派遣の美食

ラビ

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十六皿目-ケーク・サレ

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※本作はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには一切関係ありません。




 それは年の瀬も迫った聖夜の事。


「水谷さん、これプリントお願い!」
「はい!」
「水谷さん、例の書類は!?」
「はい!もう少しで...」
「水谷さん、それ終わったらこの校正...」
 まさに修羅場だった。
 俗に「年末進行」と呼ばれるそれは業界に関係無く存在し、正月休みの為に前倒しされた業務を片付ける為に、徹夜残業が当たり前となる企業も多い。


 だが近年ようやくブラック体質の改善に乗り出し、ノー残業デーを増やす企業も増えて来た。その為の対策として一番手っ取り早いのが人手。
 そう。この時期はフリーの派遣社員にとっては搔き入れ時でもあった。


(だからってコレは無いわ!)
 必死にキーボードを早打ちするOL、水谷鏡子は心中で悪態をついた。
 事務整理の臨時追加要員として入った派遣先は、一見普通のインテリア広告の下請だったが、その業務内容は酷くチグハグだった。


 例えば、大手の広告専門の企業には、大抵『自動検版機』と言うものがある。
 まず印刷物の原稿、その最初に仕上がったデータを一旦、自動検版機の入ったプリンターで印刷する。
 次に校正で修正、変更したデータを流すと、内容の差異に間違い探しの様に印が入った物が印刷され、見落としを無くすと言う物だった。
 日々膨大な印刷物を扱う企業にとっては必須の機能だが、この会社にはそれが無かった。
 するとどうなるか。


「課長!このページの右上の図、指定と合ってません!」
「何い!」
「こっちは訂正したページの、訂正と関係無い箇所に誤字が!」
「何でそんな事になってる!」
 ...人の目だけでは、どれだけ真剣に調べても限界がある。まして、基となる原稿に不備があったり、急な変更が重なれば全てを把握するのは不可能に近い。
 常に広告を打ち続けている企業ならその対策のノウハウもあるのだが、この会社で回されて来る仕事を見るに、それも無い。
 恐らくは、この部署自体が作られて日が浅いのだろう。その結果、時給制で残業代の高い派遣社員である水谷まで残る事になった。


(なんつー頭の悪い...!!...後、何でアイツがココに...!)
 ひたすら企画書を書き、原稿を訂正する手を止めずに視線だけを動かすと、その先にはデスクで二人のスーツの男が原稿の打ち合わせをしていた。
 それ自体は普通だし、二人共普通のビジネスマンにしか見えない。
 しかし、その一方は水谷がこんな形で会うとは思っても見なかった相手だった。


「南瀬さん、こちらの訂正をお願いします。場所は、サーバーの。えーと...」
「...はい、ここですか?」
「早っ!ちょ、今の操作どうやったんですか!?」
「...ではもう一度。フォルダを選択して十字キーの左右でフォルダツリーを開閉。コマンドプラス十字キーの下でフォルダやファイルを...」


 それは、かつての派遣先で下働きをしていた『弁当男』こと南瀬だった。
 ピシっとスーツを着こなしている姿からは、以前のみすぼらしいボロボロのジーンズとTシャツ姿とは似ても似つかない。
 彼は水谷がこの会社へ面談に来た時既に、DTPデザイナーと言う業務の応援で派遣されて来たらしい。


(...ま、結婚してるのにあんなショボい仕事しかして無かったら、ソッチがおかしいか)
 かつて最底辺とあからさまな態度を取っていたので、南瀬になにか言われるかとも思ったが、向こうは水谷の事を全く覚えていなかった。
 ...と言うより、日雇いが一々職員全員と顔を会わせる訳も無く。
 昼食時の食堂でも水谷が常に南瀬の背後の席を取っていた事もあって、南瀬にしてみれば『知らない人』だった。


(そうなる様にしてたのはこっちだし、分からなくは無いけど、やっぱりムカつく...!)
 水谷はキーボードに当たり散らしていたが、理由はそれだけでは無かった。
 南瀬には料理の上手な奥さんがいるらしい。彼に作る弁当にも色々な一工夫をする様で、小耳に挟んだ物を少し真似た所、水谷はその味にハマってしまった。
 だが南瀬は自分から周りに話しかける様な性格では無いし、このオフィスには食堂も無いので、給湯室のレンジで弁当を温めると外へ出て姿を消してしまう。
 今は同僚なのだから話しかければ良いとは思うが、やきもきしている内にもう来週には仕事納めになってしまった。


「何やってんだろ私...」
 水谷がようやくタイピングの速度を緩めた頃、視界の端で南瀬が荷物を纏め出すのが見えた。
 そのまま帰るかと思いきや、手提げ袋を持って給湯室に入ると、次第に食欲をそそる香りが漂って来た。


「つまらない物ですが、宜しければ皆さんで召し上がって下さい」
 そう言って紙皿に広げられたのは温められたパウンドケーキの様に見えたが、その香りはまるでたこ焼きかお好み焼きの様だった。


「うお、旨そうな匂い!」
「何それ!」
「...ケーク・サレ...まあモドキですが」






「...じゃ、始めるか」
 南瀬が今勤めている派遣先の契約期間も、もうすぐ終わる。
 社交辞令として菓子折りでもとも思ったが、久々にオーブンレンジを使ってみたくなったので、市販品を買うのは止めて作る事にした。『ケーク・サレ』を。


