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6.聖女の後悔
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――私は、聖女なんかじゃない。
どんなに祈ったところで、この身体に霊力なんてものはない。
だって、どんなに祈っても、悪魔しか姿を現さなかったじゃない……。
ハイネは西の外れにある、小さな村に生まれた。家は日々の暮らしにも困窮するほど貧しくて、満足に食べるものもないのに、きょうだいだけはやたらと多い。毎日両親と一緒に朝から晩まで農作業をして働いて、空いた時間は自分のためではなく弟や妹たちの世話に費やした。
身体を休めるのは、寝ているときと、教会で教えを聞く時間だけ。
愛されなかったわけではないが、特別大切にされていた覚えもない。いくらハイネの見た目が美しくても、それだけでは腹は膨れない。貧しい生活に必要なのは、美しさよりも働き手だ。
年頃になったハイネには、いくつかの縁談の話が持ち込まれていた。地元の地主や、近くの商家の息子、父親よりも年の離れた相手の後添えというのもあった。
何人かと顔を合わせてみたが、値踏みするような視線が嫌だった。それでもいつかは、誰かに嫁がなければならない。きょうだいが育つごとにますます食べるものにも困ってきていたから、口減らしの必要もあった。少しでも裕福な家に嫁げば、家の役にも立てるだろう。
だから、聖女に選ばれたときは、嬉しかった。
これで自分も、両親も、弟妹たちも、楽になれる。
なによりも、嫌いな相手と結婚しなくて済むのだ。
神がどんなものかはわからなくとも、神の花嫁になれば幸せになれる。
村を出発するとき、ハイネも、両親たちも、笑顔だった。唯一まだ小さい弟だけは別れを惜しんで泣いていたけれど、誰もが幸せを信じて疑わなかった。
だけど、現実は違っていた。
真実を知ったのは、聖女のための塔に入るとき。北の山で行われる儀式について聞かされて、ようやく過ち――否、騙されていたと気がついた。
優れた容姿も、清らかな心身も、体の良い設定だ。この国はこんなにも広くて、あんなにも人で溢れていた。小さな村の少女が、国一番の美人であるはずがない。王都で拝謁した王族や貴族のほうが、田舎から出てきたハイネよりもよっぽど美しかった。
ハイネが聖女に選ばれたのは、容姿と身分の低さからだ。この世から存在が消えたところで、取るに足らない人間だからだ。
だから、悪魔に霊力がないと言われたときは嬉しかった。悪魔にとって容姿の善し悪しは関係ないと言われて、嬉しかった。
自分に聖女の資格はない。聖女でないなら、花嫁にならなくてもいいはずだ……!
私は聖女なんかじゃない。聖女になんか、なりたくなかった。
だけど、誰も助けてはくれない。塔から、出してはもらえなかった。
聖女を守る結界なんて嘘。本当は、聖女を逃がさないためのもの。聖女の塔は、聖女を閉じ込めるための檻。
塔は、選ばれた聖女がこの世のすべてを諦めるために建っている。
だから、ここにはなにもない。僅かな期待すら抱かせぬよう、聖職者たちでさえ近寄らない。
夢も希望も憧れも、すべてが削ぎ落とされていく。親にもきょうだいにも友人にも、もう二度と会うことはない。遠く離れた故郷にも、もう二度と足を踏み入れることはない。
ただひたすらに北の山と、己の命と、運命だけに向き合わされる。
生きる気力が失われていく、最果ての場所――。
なのに、ハイネは悪魔と出会ってしまった。
悪魔だけは、ハイネを気に掛けてくれた。見たかった海を代わりに見て、懐かしい故郷の花を届けてくれた。聖女を食べようとしているのに、なぜか悪魔はやさしかった。
いつの間にか、悪魔に会える夜だけが、ハイネの楽しみになっていた。
あんなに楽しみだったのに、ハイネの目の前には、夜よりも暗い闇が広がっている。
白い簡素な衣装を着て、たくさんの聖職者たちに囲まれて、岩山を登り続けた足にはところどころ血が滲んでいる。
そうして辿り着いた、北の山の頂――火口にできた大きな穴。
生贄はそこから身を投げる。それが、神に花嫁を捧げる儀式。
吹き上げてくる風がワンピースの裾を揺らす。こんな暗い穴の奥に、神が在るとは到底思えなかった。
「では、聖女様。あとはお任せします」
ハイネを取り囲んでいた聖職者たちが少しずつ後ずさっていく。だけど、決して逃げ出せそうもなかった。聖女が身を投げるまで、彼らはそこで見張っているだろう。
そこに見知った顔はない。家族も、きょうだいたちも、友人も、だれも聖女の末路を知らぬまま、ひっそりと人生を終えるしか道はなかった。
いつかの悪魔を思い出して、強張っていた頬がほんの少しだけ緩んだ。
――助けてもくれない神や、見知らぬ人間のために死ぬのなら、自分を必要としてくれる悪魔のために、死ねばよかった……。
自分がいなくなったあとの幸せを願わなければならないのに、やっぱり私は聖女じゃない。
聖女には、なれなかった。
