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八皿目-バターと明太スパ
しおりを挟む※本作はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには一切関係ありません。
「......」
カタカタと。
少し手狭なオフィスに響くのは、タイプ音と電話の遣り取りをする声。後は時折しわぶきの音が混じるだけ。
何かラジオなり着けるでも無く、実に静かだった。
「南瀬さん。どこまで進みました?」
「はい。今百ページを越えた辺りまで修正出来ました」
「おっ、結構進んでますね。もう定時なので、続きは又週明けにお願いします」
「分かりました」
就活男子...と言えば聞こえは良いが、職に溢れて奔走して居た青年、南瀬夏樹。
日雇い派遣でキツい仕事に耐えて生活費と就活資金を稼いで居た彼だが、短期契約とは言え、漸く本職の広告関係の仕事に復帰が叶った。
仕事の空白期間に寄る、仕事への対応力の低下が怖かったが、会社側も様子見程度の仕事を振って来た事も有り、初日は何事も無く終了した。
「それでは、お先に失礼致します」
「「お疲れ様でしたー」」
落ち着いた職場。順調な仕事。
今迄の、誰もが追い詰められて互いの間違いを罵り合う、殺伐とした現場とは別世界の様だった。
(...穏やか過ぎると思ってしまうとは、少し染まり過ぎだな)
荒っぽい仕事に慣れ過ぎてしまった事に自嘲しつつ会社を後にする南瀬。
外は瀟洒なレストランや雑貨屋等が建ち並ぶ、上品な繁華街だった。
南瀬も普段のジーンズとTシャツでは無く、暗系色で落ち着いた感じのオフィスカジュアルで纏めているので、普通に街に溶け込んでいる。
だが今の南瀬に、この街並みは目の毒だった。
(...美味そうだな...)
オープンテラスや壁一面ガラス張りの、見通しの良い店舗が多いので、綺麗に着飾った男女達が口にする料理に、南瀬はつい目で追って仕舞う。
食事を楽しんで居る女性と、ふと目が合いそうに成ったので逸らした時、相手が頬を赤らめて居た気がした南瀬だが、
(...喰ってる時に他人に見られたら、確かに何か気不味くて恥ずかしく成るよな。不審者扱いされ兼ねないし、気を付けないと...)
...此処で出会いが始まったりし無いのが、南瀬の南瀬たる由縁だろうか...。
それは兎も角。
南瀬に初給が入るのは当分先。平日の昼はカップ麺で済ませ、土日のスポット派遣では力が居るので手製の弁当を食べて耐え忍んで居た。
勿論それだけでは持たないので、朝晩の食事で栄養の管理をしていた。何せ約一月余りを休日無しで働く積もりで居るので、倒れたら元も子も無い。それに...、
(ああ。あのパスタも美味そうだ...)
根っからの食道楽なので、気を緩めるとフラフラとレストランに入りそうになる。元々、外食に寄る散財を防ぐ為に料理を覚えたのだから。
後ろ髪を引かれる思いでレストランを通り過ぎると、南瀬は真っ直ぐ家に帰った。
鞄を置いて軽くシャワーを浴びた南瀬は、早速とばかりに冷蔵庫の残りを確認した。
「明太子がまだ残っているな...。明太スパにするか」
洒落たレストランのメニューの代表の様な印象もあるパスタ料理だが、金の無い時は茹でて何かしら和えるだけで、それなりにご馳走に見えるので助かって居た。
「暫くはパスタ週間かな...」
等と呟きながら、冷凍庫から小ぶりのタッパーを取り出す南瀬。中身はバターだが、市販の物と違い、もろもろと泡立った様な歪な塊だった。そのお陰で凍って居ても崩して取り分けし易いのだが。
これは南瀬の手作りバターだった。その位買えば良いとは思うが、近年、牛乳も生クリームも有るのに、何故かバターの品薄状態が続いて居た。
普段、炒め物にはオリーヴ油。揚げ物にはサラダ油を使い、バターはどちらかと言うと風味付けに使うので、出番は少ない上傷み易い。
しかし使う時に買えないと困るので、南瀬は時折バターを作っては冷凍保存していたのだった。南瀬の好きな『こんな事も有ろうかと』である。
作り方は、生クリームを只管振る。それだけだが、かなり勢いよく、しかも十分間休まず振らないとバターには成らない。
五分程度で止めるとホイップクリームに成り、そのまま続けると漸く水分と脂肪分に分離される。
脂肪分は当然バターで、水分は『ホエー』と言って、シチューや菓子等に使われる脱脂乳で有る。
最初シェイカーで試作して見た南瀬だが、
「...生クリームの紙パックを未開封のまま振った方が後片付けが楽だったな...」
と、上がらなくなった腕を擦りつつ独りごちていたのは、まあどうでも良い話だった。
通常、塩をバターの重さの数%練り込むのだが、特に必要無いと南瀬は無塩バターにした。
