派遣の美食

ラビ

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十皿目-蜜柑と鶏の唐揚げ

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※本作はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには一切関係ありません。


「...あ痛!?」
 残暑も抜けて秋らしくなって来た、とある朝に。

「つったつったつった!足吊った!痛たたた!」
 古いがそこそこ小綺麗なマンションの一室で、若い女性の悲鳴が響いた。

「くー...。油断したわ...」
 彼女の名は水谷鏡子(みずたにかがみこ)。
 派遣契約で事務職をしている、今時何処にでも居る様なOLだった。

「まだ暑いからって、タオルケットも掛けずに寝たから足冷やしちゃったのかしら...。やだなーもう...」
 痛みをこらえてベッドの上でふくらはぎの筋を伸ばして、ようやく落ち着いた水谷。
 顔を洗い、着替えて化粧を整え、簡単に身支度を済ませて歯磨きの前に朝食を始めた。朝食と言ってもトースターで焼いた食パンにスライスチーズを乗せて、スープ入りのマグを添えるだけだが。

「いっただっきまーす」
 スープはめんつゆを野菜ジュースと水で割った物で、忙しい日でも手軽に用意出来て、しかも美味しい。最近は朝の定番になっていた。

「はー...美味し。そろそろホットにしよっかなー。ショートパスタとか入れてミネストローネっぽくしてもいーなー...」
 このお気に入りのスープは最近作り方を知った物だった。


「いや、相変わらず美味いっスね、南瀬さん家の唐揚げ。コンビニのと全然違うっス!」
 昼休憩中。現場のテナント内に有る食堂で、実に美味そうに唐揚げをひとつ頬張る須賀。内心もっと欲しいのだろうが、待ち合わせて居るでも無く、仕事の現場が偶然重なった時に分けて居るので仕方が無い。

「やーねー。また騒いでるわよ、あのスポット君」
「食堂別にしてくれないかしら。倉庫内の隅っこで良いじゃない、バイト派遣って何か汗臭くて。せっかくのランチが不味くなるわ」
 スポット派遣達とは別のテーブルで。水谷を含めたOL達も昼食を取っていた。
 倉庫内には入らず、現場とはほぼ関わる事も無くオフィスルームで事務処理をしているだけの彼女達だが、テナント倉庫内の大型食堂は共有する事になっているので、不快感を隠せなかった。

「みーちゃんは平気なの?」
「...気にしちゃ駄目よ。てゆか、目を合わしちゃ駄目」
 みーちゃんと呼ばれた水谷の、彼等を背に断固無視の姿勢に気付いた二人は慌てて声を潜めた。

 同じ派遣でも、彼等の様な時期の低い軽作業に呼ばれる『バイト派遣』達は総じて柄が悪い。
 肉体労働が主なので服装が汚かったり、逆にけばけばしかったり。
 真夏でも長袖を脱がないと思ったら刺青が見え隠れして居たりと正直、関わり会いになりたくなかったが、ようやく取れた長期契約の職場が倉庫内の事務処理だったので仕方無かった。

 しかし、実の所三人の中で一番スポット派遣達のテーブルに近い位置に座り、食堂の弁当をつついている水谷は、こっそり後ろの会話に耳を澄ませていた。

(またアイツか...!野郎にあげる位ならアタシに寄越しなさいよ!)
 最初、水谷にすれば不定期でやって来るスポット派遣など、誰が来ようとどうでも良かった。

 だがある日の昼休み、弁当を温めるレンジを借りる列から、不思議な香りが漂って来た。
 レモンの様な、それでいて強烈に食欲をそそる香りに周囲がどよめく中、香りの元である弁当を取り出して席に着いたのは、凡庸そうな青年だった。
 ボロボロのジーンズとTシャツの、どこかくたびれた感じの男と、爽やかな香りを放つ謎の弁当との組み合わせは違和感すら感じた。

(...一体どんなお弁当なんだろ。美味しいのかしら...)
 興味はそそられたものの、近づく事も出来ず悶々としていると、その気持ちを代弁するかの様にスポット派遣仲間らしき男が弁当男から聞き出していた。

「へー。鱚の唐揚げにレモンっスか。美味そー!」
 弁当男の声は静か過ぎて余り聞き取れ無いが、以前雑誌等で話題だった『塩レモン』を皮ごと刻んでまぶして揚げたらしい事を絶叫男のお陰で知る事が出来た。
 ...ちゃっかり一切れ分けて貰い舌鼓を打つ絶叫男は妬ましかったが、その日の帰りにスーパーに寄った水谷は、店頭に並んでいた塩レモンとお惣菜の鱚天を買って来ると、小皿に盛った塩レモンに鱚天をほんの少し付けて、恐る恐る食べてみた。