 ケーク・サレとはフランス語で『塩味のケーキ』の事で、キッシュパイやスパニッシュオムレツの様な、焼き菓子をおかずに置き換えた料理の類を指す。
 南瀬も初めは難しく考えたが、何のことは無い。日本のお好み焼きやたこ焼きと同類だった。
 なので南瀬も凝った作り方はせず、今回はお好み焼きの生地をパウンドケーキにして焼く方法にした。


 まずは具に玉葱を一玉薄切りに、ジャガイモを二つ賽の目に、冷凍のミックスベジタブルを大匙三杯にコンビーフを一缶をほぐしながらじっくり炒めて塩コショウ醤油で味を整えて下拵え。
 少々生地に対して多かったので、取り分けて次に焼く分に使うか、そのまま夕飯にする積もりだ。


「割と良いコンビーフだから、これだけでも美味いな...」
 軽く具を摘みつつ、次は生地作り。
長芋を百グラム、豆乳を二百ミリリットル、卵を二個に小麦粉百グラムをダマにならない様、少しずつ混ぜて出来上がり。
 生地に具をお玉一杯程度混ぜ込んだら、内側にバターを塗り込んだパウンドケーキ用の型に流し込んで、少し置いて生地から空気が抜けるのを待つ。
 その間にオーブンに火を入れ、温度は百八十度の設定で準備開始。


「個人の家だとアンペア足りないから、他の家電落としとかないとブレーカーがヤバいよな…」
 オーブンレンジの予熱が完了するまで、PCや暖房等の消し忘れを念入りに確かめる南瀬だった。

 問題も無かったので、後は四十分程オーブンで焼くだけだった。とは言え、焼きムラが出ない様、途中向きを変えたりと気を付けたが。


 オーブンは、使いこなせば様々な贅沢な料理を割と手軽に作れる。
 が、使いこなすには、どうしても数をこなさないと生焼けになったり黒焦げになったりと難しい。
 いずれロースト肉も色々と焼いてみたいが、まずは比較的作り安いパウンドケーキで練習する積もりの南瀬だった。


「...よし。一本目が焼けた...」
 長芋がふくらし粉の役目を果たし、耐熱ガラスの形から見事な狐色に焼けたケーク・サレの生地がはみ出していた。そのまま皿にひっくり返して粗熱を取る。
 その間、形を洗い二つ目の生地を流し込む。
 まだ部分によって出来不出来のバラ付きがあるし、オーブンは狭く、一度に幾つも焼けないので、練習も兼ねてこれを何度か繰り返した。


「...三本も焼けば充分か」
 二時間余りかけて焼き続け、台所はさながらパン工房の様な有様だった。
 最初に焼けた分が冷めたのでパン切りナイフで慎重に切ると、中はダイス目の野菜とマーブル模様のコンビーフで中々美しかった。
 一切れ味見して出来を確かめると、南瀬はケーク・サレを冷めて行く端から一口分づつ切り分け、なるべく見栄えのする部分からクッキングペーパーに包んで行くのだった...。




「うまっ!何これ!」
「ソース付けると確かにお好み焼きっぽいなー」
「でも何かお洒落ー」
 レンジで温め直され、添えられたお好み焼きソースで楽しそうに頬張るオフィス一同。
 その様子を見て少し安心した様子の南瀬は踵を返す。


「それでは皆さん、善いお年を」
「「お疲れ様ー」」
「あ...」
立ち去る南瀬に何となく声を掛けそびれた水谷の手が虚しく空を切った。


「水谷さんも食べなよー」
「そうそう。コレ美味しいよー」
「丁度小腹空いてたとこだけど、マジうめー」
「うん、ありがと...」
 そう言えば南瀬が持って来る料理を直に口にするのはこれが初めてだった。
 思わず喉を鳴らすと、摘み易いようにクッキングペーパーで包んであるケーク・サレをひとつ取って、一口齧った。


(...旨っ!柔らかっ!)
 見た目はケーキだが、しっとりとした食感は確かにお好み焼きの様であり、ホットケーキの様にも思えた。
 砂糖は使って無いのに、生地の自然の甘さが具の旨みを引き立てている。
 肉や人参、グリーンピース等で断面の彩りが楽しいが、とても食べ易いので、好き嫌いの多い子供から大人まで楽しめるだろう。


(これがアイツ...南瀬の奥さんの手料理...)
「水谷さーん、ソース付けてみなよー」
「あ、ありがとうございます...」
 優しくて、それでいてしっかりとした味に、思わず一切れ食べ終えた所で、正社員からソースをかけたケーク・サレをもう一切れ手渡された。


「ソースを付けるとお好み焼き感がハッキリしますね...。美味しい」
「でしょでしょ?」
 生地がプレーンで素朴な味わいなので、水谷は他の味付けでも試してみたいと思ったが、気が付けば残りは皆の腹に収まっていた。


「いやー美味かったー!」
「コレ手料理...だよな?」
「奥さんが焼いてくれたんだろ?裏山ー!」
「さ、リフレッシュした所でもう一踏ん張りだ。やるぞ!」
「「おー!!」」
 すっかり荒れた雰囲気が社内から一掃され、水谷も何だか気持ちが軽くなっていた。

(やっぱ凄い人だったんだ、師匠...)
 まだ見ぬ師匠を目標に、水谷は気を引き締め直して作業を再開するのだった。


「あ、その前に」
 デスク脇に重ねられたクッキングペーパーに向き直ると、
「...ご馳走様でした」
水谷は手を合わせた。


ー完ー
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