派遣の美食

ラビ

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四皿目-塩レモンと鱚

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※本作はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには一切関係ありません。

 南瀬夏樹が「そいつ」と最初に会ったのは春頃だったろうか...。

「アァん?ナンつった今。コラ」
 ...南瀬の所属しているスポット派遣、もしくはバイト派遣は、誰でも気軽に働けるので、その派遣スタッフの顔ぶれは高卒から老人まで多岐に渡るが、その大部分は職に溢れた食い詰め者である。
 好意的に見れば、まともな職に着けないはみ出し者達の受け皿とも取れる訳だが、当然こう言う者が多いのも仕方無いのかも知れない。

「貴方の持ち場は、貨物に指定の伝票を添えるのと、送り先が変わった時に荷物の向きを変えて目印にする事でしたよね?」
「それがどうしたよ!この忙しいのに呼び止めてんじゃ...」
「今朝からずっと、目印を付けずに荷物を流してるじゃないですか。混載しかけて何度も積み直ししているんですよ」

 今日の南瀬の仕事は、宅配業社で貨物の積み込みと仕分けをしていた。
 現場に『ローラー』と呼ばれる、アルミやスチールで出来た文字通りのローラーを並べて、梯子状に組んだ物が設置され、手動のベルトコンベアとして物を乗せて動かすのに使う。
 一台3、4メートルある物を連結し、それぞれの担当の作業をした貨物をどんどんローラーで流して次の作業へ引き継ぎ、最後の最後に南瀬が「カゴ車」と呼ばれる可動式の檻に似たコンテナに積み込む。注意点は届け先毎にカゴ車を新しく入れ替えるだけだった。...だけだったのだが。

「ウっせーな!その位の事も出来ねーのかよ!」
「それは貴方の仕事でしょう。私は貴方のミスのフォローをしているだけです」
 どんどん送られてくる貨物の宛先を一々確認して手を止めていたら作業が進まない。
 だから宛先毎に束ねられた伝票を管理している担当が目印で知らせ、南瀬は速度を優先しつつ可能な範囲で確かめる程度。そう言う段取りになっていた。
 だが、それが全く守られて無かった。蒸し暑い倉庫内の作業で苛立っていた事もあり、すぐ手前の担当と喧嘩になりかけたが、落ち着いて話を聞いた所、原因は三つ手前の担当の、このやさぐれた中年男が仕事をしていなかったせいだと解った。しかも、周りが何度注意しても聞き流していたらしい。

「...ケッ!話になんねーな!」
 もう話す事は無いとばかりに男は作業に戻った。
 ...実際スポット派遣をしていると、かなり柄の悪い連中と顔を会わせる事も多い。しかし、それでも大半は気さくに挨拶してくれるし、最低限仕事意識を持って居り、普通に仕事のやり取りが出来るのだが、この男の様にその「最低限」すら持ち合わせて居ない、どうしようも無いのが偶に居る。手を出さないだけマシ…などと言える段階では既に無かった。

「...よく分かりました。貴方の事は上の方に報告させて貰います」
「...ア!?ちょ、待てやコラ!」
 振り返って喚く男を放置して立ち去った南瀬は、そのまま派遣先の社員にありのままを報告した。...最初に報告した社員は事無かれを決め込もうとしている様子だったので、更に上司を探して。

「あーアイツかー。御免ねー、アイツ以前から問題多くて」
 南瀬から話を聞いた派遣先の上司は、直ぐに状況を理解すると男からも事情を聞きに行った。
 男は如何に正しいのは自分だと主張していたが、その内に昼休みの時間になった。そして昼食を取りに移動する南瀬達を派遣先の上司が呼び止め、午後からあの男は配置を変える事を伝えて来た。

 ...後日、その男を見る事は無くなった。

「...完」
「へ?麻雀っスか?」
「...いえ、何でも」
 休憩スペースに移動して電子レンジを借りる列に並んだ南瀬だが、さっき喧嘩になりかけた、すぐ手前の担当をしていた青年に話しかけられた。

「それより、さっきはすみませんでした。間に挟んで迷惑をかけてしまって」
「良いっスよ。前からアイツ皆から嫌われてたし。それに、アイツにハッキリ言ってくれて、スカっとしましたから!あ、俺、須賀(すが)って言います」
「...南瀬です」
 外見年齢で言うなら、例の男ーー南瀬は名前を聞いた気もしたが、どうでも良いので忘れたーーが一番年上の中年で、須賀が成人したばかり、南瀬は二人の間位に見えた。
 話を聞くと、例の男とは同じ派遣会社の所属で、相手が年上なのと、少しヤバそうだったので強く言え無かったらしい。
 人海戦術を頼みとする流れ作業だと、複数の会社から派遣スタッフを募り、一定期間、一定の人数を維持、調整するのはよく在る事だった。
 そして同じ派遣会社のスタッフ同士での衝突もまま在るが、これが別の派遣会社になると、更に揉める種に事欠かない。送迎バスの有無や、業務時間等の微妙なズレを派遣先がろくに管理していないと、派遣スタッフ同士が混同して揉めたりする訳だ。