「意外とイケる...!」
 話題になった当初は『またか』と流してすぐ新作の服の話題に移った位で興味も無かったが。
 成程、元々唐揚げにレモンは定番だし、皮まで食べられるほど漬かった事で、単調な酸っぱさにほろ苦いアクセントが混じって美味しかった。見栄えも、天つゆで真っ黒にするより小洒落ていて、いつもの殺風景な食卓が少しだけ華やいで見える。

「今度コンビニの唐揚げでやってみよ」
 普段料理をしない水谷は、スーパーのお惣菜や冷凍食品、コンビニの弁当等が夕食の定番だった。
 わざわざ作るのは面倒臭いし、作り方に興味も無かったが、そんな食生活が何年も続くと流石に飽きて来る。
 そんな折にこの塩レモン。ほんの少し変化を付けただけで、手軽に食卓が豊かになるのが嬉しかった。

「くっそー...。あのバイト野郎、どこでこんな嫁さん捕まえたのよ。アタシが貰いたいわ」
 絶叫男の話では、あの弁当男が食べていた弁当の塩レモンは、奥さんによる自家製だと言う。
 市販の塩レモンも美味しかったが、あの弁当程の印象的な香りは出ていなかった。一体どの様な作り方をしているのか、水谷には想像も付かない。
 水谷の脳内では、すっかり少女趣味なエプロンの似合う可愛い人妻が、毎日美味しい手料理を用意してあの仏頂面を送り迎えしている事になっていた。

 それからと言う物、後に弁当男が南瀬、絶叫男が須賀と言う事を調べた水谷は、昼休憩に居合わせる度に聞き耳を立てて情報収集をするのが習慣となった。
 毎回須賀が缶コーヒー一本と引き換えにお相伴に預かるのは業腹だったが、一々弁当のおかずの味に反応して大騒ぎするので、話がよく聞こえるのは助かった。
 ...須賀が居なかったら、盗聴機か集音マイクでも買おうかと半ば本気で考えていた位だ。

 先日も夏バテ対策の話題で南瀬が野菜ジュースでめんつゆを割って飲んだり素麺で食べると話していた。
 同僚達がゲテモノ喰いと馬鹿にしていたのに水谷も話を合わせていたが、家でこっそり試して以来、すっかりお気に入りになってしまったのだった。

「何か微かに果物みたいな香りがしますけど、レモンとは違うんスか?」
「ええ」
(...新ネタかしら!?)
 前に須賀が貰った塩レモンを使った、白い衣の鱚の唐揚げは、強烈に食欲を唆るレモンの香りで、幾らでも食べれそうだったが、その唐揚げは一見普通に見えた。
 しかし口に含んだ途端、塩レモンの時程は自己主張しないのに、変わった風味がして妙に美味い。
 だが複雑過ぎてその正体がよく分からなかった。

「...陳皮と言うのを知っていますか?」


「...そろそろ唐揚げを補充しないと」
 自宅で冷凍庫からチャック付のビニール袋を取り出す南瀬。中には鶏の唐揚げらしき塊が僅かに詰まっている。
 弁当用の常備菜として、南瀬は休みの日になると鶏の唐揚げとフライドポテトを大量に揚げては冷凍保存していた。
 鶏の唐揚げは南瀬の大好物で、多少続いても飽きない程だ。
 幸い近くのスーパーで鶏肉のキロ売りをしているので、自分で沢山作ればかなり食費が抑えられるのが有難かった。
 南瀬の作る唐揚げは元は実家で食べ慣れた家庭の味だったが、実家を出てから魔改造を重ねてしまった。
 その最たる物が、冷蔵庫から取り出した瓶詰めだろう。大き目のジャム瓶に詰まっているのは、レモンとは似て非なる、僅かに緑がかった小粒の柑橘類だった。

「こっちもそろそろ新しいのを作らないと...。まさか、常備菜になるとは思わなかったな、塩ミカン...」
 聞き慣れぬ響きだが、それもその筈。ミカンを丸ごと、塩レモンと同じやり方で塩漬けにした南瀬の創作料理だった。

