涙と花

カイ異

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狂い咲く愛と軽蔑

対峙

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 窓から刺した日差しに唯理は顔をしかめながら目を覚ました。そしてぼんやりとした頭で携帯のカレンダーを眺める。こうしているとやるべきことが整理され、頭がすっきりする気がした。
 唯理は上へ大きく伸びをする。その時、体がどこかこわばっているのを感じた。
 今日は石人と直接話す日だ。正直言って緊張するなというのは無理な話だろう。
 カレンダーからホーム画面にまで戻ると、唯理は一件メッセージが来ているのに気づいた。そのメッセージを開き唯理は苦笑する。メッセージは浅見からだった。
『そろそろ、調べがついてきたころじゃないかな。これを見たらいつでもいいから連絡をいれてくれ』
 病院の中にいて交流できる人間など限られているのに、自分の行動をこうも予測して見せる浅見には、さすがと思わずにはいられなかった。
 唯理は軽く息をつき壁に背を預けると、浅見へ通話をかける。浅見は連絡が来るのを待っていたらしく、すぐに反応してみせた。
『思っていたよりも早かったね、唯理』
『お前は相変わらずだな』
 軽口を言うと電話の向こうで苦笑するような声が聞こえた。
『何の用か聞かずに威勢を張る辺り、予想は正しかったみたいだね。今日決戦かい?』 
『ああ』
 唯理は正直に答えた。昔からこうだ。他の人と話すときはいつもこちらのペースに持っていけるのに、浅見と話す時だけは毎回手玉に取られてしまう。だが、悪い気がしないことも事実だった。
『僕が連絡を取りたかった理由は一つだよ。君が心配だからだ』
 唯理は何も言えずうっという声を漏らす。それを察知し浅見は畳みかけてきた。
『僕は君の選択を否定しない。一度関わったら最後まで責任を持つ、当然のことだ。だから手を引けというつもりは一切ない。でもね、防具もつけずに敵と戦おうとする友達を放置する気もないんだ』
 浅見の声が一瞬低いものへと変わる。長い付き合いで、浅見が言っている言葉が本気であることはすぐ分かった。
『俺は大丈夫だ。それに、最後まで石人と向き合うってもう決めたからな』
 一つ一つの言葉を噛みしめるように言う。それは自分の意思を浅見にはっきりと伝えるためであり、自分自身に今一度戒めをかけるためであった。
『……とりあえず納得するしかなさそうだね。君の言葉を信じるよ。でも、これだけは覚えておいてほしい。絶対に一人になるな。気持ちを隠すな。何かあれば僕に全部吐き出せ』
 子供に言い聞かせるようにはっきりという浅見に、唯理は気恥ずかしさを感じる。目の前に浅見はいないというのについ顔をそむけてしまった。
『心に留めておく』
 浅見のため息が聞こえた。
『君ならそういうと思ったよ。今はその程度でもいい。少なくともあのを果たしてくれるまで、僕は絶対に君の見方だからね』
『浅見……!』
 電話の向こうでころころと浅見が笑う声がした。
を持ち出したのは悪かったよ。これに懲りたら、ちゃんと友達の言うことは聞くことだね』
 浅見は本当に自分を動かすコツを心得ている。まるでマニュアルを持っているかのようだ。
『それじゃあ健闘を祈るよ』
『ああ』
 唯理はそういうと電話を切り、目をつぶった。
 唯理はもう一度伸びをする。体をひねると小気味いい音が鳴り、すっきりとした感覚が湧き上がった。もう体のこわばりはなくなっていた。
 唯理は届かないとわかっていながらも声を出す。
「ありがとな」
 言った後で、あの浅見なら今こうしていることも予想しているのではないかと思い、唯理は口元を緩めた。

 午後四時頃、唯理は学校から少し離れたところで雨車を待っていた。
 雨車から石人と話す約束が取れたという連絡を受け、雨車とともに家に行くことを決めていたのだ。
 だが、約束の時間をもう数十分間過ぎているのに、未だ雨車は現れる気配がない。唯理は腕時計を確認しながら一人思考にふけった。
 石人のことを心配していた雨車が約束を忘れるということは考えにくい。そのうえメッセージを送ってもなんの返答もないということは、何かが起きた可能性が高いのではないか?
 唯理はとりあえず自体を把握することが先決だと雨車家に向かおうとする。その時、甲高い声が耳に届いた。
「唯理さん、ごめんなさない。お待たせしました!」
 学校からここまで全力で走ってきたらしく、雨車は額に大粒の汗をかき、息を切らしていた。
「気にしなくていい。それよりなにかあったんだろ?」
 唯理の問いかけに雨車は頷いた。まだ息が整っていないらしく、喋れないようだ。
 唯理は事前に買っておいた未開封の飲料水を雨車に渡し、落ち着くのを待つ。
 水を飲んで多少落ち着いたらしく、雨車は事情を説明し始めた。
「石人くんがいなくなっちゃったんです」
 唯理は眉をひそめた。
「どういうことだ」
「それが私も何がなんだか。さっきお母さんから電話で石人を知らないかって聞かれたんです!」
「石人が家から出ていったっていうことか?」
 雨車は大きく首肯した。
「お母さんが言うには、ご飯も食べず何も言わず出ていったみたいで、行方がわからないらしいんです!」
「とりあえず、落ち着け」
 早口でまくし立てる雨車を唯理はいさめた。
「石人は小学生とはいえ高学年だ。食事を取ってないことからただ事じゃないとは思うが、出歩いててもこの時間なら危険は少ない」
 唯理の言葉に、雨車は深呼吸をして気分を落ち着かせようとしていた。
「そうですよね。お母さんがすごい慌ててたので、私までちょっと不安になってました。でも、できるだけ早く見つけないとまずいですよね」
「そうだな。もう秋だしあと数時間で見つけないとここら辺は暗くなる」
 唯理は言い終えると雨車の家の方へと足を進めた。
「どこに行ったのか手がかりを得るために一度お前の家に行く」
 それを聞いて雨車は慌てて唯理を追いかける。石人がかなり心配らしく、走ったばっかりで辛いはずなのに弱音は吐かなかった。
「無事でいてね」
 祈るような声が後方で聞こえた気がした。