 そうこうしている内に、南瀬がレンジに入れた弁当が温まって、匂いが漂って来た。

「...ちょ!何スかその弁当!スッゲー良い匂い!」
「...そうですか?」
 気が付くと、周りも少しザワ付いてこちらを伺っていた。

(...少し迷惑だったかな。コレを弁当に詰めるのは、控えた方が良いか)


 ...少し遡って前日の休み。南瀬は冷蔵庫から大きめのジャム瓶を取り出した。

「そろそろ使えそうかな」
 リサイクルショップで見つけた、アンティーク調のガラス製のジャム瓶の中には、くし切りにされたレモンがみっしり詰まっていた。
 蜂蜜漬けか砂糖漬けか。見た目涼やかで、そのまま部屋の彩りに飾りたくなるが、もし摘み食いをする奴が居たら、さぞ面白い反応をしてくれるだろうなと、南瀬は珍しく笑った。

 中身は、年明けに南瀬が仕込んだ「塩レモン」だった。肉料理等に風味付けをしたり、菓子に使ったりする物で、夏頃から何度か作っていた。
 独り暮らしなら一瓶で事足りそうに思えたが、実家に帰省した時に披露したら、好評過ぎて半分分ける事になり、追加を仕込む事にしたのだった。

「タレに添えて焼肉を食べるだけで、えらいサッパリして食べやすくなった物なあ...。塩味のはずなのに肉が甘く感じたし」
 当時流行っていたのと、保存の利く彩りは使えると踏んだので、試しに作って見たら、思ったより使い勝手が良かった。

 作り方は先ず、空の容器を煮沸消毒する。鍋に湯を沸かし、沸騰してから容器を五分も煮たら乾かして置く。
 その間にレモンの下拵えを始めた。用意したのは安い外国産のレモンだが、外国産レモンは皮に保存用のワックスなどが付いてたりするので、先に落とす必要がある。
 まず流水に十分程さらし、一旦水から上げたら、粗塩を手で擦り込んで表面をもみ洗いし、又十分流水に晒したら水を切って完了。レモンの皮に擦り傷が付く事で香りが立ち、作業していて気持ちが良い。

 レモンのヘタを上下切り落としたら計量し、総重量の25%の塩を用意する。仮にレモン一個辺り100gなら25g。三個なら75g必要になる訳だ。
 ボウルにくし切りにしたレモンを入れて、計量した塩を全部まぶしたら、三分の一だけ容器に詰め、黒コショウを粒のまま大さじ三分の一杯、少し葉を裂いたローリエを一枚乗せる。

 後は残りの材料を全て詰め、清潔な手で中味をぎゅっと抑えてレモン同士を密着させたら蓋をする。
 この時、雑菌が入るのを防ぐため南瀬はしっかり手を洗った後、除菌アルコールまで手に擦り込んだ。

 そのまま常温で三日間。一日一回容器をひっくり返して、汁気と塩を混ぜたらまた清潔な手で抑える。汁気で全部浸るのが理想なので、多少果肉を潰す位のつもりで。

 三日以降は冷蔵庫に移したら後は放置して、合わせて一週間でひとまず完成。それでもやはり三ヶ月は漬けた方がエグ味が取れて美味くなると思う。
 塩の量にもよるが、冷蔵庫に入れて置けば一年以上は保つらしい。

 早速塩レモンを使う事にした南瀬だが、この日は天ぷら用の鱚と鱈の切り身が手に入ったので、一工夫してみた。

 まず仕込みから。
 鱈はそのまま、鱚は開き、皮ごと微塵切りした塩レモンと、胡椒、おろし大蒜、おろし生姜、日本酒を足してよく揉み込み、冷蔵庫に四、五時間程保存する。
 冷蔵庫から出したら、片栗粉と小麦粉を混ぜた粉をよくまぶして、余分な粉ははたき落とす。