 元々冷え性な南瀬は、昔から漢方として冷え性に良くに効くとされるミカンの皮を、まだ実が青い内から抽出する事で、より効果が高いと言う触れ込みのサプリメントを試した事があったが、定期的に購入するのは懐が厳しいので、次にミカンの皮を干した『陳皮』を試そうとしたものの、普段ミカンをさほど食べ無い事と、作っても定期的に食べるには辛そうだと思った。
 また、皮だけ取って捨てるのも気分が良くない。どうせなら美味しく摂れないか考えた南瀬は、物の試しに丸ごと塩漬けにしてみる事にした。
 常備菜の唐揚げに混ぜれば定期的に食べられるし、ミカンの果肉で上手い事風味付け出来ないかと若干期待しつつ、漬けて半月程の頃に最初の試食を試みた。

 唐揚げと一口に言っても、混合調味液の漬けダレで味を馴染ませてから衣を付けたり、粉状の混合調味料を揉み込んで即衣を付けたり。
 衣は小麦粉以外に片栗粉を使う『竜田揚げ』や、卵も混ぜる『ザンギ』等、派生した物まで含めると切りが無い。
 そして、おかずの代表格と言える唐揚げは、その家ごとでも異なる『家庭の味』があるので、『これが正統』等と言い出したら喧嘩になりかねない。

 南瀬家の唐揚げは、まず漬けダレの仕込みから始める。胡麻をお玉一杯乾煎りし、擂鉢で潰す。
 擂鉢に大蒜を四粒程と、生姜も同じ位の量をおろして入れた。
 実家だとここで砂糖と塩を入れるのだが、代わりに塩ミカンを四分の一程、皮ごと刻んで混ぜた。
 擂り漕ぎで満遍なく潰して、醤油をお玉一杯、日本酒をお玉二杯入れたらよく溶いて、特製の漬けダレの完成。
 一口大に切った鶏もも肉を入れて、三十分から一時間漬け込む。タレを揉み込むと若干時間を短縮出来る。
 後は漬けダレから取り出した鶏肉を小麦粉にまぶして揚げるだけ。百六十度で衣が固まる程度揚げたら一度取り出し、少し冷めた辺りで百八十度に二度揚げして出来上がり。

 予想外な事は幾つか有ったが、試作を重ねた南瀬は、上記の作り方に落ち着いた。


(...冷え性に効くですって!?)
 思わず反応し、食卓を鳴らした水谷に同僚達から不審な目を向けられるが、適当に誤魔化しつつ背後の会話に集中した。
 水谷はかなりの冷え性なので、真冬になるとみっともない程着膨れする位だった。
 どうやら南瀬も冷え性らしく、奥さんが旦那の為に工夫を凝らしたーーとは、飽くまで須賀の弁だが。

「最初の試食品は、薬効が強過ぎて汗が噴き出して目が覚める程でした。後、漬かり方が甘いと皮のエグ味が少し後味に残るので、二ヶ月以上漬けたのを控え目に使うと丁度良くなった様です」
「へー!素敵な奥さんですよね。こんなに美味くて身体に良いの考えてくれるなんて」
「......」
(全くだわ!てゆか、オリジナルの調味料じゃ手に入らないじゃない!)
 これだけ内心歯噛みしていると言うのに、殆ど顔に出さないで同僚達と談笑している、水谷の腹芸も大した物である。
 そこに運よく南瀬の声が耳に滑り込んだ。
「ネットで調べた塩レモンのレシピをそのままミカンに置き換えただけですから」


「...いけない!そろそろ出ないと」
 壁の時計を見てチーズトーストの残りを頬張る水谷。そして視線を下げると、可愛らしい箪笥の上に、青い実の詰まった大き目のジャム瓶が。

「...うふふ」
 料理に興味の無かった水谷だが、インターネットで調べて自分で仕込んだ塩ミカンである。
 思ったより簡単だったし、可愛らしいインテリアにもなってご満悦の水谷だった。

「冬には充分間に合うし、楽しみだなー」
 凝った手料理を作る積もりは無いが、水谷はこうした彩りを添える楽しさを覚えた。

「師匠にいつか会って見たいなー。どんな人だろ」
 そして気が付けば、水谷にとって『南瀬の奥さん』は『心の師』になっていた。
 彼女が真実に気付く日は来るのか、それは誰にも分からない。

ともあれ。今日の所は...、
「...ご馳走様でした」
水谷はマグを置いた。

ー完ー
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