涙と花

カイ異

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朽ち行く花の後悔

信頼

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「今日はありがとうございました」
 ひとしきり泣き終わると尾城は唯理たちに頭を下げた。
「気にしなくていい」
「私の方こそ今まで気づいてあげられなくてごめんね」
 二人の返答を聞いて尾城は笑顔を取り戻した。だが、それは前のように作られた笑顔ではない。前を向いていこうという決意に満ちた笑みだった。
「父さんたちが帰ってくるのは夜遅くだからそれまでに自分で児童相談所とかに連絡します」
「俺たちが連絡してもいいんだぞ」
 唯理の言葉に尾城は首を振った。
「いいの。これが私なりのけじめですから」
 唯理は尾城の決意を読み取るとそれ以上何も言わなかった。
「いろいろありましたが、お礼も込めてそろそろ本題に入りましょう。私のできることなら何でもします」
「大変なことがあったばかりなのにありがとう。無理はしなくていいからね」
 雨車の言葉に笑顔を返して尾城は話を始めた。
「結論からいうと、第三中に入ったころにはもう沢谷さんはぐれてたと思う」
 この情報は大きかった。これで沢谷の心が大きく変化したのは小学生の間ということになる。そして雨車の記憶が正しければ転校する五年生までは優等生だったらしい。
 それが意味することは転校の前後、あるいは六年生の間に何かが起こったということだ。
「というか大きな出来事って言ったら沢谷さんが転校することになったあれじゃない?」
「あれって?」
 突如話を振られた雨車はなんのことかわかっていないらしく首を傾げた。
「ああ、雫はクラス違うから知らなかったのね」
 尾城はそう言うと苦々しげな顔で話を続けた。
「五年の時に給食費の盗難事件があったんだよね」
「そんなことあったの!」
「先生たち大ごとにしたくなかったみたいで口外禁じてたからね。クラスの子とあと何人かは知ってたかもしれないけど、学年では知らない子の方が多かったかもね」
 尾城は当時の雰囲気を思い出したらしく辟易とした顔だった。
「五年生になって数か月経ったくらいだったと思う。給食費の回収の時にお金が無くなってるっていう子が四人くらい出たんですよね」
 尾城と雨車によると給食費は子供に持たせる小学校だったらしい。唯理の学校は銀行からの引き落としであったが、手数料があることなども考えれば手渡しの学校が残っていても不思議ではないだろう。
「四人も無くしちゃってる人が出たから流石に盗難が疑われてね……」
「犯人だと疑われたのが沢谷だった」
 唯理の言葉に尾城は頷いた。
「でも今はともかく、小学生の沢谷さんはそんなことをする人じゃなかったよ」
 雨車の指摘に尾城は顔を歪めた。
「私もそう思ったんだけど、沢谷さんが取るのを見たっていう人がいたんだよ。それが決定的だったかな。ていうか家が貧しかったから動機もあるって、先生も納得しちゃったしさ」
 確かに状況証拠だけならば完璧に沢谷が犯人で間違いないだろう。
「証言以外に証拠はなかったのか?」
 尾城は首を振った。
「古い学校だったから監視カメラなんて殆ど無いし、私もよく覚えてないけど証拠は無かったと思いますよ」
「先生は誰も沢谷さんの味方をしなかったの?」
 またも尾城は言いにくそうに顔を歪めた。
「沢谷さん、凛としててまっすぐだったでしょ。間違ってることはとことん間違ってるっていう人だったし、勉強も先生の力を借りずにできてたから、もしかしたら目障りだったのかも」
「そんな……」
 雨車は何か言いたそうだった。しかし、今ここで口を開いたところでどうにもならないと気づき言葉を飲んだようだった。
 先生に嫌われる生徒は悲しいことだが存在する。それは手のつけられない悪童だけが対象ではない。人間は型にはまらない存在を恐れるものだ。
 沢谷の持つサワギキョウの特性、『特異な才能』は恐らく沢谷を他の生徒とは一線を画す存在にしていたはずだ。
 その異質さに悪意が向けられることは唯理の中でおかしなことではなかった。
 そのまま沈黙が流れた。唯理は考えをまとめるため、雨車は沢谷の過去を知ったショックで、尾城は場の雰囲気を感じて、誰も何も言わなかった。
「とりあえず私が知ってるのは給食費の盗難が起きて、証言を決定打に沢谷さんが犯人で決着がついたこと。そして学校にいられなくなって転校したこと。それだけ」
 居心地の悪い沈黙を破ろうと尾城は話をまとめた。
「恐らくこれが沢谷の性格が変わるきっかけになったことは間違いないな」
 唯理はそう言うと一人うなずく。
「ありがとう。聞きたいことが聞けた。他に何か大きな事件とかは無かったよな」
「無かったと思いますよ」
 尾城は少し考えた後きっぱりと否定した。
 これで必要な情報はあらかたそろった。桜家の花が『後悔』の花言葉を持つバーベナであることを考えれば一つ仮説が立てられる。
 唯理の中で何かが腑に落ちた気がした。これで間違いないと心のどこかではっきり認識する。
「今日は参考になった。……困ったことがあれば、雨車を通してでいいから連絡してくれ」
 唯理の言葉に雨車も強く頷いた。
「私は二人の味方だから。安心して相談してね」
「……ありがとう、二人とも」
 そう言ってほほ笑む尾城の目に光るものが見えた気がした。
 唯理たちは後ろで手を振る姉弟に向かって手を上げアパートを後にする。
「今、笑顔になりましたよね」
 雨車の明るい声が横で響いていた。

