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十一皿目-揚げ蕎麦と牛丼
しおりを挟む※本作はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには一切関係ありません。
...その日、生命ある者はその尽くが地上から空を見上げた。
折しも聖夜。クリスマスのイルミネーションが賑やかな雑踏の中、幸せそうに手を繋いでいた家族連れや恋人達。
或いはそこから地球の裏側で、血と硝煙、泥と屍に塗れ、尚も殺し合う戦地の兵士達。
或いは極北の地で身を寄せて温め合う動物達。
虫も鳥も魚達までもが唯呆然と注視するその先に観えた物...。
それはまるで立ち上がる竜。
それはまるで鎧を纏った武人。
それぞれ全身を青藍と金色に染め上げて、六譬の腕にそれぞれ厳しい武器を仏法の鬼神の如く携え、竜頭人身の姿をした二体の鎧武者。その造形は瓜二つだった。
しかし全身鎧と言うには動きが滑らかに過ぎ、遥か天空に映る姿は余りに巨大で、その姿のまま産まれて来た様にも見える。
その異形の『何者か』達が武器と拳をぶつけ合い、烈しく争い闘う姿だった。
同日同刻に昼夜を問わず地球上の空と言う空を、映画のスクリーンの様に埋め尽くし見せ付けられたその日、ある者は涙し神に祈った。
またある者は平伏し赦しを乞うた。
またある者は半狂乱で空に銃を撃ち続けた。
そして誰とも無く呻く様に呟いた。
「世界は終わるのか...」
「...なんだこりゃ」
職場を転々とする、今時どこにでもいる様な派遣社員の青年、南瀬夏樹。
ここ一月は働き通しだったが、ようやく休みが取れたので、スナックをボリボリ齧りつつ、部屋のパソコンでのんびり無料動画を流し見していた。
ポテチの袋に入っているのは、しかし黒っぽい棒状の物。南瀬が乾麺をさっと揚げた『揚げ蕎麦』だった。
食べ易い様、半分に切ったのを揚げて軽く油を切ったら、食べ終わったポテチの袋に入れて振るだけで、蕎麦にポテチの味付けが付いて面白い。
以前どこかのハンバーガー屋でやっていた、粉フレーバーで変化を付けるフライドポテトがあったので試してみた物だった。
それは兎も角。
南瀬が観て居たのは暮れに公開予定の新作映画の予告編だった。
こことは違う世界から徐々に侵略されるとか、対抗する謎の組織とか、大体そう言う話らしい。
「最近多いなあ、異世界物...。昔の異星人物とかが一周回っただけと言う感じのが大半だけど」
今の世の中がどん詰まり感で満たされている感じがするので『こことは違う新天地』で活躍したいと言う意識が強くなっているのも大きいのだろう。
南瀬にもそう言う気持ちが無いでも無いが、今が上手くいかないからと新天地に逃げ出しても、そんな根性ではまた同じ事になるだけだから、そうした妄想に惹かれる度に、結局は今出来る事をやるしか無いのだと自分を戒めていた。
そんな感想を抱いていると、台所から一円玉を貯金箱に入れた様な軽い音が聞こえた。
「火が通ったかな」
南瀬の住んでいるアパートは、風呂と便所のユニットバスルームと玄関以外は仕切の無い一部屋になっているので、デスクから台所が丸見えだった。
聞こえたのは火を止めた圧力鍋の気圧弁が落ちた音で、蓋を開けると優しい香りが立ち登った。
南瀬が作っていたのは『オニオンスープ』である。
水を四百ミリリットル辺り一個の玉葱を蕩ける程柔らかく煮て、コンソメスープの素を少し濃い目に溶かす。
これに塩を入れるだけでも美味しいが、今回はこれからが本番だった。
南瀬の台所は、冬になると玉葱の消費量が一気に上昇する。それはオニオンスープをベースにした煮込み料理やスープを作る為だった。
このまま塩と具を入れてポトフにしたり、味噌でモツ煮、醤油でスジ煮、トマトでミネストローネ等々...。
正式な作法から外れるかも知れないが、玉葱の出汁を使うだけでぐっとスープのレベルが上がるし、圧力鍋を使えば加圧した後は放置で手軽に作れるので重宝していた。
さて、今回南瀬が作るのは『牛丼』だった。
ラーメンと並ぶ庶民の味方だったが、最近は価格までラーメン並になってしまった。
元は牛鍋の残りをぶっかけた賄いだったと言うが、今ではたまの贅沢になってしまったのが何とも切ない。
並盛ならまだ安いが、幾ら何でも少な過ぎて食べた気がしない。どうせ喰うなら大盛、いや特盛でガツガツ食べたい。
牛肉さえ安く手に入れば特盛が何杯も喰える。そう考えて色々調べた所、某マッスル超人で有名なチェーン店の味に近い作り方が分かったので、それを基に試作してみたのだった。
牛肉はスーパーの特売日を狙い、更に売れ残りに半額ラベルが貼られるのを待って、ようやく手に入れた物なので、試作とはいえ無駄にはしないと気合を入れて作る南瀬だった。
...年々行動が主婦めいてくる自分に、こっそり溜め息を付きながら。
オニオンスープに使うコンソメスープの素は、料理に合わせてビーフコンソメを溶かし、干し椎茸を一本分薄切りにしたのを一緒に放り込む。
弱火で三分から五分程煮たら、牛バラ肉を三百グラムと日本酒と砂糖を大匙三杯、醤油をお玉一杯、塩を少々。よく混ぜたら蓋をして中火で十分。
その間におろし生姜を作って置く。強い酒に漬けると生姜が長持ちすると云うので、丁度戸棚の奥に泡盛の瓶が残っていたので、これに漬けてみたら上手くいった。大抵加熱して使うので酒精は飛ぶし、泡盛自体は癖が無いので、調理していても違和感は無かった。
生姜の利いた泡盛も、冬に呑めば如何にも暖まりそうだ。
おろし生姜を大匙三杯入れ、もう一分したら煮汁の味を気持ち濃い目に整えて、丼飯の上に盛れば出来上がり。
「うんうん...。牛丼はこうでないと」
牛丼から立ち上る香りにしばし陶然とする南瀬。玉子を付けても良かったが、最初はそのままいただく事にした。
「...いただきます」
言うなり一気に掻っ込む南瀬。店の味と全く同じとは言わないが、実家で食べ慣れたすき焼きの味付けに近いせいか実に食べ易く、箸が止まらない。
オニオンスープのおかげで、まるで一昼夜煮込んだかの様に牛肉に味が馴染んでいる。
南瀬は店では『つゆダク』も『つゆギリ』も指定しないが、思わずお玉に手が伸びると、丼に残った飯につゆを足しておじやの様にして食べてしまった。
「...ふう」
食後に緑茶で口がさっぱりさせた南瀬だが、気が付くと二杯目の牛丼を盛っていた。
「これはたまらん...。次は玉子を落とそうかなあ...」
数日かけて楽しむつもりで多目に作った牛丼だったが、この分ではあっと言う間に無くなりそうだった。
「...まあ良いか」
時間をかけてじっくり美味い飯を作り、一気に喰う。この所の修羅場を考えれば、実に贅沢な休日の過ごし方だろう。
またすぐに忙しくなるのは分かり切っているのだから、たまにはこんな一日を過ごしてもバチは当たるまい...。
ともあれ。今日の所は...、
「...ご馳走様でした」
南瀬は箸を置いた。
ー完ー
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