派遣の美食

ラビ

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十二皿目-牛肉麺

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※本作はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには一切関係ありません。



「いやあ、先方からも南瀬さんの仕事は早いと好評でして。契約もこのまま継続と言う事だそうです」 
「ありがとうございます」

 瀟洒な街中の一角。
街を歩く誰もが颯爽として見える通りを横目に、とあるレストランの中で物静かな青年が、脂ぎった中年と向かい合って食事をしていた。

 青年の名は南瀬夏樹(みなせなつき)。
DTPオペレーターと呼ばれる、雑誌広告等のデザインとデータ管理を本職とする派遣社員である。

 不況の煽りで中々派遣先を掴めず、日雇いのバイト派遣で細々と食い繋いでいたが、短期契約を取り、最初の試用期間を経て継続する事になったので、職場の昼休憩の時間を利用し、仲介した派遣会社の担当から今後の方針の為のミーティングを兼ねた昼食会に誘われたのだった。

「どうですか?南瀬さん的には今回の職場は」
「はい。仕事内容は問題無くこなせそうです」
「あー...、職場の雰囲気とかはどうでしょう?」
「とても静かですね」
「そうですか...」

 関西系でかつ暑苦しい担当と、関東系でかつどこか眠たげな雰囲気の南瀬。
まさに水と油と言う感じで微妙に話が噛み合って無かった。


 とは言え、食事の支払いは派遣会社からの奢りなので、ここ暫くカップ麺生活だった南瀬にはありがたかったが。

 ただ、仕事の話に気を配りながら味を楽しむ余裕は南瀬にはなかった。

 技術職畑でひたすら社内に引き篭る様な仕事が主だったので、接待される側とは云え、営業職の様に振る舞う事には慣れていなかった。



(何か、喰った気がしなかった...)


 ミーティングと午後の仕事も無事終わり、帰路に付く南瀬。
流石に普段行く様な店とは格が違うだけあって美味だったと思うが、どの様に美味かったかと聞かれると非常に曖昧になる。


(今度一人で行って見ようか...)


 そう思い周囲を見渡すが、目に止まったのはラーメン屋だった事に苦笑する南瀬。

 ランチの量が少なかったせいもあるが、普段食べ慣れて無い上品な食事よりも、どっしりと腹に溜まる飯をつい求めてしまう。

 だが南瀬にとってラーメン屋は鬼門だった。

 嫌いでは無い。寧ろ大好物だ。
…散財の理由の大半がラーメン屋に通い詰めた為である位に。

 ラーメン単品でも下手すると牛丼の大盛から特盛の価格。
加えてトッピングに煮玉子、叉焼、海苔、茎わかめ、明太子...。
更にサイドメニューにビール、餃子、炒飯...。

 下手するとそこらの高級レストランより高く付いているかも知れない。

 出来るだけ店には入らず、入ってもラーメン単品で済ませようとは思うが、つい誘惑に負けてしまう。

 ラーメンには暴力的な迄の中毒性がある。
日本に渡った当初の「中華そば」の時点でも既にその片鱗はあったが、日本人の得意とする魔改造に寄って『ラーメン』は『日本食』と迄言われる様になった。

 昔ながらの醤油、味噌、塩から。
博多豚骨、熊本マー油等の地産ラーメン。
醤油豚骨、魚介醤油、背脂系、ガッツリ系、激辛系に家系。
ラーメンから派生した漬け麺に油そば。
最近ではパイナップルだのテキーラだのを入れる創作系まである。

 もう少し生活に余裕が出来たら行ってみたい店も沢山あるが、今はひとまずラーメン欲を抑えて行かねばならない。

 ラーメン屋への視線を無理矢理引き剥がすと、南瀬はそのまま帰宅した...。



 安アパートに戻り、軽くシャワーを浴びた南瀬は、冷蔵庫からタッパーと鍋を取り出して温め直した。

 以前から南瀬は、食費を抑えて家でラーメン欲を満たせないか模索していた。


 カップ麺や袋麺、スーパーや最近ではコンビニにも置いてある生ラーメンもそこそこ美味いが、店ラーメンには当然及ばない。
かと言って余り凝ったスープだとコストがかかる。
ラーメン屋に行くのは、ラーメン屋でなければ出せない味があるからだと改めて思い知らされる。

 試行錯誤の末、今回作ったのは言うなれば『牛肉麺(改)』。

 『にゅうろうめん』と読むそれは台湾では一般的な麺料理で、中華スープに牛スジ煮を乗せた物だった。麺は中華麺よりうどんに近い。

 最初基本通りに作った物の、腕のせいか、素材の質のせいか。
手間がかかる割りに今一物足りないスープになってしまった。

 日本の濃厚なスープに舌が慣れ過ぎたせいもありそうだが、これ以上食材を贅沢に使うと家で手間をかける意味が無くなる。

 そこで南瀬はオニオンスープで旨味を補い、独自のスープで牛肉麺もどきを仕上げる事にしたのだった。


 遡る事二日前。南瀬は冷蔵庫を開け、中から大振りのタッパーを取り出し蓋を取った。

「...見事な煮凝りになったな」

 中身は前の日に仕込んだ牛肉麺の具とタレを兼ねた牛スジ煮だった。

 汁気はスジ肉から出た天然のコラーゲンで全てジュレ状になっている。

 作り方は、先ず牛スジ肉を五百グラム下茹でし、灰汁が出た所で火を止めて流水で表面を洗い流す。


 その間に圧力鍋に胡麻油を引いて、中火で微塵切りした大蒜を二粒と、同量の同じく切った生姜を炒め、香りが立ったら五香粉を振り、牛スジ肉と薄切りにした干し椎茸を二本分入れる。

