派遣の美食

ラビ

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九皿目-フレンチトースト

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※本作はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには一切関係ありません。




 まず聞こえたのは、少し音量の高いラジオ番組だった。


「む......」
 世界情勢、天気予報、交通機関情報。そして当たり障りの無い流行りの話題と、間に挟まれる新曲が流れて来た辺りで、ベッドから手を伸ばしてラジオのボリュームを落とした。


「...ラジオのタイマーが早めにズレていたか」
 焦点の合わない目で気怠げに時計を見ながら、青年がロフトベッドから起き出した。


彼の名は南瀬夏樹。派遣社員として職場を転々とする、今時何処にでも居る青年だった。


 漸く目の焦点が合い、ベッドの梯子に足を掛けた辺りで目覚まし時計が鳴り出した。


「眠い...」
 南瀬は低血圧で寝起きが悪い。その為、遅刻対策にラジオと目覚まし時計が予定より若干早めに両方鳴る様にしていた。
 しかし、ラジオのタイマーはコンセントに仕掛けた安物を使っているので、たまに時間がズレる。
 買い換えようかとも思ったが、何となく愛着がわいて何年もそのまま使っていた。


「寝直したら遅刻するな...。朝飯でも作るか」
 寝汚い南瀬は二度寝、三度寝が当たり前で、遅刻した事も多く、面接等大事な用事で無いとギリギリまで寝ている。
 また、起きてもかなり動きが緩慢で、何時も支度に時間が掛かっていた。


 しかし、極まれに早起きした日は気紛れで朝食を作る事も有る。大抵は御飯を温め直して納豆で掻っ込むだけだが、今朝の南瀬は冷蔵庫の奥からバゲットを掘り出した。
 笹切りにして一切れだけ残って居たバゲットは、日にちが経って木材の様に硬く成っていた。
 日本では最近まで一緒くたに『フランスパン』で括られて居たパンだが、最近では細目の『バゲット』と太目の『パリジャン』に分類して売られる様に成って来た。
 駅前のパン屋の売れ残りが安かったので、パン粉にする積もりで買って帰ったのだが...。


「...フレンチトーストにしてしまおう」
 別名『ミルクトースト』とも呼ばれるが、割と昔から欧米諸国で親しまれている軽食である。作り方も色々あるが、南瀬は昔実家でよく作って貰ったやり方が簡単なので、そうした。


 まずは卵液作り。バゲットが収まる程度の小さな容器に全卵一個を溶いて、牛乳を同じ位と、砂糖を大匙一杯混ぜたら出来上がり。
 そこにバゲットを浸して五分。少し厚めに切ってあるので引っくり返してもう五分。浸す器が大きいと卵液が薄く広がってバゲットが吸い上げるのが遅くなる。


 卵液が染み込むまで、簡単に身支度を済ませ、下拵え中のバゲットを引っくり返しながらメールをざっと確認する南瀬。
 ほとんどがSNS絡みか、登録した派遣会社からの自動配信メール。後はいつ登録したのか分からない様な物ばかりだった。


「解約しても解約しても...。今度徹底的に弾かないとウイルスが怖いな...。後は...」
 スポット派遣の自動配信がやけに多いと思ったら、人の足り無い現場の緊急募集だった。


「おいおい...。これは無いだろ...」
 内容をよく見ると、南瀬の知っている中でも特に派遣スタッフを酷使するので嫌われている現場ばかりだった。
 『時間帯応相談』『短時間OK』等と有るが、時給制のバイトが短時間で特をするのは明らかに派遣先だろう。
 一番キツイ仕事だけやらせて『ハイサヨウナラ』にしたがっているのは明らかだが、交通費等経費で赤字になるのだから、誰でも他のもっと楽な現場を選ぶ。


「ここも永く無いな...。おっと時間だ」
 バゲットが頃合なので、南瀬はふやけ過ぎ無い内にフライパンを温め始めた。


 火を入れてバターを落としたフライパンに、中火でバゲットの片面に焼き目を付けたら引っくり返して、気持ち弱火で蒸し焼きにする。
 表面が固まったら皿に移して上にバターを乗せて、塩を一摘み掛けたら...、