そして、ハイネはなにもない闇へと足を踏み出す。
名前も知らぬ相手を、想いながら。
どんなに祈ったところで、この身体に霊力なんてものはない。
だって、どんなに祈っても、悪魔しか姿を現さなかったじゃない……。
ハイネは西の外れにある、小さな村に生まれた。家は日々の暮らしにも困窮するほど貧しくて、満足に食べるものもないのに、きょうだいだけはやたらと多い。毎日両親と一緒に朝から晩まで農作業をして働いて、空いた時間は自分のためではなく弟や妹たちの世話に費やした。
身体を休めるのは、寝ているときと、教会で教えを聞く時間だけ。
愛されなかったわけではないが、特別大切にされていた覚えもない。いくらハイネの見た目が美しくても、それだけでは腹は膨れない。貧しい生活に必要なのは、美しさよりも働き手だ。
年頃になったハイネには、いくつかの縁談の話が持ち込まれていた。地元の地主や、近くの商家の息子、父親よりも年の離れた相手の後添えというのもあった。
何人かと顔を合わせてみたが、値踏みするような視線が嫌だった。それでもいつかは、誰かに嫁がなければならない。きょうだいが育つごとにますます食べるものにも困ってきていたから、口減らしの必要もあった。少しでも裕福な家に嫁げば、家の役にも立てるだろう。
だから、聖女に選ばれたときは、嬉しかった。
これで自分も、両親も、弟妹たちも、楽になれる。
なによりも、嫌いな相手と結婚しなくて済むのだ。
神がどんなものかはわからなくとも、神の花嫁になれば幸せになれる。
村を出発するとき、ハイネも、両親たちも、笑顔だった。唯一まだ小さい弟だけは別れを惜しんで泣いていたけれど、誰もが幸せを信じて疑わなかった。
だけど、現実は違っていた。
真実を知ったのは、聖女のための塔に入るとき。北の山で行われる儀式について聞かされて、ようやく過ち――否、騙されていたと気がついた。
優れた容姿も、清らかな心身も、体の良い設定だ。この国はこんなにも広くて、あんなにも人で溢れていた。小さな村の少女が、国一番の美人であるはずがない。王都で拝謁した王族や貴族のほうが、田舎から出てきたハイネよりもよっぽど美しかった。
ハイネが聖女に選ばれたのは、容姿と身分の低さからだ。この世から存在が消えたところで、取るに足らない人間だからだ。
だから、悪魔に霊力がないと言われたときは嬉しかった。悪魔にとって容姿の善し悪しは関係ないと言われて、嬉しかった。
自分に聖女の資格はない。聖女でないなら、花嫁にならなくてもいいはずだ……!
私は聖女なんかじゃない。聖女になんか、なりたくなかった。
だけど、誰も助けてはくれない。塔から、出してはもらえなかった。
聖女を守る結界なんて嘘。本当は、聖女を逃がさないためのもの。聖女の塔は、聖女を閉じ込めるための檻。
塔は、選ばれた聖女がこの世のすべてを諦めるために建っている。
だから、ここにはなにもない。僅かな期待すら抱かせぬよう、聖職者たちでさえ近寄らない。
夢も希望も憧れも、すべてが削ぎ落とされていく。親にもきょうだいにも友人にも、もう二度と会うことはない。遠く離れた故郷にも、もう二度と足を踏み入れることはない。
ただひたすらに北の山と、己の命と、運命だけに向き合わされる。
生きる気力が失われていく、最果ての場所――。
なのに、ハイネは悪魔と出会ってしまった。
悪魔だけは、ハイネを気に掛けてくれた。見たかった海を代わりに見て、懐かしい故郷の花を届けてくれた。聖女を食べようとしているのに、なぜか悪魔はやさしかった。
いつの間にか、悪魔に会える夜だけが、ハイネの楽しみになっていた。
あんなに楽しみだったのに、ハイネの目の前には、夜よりも暗い闇が広がっている。
白い簡素な衣装を着て、たくさんの聖職者たちに囲まれて、岩山を登り続けた足にはところどころ血が滲んでいる。
そうして辿り着いた、北の山の頂――火口にできた大きな穴。
生贄はそこから身を投げる。それが、神に花嫁を捧げる儀式。
吹き上げてくる風がワンピースの裾を揺らす。こんな暗い穴の奥に、神が在るとは到底思えなかった。
「では、聖女様。あとはお任せします」
ハイネを取り囲んでいた聖職者たちが少しずつ後ずさっていく。だけど、決して逃げ出せそうもなかった。聖女が身を投げるまで、彼らはそこで見張っているだろう。
そこに見知った顔はない。家族も、きょうだいたちも、友人も、だれも聖女の末路を知らぬまま、ひっそりと人生を終えるしか道はなかった。
いつかの悪魔を思い出して、強張っていた頬がほんの少しだけ緩んだ。
――助けてもくれない神や、見知らぬ人間のために死ぬのなら、自分を必要としてくれる悪魔のために、死ねばよかった……。
自分がいなくなったあとの幸せを願わなければならないのに、やっぱり私は聖女じゃない。
聖女には、なれなかった。
そして、ハイネはなにもない闇へと足を踏み出す。
名前も知らぬ相手を、想いながら。
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