派遣の美食

ラビ

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六皿目-秋刀魚のアヒージョ

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※本作はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには一切関係ありません。

「...はい、これで全員揃いましたね。では出発します」
「「はーい」」
 駅前で点呼を取り、数人の男女を先導する男、南瀬夏樹。
 求職活動を続けながら、普段はスポット派遣でアルバイトの様な仕事をしている、今時どこにでも居る青年である。
 そう、今日の彼の仕事はツアーコンダクター...。

 では無く。

 業務内容自体は普段と同じ軽作業だが、派遣会社側から今日の現場に新規で入るスタッフを迷わない様に誘導する様に言われていた。
 勤務指示に行き方の詳細があるので、普段は各自それに従って移動するのだが、現場が大抵は大型倉庫である以上、自然と土地の余って居る僻地に行かされる事が多く、当然道に迷う事も多い。
 なので行った事のあるスタッフに白羽の矢が当たるのだが、これを嫌がるスタッフも多い。

 何故なら、この点呼・引率は只のボランティアだから。
 待ち合わせの都合上、他より早めに集合場所に到着し、メンバーが揃っているか管理しなくてはならない。
 もし人が足りなかったり、はぐれたりしたら会社に連絡を取ったり探したりと面倒事が増える。
 にも関わらず点呼に指名された者にはボーナスが有るでも無く、何も補填されない。
 だからと言って、真向から拒否し続けると今後の仕事が減るかも知れない。つまりは立場が弱い派遣スタッフの足下を見て、時間外労働を押し付けている訳だから、普通は進んでやりたいとは思わない。
 南瀬も嫌々引き受けざるを得無かった口だったが、特に問題も無く全員を民間バスに誘導しているその表情は、いつもの無表情の仏頂面より若干柔らかい。...周りの人間がその違いに気付けるかは疑問だが。

(銀杏が落ちてる...。もうそんな季節か...)
 バスを降りると僻地故、道端のそこかしこが鬱蒼と生い茂っている。そんな中を先導する南瀬だが、紅葉や木の実等、自然を楽しむ余裕が感じられた。

「はい。この看板が立っている区画の、ここから右に二回曲がった所が本日の現場になります。帰りも目印になりますので、この看板を覚えて置いて下さい」
「「はーい」」

 南瀬は来月から本職の広告・印刷関連の仕事で、派遣契約が取れた。
 正社員を前提とした紹介予定派遣では無く、2、3ヶ月のみ。この期間が切れたらまたこの生活に戻る確率は高い物の、収入はバイト派遣の比では無いので、ひとまず生活が落ち着くのは確かだった。

(だが、ブランクが出来てしまったし、勉強し直したりと、問題は色々山積みだな...)
 南瀬はこうした短期契約は初めてでは無い。何度か厳しい選考をくぐり抜けて契約を勝ち取り、新しい職場で更に新しい技術を学んで次に活かしていた。
 勿論それだけでは足りないので、今迄触れて無かった範囲も、空いた時間に勉強し直してもいた。

(とは言え、ずっと切り詰めていた訳だし、何か前祝いしても罰は当たらないよな...)
 到着した現場に荷物を置きながら、南瀬は早くも帰ってからの事を考えて、少し浮ついていた。

「そこの派遣!そんなやり方教えて無いだろ!」
「すいません!」
 ...そして、案の定作業ミスを起こして怒鳴られる南瀬であった。

 それは兎も角。

 無事に仕事を終えて、自宅の最寄り駅に着いた南瀬は、スーパーに立ち寄って居た。

(思い切ってステーキ...。いや、折角の秋だし、久しぶりに松茸でも...)
 『香り松茸、味しめじ』と、最近評価の落ちている松茸だが、南瀬は今もって松茸は大好物だった。滅多に食べられ無い事も有るが。
 松茸ご飯や土瓶蒸しも良いが、南瀬は矢張り分かり易く丸ごと七輪で炙るのが一番だと思っている。
 酢橘(すだち)を搾って醤油を振り、豪快にかぶり付く。あの歯応えと香りを同時に楽しむのが最高なのに、わざわざ刻んで香りを移してしまう他の料理は、何とも残念に思えてしまう南瀬であった。

 因みに『味しめじ』のしめじとは、一般によく食べられて居る養殖物の『ブナシメジ』では無く、松茸同様、天然物しか採れない『ホンシメジ』の事を指すのは意外と知られて居ない。
 しかも、近年まで『ブナシメジ』を『商標名:ホンシメジ』として流通していたのが、ようやく正されたのだから、余計に話をややこしくしていた。
 本物は非常に旨味が濃厚な茸で、正に『味しめじ』の名に相応しい、松茸以上の幻の美味らしいが、流石に南瀬も食べた事が無い。
 まあ、手に届か無いしめじの事は考えても仕方が無いので、今は手に届く松茸を...。
 ここで南瀬は松茸に延ばした手を、はた。と止めた。日雇いから月契約の仕事に切り替えるのだから、纏まった収入が入るのは一月以上先。それまでは今の蓄えを切り崩して細々と生活して行か無いとならない...。

「...とほほ...」
 外食は勿論、高級食材も以ての外だと、しょぼくれてスーパーを出ようとした南瀬が水産生鮮コーナーを通り抜けようとした時、ふと目に止まる食材があった。


