涙と花

カイ異

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狂い咲く愛と軽蔑

変化

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 雨車と唯理は無言のまま家を後にした。石人の部屋で見たものが何を表しているのか、唯理に聞きたくて仕方がなかった。だが、声をかけることができなかった。
 別に機会がなかったわけではない。ただ、唯理の雰囲気が明らかに今までと違っていたのだ。表情はいつも通りであり、行動も普段の唯理のものだ。
 だが、どこか周りの人を拒絶するようなそんな雰囲気が感じられた。
 雨車は扉を閉めると鍵をかける。それを見届けた後、唯理は雨車に声をかけた。
「今から俺の考えをすべて伝える。正直突拍子もない話だし、俺が考えられる中で最悪の答えだと思う。それでも聞くか?」
 はいとは即答できなかった。石人のためにできることはしてあげたいと思っている。
 だが、唯理の最悪の答えという言葉を聞いて、形容しようのない不安感に襲われたのだ。
 雨車は自分の頬を両手で叩いた。悔しかった。また自分は何も知らないままでいることに甘んじようとしている。そうだというなら、自分は桜家の時から何も変わっていないではないか。
 ひりひりとする頬を無視して、雨車は大きく深呼吸する。そしてまっすぐに唯理を見つめた。
「教えてください。唯理さんの考えを」
 迷いがないなんて間違っても言えない。迷いを払拭できるほど自分は強い人間じゃない。ただ言えるのは覚悟が決まった。それだけだった。
 それが伝わったのか、唯理は重々しい口を開き自分の考えを述べていく。
「そんな……」
 すべてを聞き終え、雨車の口から自然と言葉が漏れた。聞かされた話は確かに突拍子もないものだった。だが、これが正しいとすれば色々納得がいく。
「このことをどうするつもりですか?」
 自然と体が強ばった。唯理を疑うわけではない。だが、この情報をどうすべきか、自分では正解がわからなかった。
「石人に伝えるしかないだろう。それがどんな結末を引き起こそうとも」
 唯理はポツリと呟くと、これ以上話したくないとばかりに顔をそらす。
 雨車はそんな唯理を見ていることしかできなかった。間違っても、伝えることで石人は救われるのかを聞くことはできなかった。
 雨車たちはそれから無言で石人の母が治療を受けている病院へと向かった。
 石人の母は今は一命はとりとめているものの、まだ目覚めていない。先日やっと緊急治療室から一般病棟に移されたのだった。
 それに伴って、直接血縁のある雨車の母と石人が既にお見舞いに行っていた。
 だが、母はお見舞いでのことを何も言おうとはしなかった。久々にあった肉親が管に繋がれている光景など思い出したくもないのだろう。
 石人も自身の母の姿にショックを受けたらしく、ずっと無言だったそうだ。
 病室にたどり着いて久しぶりに会う伯母は、記憶の中とは驚くほど違っていた。雨車は咄嗟に口に手を当てる。
 横を向くと唯理は冷たい眼差しで伯母を見つめていた。その表情はぞっとするほど機械的で、まるで感情が死んでしまっているかのようだ。普段の唯理とは明らかに冷静さの質が違う。
「大丈夫ですか……?」
 雨車の言葉に唯理は疲れたように首を降って答えを濁す。そして、しばらくのあいだ沈黙を守っていた。
「どんなことがあったにせよ、人がこんなふうになっていいはずがない」
 雨車はその言葉に頷いた。そしてゆっくりとベッドの近くの椅子に座ると伯母の手を握る。
「伯母さん、あなたは今何を望みますか?」
 伯母は何も答えてくれない。雨車は目から涙がこみ上げてくるのを感じた。目頭が熱くなり、たまらず上を向く。
 その様子を見て、唯理はハンカチを雨車に渡した。雨車は頭を下げるとハンカチを受け取り目元を拭う。
 静かな時間が病室の中でゆっくりと流れていた。

