噓と迷宮

カイ異

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人の感触

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 裕翔はゆっくりと目を開ける。目の前の鏡台には切り傷まみれの自分が写っていた。
 あちこちから深紅の液体が流れ出て、汗や砂利と混ざりどす黒い色となって体を伝ってはぽたぽたと地面に落ちていく。
 裕翔は自分の体を見下ろす。今はもう傷はある程度癒えている。だが、鏡を見ていると生暖かい感覚とともに力が抜けていく、死神の鎌が首に当たっているようなおぞましい感触が湧き上がってくる。
 裕翔は怒りに身を任せるように鏡台にこぶしをふるった。
 しかし、手に伝わるのは固いものに触れた感覚ではなく、生ものを殴りつけたような感覚だった。
 何かが破裂したような音とともに鏡に割れる。ぞっとして破片を見てみると黒く変色し、もう何も写さなくなっていた。
  気持ち悪い感覚を払うようにまとったぼろ布に手をこすりつけると、裕翔はそのまま逃げるようにそばの階段を駆け上った。
 この空間で最も異質なものがあの鏡台だ。見たところ眼下に広がる草原も空の太陽も何かしてくる気配はない。今歩いている階段だって、面倒ではあるし現実離れした構造だがただの階段だ。
 鏡だけだ。鏡だけがこの空間で明確な役割を持っていて、得体のしれないものを感じさせる。
 裕翔は鏡を殴ったこぶしを顔の前に運ぶと、感触を思い出すようにこぶしを握った。
 あの感触には覚えがある。村では定期的に感じていた、最も嫌いな感触。間違いなく人を殴ったときの物だった。
「どうなってるんだ!ここにいるのは俺だけのはずだろ?ここまで来て……なんで?」
 望んで人と闘ったことはなかった。人を殴ったときの感触なんて大嫌いだった。
 裕翔は大きく息を吐いて、浮かんでくる不安にふたをする。この空間が異常なものだということは最初から分かっていたはずだ。
 いくら考えたってその正体をわかるとは思えないし、分かったところで何になる?
 考えることを止め、また上を向くと、例の鏡の光が目についた。
 一瞬足がすくむが、抗うように力ずよく段差に足をかける。
 鏡はまるで催促するように、キラキラと日の光を反射させていた。
 次は何を聞かれるのだろうか?
 目をこすって改めて観察した鏡台からは違和感が感じられず、むしろこの温かな世界に溶け込んで神秘的な雰囲気を醸し出している。それが余計に一層怖く感じられた。
 裕翔は鏡に向き直った。触る勇気は沸いてこなかった。
『あなたはなぜ襲われたのですか?』
 文字は煙のように霧散して消え、血まみれの男が二人現れる。
 一方は重症を負っているらしく、顔は血が通ってないのではないかと思うほど真っ青であり、カッと見開かれた目の焦点はあっていない。
 もう一人の男はぼろ布まとい、眼下を呆然と見下ろす裕翔だった。
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