さて、『鱈スパ』や『明太スパ』と言えば、日本発祥の魔改造料理でよく知られて居る人気パスタ料理だろう。
実の所、『ナポリタン』だの『ミラネーゼ』とか言った如何にも本場イタリア発祥と思われているパスタ料理も、実は日本産だったりする。
なまじイタリア料理、特にパスタ料理が日本人の好みに合う物だから、より日本人向けの魔改造が進んだ結果、イタリア人が
『こんな物はイタリア料理じゃ無い!』
と訴えつつも、逆輸入された日本式パスタが、イタリアを含めて海外で徐々に人気を上げて居るらしい。
話を戻して、明太スパの作り方だが。先ず明太子ソースを作る。
明太子を一腹、中身を搾り出してボウルに開け、醤油を少々振り掛けて、バターを湯煎で溶かしつつ和えたらソースの出来上がり。
簡単な様だが、加熱すると直ぐ焼き鱈子の様にボソボソに成ってしまうので、ソースにするなら生で扱わないと成らない。焼き明太が良いなら、トッピング用に取り分けて別に焼いた方が良いだろう。
後は茹でたスパゲッティを和えるだけでもレストランと変わらぬ鱈スパになるが、南瀬は自分が飽き無い様、その日の気分や腹具合でアレンジする事も多かった。
バターが再凝固し無い様に、ボウルごと湯煎に掛けたままにして置いて、南瀬は具と麺の支度に入った。
ただ明太ソースを和えるだけなら湯煎は必要無い。茹で立ての熱い麺を絡めれば済むので寧ろ楽なのだが、今回南瀬は敢えて明太ソースを別にした。
「...どうでも良いけど、何でコレ作って居ると、脳内にマヨネーズ会社が昔流してた鱈スパソースのCMソングが流れるんだか...」
兎も角、南瀬は大蒜とじゃが芋をひとつづつ薄く輪切りにして、フライパンで弱火のバター焼きに。
その間、普段使う1.6ミリのスパゲッティを、麺茹で用のレンジクッカーで茹でる。一人前は通常100グラムだが、腹が減って居るから150グラムの大盛りで。
放置して居ても安全だし、狭い家庭用焜炉で油物と煮物の鍋を並べて調理して居ると、互いの鍋に水と油が飛んで料理が汚く成る事が有るので、このレンジクッカーは重宝していた。
大蒜とじゃが芋に火が通ったら仕上げに醤油を回し掛けて、皿に移す。
入れ替わりに茹で上がったスパゲッティと油を捨てたツナ缶をフライパンに残った汁に和える。解れ難い様ならバターを追加。
中火で炒め、スパゲッティから水気が飛んだ辺りで、全卵の溶き卵を二個分落として火を止める。卵が半熟位に固まって来たら、塩で味を整えて、スパゲッティを先に皿に盛る。
先に炒めた具と、一緒に炒めたツナ、炒り卵、刻み海苔を盛り付け、最後に明太ソースを塗り付けて...、
「良し、なんちゃってカルボ風明太スパが出来た。流石に作り慣れると30分とかからないな」
カルボナーラは本来生クリームやチーズを入れるのだが、命名は後付けだった。
昔から我流で作って居た炒り卵を使ったパスタを、適当に『カルボナーラ風』と言い張って居るだけで有る。
普段はもっと雑に作るのだが、レストランの料理が羨ましかったので、盛り付けに少し気を使って見た様だ。
添えてあるスープも、市販のワカメスープをスパゲッティの茹で汁で溶いた物だし、差程金を掛けて無い割にはそれらしく見えた。
「...いただきます」
お気に入りの木製フォークでパスタを巻取り、明太ソースを付けて口に運ぶ。
余り余計な物を足して居無い分、明太子の風味がしっかり味わえた。
一人前辺り鱈子もしくは明太子一腹が適量だが、そうすると少し材料費が高く着くので、安い店だと最近は生クリームやマヨネーズ等を混ぜて延ばした鱈子ソースや明太ソースを使う所も多い。
味の為の工夫なら兎も角、水増しが目的なので当然不味かった。
「博多ラーメンの店入ったら、昔はそのまま出してた明太子が、明太ソースに変わって居てガッカリした事がたったな、そう言えば...」
外食の失敗談を思い出しながら、ワカメスープを啜り、バター醤油を利かせたじゃが芋を摘む南瀬。芳ばしく焼けたじゃが芋にツナやソースを付けるだけでも、充分酒の肴に成る。
鱈子ソースや明太ソースは、レモンを足して生臭さを消したり、出汁汁で深みを増したりと、工夫しようと思えば幾らでも変化出来る。
南瀬にとっても、鱈スパや明太スパは、まだ幾らでも美味く出来る、研究途中の課題に成って居た。
未だに答えの無い課題が、これ程楽しみで良いのだろうかと思う位だった。
そして、其れこそが南瀬にとって明日も頑張る原動力に成って居た。
「...さて。一心地着いたら、エクセル関数の復習でもして置くかな...」
ともあれ。今日の所は...、
「...ご馳走様でした」
南瀬はフォークを置いた。
ー完ー
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