噓と迷宮

カイ異

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すべてが変わった日

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 次の日、慌ただしい足音と飛び交う怒声で裕翔は目を覚ました。何が起きているのかわからないまま小屋を出ると、村長の家の方からまた怒声が聞こえた。
 背筋に冷たいものが走り、ざわざわと吹く風がとても不気味に感じる。裕翔は迷わず村長の家へと全力で駆けた。
 靴も履いておらず子砂利が足の裏に張り付いて、踏み込むたびに痛みを感じた。心臓は狩りの時以上に早鐘を打つ。しかし、どれほどの痛みでも胸のざわつきだけはかき消してくれない。
 やっとのことでたどり着いた時にはすでに多くの人が集まっていた。普段ならば村人の集まりに顔を出すだけで悪意を向けられるが、今はそんな余裕さえないようだった。
 人混みをかき分けなんとか小屋の中が見える位置まで移動する。裕翔に気づいた人々が思い出したように怒気をはらんだ言葉をぶつけるが全く耳に入らなかった。
 小屋の中には思った通り薬師が難しい顔で薬を混ぜ合わせていた。由香も頭に手を当てて、必死に考え込んでいる。そのすぐ近くに、明らかに顔色が悪い村長が横たわっていた。
 唇がかすかに動いていることからかろうじて生きていることはわかる。しかし、薬師でなくても誰もが絶望的な状況だとも一目見ただけで理解できるはずだ。
 時折、由香は思い出したように薬師に何か伝え、薬師ははっとしたように薬を混ぜ合わせて村長に飲ませるが、よくなっているようには見えない。
 裕翔は部屋に入り込もうと人混みを飛び出すが、急に横から警棒が飛び出し、仕方なく受けの体制をとった。
「勝手な行動をするな。立場をわきまえろと伝えたはずだ」
 海場が裕翔を睨みつける。
「わかってる!でも、このままじゃ村長は助からない!」
「だから何だ?お前があの場に出たところで一体何ができる?」
 何も答えられなかった。
「すみません」
 海場は謝罪など興味がないらしく、村長の方を見つめていた。海場も村長に算術を教えてもらったうちの一人だ。
 もともと海場の家は代々村の守護をすることを条件に高い地位を与えられていた。だからこそ、海場は幼い時から村長とかかわりがある。
 村の守護に算術は必要ないと、海場の親から学ぶことを禁止され算術は途中でやめてしまっているはずだが、村長を心配する気持ちは強いのだろう。
 裕翔は苦虫を嚙み潰したような顔で薬師と由香に目を向ける。由香は天才だ。きっと何とかしてくれる。
 そんな期待が沸くが、心の奥底ではどこかあきらめがあった。
 昨日、由香自身が覚悟を決めるべきだといっていたのだ。由香は才女であっても、魔法使いではない。周りの人間よりできることは多くても、必ずできないことがある。
 その予感が的中したように、薬師は手を止めると村長の口に耳を当て、しばらくそのままじっとしていると、由香の方を向いて首を振った。
 しばらくの静寂の後、沈黙を引き裂くような嗚咽が部屋を包む。その光景を裕翔はなすすべもなく呆然と眺めていた。

 葬儀が終わってから数日が立った。現在は由香が村長代理として村をまとめている。一方の裕翔は完全に村を出る機会を逃していた。
 村長が死んで以降、由香は人が変わったようにふさぎ込んでしまった。そんな由香をほおってはおけなくことなど考えられなかったのだ。
 今は自分も村長の部屋でなるべく過ごすようにしている。もちろんただ部屋にいるだけでなく帳簿をつけているわけだが、まさか村長に習った算術が本当に役に立つとは思ってもみなかった。
「今日の分ここに置いておくから」
「……いつもごめん」
 かすれるような声が由香の口から洩れる。裕翔は何も返さず、逃げるように小屋を出た。
 由香の両親は由香を捨ててどこかに行ってしまった。それに追い打ちをかけるように。由香はその非凡な才を見せ始める前まで、無能として忌子のように扱われていた。
 そんな由香を育てたのが村長だ。由香の村長を失った悲しみが計り知れないことなど一緒に過ごしてわかっているつもりだった。
 でも、俺は由香が村の中心だったころを知っている。変わってしまった由香を見るのは耐えられなかった。
 飛び出した先の空はどんよりと暗く、地面の若草がくすんだ色に見えた。季節が戻ったみたいに、冷たい風が体をなでる。
 こんな日は初めて由香にあった日を思い出す。途端に胸が締め付けられるような思いに襲われた。
「どうした?ひどい顔色だな」
 裕翔は声の方へ眼をやり、道端の木に寄り掛かる海場を捉えた。
「おまえには関係ないだろ」
「いや、関係ある。村長が亡くなった今、村の中心は由香だ。そしてお前の様子を見る限り、由香は今不安定な状態なんだろ」
 裕翔は静かにうなずいた。
「俺の望みは村の秩序だ。だからこそ、この状況は少々まずい」
「……どういう意味だ」
「村の中心が不安定な状態なんだ。はっきり言って何が起こっても不思議じゃない」
 裕翔は苛立ちのこもった視線を海場に向ける。
「はっきり言え!お前のごたくに付き合う暇はない!」
 今の状況がまずいことくらい自分でも理解している。自分どころか村に住む全員が肌で感じているはずだ。じゃあ、なぜわざわざ俺に強調する?
「自分の立場をわきまえろ。これは忠告だ」
 海場は全く引かなかった。
「またそれか……。なんなんだよ!俺にどうしろっていうんだ!」
「それは自分で考えろ。俺は忠告はした。俺はどっちの側につく気もないからな。せいぜい気を付けることだ。『迷宮』に囚われないように」
「おい!」
話はすんだとばかりに海場は背を向けて歩いて行ってしまった。
「わけわかんねぇ……」

 今思えばこの会話が大きな分岐点だった。俺は心底無関心になっていたのだ。
 よそ者という身分がどれほど村にとって異質な存在か、そして異質な存在は排除されるという当たり前の事実を。
 この数日後、俺は由香の息がかかった連中の刃に襲われた。
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