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第114話:空を飛ぶ
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アナリティカル・エンジンの完成は、王国の知的能力を他の国々が追随不可能なレベルへと引き上げた。
だが、その開発に没頭していた数年間も、俺の頭の中からは決して一つの夢が消えることはなかった。
空を、飛ぶ。
鳥のように、自由に。
シルフィと夜空の下で交わした、あの日の約束。
それはもはや単なる個人的な夢物語ではなかった。飛行船『イーグル』は、その絶大な偵察能力で帝国の脅威を未然に防ぎ、大陸の平和維持に絶大な貢献をしていた。
だが、飛行船は遅すぎた。
風の影響を受けやすく、巨大な船体は格好の的にもなり得る。
もっと、速く。
もっと、高く。
もっと、自由に。
本当の意味で空を征服するための新しい翼が、俺には必要だった。
その鍵を握るのが、俺がロードマップに記した次世代の動力機関、『内燃機関』であることも分かっていた。
プロジェクトは、大学の最もセキュリティレベルの高い航空工学研究所で開始された。
俺が学生たちに最初に提示した課題は、一つだった。
「燃料だ。魔導蒸気機関は水と石炭があれば動いた。だが、我々が目指す新しいエンジンは、もっと軽く、もっと爆発的なエネルギーを持つ特別な『油』を必要とする」
俺たちは王国各地から様々な種類の原油を取り寄せ、分別蒸留の実験を繰り返した。
そしてついに、特定の沸点で蒸留される、極めて引火しやすく、そして高いエネルギー密度を持つ無色透明の液体を抽出することに成功した。
「ガソリン」。
空を飛ぶための魔法の液体だ。
次に、そのガソリンを動力へと変換するためのエンジンの開発。
それはこれまでの蒸気機関とは全く異なる、精密さと複雑さを要求される挑戦だった。
シリンダーの中で霧状にしたガソリンと空気を混合し、圧縮し、そして火花で着火させ、爆発させる。
吸気、圧縮、燃焼、排気。
その四つの工程を、一秒間に何十回、何百回と繰り返す高速の内燃機関。
ピストン、クランクシャフト、そして点火プラグ。
その一つ一つの部品が、宝飾品を作るかのようなミクロン単位の精密加工技術を必要とした。
アシュフォード鋼のさらなる改良。
新しい潤滑油の開発。
そして、電気学の知識を応用した安定した火花を飛ばすための点火装置。
全ての技術が、この小さなエンジンの中に凝縮されていく。
それはまさに、俺たちの近代化革命の集大成とも言えるプロジェクトだった。
数年の試行錯誤の末。
ついに、重量わずか百キログラムほどで百馬力――百頭の馬に匹敵する――の出力を生み出す、軽量で高出力なガソリンエンジンの試作一号機が完成した。
テストベンチに固定されたエンジンが、爆発的な始動音と共に目にも留まらぬ速さでプロペラを回転させた時、研究所にいた全ての人間が勝利の雄叫びを上げた。
空を飛ぶための心臓が、ついに生まれたのだ。
そして、その心臓を搭載する機体の開発。
俺は鳥の翼の流線型の断面図を学生たちに見せた。
「翼が揚力――つまり、体を持ち上げる力――を生み出す秘密は、この絶妙なカーブにある。翼の上を流れる空気は、下を流れる空気よりも速く流れる。すると、ベルヌーイの定理によって翼の上側の圧力が下側よりも低くなる。この圧力の差が、機体を空へと吸い上げるんだ」
空気力学。
風を味方につける科学。
学生たちは風洞実験装置を自作し、無数の翼の模型で実験を繰り返した。
最も効率よく揚力を生み出す翼の形を探し求めて。
機体の骨格には、新しく開発された軽くて丈夫なアルミニウム合金(ボーキサイトから精製)を使い、その上に羽布(はふ)と呼ばれる特殊な加工を施した丈夫な布を張っていく。
それは巨大な鳥の骨格標本を組み立てるかのような、繊細な作業だった。
そしてついに、その日は来た。
王都郊外に作られた長大な滑走路。
その一端に、白銀の美しい機体が朝日を浴びて静かに佇んでいた。
二枚の主翼を持つ複葉機。
それはまだ、か弱く、そしてどこか危なっかしい人類初の翼だった。
俺は、その奇跡の機体にギリシャ神話の悲劇の英雄の名を授けた。
空への飽くなき憧れの象徴として。
『イカロス』号、と。
最初のテストパイロットは、俺自身が務めることにした。
風防もない吹きさらしの操縦席に俺が乗り込むと、地上で見守るエリアーナやシルフィたちが不安げな顔で手を振っている。
俺は彼らに大丈夫だと親指を立ててみせた。
整備士がプロペラを力いっぱい回す。
バ、バ、バ……!
