涙と花

カイ異

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狂い咲く愛と軽蔑

友達という支え

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 唯理は起き上がるといつものように携帯のカレンダーを確認した。
 昨日はどうやって石人の家から帰って来たのか覚えていない。着替えもせず布団に倒れこんでいる所から見て、かなり精神的にきていたようだった。
 ホーム画面に戻ると、まるで昨日の焼き写しのように浅見からメッセージが届いていた。
 その内容は今日病室に来てほしいというものだった。一瞬無視してしまおうかという考えが頭をよぎる。
 昨日は大丈夫だ、心配ないと言っておきながら、無様にも取り乱した。これでは会わせる顔がないではないか。
 唯理は携帯を握りしめた。行きたくないなら無視してしまえばよいとはわかっている。だが、要件が何かわからない以上、無視をするという決断には躊躇をしてしまう。
 唯理は天を仰ぎ数分間目を閉じた。そして目を開けると素早く服を着替え、家を後にした。

 歩きなれた病院だというのに、今日だけは目的地に近づくたび心臓が早鐘を打つ。
 まるで悪い夢を見ている時のように現実感がない。そして気づいていた時には、見慣れた名札が付けられた病室が目の前にあった。
 唯理は二、三回ノックをすると扉を開ける。窓が開いているのか涼しい風が扉から吹き抜けた。
 浅見はいつもと変わらずゆったりとベッドに座り本を眺めていた。そして唯理に気づくと本を近くの棚に置き、こちらに目を向ける。
「何かと思ったが、そっちは問題なさそうだな」
 浅見が何ともないことは予想できていた。本当に浅見がまずい状態ならば、そのことをきちんとメッセージで送ったはずだ。となると要件は恐らく一つだけだろう。
「昨日どうなったのか聞きたい。そういうことだろ?」
「ああ、それだけのつもりだったよ。今ここで会うまでは」
 唯理は浅見の近くの椅子に腰を掛ける。その動作を、浅見はどんな些細なことも見逃さないとばかりに観察していた。
「お前なら、もう気づいているだろ。俺が失敗したって」
「そうだね。明らかにいつもと表情が違ってる。まるではがれそうなメッキ必死に隠してるみたいだ」
「そんなにひどいか……」
 しばらくの間二人の間に会話はなかった。弁明しようにも、唯理はその材料を持ち合わせていない。
 それに浅見に自己弁護したところで一体何が変わるだろうか? 自分は昨日失敗してしまった。もう取り返しがつかない。
「君は何をやってるんだ?」
 浅見の言葉が静寂を切り裂いた。そして、その口調で唯理は直感する。浅見が心の底から怒っていると。唯理は自分が置かれた状況が呑み込めず、俯くことしかできなかった。
「僕が君を慰めるとでも思ったのかい?」
 怒っていることが確かに伝わるのに、浅見の口調は優しいままだった。それが唯理にとって余計に恐ろしかった。
「そんなわけないだろ!」
 唯理は一瞬肩を縮こまらせる。浅見に一喝されたのは数年前以来だった。
「もう一度聞くよ。君は何がしたいんだい?」
 答えないという選択は取らせないという圧が、浅見の言葉には込められていた。唯理は自分の中で言葉を選びながら答える。
「俺はただ石人を助けたかった」
「その結果が、自ら地雷を踏みぬいてボロボロになった今の状態かい?」
「どうしようもなかった。仕方ないだろ」
 その言葉を発した途端胸が痛んだ。まるで取り返しのつかないことを勢いでやってしまったかのような後味の悪さを感じる。
「仕方なかった、君は全力をつくした、だから君は悪くない。そう言ってほしいのかい? 君はそんな薄っぺらな慰めで前を向けるのか? 自分の人生を歩んでいけるのか?」
 心臓が大きく脈打った。唯理は顔を上げて浅見の顔を見る。今日初めて浅見と目が合った。浅見の目はどこまでもまっすぐで、こちらの心を見通すように真剣な顔をしていた。
「薄っぺらな慰めをかけられて、君は悪くないよと言われて、君はそうだと納得できるような人間かい? 違うだろ! 君はそんな機械みたいに切り替えられる人間じゃない。一つの後悔を何年も抱え続けて自分を責め続けるようなお人よしだ。他人の言葉なんかじゃ絶対に自分を騙せない。自分の手で憂いを立つまで君はずっと苦しみ続ける」
 浅見は一つ大きく深呼吸した。
「逃げるな。その選択だけは僕は絶対に許さない。僕は優しい人間じゃない。僕には義務がある。君に前を向いて生きて欲しいと願った以上、君が間違えそうになったら、君自身が一番大嫌いな人間に君がなろうとしたら、僕は鬼になっても君を止める」
 そう言うと浅見は軽く笑った。
「君が他人との関りを望まないのは、責任を取ることの重みを知ってるからだろ。それは僕も同じだよ。そして君はその信念を捨てるつもりはない。違うかい?」
 そこでようやく気付いた。仕方ないという自分の発した言葉。それが諦めから来ていたことに。
 自分が最も大切にしていることを忘れ、一度でも逃げようとした。それは自分が絶対にやらないと決めていたことだったはずなのに。
 唯理は涙が出そうになるのを懸命にこらえる。だが、涙をせき止めるには、浅見の言葉はあまりにも温かかった。
 唯理の目から一粒の雫が溢れる。そして地面へと落ち、クロユリが咲いた。
 浅見は一瞬苦痛に顔をしかめる。唯理は慌てて近づくが、浅見に手で制された。
「原種だったらまずかったかもね。でも、僕はこうなることも受け入れたうえでこの話をしてる。だから気にしないで」
 クロユリ、その花言葉は『呪い』。唯理の花のは、自分の人間に危害を加えるものだった。
 だが、浅見はそのことを知っていて唯理と向き合っている。そのことが、唯理にとってただただ支えだった。
 唯理は涙を拭き、ありがとうと浅見に告げる。浅見はそんな唯理をいつものように見守っていた。

