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クリスを探して
8 ひと言云ってね
しおりを挟む王宮の駐車場に車を停めると、意識はもうハリーの部屋に向かっていた。
夜勤の警備員との挨拶もそこそこに、アーロンは足早に歩く。
ハリーとアーロンの部屋のある長い廊下は、ふかふかの絨毯で足音は抑えられている。寝静まっている王宮内を、ずんずん進んで行くと、そのドアの両側には、同僚が物々しく立って任務を全うしていた。
アーロンは迷わず、同僚と向かい合わせに立つ。同僚───ヘルムフリートは、ドアの真ん前に立って、無言で首を振った。
「殿下のご所望の物だ」
アーロンは封筒を突きつけて見せる。「───一言、ご挨拶申し上げたい」
ヘルムフリートは何故か、無言で首を振る。目も合わせない。アーロンは仕方なく、もう一人の同僚に目を向けたが、彼も肩をすくめた。
「まだ殿下のお目覚めの時間ではない。騒がしくするなよ、アーロン」
「...分かった。済まない」
アーロンは二人の同僚に背を向けると、向かいの自室の鍵を開け、ドアノブに手をかける。
「アーロン!」
声を殺しながらも、鋭く呼び止められる。「───騒がしくするな、静かに歩け」
今度はアーロンが肩をすくめて見せた。
───何だよ、オレそんなにガサツに見えるか?
同僚の言葉を不満に思いながら、ドアを閉める。仕方なく、ゆっくり、そっと。
ドアラッチの音がして、ドアに自動的に鍵がかかる。ホテル錠になっているのは、簡易の診察室になっているからだ。簡易と云っても医薬品が置いてあるので、やたらに人が入れないようになっている。
廊下からドア一枚隔てただけの診察室で、待合室はない。代わりにカーテンで仕切っている。
そのカーテンは1つにまとめられ、遮る物のない診察室に入る。アーロンは室内灯ではなくスタンドライトを点け、部屋を突っ切る。更にもう一枚のカーテンの奥で、ジャケットをハンガーにかけ、ネクタイを外した。
ふと、違和感に動きを止める。
見回すと、自室に通じるドアが、ちゃんと閉まっていない。
───誰かが入った!?
簡易診察室のカードキーを持っているのは、ヴェルナーとボチェク。
カードキーを使わないで鍵を開けるなら、鍵の通電を遮断するしかない。ブレーカーを落とせばハリーの部屋や廊下まで停電になって大騒ぎになるし、外側のスキャナーは先程正常に機能していたから、壊された訳でもない。
つまり、その誰かはカードキーを使って入った事になる。
アーロンが今夜、王宮にいない事を知っているのも、ヴェルナーとボチェク。
───何の用で、オレの部屋に...?
そう思いながら自室にそっと踏み入れると、人感センサータイプのフットライトが点灯した。
壁際にはやや長めのデスク。その向かいに、アーロンには大きめのベッド。その奥にセンターテーブルと二人掛けソファ。開口の向こうにも椅子と小さなテーブル。高級ホテル仕様の室内が、柔らかな灯りに浮かび上がった。
アーロンの目を引いたのは、ベッド。そっと近付くと、ベッドの中央にキレイな姿勢で横たわっていた。
───一言云ってくれればいいのに。
アーロンの脳裏に、未だにそこに立つ同僚二人の表情がよぎる。
起こさないように、そうっと、アーロンはその白い頬に口付けた。
───ただいま、ハリー...。
そっと、その場を離れようとして、ハリーの胸の上の物に目が止まる。
───ノート?
慎重に、自室のドアを閉めると、診察室のデスクのライトを点けた。
それは、大分使い古された安物のノート。アーロン自身も愛用していたメーカーの物だ。
───あいつらしくないな。
使い古すかどうかは別として、ハリーなら表紙のデザインにこだわる筈だ。つまりこれは、ハリーの物ではない可能性が高い。
表紙を捲って文字を認めると、固まった表情のまま、また閉じた。
もう一度表紙を捲り、数ページ更に捲る。知っている名前が何度も書かれている。この文字にも、見覚えがあった。
動悸を抑えることが出来ない。
───どういうことだ?