内燃機関が不規則な爆発音を立て、やがて安定した力強い咆哮へと変わっていく。
機体が震える。
風が唸りを上げる。
俺はブレーキを解放した。
イカロス号はまるで生き物のように、滑走路の上を走り始めた。
ガタガタという激しい振動。
地面が猛烈なスピードで後ろへと流れていく。
まだか。
まだ飛ばないのか。
焦りが一瞬、心をよぎったその時。
ふわり、と。
体にかかる振動が消えた。
地面の轟音が遠ざかった。
俺の体はまるで、見えない何かに優しく空へと抱き上げられるような、不思議な感覚に包まれた。
「……飛んだ」
俺は呟いた。
眼下にはあっという間に小さくなっていく滑走路と仲間たちの姿。
そして、その向こうにはどこまでも広がる青い空と白い雲の海。
風が頬を強く打つ。
エンジンの咆哮が耳元で高らかに鳴り響く。
だが、それは不快な騒音ではなかった。
人類が初めて自らの力で重力の軛を断ち切り、自由な空を手に入れたことを高らかに宣言する、勝利のファンファーレだった。
俺は操縦桿を握りしめ、天に向かって雄叫びを上げた。
言葉にならない歓喜の叫びを。
王都の遥か上空を、一羽の銀色の鳥が悠然と旋回している。
その光景を地上から見上げた王都の全ての人々が、その日、確かに目撃した。
人類が、神の領域だと信じられていた空を、ついにその手にした歴史的なその瞬間を。
だが、その開発に没頭していた数年間も、俺の頭の中からは決して一つの夢が消えることはなかった。
空を、飛ぶ。
鳥のように、自由に。
シルフィと夜空の下で交わした、あの日の約束。
それはもはや単なる個人的な夢物語ではなかった。飛行船『イーグル』は、その絶大な偵察能力で帝国の脅威を未然に防ぎ、大陸の平和維持に絶大な貢献をしていた。
だが、飛行船は遅すぎた。
風の影響を受けやすく、巨大な船体は格好の的にもなり得る。
もっと、速く。
もっと、高く。
もっと、自由に。
本当の意味で空を征服するための新しい翼が、俺には必要だった。
その鍵を握るのが、俺がロードマップに記した次世代の動力機関、『内燃機関』であることも分かっていた。
プロジェクトは、大学の最もセキュリティレベルの高い航空工学研究所で開始された。
俺が学生たちに最初に提示した課題は、一つだった。
「燃料だ。魔導蒸気機関は水と石炭があれば動いた。だが、我々が目指す新しいエンジンは、もっと軽く、もっと爆発的なエネルギーを持つ特別な『油』を必要とする」
俺たちは王国各地から様々な種類の原油を取り寄せ、分別蒸留の実験を繰り返した。
そしてついに、特定の沸点で蒸留される、極めて引火しやすく、そして高いエネルギー密度を持つ無色透明の液体を抽出することに成功した。
「ガソリン」。
空を飛ぶための魔法の液体だ。
次に、そのガソリンを動力へと変換するためのエンジンの開発。
それはこれまでの蒸気機関とは全く異なる、精密さと複雑さを要求される挑戦だった。
シリンダーの中で霧状にしたガソリンと空気を混合し、圧縮し、そして火花で着火させ、爆発させる。
吸気、圧縮、燃焼、排気。
その四つの工程を、一秒間に何十回、何百回と繰り返す高速の内燃機関。
ピストン、クランクシャフト、そして点火プラグ。
その一つ一つの部品が、宝飾品を作るかのようなミクロン単位の精密加工技術を必要とした。
アシュフォード鋼のさらなる改良。
新しい潤滑油の開発。
そして、電気学の知識を応用した安定した火花を飛ばすための点火装置。
全ての技術が、この小さなエンジンの中に凝縮されていく。