 水を六百ミリリットル、日本酒と醤油をお玉一杯づつ、砂糖をお玉半分程加えたら蓋をしてそのまま圧をかける。

 圧力弁が上がったら少し火を抑えて、そのまま約三十分から四十分煮込み、火を止めて冷ましたら、そのまま冷蔵庫で半日放置でタレの完成。


「味玉もタレが染みて良い色になってるなぁ」

 ラーメン屋で欠かせない『半熟煮卵』、所謂『味玉』。
家庭でも簡単に作れるのは意外と知られていない様だが、要は茹で卵を塩辛い汁に漬けておけば良い。

 固茹では沸かした鍋で五分。
火を止めて五分放置が目安だが、半熟に拘るなら沸かした鍋で五分。
鍋から出して常温で五分から十分放置で白身は固まり、黄身はトロトロの状態に仕上がる。

 この状態で殻を剥き、二、三日タレに漬けて置くと、黄身が半熟のまま固まってラーメン屋の味玉と同じになるのだ。

 タレは生ラーメンのタレがあると手軽だが、麺つゆか醤油でも構わない。
漬けるタレ次第で色々楽しめるだろう。

 そして今回は手製の牛スジ煮のタレに漬け込んだのだった。

 このまま牛スジ煮と味玉で一杯やっても良かったが、南瀬はタッパーを冷蔵庫に戻してスープ作りに入った。

 圧力鍋に水を千二百ミリリットル入れて、四つ切にした玉葱を三玉、細切りした生姜を大蒜二粒分位の量で、コンソメスープの素をキューブで五粒。

 これで千五百ミリリットル相当のスープが作れる量だが、玉葱から水が出るので少し濃い目に入れた。

 更に八角を二粒、ローリエを二枚入れて中火で沸かし、圧力弁が上がったら弱火で三十分。

 一旦火を止めて、圧力弁が下がったら豆板醤を大匙二杯と、具を省いた醤油ダレをお玉三杯分程入れて、更に三十分。

「これでスープも完成...っと」

 こうして四、五杯分の牛肉麺を仕上げた南瀬は数日かけて夕飯を楽しむ事にしたのだった...。



「じゃあ茹でるか」

 麺を茹でつつ、薬味の準備。
中華麺でも良いが、今回は腰の強い讃岐うどんにした。

 辛子高菜はそのまま。
タレに仕込んだ味玉はふたつに切って。
白ネギは繊維にそって細く切って白髪ネギに。
コリアンダーは白髪ネギと同じ位の長さに切り揃え。

 最後に麺、スープに醤油ダレの具、味玉や薬味を盛って、ようやく牛肉麺が完成した。

 見た目ラーメン屋よりは中華料理店の盛り付けに似て、出汁や香辛料、そしてコリアンダー等の薬味の香りが食欲を掻き立てる。

 コリアンダーは、パクチーや香菜とも呼ばれて中華や洋食ではよく使われる香草だが、日本だと『亀虫草』と言われて昔は好まれない香りだったらしい。

 南瀬は普段からスープの香味野菜に使うし、最近になってコリアンダーの創作料理が矢鱈と出回った事もあり気にならなかったが。

「いただきます」

 ひとしきり見栄えと香りを楽しんだ南瀬は、早速丼を取った。

 レンゲで一口啜ると、以前牛丼を作った時と味の組み立ては似ているが、それよりも喉越しが良く、柔らかく煮たスジ肉の出汁がきいている。

 出来ればスネ肉の方が肉の食べ応えが良いのだが、スジ肉の方が安いのだから仕方無かった。

 それでも、牛丼よりは汁の塩気を抑えていて尚、力強い出汁が太い麺に絡んでいるのがよく解る。

「旨味は充分だが、アッサリしたスープだから、うどんの方が合うなぁ」

 スープと麺を楽しんだ南瀬は次に具の出来を確かめた。

 スジ肉はトロける様だし、味玉も、白身は勿論、黄身にまでよくタレが染みて透明感のあるオレンジになっている。
かぶり付けば口の中で旨味が解けてあっという間に無くなってしまうのが惜しい位良い味に漬かっていた。

「...ふはっ」

 気が付けば汁の一滴、葱の一欠片も残さず飲み干していた。

 とても『家ラー』とは思えない出来に、南瀬は実に満足だった。

「...それでも、余り頻繁に作るのは難しいな...」

 仕込みを日を分けて作る事で負担を減らし、食材も予算を抑えているが、手間を考えると矢張たまの贅沢になるだろう。

 普段はオニオンスープだけ仕込んで生ラーメンのタレを割る位が精々だろうか...。

 胃袋と懐の釣合いにどう折り合いを付けるか、南瀬の課題はまだこれからだった。

 ともあれ。今日の所は...、
「...ご馳走様でした」
南瀬は箸を置いた。

ー完ー
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