて、少しだけ酸っぱくて、幸せな味がした。
「これから、どんな毎日が待っているのでしょう」
窓の外の夕焼けを眺めながら、私は期待に胸を膨らせて呟いた。
「楽しいことばかりではないだろうな」
ルークは現実的な答えを返した。
「学園には様々な身分の、様々な考えを持つ者たちが集まる。君の才能に嫉妬する者も、君の過去を面白おかしく噂する者もきっと現れるだろう」
「……そうですわね」
「だが、忘れるな、リリアーナ」
彼は私の瞳をまっすぐに見つめた。
「君はもう一人じゃない。どんな困難が待ち受けていようと、僕が必ず君を守る。君はただ前だけを見て、君の信じる道を歩めばいい」
彼の言葉が夕陽の光と共に、私の心に深く温かく染み渡っていく。
そうだ。もう何も怖がることはない。
この広い世界のどこを探しても、私ほど幸せな人間はいないだろう。
だって私には、私だけを見守り導いてくれる、世界で一番素敵な騎士様がついているのだから。
私は彼に向かって満面の笑みを浮かべた。
それはかつての「幽霊令嬢」が決して知ることのなかった、心からの幸せな笑顔だった。
ここが私たちの新しい始まりの場所。
二人だけの、甘くて輝かしい新生活が、今、静かに幕を開けた。
高くそびえる尖塔。歴史の重みを感じさせる石造りの校舎。その全てが、これから始まる私の新しい人生を象徴しているかのようだった。
学園の敷地内にある学生寮は校舎に劣らず壮麗だった。
蔦の絡まる白亜の壁に、大きな窓がいくつも並んでいる。庭には手入れの行き届いた花壇があり、色とりどりの花が咲き誇っていた。
新入生とその家族たちで賑わう玄関ホールを抜け、私は寮監だという初老の女性に案内されて自分の部屋へと向かった。
「こちらでございます。リリアーナ・フォン・エルシュタット様」
寮監は最上階の角部屋の前で足を止めると、恭しく鍵を差し出した。
主席合格者には最も条件の良い部屋が与えられるという学園の伝統らしい。
「何かご不便がございましたら、いつでもわたくしをお呼びつけくださいませ」
丁寧すぎるほどの一礼を残して寮監が去っていくと、長い廊下には私一人だけが残された。
私は期待と緊張で高鳴る胸を抑えながら、ゆっくりと扉を開ける。
その瞬間、私の目に飛び込んできたのは陽光に満ち溢れた、明るく広々とした空間だった。
離れの薄暗い部屋とは比べ物にならない。
磨き上げられた木の床。壁には上品な花の模様が入った壁紙が貼られ、大きな窓には清潔な白いレースのカーテンがかかっている。
部屋の中央には天蓋付きの大きなベッド。窓際には書き物をするためのしっかりとした机と椅子。そして、たくさんの本が収納できそうな空っぽの本棚。
全てが私のために用意された、私だけの空間。
私は夢を見ているような心地で、部屋の中央までゆっくりと歩みを進めた。
そして、大きな窓を思い切り開け放つ。
眼下には学園の広大な庭と、その向こうに広がる王都の美しい街並みが見えた。
今まで私がいた離れの窓から見えていたのは、鬱蒼と茂る木々と本邸の高い壁だけだった。
吹き込んできた風は、花の香りと自由の匂いがした。
「……すごい」
思わず感嘆のため息が漏れた。
これが私の新しい家。私の新しい世界。
「気に入ったかい、リリアーナ?」
いつの間にかルークが私の隣に立っていた。
彼の金の瞳は窓の外の景色ではなく、輝くような表情をしている私を愛おしそうに見つめていた。
「はい! とても! まるでお城のようですわ」
「君は城の主にふさわしい」
彼はそう言うと、部屋の中を満足げに見回した。
「いい部屋だ。日当たりも良く風通しもいい。何より、君以外の余計な気配がしないのがいい」
その言葉に、私はふと気になっていたことを尋ねた。
「あの、ルーク。あなたはこの部屋に……?」
「ああ。問題ない」
私の不安を先読みしたかのように、彼は穏やかに頷いた。
「やはり、あの時の推測通りだったな。君さえいれば、僕はどこへだって行ける。僕を縛っていたのは、あの離れの部屋ではなく、君という光そのものだったようだ。君がいる場所が僕のいる場所になる。君がどこへ行こうと、僕は君のそばを離れはしないよ」
その言葉が、どれほど私を安心させてくれたことか。
この自由な空間で彼と離れ離れになってしまうことだけが、私の唯一の不安だったのだ。
「よかった……」
心の底から安堵のため息をつく私を見て、ルークは楽しそうに笑った。
「さあ、荷解きをしよう。今日からここが君の、そして僕たちの新しい家だ」
私たちは二人で小さなトランクから荷物を出していった。
私が制服をクローゼ-ットにかけると、ルークが「その隣に夜会で着た銀のドレスも掛けておくといい。きっとまた着る機会があるだろうから」と助言をくれる。
私が教科書を本棚に並べると、ルークが「魔法史は紋章学の隣に置いた方が分かりやすい」と教えてくれる。
彼が物理的に荷物に触れることはできなくても、私たちの共同作業は温かくて幸せな時間に満ちていた。
全ての荷物を片付け終えた頃には、窓の外は美しい夕焼けに染まっていた。
私は旅の準備の日に買った、とっておきのお菓子をテーブルの上に広げた。色とりどりのマカロンと小さなフルーツタルト。
「ささやかですが、お祝いをしましょう」
「何の、だい?」
「決まっていますわ。私たちの新しい生活の始まりを祝して」
私は一番大きな苺のタルトを手に取り、彼に見せるように掲げた。
「乾杯」
ルークも見えない手でカップを持ち上げる仕草をして、それに答えた。
「乾杯。君の輝かしい未来に」
一口食べたタルトは、あの時と同じように甘くて、少しだけ酸っぱくて、幸せな味がした。
「これから、どんな毎日が待っているのでしょう」
窓の外の夕焼けを眺めながら、私は期待に胸を膨らせて呟いた。
「楽しいことばかりではないだろうな」
ルークは現実的な答えを返した。
「学園には様々な身分の、様々な考えを持つ者たちが集まる。君の才能に嫉妬する者も、君の過去を面白おかしく噂する者もきっと現れるだろう」
「……そうですわね」
「だが、忘れるな、リリアーナ」
彼は私の瞳をまっすぐに見つめた。
「君はもう一人じゃない。どんな困難が待ち受けていようと、僕が必ず君を守る。君はただ前だけを見て、君の信じる道を歩めばいい」
彼の言葉が夕陽の光と共に、私の心に深く温かく染み渡っていく。
そうだ。もう何も怖がることはない。
この広い世界のどこを探しても、私ほど幸せな人間はいないだろう。
だって私には、私だけを見守り導いてくれる、世界で一番素敵な騎士様がついているのだから。
私は彼に向かって満面の笑みを浮かべた。
それはかつての「幽霊令嬢」が決して知ることのなかった、心からの幸せな笑顔だった。
ここが私たちの新しい始まりの場所。
二人だけの、甘くて輝かしい新生活が、今、静かに幕を開けた。
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