それはまさに、俺たちの近代化革命の集大成とも言えるプロジェクトだった。
数年の試行錯誤の末。
ついに、重量わずか百キログラムほどで百馬力――百頭の馬に匹敵する――の出力を生み出す、軽量で高出力なガソリンエンジンの試作一号機が完成した。
テストベンチに固定されたエンジンが、爆発的な始動音と共に目にも留まらぬ速さでプロペラを回転させた時、研究所にいた全ての人間が勝利の雄叫びを上げた。
空を飛ぶための心臓が、ついに生まれたのだ。
そして、その心臓を搭載する機体の開発。
俺は鳥の翼の流線型の断面図を学生たちに見せた。
「翼が揚力――つまり、体を持ち上げる力――を生み出す秘密は、この絶妙なカーブにある。翼の上を流れる空気は、下を流れる空気よりも速く流れる。すると、ベルヌーイの定理によって翼の上側の圧力が下側よりも低くなる。この圧力の差が、機体を空へと吸い上げるんだ」
空気力学。
風を味方につける科学。
学生たちは風洞実験装置を自作し、無数の翼の模型で実験を繰り返した。
最も効率よく揚力を生み出す翼の形を探し求めて。
機体の骨格には、新しく開発された軽くて丈夫なアルミニウム合金(ボーキサイトから精製)を使い、その上に羽布(はふ)と呼ばれる特殊な加工を施した丈夫な布を張っていく。
それは巨大な鳥の骨格標本を組み立てるかのような、繊細な作業だった。
そしてついに、その日は来た。
王都郊外に作られた長大な滑走路。
その一端に、白銀の美しい機体が朝日を浴びて静かに佇んでいた。
二枚の主翼を持つ複葉機。
それはまだ、か弱く、そしてどこか危なっかしい人類初の翼だった。
俺は、その奇跡の機体にギリシャ神話の悲劇の英雄の名を授けた。
空への飽くなき憧れの象徴として。
『イカロス』号、と。
最初のテストパイロットは、俺自身が務めることにした。
風防もない吹きさらしの操縦席に俺が乗り込むと、地上で見守るエリアーナやシルフィたちが不安げな顔で手を振っている。
俺は彼らに大丈夫だと親指を立ててみせた。
整備士がプロペラを力いっぱい回す。
バ、バ、バ……!
内燃機関が不規則な爆発音を立て、やがて安定した力強い咆哮へと変わっていく。
機体が震える。
風が唸りを上げる。
俺はブレーキを解放した。
イカロス号はまるで生き物のように、滑走路の上を走り始めた。
ガタガタという激しい振動。
地面が猛烈なスピードで後ろへと流れていく。
まだか。
まだ飛ばないのか。
焦りが一瞬、心をよぎったその時。
ふわり、と。
体にかかる振動が消えた。
地面の轟音が遠ざかった。
俺の体はまるで、見えない何かに優しく空へと抱き上げられるような、不思議な感覚に包まれた。
「……飛んだ」
俺は呟いた。
眼下にはあっという間に小さくなっていく滑走路と仲間たちの姿。
そして、その向こうにはどこまでも広がる青い空と白い雲の海。
風が頬を強く打つ。
エンジンの咆哮が耳元で高らかに鳴り響く。
だが、それは不快な騒音ではなかった。
人類が初めて自らの力で重力の軛を断ち切り、自由な空を手に入れたことを高らかに宣言する、勝利のファンファーレだった。
俺は操縦桿を握りしめ、天に向かって雄叫びを上げた。
言葉にならない歓喜の叫びを。
王都の遥か上空を、一羽の銀色の鳥が悠然と旋回している。
その光景を地上から見上げた王都の全ての人々が、その日、確かに目撃した。
人類が、神の領域だと信じられていた空を、ついにその手にした歴史的なその瞬間を。
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