 石人は雨車の母に頼まれ夕食の支度を手伝っていた。今日も母のお見舞いに行きたかったが、それと同じくらい今の母の姿を見るのが怖かった。
 母があんな姿になってしまった、その現実を受け入れるのが恐ろしくて仕方なかったのだ。
 それを察した雨車の母が、料理の手伝いをさせるという名目で助け船を出してくれていた。
 石人は包丁で野菜を切りながら自分の記憶を思い出そうとする。
 自分の家では子供用の包丁を使っていた。そのため、大人用の大きな包丁は手に合わず、切にくさを感じる。
 母と日常でどんな話をしていたのかは思い出せないのに、こんなどうでもいいことは思い出せる。それが石人に焦りを募らせた。
「石人くん、次はこれお願い」
 雨車の母の言葉に石人は咄嗟に笑顔でわかりましたと答えた。だが、内心は穏やかではなく、包丁を握る手にも力が入る。
 そんな時、ガチャリと玄関のドアの開く音が聞こえた。雨車が帰ってきたようで、雨車の母はおかえりなさいと玄関に向かって声を張り上げる。
 それから数秒後に雨車が部屋に入ってきた。帰ってきた雨車はひどく憔悴しているようで、弱々しい声でただいまと告げた。
 石人はどう声をかけたらいいかわからず、小さな声でおかえりなさいと言う。その言葉に反応し、雨車は石人をじっと見つめた。
 きまりの悪さに石人は雨車から目をそらすが、雨車はゆっくりこちらに近づいてきた。
「石人くん、ちょっといいかな?」
「どうしたの?」
 普段とは違う雨車の様子に、石人は慎重に言葉を選んだ。
「明日大事な話があるの、放課後時間取れないかな?」
 雨車の口調は優しかったが、どこか有無を言わさぬ雰囲気があった。それを感じ、石人は大事な話がかなり重いものだと察しを付ける。
「何の話?」
 石人は平静を装いながら情報を引き出そうとする。雨車は一瞬目をそらした後、小さく呟いた。
「石人くんの部屋にある鍵のついた箱について知りたいの」
 一瞬、体に電流が走ったように感じられた。同時に頭の中で何かが溢れるような錯覚を覚える。
「わかった」
 気を引き締めていつもの笑顔に戻ると、石人は雨車に首肯した。恐らくこの話し合いを避けることはできないだろう。
 雨車は石人の返答に安堵したらしく、ほっと息をついた。
「ありがとね。あっそうだ、今日のご飯は何かな?」
 そう聞いてくる雨車の口調はいつものものに戻っていた。嫌、おそらく無理やり戻しているのだろう。その証拠に、雨車の顔はどこか憂いが残っているように見えた。

 夜、石人は眠れず天井を見ていた。明日までにはすべてを思い出さなくてはいけない。
 石人は布団を握りしめる。雨車が唯理といろいろ調べていたことを、石人は勘づいていた。
 その二人が箱のことを聞きたいということは、恐らく自分の失った記憶と箱が何か関りがあるのだろう。
 箱のことはうっすら覚えてるだけで、ほとんど記憶がない。だが、石人の直感が正解であることを示すように、、あの頭痛がぶり返してきていた。
 記憶を思い出したくなかった。自分の底に眠っている記憶があの夢であるならば、忘れたままでいたい。今のきれいな記憶だけを見ていたい。この夢から覚めたくない。
 だがそれは許されないのだろう。いくら自分が過去を拒んでも、いずれそれは誰かに拾い上げられる。そこに当人の意志は関係ない。
「思い出しても、僕は僕のままでいられるのかな……」
 口から漏れた声は嗚咽が混じっており、視界はいつの間にか波打っている。
 頭痛が激しさを増し、石人は今眠れば恐らくまたあの夢を見ると直感した。
「大好きだよ、お母さん……」
 目から溢れた雫が一つ、頬を伝い流れた。
 
 目を覚ますと時計は午前九時を回っていた。石人はぼんやりとした頭でそのことを認識すると、大きく伸びをする。
 テストを受けた後のように頭が疲れていた。だが、まるで羽化をし終えたようにスッキリとした気分だった。
 石人は起き上がって着替えるとリビングに向かう。そこにはラップのかかったご飯とお見舞いに行ってくるという置き手紙があった。
 お見舞いという言葉を見て石人は母を思い浮かべる。そして湧き上がってき感情に一人納得した。
よ、お姉ちゃん」
 石人はそう言うと用意された食事に手を付けることなく、誰にも何も言わないまま一人で家を出ていった。
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