 家についた二人は急いでリビングへと駆け込んだ。雨車の母は家の周りを確認しているようで家には居なかった。
「確かに食事を取ってないみたいだな」
 リビングに置かれた食事は朝食用と昼食用とに取り分けられていたが、どちらにも手を付けた様子がない。
 雨車が一応冷蔵庫とお菓子棚を確認するも手を付けた痕跡はないそうだった。
 それどころか、雨車が言うには鞄も財布も家に置きっぱなしであるらしく、何も持たずに家を出たようだ。
「これは精神的に何かあったのかもな」
 唯理は顔をしかめる。思っていたよりも悪い状況に一気に焦りが募る。
「でもどうして急に……」
 雨車が狼狽した声で尋ねてくる。恐らく石人と一番接していたのは雨車だろう。
 だからこそ、唐突な行動に一番違和感を覚えているようだった。
「可能性があるとしたら、思い浮かぶのは一つだな」
 唯理の言葉に、雨車は一瞬考え込んだようだが、すぐにはっと顔を上げる。
「「記憶を思い出した」」
 唯理と雨車の声が重なる。考えることはどうやら同じらしい。そして唯理は雨車に聞いて石人が寝室として使っていた部屋に入る。
 そこで唯理は自分を罵った。ベッドにはカーネーションが咲いていた。本来は黄色だったのだろう。
 しかし、もはやそのカーネーションは色が判別できないほどに朽ちていた。それが表すことはただ一つ。石人は限界まで精神を壊してしまったということだ。
 話し合った結果、石人の心に消えない傷を作る可能性は考えていた。
 だが、自分たちが動く前に記憶を取り戻し、このような状態になるとまでは想像していなかった。
「石人が思い出していたのは、来ないでと石人の母が叫んでいた記憶だけだったよな? ほかに何か思い出しつつある兆候はなかったかのか?」
 雨車はわからないと首を振った。その思いつめた雨車表情に、唯理は本当に何も気づけなかったのだと理解し口を閉ざす。
「石人くんは最初の時以降、記憶のことは何も話してくれませんでした。変化も全くわからなかった……」
「……悪かった。今この話をしてもしょうがなかった。今考えるべきは石人がどこにいるかだ」
 唯理はそういうと軽く目をつむる。今は少しでも集中したい。
 唯理は自分に探偵としての才能があるとは思っていない。家にある者から対象がどこに行ったのか当てるようなことができないのは、自分が一番わかっている。
 ならば自分は、自分が見えるものでどうにかするしかない。花を見る限り、石人はかなり追い詰められていたはずだ。ならば追い詰められた人間ならどうする?
 何もかも投げ出したくなるだろう。煩わしいものをすべて捨て去りたいと思うのは人間としてよくあることだ。
 そして、石人はまだ子供だ。精神的に成長せざるを得ない環境にいたからといって、人の根本はそう変わらない。
 恐らく彼は、自分の庇護者ひごしゃとなる存在を求めているはずだ。そしてカーネーションの花言葉と自分の推測を合わせれば石人が頼るのは一つだけだろう。
「可能性が高いのは、石人の家だと思う」
 唯理は自分の考えを述べた。これが絶対に正しいといえる根拠はない。だが、自分の中でピースがはまった音がした。
「わかりました。とりあえず行ってみましょう」
 雨車の同意もあり、二人は石人の家へ走り出した。走っている道中、様々な考えが稲妻のように頭を駆ける。
 そもそも自分の推測は正しいのか?
 正しかったとして石人にあったら何を言うべきだろうか?
 石人が記憶を取り戻す前は、わかっている事実を伝えて様子を見るしかないと思っていた。
 だが様子を見る段階はもはや過ぎ、今は彼とどう接するか、自分の中の答えをどう使うか決断しなくてはならない。
 嫌な汗が額を伝う。胸の中の不安感が膨れ上がるのと比例するように、石人の家も大きくなっていく。
 唯理は家にたどり着くと強くドアノブを引いた。鍵が開いているらしく、扉は抵抗なく開く。それはこの中に石人がいることの証明だった。
 唯理と雨車は互いの顔を見て覚悟を決めると家に入る。石人がいるはずの家は一切明かりがついておらず、暗くなってきた空に合わせるように闇が広がっていた。
 唯理は軽く息を吐いてから電気をつける。カチッという音と共に電球の明かりが階段前の少年の姿を浮かび上がらせる。
「やっぱり来たんだね。二人とも」
 この家の空気と同じくらい冷たい声があたりに響いた。
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