「よし、フレンチトーストが焼けた。...いただきます」
 コーヒープレスからマグにコーヒーを注いで、トーストをナイフとフォークで切り分けて頬張る南瀬。
 外では缶コーヒーをガブ飲みする南瀬だが、家にはインスタントは調理用に使うミニボトルのみ。普段は豆から淹れたレギュラーコーヒーしか飲まなかった。
 一時は凝ってコーヒーメーカーの器具を色々買い漁っていた南瀬だが、流石に一々豆を挽いていられないので、粉で買ったのを風味が飛ばない様に冷凍保存していた。


 それは兎も角。


 サクリと齧ると甘い卵焼きに似たトーストの中からジュワっと染み出る卵液が、出汁巻きの様で美味い。
 コンビニ等で置いてあるのは日持ちし易い様、硬めに焼いてザラメを表面にまぶしている物が多い。
 少量の卵液を一晩掛けて吸わせたり、濃い目の卵液をマーガリンの様に塗って即焼くらしいが、南瀬はこの半生菓子の様なフワッとしたフレンチトーストが好きだった。
 もう少し時間があればマーマレードやらオレンジジュースやらを添えて一工夫しても良かったが、隠し味の塩で味の引き締まったトーストも、これはこれで美味い。
 昔はトーストに塩をバンバン振る、古いハードボイルドの探偵ドラマみたいな喰い方をする人達も居たらしいが。


「それにしても...、頭悪いなあ...」
 コーヒーを啜りながら、南瀬は先のスポット派遣の緊急募集メールを読み返していた。
 これだけ同じ現場の募集が繰り返されると言う事は、行った事の無い派遣スタッフに迄、それだけ酷い仕事だと知らせている様な物だろう。
 幸い平日の予定は当分デスクワークで埋まっているが、場合に寄っては食い詰めた挙句、涙を呑んでこの仕事を受けていたかも知れない。いや、実はこれまでに何度かあった。


 更に言えば、南瀬はこの派遣先に恨みがある。
 過去に、常日頃からヤクザ同然のフォークマンが一人、現場を取り仕切っていたのだが、新入社員を罵り倒して何人も辞めさせる程の限度を越えた口と態度の悪さに、上司から何度注意されても性根が直らず、派遣スタッフの間でも忌み嫌われていた。


 そして有る時、南瀬はフォークリフトに載ったその男に引っ掛けられた。その場は大事に至らなかったが、明らかな接触事故だった。
 にも関わらず、男は謝る所か『急に飛び出したお前が悪い』と逆に南瀬を罵倒した。
 現場は忙しなく人が走り回って仕事をしているのに、お構い無しで人の傍をフォークリフトを乗り回す。
 急げ急げと急かすばかりで安全管理を放り出している様な状態だったので、事故は起こるべくして起こった物だった。


 南瀬は警察に通報するか迷ったが、派遣先の上司と派遣会社に報告。そのフォークマンは徐々に肩身が狭くなり、それでも言動を改め無いまま、何時の間にか姿を消した。
 そして。その時の事故のせいか、今迄酷使された結果か。南瀬は腰を痛め、接骨院に通院する為に僅かな蓄えを切り崩さなくてはならなかった...。
 問題のフォークマンは居なくなったが、気が付くと常連になる様なスタッフは柄の悪い連中ばかりで、益々その現場は嫌がられる様になっていった。
 南瀬は他にもそんな現場を知っているが、最後には業績も上がらずに現場ごと潰れてしまった所を幾つも知っている。
 この現場もいずれ同じ末路を迎えそうだが、その方が不幸になる人が少なくて済むだろう。それだけは確実だった。


「...もうこんな時間か」
 南瀬はトーストの皿を空にし、マグに残ったコーヒーを煽った。
 今日も仕事が始まる。余り長期では無いが、ここから更に良い仕事に繋げるには、良い仕事をして成果を挙げるしか無いだろう。
 でなければ、何時まで経っても、こう言った禄でもない現場を回るしか無いのだから...。




 ともあれ。今日の所は...、
「...ご馳走様でした」
南瀬はマグを置いた。


ー完ー
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