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第86話:空の偵察者『イーグル』
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電力革命が王国の夜を変え、産業を加速させていく一方で、北の空には依然として暗い雲が垂れ込めていた。
ガルニア帝国。
彼らの軍事的な圧力は日に日に増していた。国境付近での大規模な軍事演習は、もはや威嚇のレベルを超え、いつ本格的な侵攻が始まってもおかしくない一触即発の状態が続いていた。
クラウスからもたらされる情報は、常に俺たちの神経をすり減らした。
「帝国の竜騎士団が、国境付近に集結しつつある、との報告が入った。彼らは空からの奇襲を得意とする帝国最強の部隊だ。もし彼らが奇襲を仕掛けてきた場合、我々の地上部隊は気づくことすらできずに壊滅させられる可能性がある」
空からの脅威。
それは鉄道や電信といった、地上に縛られた俺たちの新しい軍事システムにとって、最大のアキレス腱だった。
いくら優れた情報網を持っていても、敵が空からやってくるのでは意味がない。
「……空か」
俺は、執務室の窓から青い空を見上げながら呟いた。
いつかシルフィと語り合った、空への憧れ。
それが今、感傷的な夢としてではなく、国家の存亡を賭けた差し迫った軍事的な課題として、俺の目の前に突きつけられていた。
「敵の動きを、空から誰よりも早く察知する手段。それさえあれば先手を打つことができる」
俺は王立魔導科学大学の自分の研究室へと足を運んだ。
そして、工学部と魔導科学部の最も優秀な学生たちとシルフィをそこに集めた。
俺は黒板に、いつかシルフィに見せた熱気球の簡単な絵を描いた。
「諸君、我々の次の目標は空を飛ぶことだ」
俺のその言葉に、学生たちは最初は冗談だと思ったのか、ざわめいた。
だが、俺が熱で空気が軽くなる原理と、それを利用して巨大な気球を浮かび上がらせるという熱気球の基本構造を物理学的に説明し始めると、彼らの目の色が変わっていった。
ざわめきは知的な興奮へと変わる。
「なるほど……! アルキメデスの原理の応用か!」
「しかし、教授。ただ浮かび上がるだけでは風に流されるだけのただの的になるのでは?」
工学部の首席が、鋭い質問を投げかけてきた。
「その通りだ」と俺は頷いた。「だから我々はこれに『動力』と『舵』を与える」
俺は黒板に、さらに新しい絵を描き加えていく。
気球の形状は、球形ではなく風の抵抗を受けにくい流線型の葉巻型に。
そして、その下部に吊るされたゴンドラ(搭乗かご)には、俺たちが開発した超小型で軽量な魔導蒸気機関を搭載する。
その機関の力で巨大な「プロペラ(螺旋推進器)」を回転させ、推力を生み出すのだ。
そして船体の後部には、飛行機の尾翼のような巨大な舵を取り付け、進行方向を制御する。
それはもはや単なる熱気球ではなかった。
自らの意思で空を自由に飛び回ることができる、世界初の「飛行船」の設計図だった。
「……信じられない」
学生たちは、そのあまりにも未来的で、しかし完全に理論的な設計図を前に言葉を失っていた。
「シルフィ」と俺は隣に立つ彼女に声をかけた。「この計画の最大の鍵は君の力だ」
「私……の?」
「ああ。この船体をただの熱気で浮かび上がらせるだけでは浮力が足りない。だが、もし君の風の魔法でこの巨大な気球の内部に常に上昇気流を生み出し続けることができたなら……」
「……!」
シルフィの目が大きく見開かれた。
「そしてプロペラを回す風も、舵を動かす風も、全て君の魔法で制御する。魔導蒸気機関はあくまで補助動力だ。メインの動力は君のマナなんだよ」
それは魔導科学と航空力学の究極の融合だった。
「……できる?」
俺が尋ねると、シルフィは少しだけ考え込んだ後、力強く頷いた。
「うん、できる! きっとできるよ! 私のマナを増幅する、リオが作ってくれた腕輪があれば!」
彼女のその言葉が、プロジェクトの開始を告げる号砲となった。
開発は、王都郊外の広大な軍の演習場で極秘裏に進められた。
エリアーナが商会の力で最高品質の絹の布を大量に確保してくれた。それを何層にも重ねて貼り合わせ、気密性を高めた巨大な気嚢(船体)が作られていく。
ゴンドラとプロペラ、そして舵の機構は、大学の学生たちが俺の指導の下、昼夜を問わず設計と試作を繰り返した。
そしてシルフィは、自分のマナを巨大な船体を浮かび上がらせ、そして動かすための精密な制御システムへと昇華させるための厳しい訓練に黙々と取り組んだ。