最後は180度の油に静かに落とし、衣がカリッとしたらすぐ引き上げて、しばし休ませたら...、

「バタードフィッシュ、レモン風味...いや、素直に白身魚の唐揚げと言うべきだろうか...?」 
 魔改造をし過ぎて、南瀬自身混乱している様だ。
 バタードフィッシュ。別名フィッシュ&チップスは、バッター液と呼ばれるイギリス独特の調味液の衣で揚げた魚と芋の素揚げが一般的だ。
 しかし直訳すると「魚の衣揚げ」なので、勝手に拡大解釈して「これもバタードフィッシュだ!」と言い張って、勢いでフライドポテトまで添えた物の、ふと冷静になったら、ただの言葉遊びな事に気付いてしまった南瀬であった。
 過去に一度、普通のバタードフィッシュを作って見た物の、バッター液の味が強すぎて素材の味を損なっている事に気付いたので、余計にそのまま作る事に抵抗を覚えたのもあった。

「...思うにアレ、元は古くなった魚を処分する為の料理だったんじゃ...」
 チキンナゲットを作った時も思ったが、タネ肉に肉汁等の個性が無いと、バッター液の味で塗り潰されて、衣だけを喰っている気分になる。
 淡白な白身魚ではひとたまりも無い。寧ろ古い魚の生臭さを消す知恵なのだろう。日本人の魚への拘りからすれば真逆の発想だった。


「へー。鱚の唐揚げにレモンっスか。美味そー!」
 裏事情まで話す必要も無かったので、適当に説明すると、須賀は食い入る様に南瀬の弁当箱を覗き込んだ。
 ご飯にオカカ梅のディップ。ほうれん草の胡麻和え。そしてフライドポテトと一緒に盛られた鱚は、一見天ぷらの様にも見えるが、色の薄い衣にポツポツとレモンの皮の欠片が混じっているのが分かる。
 見栄えは地味だが、漬けダレの大蒜等とレモンの香りが混じった物が加熱された途端、酷く食欲をそそる香りが広がった。

「...いただきます」
「あ...い、イタダキマス」
 南瀬が手を合わせると、何故か須賀も唱和して昼食を食べ始めた。
 メインの鱚を取ると、やはり衣がふやけているが、気にせず頬張る南瀬。
(...うん。香りもそうだが、レモンピールのほろ苦さが良いアクセントになってる)
 ほろほろと崩れる鱚から感じる旨味は、ちゃんと生きて居る。漬けダレは成功していると思った。
 それに揚げ物にレモンは定番だが、それは時間を置いて湿気った揚げ物にしみた油の重さを誤魔化す意味もある。揚げ立ても勿論美味かったが、これはこれで美味い。むしろ弁当向けだと思ったが、さっきの騒ぎを考えると...。
 ...ふと顔を上げると、対面の須賀が、こちらの弁当をチラチラ見ながら大盛りのカップ焼きそばをもそもそと啜っていた。後はジュースのみで、他におかずは見当たらない。
(若いからなあ...)
 金が無いのか、単に好き嫌いか。今は体力で誤魔化せるが、栄養のバランスの悪い食事はいずれツケが来る。
 そう言えば、以前暑い盛りで少しきつい力仕事の現場に、自分と一緒に派遣されたのが酷く痩せている少年で、食事自体に興味が無いと、ろくに腹に入れずに荷降ろしをして、案の定倒れ掛けてた。
 見かねて塩飴を分けたら貪る様にボリボリ齧っていたが、今もちゃんと生きて居るのだろうか...。
(...と言うより、データのみで考え無しに現場を振る派遣会社には時々殺意を覚えるな...)

 目の前の須賀はまだ体格がしっかりしているし、自分が気にする様な事では無いと思ったが...。

「須賀君。良ければこの鱚...ひとつどうですか?」
 断られたら別に良いと、社交辞令程度のつもりで言ったら。

「マジすか!ゴチになります!」
 一瞬の迷いも無く、須賀は鱚を摘んで頬張った。

「うっ!.........マー!何すかコレ!こんな美味いの初めて喰ったっスよ!」 
「そ、そうですか。それは善かった」
 南瀬は一瞬不味かったのかと内心焦った。須賀は鱚をよく味わってから飲み込むと、料理の出来栄えを称賛した。

「いや、ホント美味いっス!...いーなー、こんな弁当作ってくれる嫁さん居るなんて」

「......」
 ここで『実は私が作りました』と言ったら、何か悪い気がしたので、南瀬は黙って置く事にした。

 不特定多数の派遣スタッフの顔等、一々覚えて居ない南瀬だったが、以来この須賀とは現場で何度も顔を会わせる事になる事を、この時は知る由も無かった。

ともあれ。今日の所は...、何故か須賀まで一緒に手を合わせて、
「「ご馳走様でした」」
ふたりは箸を置いた。


ー完ー
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