 帰りは二人はまた行きと同じように電車に乗っていた。夕方になり人であふれる車内では座れる席など残っておらず、二人は必然的に肩がつくくらい近くに並んで立っていた。
「どうやって虐待に気づいたんですか?」
 電車が出発するとともに雨車はおずおずと尋ねてきた。どうやら聞いていいのか相当悩んでいたらしく、すぐに嫌なら答えなくていいと付け加えていた。
「俺が普通の人には見えないものが見えるって言ったら信じるか?」
 唯理が虐待に気づけた理由。それは経験則によるものでもあるが、決定的だったのはベランダに比較的新しい花が残っていたからだった。
 花があるということはそこで誰かが泣いていたということ。そして、ベランダで頻繁に人が泣く理由は限られている。
 だが、これを言っても果たして雨車は信じるだろうか? きっと無理だろう。あまりにも突拍子もないことだし頭のおかしい人と思われるのが落ちだろう。
 唯理はそう考えて忘れてくれと言おうとした。しかし、次の瞬間放たれた雨車の言葉に唯理は言葉を失った。
「信じます。唯理さんは信頼できる人だと、そう思いますから」
 雨車はまるで当たり前のことだというように平然と言ってのけた。自分のことを信頼してくれる人がいる。それは唯理にとっては今までに経験したことのない出来事だった。
 アナウンスが流れるとともに電車の扉が開いた。停車駅についたことを少し遅れて理解し、はっとする。二人はそのまま電車を降りた。
「俺には花が見える」
 駅からの帰路、唯理は気づけば自分のことを雨車に伝えていた。
 自分にだけ見える花の存在、花の特性、今までそれをもとに判断していたこと。包み隠さずすべてを伝えた。
 このことを話すのは小学生、否、幼稚園生以来だろう。その時は誰に言っても信じてもらえなかった。
 幼稚園のクラスメイトには嘘つきとからかわれた。祖母も表には出さなかったが唯理だけが見える花のことを快く思っておらず、話題に上がることはなかった。
 家の近くについたころには重要なことはあらかた伝え終えていた。
 雨車は終始無言で聞いていた。聞き流していたわけでも理解していないようでもなかった。ただひたすらに唯理をまっすぐに見つめ聞き逃さないように耳を傾けていた。
「信じられるか?」
 唯理は自嘲気味に尋ねた。同時に足を止めて雨車に向き直る。この質問はちゃんと返答を聞かなければならない。そう心が訴えかけていた。
「最初に言った通りです。信じますよ」
 体に電流が走ったようなそんな気がした。今までに感じたことのない気持ちが胸を満たす。
「唯理さんこそ何で話してくれたんですか? きっと話すのにためらいがあったんですよね」
 唯理は頷いた。そして理由を考える。だが、いくら考えてもそれはわからない。つかめそうでつかめない、そんなもどかしい思いが募る。まるで霧をつかもうとしているような気分だ。
 だが、一つだけ確かなことがあると感じた。それは今まで雨車を見てきて感じたこと。彼女は純粋で人のことを思える人間だ。いろいろな理不尽が横行する中で美しい心を保っている存在だ。そんな存在に向ける確かな思いが一つあった。
「俺もお前を信頼してる。今はそれで納得してくれ」
 信頼。その言葉を発した瞬間、雨車の表情が変わった気がした。やっと答えに行きついたような迷いが晴れたようなそんな表情を浮かべ、にっこりと笑う。
 唯理は気恥ずかしさを感じ視線をそらした。そんな唯理をおかしそうに雨車が見つめる。
「そういえばよく尾城の連絡先を見つけたな。前にメモが見つからないって言ってなかったか?」
 唯理は咄嗟に話題を変えた。
「それはですね、これにあったんですよ」
 そう言って雨車が差し出してきたのは奇妙なマスコットのキーホルダーだった。芋虫の体から人間の手足が生えたグロテスクともいえるマスコット。そのマスコットに付いたチェーンに単語帳の要領で紙が閉じられていた。どうやら大切なメモはそこにまとめて管理していたらしい。
「なんだそれ」
 唯理はきょとんとして尋ねた。
「これは芝蘭ちゃんと私で一緒に買ったマスコットで、はぐモっていうんですよ。かわいいでしょ!」
 自信満々に言う雨車に唯理は思わず苦笑する。
「結構えぐい見た目じゃないか?」
「そうですか?」
 納得いっていないような雨車に思わず唯理はははっと笑い声をあげる。つられて雨車もくすくすと笑う。
「俺も人のことは言えないけどな」
 そう言うと唯理は自分の鞄についたボロボロのマスコットを見せる。もとは可愛らしかったことがうかがえるそのマスコットは唯理の母の手縫いの人形だった。
 ところどころ破けているところを見れば見た目のエグさは同じくらいかもしれない。
 お互いが似たような強い思い入れのある人形を持っている事実に、また二人とも頬を緩ませる。
 二人が笑い合うのは今日が初めてだった。紆余曲折ありながらも気づけば打ち解けていた。
 信頼。その二文字が唯理の頭の中でふわふわと漂っていた。
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