彼女はもはやただの魔法使いではない。世界で最初の「飛行船パイロット」となるべく、自らの才能を極限まで磨き上げていたのだ。
数ヶ月後。
演習場の巨大な格納庫の中で、ついにその白銀の巨体がその全貌を現した。
全長は三十メートル。美しい流線型の船体は、まるで空を泳ぐ巨大な鯨のようだった。
俺たちはその、人類初の空飛ぶ船に、帝国の竜騎士団を狩る天翔る鷲の名を授けた。
『イーグル』号、と。
最初の飛行実験の日。
格納庫の巨大な扉がゆっくりと開かれる。
俺とシルフィ、そして数名の技術者が乗り込んだゴンドラの下で、魔導炉が熱を生み出し、気嚢の中の空気が温められていく。
そしてシルフィが目を閉じ、集中した。
彼女の体から、これまでになく強大なマナが溢れ出し、船体全体を淡い緑色の光で包み込む。
ふわり、と。
信じられないほど、静かに。
白銀の巨体は、重力という大地の軛(くびき)から自らを解き放ち、ゆっくりと空へと浮かび上がっていった。
「……浮いた」
地上で見守っていたクラウスやエリアナたちが息をのむ。
イーグル号は、地上数十メートルの高さで静かに滞空する。
「シルフィ、前進!」
俺の号令に彼女は頷いた。
船体後部のプロペラが彼女の魔法の風を受けてゆっくりと回転を始める。
イーグル号は風に逆らい、自らの意思で悠然と大空を滑るように進み始めたのだ。
それは人類が初めて空を征服した、歴史的な瞬間だった。
俺はゴンドラから、眼下に広がるまるで地図のような王都の景色を見下ろしていた。
「……すごい」
シルフィが感動に打ち震える声で呟いた。「世界って、こんなに広かったんだね……」
俺は彼女の肩をそっと抱いた。
「ああ。そして、俺たちはこの広い世界の誰よりも高く、誰よりも遠くを見ることができるようになったんだ」
空の偵察者、『イーグル』。
この銀色の鷲の誕生によって、俺たちは神の視点を得た。
帝国の竜騎士団の動きも、地上部隊の配置も、もはや俺たちの目から逃れることはできない。
情報戦における絶対的な優位性。
来るべき決戦に向けて、俺たちは最強の「目」を手に入れたのだ。
俺は北の空を見据えながら、静かに、しかし確かな手応えを感じていた。
帝国の脅威は大きい。
だが、俺たちの技術の進歩は、その脅威をさらに上回るスピードで加速している。
勝てる。
いや、勝つ。
俺は、大空の覇者となった新しい時代の翼の下で、改めてその決意を固めていた。
ガルニア帝国。
彼らの軍事的な圧力は日に日に増していた。国境付近での大規模な軍事演習は、もはや威嚇のレベルを超え、いつ本格的な侵攻が始まってもおかしくない一触即発の状態が続いていた。
クラウスからもたらされる情報は、常に俺たちの神経をすり減らした。
「帝国の竜騎士団が、国境付近に集結しつつある、との報告が入った。彼らは空からの奇襲を得意とする帝国最強の部隊だ。もし彼らが奇襲を仕掛けてきた場合、我々の地上部隊は気づくことすらできずに壊滅させられる可能性がある」
空からの脅威。
それは鉄道や電信といった、地上に縛られた俺たちの新しい軍事システムにとって、最大のアキレス腱だった。
いくら優れた情報網を持っていても、敵が空からやってくるのでは意味がない。
「……空か」
俺は、執務室の窓から青い空を見上げながら呟いた。
いつかシルフィと語り合った、空への憧れ。
それが今、感傷的な夢としてではなく、国家の存亡を賭けた差し迫った軍事的な課題として、俺の目の前に突きつけられていた。
「敵の動きを、空から誰よりも早く察知する手段。それさえあれば先手を打つことができる」
俺は王立魔導科学大学の自分の研究室へと足を運んだ。
そして、工学部と魔導科学部の最も優秀な学生たちとシルフィをそこに集めた。
俺は黒板に、いつかシルフィに見せた熱気球の簡単な絵を描いた。
「諸君、我々の次の目標は空を飛ぶことだ」
俺のその言葉に、学生たちは最初は冗談だと思ったのか、ざわめいた。
だが、俺が熱で空気が軽くなる原理と、それを利用して巨大な気球を浮かび上がらせるという熱気球の基本構造を物理学的に説明し始めると、彼らの目の色が変わっていった。
ざわめきは知的な興奮へと変わる。
「なるほど……! アルキメデスの原理の応用か!」
「しかし、教授。ただ浮かび上がるだけでは風に流されるだけのただの的になるのでは?」
工学部の首席が、鋭い質問を投げかけてきた。
「その通りだ」と俺は頷いた。「だから我々はこれに『動力』と『舵』を与える」
俺は黒板に、さらに新しい絵を描き加えていく。
気球の形状は、球形ではなく風の抵抗を受けにくい流線型の葉巻型に。