何故。どうして。どうやって。誰が───。
様々な疑問の数々が頭の中をぐるぐると目まぐるしく巡る。数人の人物、数年前のシーン、つい最近のシーン、悲しみと恐れ、喜びや慈しみ、懐かしさや戸惑いや、いろんな感情...。
その間も、アーロンのヘーゼルの目は、ノートの文字を辿って行く。
内容は、分類としては日記になるだろうが、シーンが限定されている。
───こんなものを書いていたなんて...。
知らなかった。
ファビアンとの事が突然終わり、次のページにはもう、アーロンとの深い関係が書かれ始める。何度ページを捲っても、間違いない。
───まぁ、誰に見せる訳でもないんだろうから、あの子の自由なんだけど...。
ファビアンへの悲しみや喪失感をいかにして埋めるか、どうしたら彼の心を癒せるのか、また、何日もかけてやっと、挨拶を交わせるようになったのに、その数週間の事には一切触れられていない。
───あの時、純粋にオレの片想いだったんだな、クリス...。
「み~た~な~」
アーロンは文字通り飛び上がった。
肩越しの声は、紛う事なきあの方のもの。
「たっ、ただいまっ、ハリー...」
慌ててノートを閉じる。
ハリーは後ろからアーロンを抱きすくめ、その肩に自分の顎を乗せて、
「おはよう、だろ」
「そ、だな。おはよ、ハリー」
「おはよう、アーロン」
ハリーはアーロンの耳に唇を着けて、囁いた。「───そのノート...」
「ハリーも、見ちゃった?」
「うん。───それ、乱暴に扱うなよ。持ち主が大事にしてたみたいだから」
地を這うように低いテンション。ご機嫌の傾斜角度は遊園地のアトラクション並みか!?
「も、持ち主、て、誰?」
「ステファンだよ────」
ハリーの腕に力が入る。「昨夜、連行された」
ノートの持ち主よりも、当時の状況を気にするアーロン。険しい顔で振り返る。
「その場にいたのか、ハリー?」
「うん。オレの部屋にいるところに、護衛の連中が突然入ってきて、ステファンを連れてった」
アーロンはため息をつく。
───どういうつもりなんだ。
わざわざハリーの部屋にいる所でする事ではない筈。
しかしそれよりも、先ず。
「ごめん、ハリー」
「なんでアーロンが謝るんだよ」
「ステファンがあやしい、て云ったの、オレなんだ」
ハリーは納得のため息を漏らす。そしてはにかむ様な顔をアーロンに向けた。
「お前、やっぱり気付いてたんだな、アーロン」
「じゃあ、ハリーも気付いてたのか」
「ああ。もう少し時間をかけて、アーロンに会わせようと思ってたんだ」
「時間をかけて?」
見下ろすハリーの整ったまつ毛を見上げるアーロン。
「うん。彼には悪意がない、て納得させられるくらいになったら、て思ってたのに」
ステファンに悪意がなかった事は、当時の事情聴取で明らかになっていた。
「首をはねないとGPSチップは取れない」
レディッシュのマリウスと、その仲間の一人が、ステファニーの発言を聞いて、
「ハリーは傷つけられないだろう」
と思って安心した、といった供述をしたという。リーダーのジョナスに人は殺せないと思っていたから。
処分としては、摂政に就任する直前のハリーのスキャンダルを隠す為、国外追放にして彼らの口を塞いだ。
「悪意がなければ、アーロンと二人で黙っていればバレないと思ってた。実際、今まで誰も、ステファンに気付いてなかったんだから」
「オレ以外はね」
肩をすくめるアーロン。「───ステファンに悪意がなかった事くらい、判ってたよ。護衛のチームもね」
見下ろして、ハリーは小さく息をつく。
「アーロンには一度訊いてみたかったんだけど───」
ハリーはアーロンの首筋に顔を埋める。「ステファンに、興味湧かない?」
アーロンはすぐには答えなかった。
ハリーを自室に連れて行き、ベッドのクッションに身を預ける。投げ出した足の間に、ハリーにも同じように足を投げ出させて、座らせる。
「オレ、こういう風にするの、好きなんだ」
そう云って、ハリーを後ろから抱きすくめる。今までの恋人はみんな小柄で、アーロンの懐には隙間だらけだった。
それがどうよ、このフィット感!
一般的には大きめのハリーのサイズが、アーロンの腕の中にピタリとはまって、気持ちいい程のこの確かさ! 頭のてっぺんは目の前にあり、項や襟元も俯けばすぐそこにある。
「もしかしてまた、オレの匂い嗅いでるのか、アーロン?」
「オレ、ハリーも、ハリーの匂いも好き」
───どうしてコイツはグレートデーンっぽいんだろう?