「何も言えなかったんだ。母親と共に過ごす苦悩をぶつけられた時、俺は何も言う資格がないと思った。俺よりも石人の方が苦しんでると思ったから」
 石人と対峙した時に感じたことを、唯理はありのまま浅見に伝えた。浅見はそれを聞いて満足そうに頷く。
「やっと話してくれたね。ここからは僕も君と一緒に考えるよ」
「ありがとな」
 浅見は気にしないでとばかりに軽く微笑むと、考えるように眉の間にしわを作った。
「まんまと相手のペースに乗せられちゃったみたいだね。でも、正直に言うと君らしくないと思ったよ。唯理、君は本当に石人の心を理解しようとしていたかい?」
「どういうことだ?」
 唯理は今まで自身の異能と技術で石人の心を読み解こうとしていた自負があった。そのため、浅見の言葉の意味が本当にわからなかった。
 浅見は怒らないで欲しいんだけどと前置きをし、話し始めた。
「さっき自分よりも石人の方が苦しんでいると君は言ったよね。でも本当にそうかな? 人の苦しみなんて人それぞれだ。心の傷を完全に理解することなんてできなんじゃないか?」
 その言葉に唯理ははっとする。
「だから君は、いつも根拠を元に考えを組み立てていったはずだ。でも、今回はその根拠が自分自身になってはいなかったかい?」
 唯理は改めて自分の今までの思考を振り返る。確かに今回はが入り込み過ぎていた。それにも関わらず石人のことをわかった気になっていたのだ。
「苦しみを比較している所からも、僕は君が自分と石人くんを重ねてるように思える。だから、もう一度落ち着いて考えを練るべきだ」
 浅見の言葉に唯理は頷いた。石人との話し合いの前、自分の頭では様々な感情が渦巻いていた。
 今にして思えば、それは自分の中の葛藤と今回の問題が絡み合っていたからかもしれない。
 唯理はポケットから浅見の涙、アゲラタムが篭められた瓶を手に取ると、中身を出す。アゲラタムの効果によってわずかながら頭が落ち着いてくるのを感じた。
 唯理は頭の中の静寂に意識を集中させる。頭の中でいろいろな情報が浮かび上がっては組み合わさり一つの形を作っていった。
 自分という楔から解き放たれた頭は久しぶりに全力で動き、答えを導き出していった。
「一つ気になったことがある」
 唯理はそういうと携帯を確認した。
「雨車さんでしょ。どうやら僕ができるのはここまでみたいだね。それに君の顔を見る限り、僕の目的は果たせたみたいだ。いい顔しているよ、唯理」
「おかげさまでな。今度こそ決着つけて見せる」
 浅見は大きく頷いた。
「ああ、君ならきっとできるはずだ」
 浅見の言葉を胸に、唯理は病室を後にすると、雨車の携帯にメッセージを送る。
『一つ気になることができた。もう一度俺にチャンスをくれないか?』
『私も話したいことがありました』
 返信はすぐに帰って来た。学校なら恐らくちょうど今は昼休憩中だろう。唯理はお互い諦めが悪いなと軽く笑みを浮かべ、雨車の学校へと足を進めた。
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