そして、その下部に吊るされたゴンドラ(搭乗かご)には、俺たちが開発した超小型で軽量な魔導蒸気機関を搭載する。
その機関の力で巨大な「プロペラ(螺旋推進器)」を回転させ、推力を生み出すのだ。
そして船体の後部には、飛行機の尾翼のような巨大な舵を取り付け、進行方向を制御する。
それはもはや単なる熱気球ではなかった。
自らの意思で空を自由に飛び回ることができる、世界初の「飛行船」の設計図だった。
「……信じられない」
学生たちは、そのあまりにも未来的で、しかし完全に理論的な設計図を前に言葉を失っていた。
「シルフィ」と俺は隣に立つ彼女に声をかけた。「この計画の最大の鍵は君の力だ」
「私……の?」
「ああ。この船体をただの熱気で浮かび上がらせるだけでは浮力が足りない。だが、もし君の風の魔法でこの巨大な気球の内部に常に上昇気流を生み出し続けることができたなら……」
「……!」
シルフィの目が大きく見開かれた。
「そしてプロペラを回す風も、舵を動かす風も、全て君の魔法で制御する。魔導蒸気機関はあくまで補助動力だ。メインの動力は君のマナなんだよ」
それは魔導科学と航空力学の究極の融合だった。
「……できる?」
俺が尋ねると、シルフィは少しだけ考え込んだ後、力強く頷いた。
「うん、できる! きっとできるよ! 私のマナを増幅する、リオが作ってくれた腕輪があれば!」
彼女のその言葉が、プロジェクトの開始を告げる号砲となった。
開発は、王都郊外の広大な軍の演習場で極秘裏に進められた。
エリアーナが商会の力で最高品質の絹の布を大量に確保してくれた。それを何層にも重ねて貼り合わせ、気密性を高めた巨大な気嚢(船体)が作られていく。
ゴンドラとプロペラ、そして舵の機構は、大学の学生たちが俺の指導の下、昼夜を問わず設計と試作を繰り返した。
そしてシルフィは、自分のマナを巨大な船体を浮かび上がらせ、そして動かすための精密な制御システムへと昇華させるための厳しい訓練に黙々と取り組んだ。
彼女はもはやただの魔法使いではない。世界で最初の「飛行船パイロット」となるべく、自らの才能を極限まで磨き上げていたのだ。
数ヶ月後。
演習場の巨大な格納庫の中で、ついにその白銀の巨体がその全貌を現した。
全長は三十メートル。美しい流線型の船体は、まるで空を泳ぐ巨大な鯨のようだった。
俺たちはその、人類初の空飛ぶ船に、帝国の竜騎士団を狩る天翔る鷲の名を授けた。
『イーグル』号、と。
最初の飛行実験の日。
格納庫の巨大な扉がゆっくりと開かれる。
俺とシルフィ、そして数名の技術者が乗り込んだゴンドラの下で、魔導炉が熱を生み出し、気嚢の中の空気が温められていく。
そしてシルフィが目を閉じ、集中した。
彼女の体から、これまでになく強大なマナが溢れ出し、船体全体を淡い緑色の光で包み込む。
ふわり、と。
信じられないほど、静かに。
白銀の巨体は、重力という大地の軛(くびき)から自らを解き放ち、ゆっくりと空へと浮かび上がっていった。
「……浮いた」
地上で見守っていたクラウスやエリアナたちが息をのむ。
イーグル号は、地上数十メートルの高さで静かに滞空する。
「シルフィ、前進!」
俺の号令に彼女は頷いた。
船体後部のプロペラが彼女の魔法の風を受けてゆっくりと回転を始める。
イーグル号は風に逆らい、自らの意思で悠然と大空を滑るように進み始めたのだ。
それは人類が初めて空を征服した、歴史的な瞬間だった。
俺はゴンドラから、眼下に広がるまるで地図のような王都の景色を見下ろしていた。
「……すごい」
シルフィが感動に打ち震える声で呟いた。「世界って、こんなに広かったんだね……」
俺は彼女の肩をそっと抱いた。
「ああ。そして、俺たちはこの広い世界の誰よりも高く、誰よりも遠くを見ることができるようになったんだ」
空の偵察者、『イーグル』。
この銀色の鷲の誕生によって、俺たちは神の視点を得た。
帝国の竜騎士団の動きも、地上部隊の配置も、もはや俺たちの目から逃れることはできない。
情報戦における絶対的な優位性。
来るべき決戦に向けて、俺たちは最強の「目」を手に入れたのだ。
俺は北の空を見据えながら、静かに、しかし確かな手応えを感じていた。
帝国の脅威は大きい。
だが、俺たちの技術の進歩は、その脅威をさらに上回るスピードで加速している。
勝てる。
いや、勝つ。
俺は、大空の覇者となった新しい時代の翼の下で、改めてその決意を固めていた。
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