「あじさいの城の件で、報告書を持ってきた警察官が、オレの幼馴染だった」
「それで昨夜、帰って来なかったんだろ、アーロン」
「うん。でも、もう一人の幼馴染を呼んでくれて、判った事がある」
ハリーはアーロンを振り仰ぐ。
「アーロンが卒業するまで付き合ってた子の事だな」
「うん」
頷いたアーロンは、ハリーの肩に顔を埋めた。「───修道院が火事になる前に、その子は亡くなってたよ、病気で」
「アーロン...」
身を捩ってアーロンを受け止めながら、ハリーには、何と云って慰めたらいいのか分からない。アーロンの最も怖れていた答えだった。その答えを探らせたのは、ハリー自身だ。
「いいんだ。気にしないで、ハリー。ちゃんと判ったから、もうこの事で悩む必要はなくなった。タブーの事だって、幼馴染みが修道士に提案した事だったんだ。それに───」
アーロンは顔を上げて、ハリーを真っ直ぐに見た。「判った事はまだある」
「他にも、判った事?」
「うん。その子の名前はクリストハルト。みんなが、クリス、て呼んでたその子は、オレの記憶が正しければ、修道院に来た時は双子だった」
「ふたご...」
「クリスは、ブロンドで、ブルーの瞳をしてた。そっくりだよ───」
「ステファン=ベルジュ───!」
ハリーが今いちば───もとい、2番目に気にかけている人物。
「初めて彼を見た時の衝撃は、震える程だった。オレは誰かにハメられてるのかと思ったくらいだ」
「どうして二人は離れ離れに?」
「ブロンドでブルーの瞳の子供なら、里親は見つかり易い。オレの記憶が曖昧なくらい早い時期に、ステファンは里親が見つかって、修道院を出ていったんだと思う」
証明は出来ない。が、恐らく間違いないだろう。それを踏まえてハリーは云い募る。
「そのクリスという子とステファンがそっくりなら、どストライクだろ、アーロン」
「違うよ。似ていてもやっぱり違うんだ。二人は同じじゃない。全くの別人だ」
「だって、双子なんだろ。そっくりなんだろ!?」
アーロンは頭を振る。そしてハリーを優しく抱きしめた。
「もしも、ハリーのそっくりさんが10人現れても、オレはハリーを見つける自信があるよ。クリスとステファンもそうさ。オレが声をかけた時の反応も違うし、発声も違う。性格も歩き方も、違うみたい。同じような扱いをしたら、かえって失礼になる」
アーロンのヘーゼルの瞳を交互に見つめるハリー。まだ不安そうなその頬に、大きな手を添えて、包み込む。
「今のオレには、ハリーがいる。他の人には興味湧かないよ。これが答えだ、ハリー」
「アーロン...」
ハリーの顔にかかる髪を、優しく耳にかけてあげる。その手にハリーは頬ずりし、唇を沿わせ一度伏せた目を、今度は艶めかせながらアーロンに向ける。
「...ハリー」
「ん、ふ...ん、アーロン」
熱く深く、吐息を絡ませながら、唇を重ね合わせ、ゆっくりとベッドに倒れ込む。
ハリーの頭を支えるアーロンの腕を、ハリーの手がねだるように這う。ハリーの頭が枕に沈むと、アーロンの腕はハリーの手を取り、指を絡ませ合い、強く握る。
「手が熱い。寝てないだろ、ハリー」
「大丈夫だよ、さっき少し寝たし」
「ダメ。今寝ておかないと、今夜オレがおあずけ食らうから」
尚も不満そうな顔のハリー。アーロンは絡めた恋人の指の背に、キスをする。
「こんな状態じゃ眠れないよ」
アンバーの瞳はその手よりも熱い。彼は既に、戦闘モードに突入してますよ、先生。
「ゆっくり深呼吸して」
ハリーは素直に従う。恋人と密着している温かさと確かさ。優しく息がかかる程、アーロンは近くにいる。ヘーゼルの瞳は「もう大丈夫」と云ってくれる。
「お休みのキスをして」
囁いてみると、そっと、唇を吸ってくれた。
アーロンが繋いだ手を解き、髪を優しく梳くと、ハリーは目を瞑る。その瞼にも優しく口付けて、囁いた。
「おやすみ、ハリー」
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