「秋刀魚か...」
 安アパートに帰り、まな板に乗せたのは確かに、よく脂の乗った、銀色に眩しい立派な秋の味覚であった。
 これも分かり易く塩焼きに醤油と酢橘が美味いと思う。大根おろしを添えても良いし、身を先に頂いてから、秋刀魚のワタで一杯やるのも捨て難い。

「いやいや、そうでは無く......いや、その通りだが」
 そう。酒の肴に添えるなら充分だが、おかずで食べるにはちと物足りない。
 南瀬の健全な胃袋なら、飯と味噌汁付きで2、3匹は軽く平らげられるだろう。
 だが、一晩満足しただけで、これからの極貧生活を乗り切るのは辛い。出来れば何日かに分けて楽しみたいが、生臭物が日持ちし辛いのも分かり切っている事だ。
 南瀬は以前、秋刀魚の炊き込みご飯を炊いた事があった。秋刀魚の出汁と脂のしみた飯は確かに美味く、満足感も良かったが、やはり日を置くと生臭くなる。炊いたその場で食べ切るべき料理だった。
 諦めてとっとと焼いてしまうか...。戸棚から食材を取り出そうとした南瀬の目に止まったのは、オイルサーディンの缶詰だった。

「待てよ...、...うん。試して見よう」
 南瀬はエプロンの紐を締め直すと、さっそく試作を始めた。
 先ず秋刀魚のワタを取り、頭、尾を落とし、水で血を濯ぎ落としたら、骨ごと2、3等分の輪切りに。
 ワタは勿体無いので後で炙って食べて仕舞おう。
 大蒜をざっくり厚めの輪切りに。
 唐辛子を三本の内一本だけ細い輪切りにして置く。
 そしてパセリを微塵切りに。


 下拵えが済んだら中華鍋の底に秋刀魚を並べ、用意した大蒜、唐辛子と、ローレルを入れ、黒胡椒の粗挽きと塩をかけたらオリーヴ油をひたひたに入れる。
 かなり贅沢な使い方だが、オリーヴ油の特大ボトルを特売の時に仕入れられたのは運が良かった。
 鍋を強火にかけ、秋刀魚から気泡が出始めたら中弱火に落とし、15分位蓋をせずにコトコト煮る。秋刀魚が油から少しはみ出て居るので、その部分にお玉で鍋の油をかけてやる。
 火を止めたら、刻んだパセリを混ぜて...。

「秋刀魚のオイルサーディン仕立て...。いや、オイルサンマーはどうだろう」
 何が『どうだろう』なのかは分からないが、南瀬は保存性の高いオイルサーディンの作り方をヒントに、秋刀魚をオイル煮にして見た。
 ブツ切りにされた秋刀魚と大蒜の香りは食欲をそそり、唐辛子やパセリの彩りも美しく、日本食の代表だった秋刀魚が見事な洋食に成って居た。
 こうした保存食は昔から有り、魚や肉で作った『コンフィ』や『アヒージョ』が有名だった。油に漬けたままにして置けば、缶詰にし無くとも一月以上は持つ。
 南瀬が作ったのも、さしずめ『秋刀魚のアヒージョ』に当たるのだが、後日調べ直すまでドヤ顔で『オイルサンマー』と名付けて居た自分が恥ずかしくなり、頭を抱えて転げ回るのは、又別の話である...。

「さて、どうだろう...。いただきます」
 南瀬は先ず秋刀魚を小鉢に盛り付け、そのまま試食して見た。
 すると、秋刀魚の一番大事な『脂の旨味』が増幅された様な衝撃を受けて、思わず刮目して叫んだ。

「うまっ!」
 アヒージョは元々ペペロンチーノの派生の様な調理法で、油で食材の出汁を取るのが特長である。そして油の中でも特に軽く身体に良いオリーヴ油を使う事で、言わば『飲める香味油』を作り出す。
 して見ると、身のパサ付きが一切感じ無くなり、しっとりとした身と脂の旨味だけを味わえるこの調理法は、秋刀魚との相性が最高に良いのかも知れない。
 作る時、塩加減は控え目にしていたので、今度は醤油を垂らして見ると、これも又美味い。旨味と塩気だけで作って居るからか、気分次第で色々な味付けが楽しめそうだ。

「これは保存食と言うには贅沢過ぎるな...。と言うか、この油をスパゲッティに絡めるだけで上物のペペロンチーノに成るんじゃ...」
 早速試して見る南瀬。
 秋刀魚の出汁の取れた油を少し取り分けて再加熱し、スパゲッティの茹で汁を少し混ぜて乳化したら、スパゲッティをさっと絡めて適当に盛り付けてみる。

「...これレストランで出されたら、一皿で三千円位取られそうだな...」
 ファミレス以上の店に入った事が無いので適当な事を言っているが、南瀬はとても家で食べられる味では無いと思った。
 酢橘の代わりに以前仕込んだ塩レモンを添えたのも良かった。初めは秋刀魚の旨味を味わい、物足り無くなった所で搾ると、程良い塩気とレモンの爽やかさで幾らでも食べられそうだ。

「これで当分楽しめるな...」
 身を食べ尽くしても、最高の出汁の取れた油は残る。これで炒飯等、炒め物に使うだけで別物に化けるだろう。
 次は何に使うか。それを考えるだけで次の給料日まで持ち堪えられそうだと思った南瀬であった。

ともあれ。今日の所は...、
「...ご馳走様でした」
南瀬は箸を置いた。

ー完ー
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