派遣の美食

ラビ

文字の大きさ
17 / 23

十七皿目-鶏柚子蕎麦

しおりを挟む

※本作はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには一切関係ありません。


 『ごぉん...』と。
 遠くで腹の底に響く鐘の音が響いた。

「いよいよ今年も終わりか...」
 大晦日の、年も代わろうかと言う深夜。
 とあるアパートの台所の、それぞれにぐつぐつと湯の沸いた二つの鍋の前で、一人の青年が独りごちた。

 フリーの派遣先を転々とする、今時何処にでもいるような青年。名を南瀬夏樹と言った。

「来年はいい加減、正社員の仕事見付けないと...。そろそろ後が無いよな...」
 一方の鍋に菜箸を突っ込み、掻き回しながらも、南瀬の愚痴めいた独語は止まらなかった。

 派遣契約の社員は、その不安定さから無職とさして変わらぬ程待遇が悪い。
 健康保険、国民年金等、派遣契約期間だけ社員保険に切り替わるので、ボサっとしていると気が付けば求職期間の分を滞納している事がしばしば多い。
 なので契約の切れた直後は市役所等を奔走して後始末をするのが常だった。

「全く...。年々年金支給対象の年齢を引き上げて、一人でも対象者が減るのを待ってる様な詐欺臭いのに、どうして身銭を切らなきゃいかんのか...」

 苛立っている南瀬の耳に、また『ごぉん...』と除夜の鐘が響いた。

「...善い音だよなあ...。これを『うるさい』『止めろ』と騒ぐ奴らの気が知れん」
 重厚な鐘の音は聴いていると落ち着くし、年の終わりを実感させてくれるので南瀬は好きだったが、昨今これを『騒音公害』だと苦情が寄せられて自粛する寺か増えているらしい。
 音に対する感性は人それぞれなので分からなくも無いが、例えば夏の蝉や秋の鈴虫の声は、海外からの旅行者には耳障りらしい。
 大抵の日本人にすれば産まれる前から親しみ、愛でて来た音なので気にもならないのだが。
 除夜の鐘についても、あるいはそう言う事なのかも知れない...。

「保育園の件もそうだが、面と向かって抗議すると何かと面倒だから最近は投書が多いみたいだし、書面として明記される分厄介なのかもな...。今度俺も『止めないで』と投書しようかな」

 それは兎も角。

 南瀬が作っているのは年越し蕎麦だった。
 例年はザル蕎麦に天ぷらを添えたりしていたが、この年はやけに冷えるので、温かい掛け蕎麦に変更したのだった。
 無論、それだけでは寂しいので、大鍋で蕎麦を茹でる傍ら、並行して添える具も簡単に仕込んでいる。

 今回作るのは鶏団子。...と言うよりはツミレだった。
 量は大体二、三人分。ツミレ単品で食べるなら一人前分。


 まず鶏胸肉の挽肉を百二十グラム。
 人参を二十グラムすりおろし、軽く洗った柚子を皮だけ一個の半分程すりおろす。
 更におろし生姜を少々と、葱の青い所を五分の一本分を微塵切りに。
 最後に塩を少々と片栗粉を五グラム。

 以上を粘りが出る迄よく練ったら、ツミレとなる鶏肉餡の準備が整った。

 小鍋の底に名刺大の昆布を沈め、水から煮て沸いた所で肉餡を二個の蓮華かカレーの匙で掬い、木の葉形に形を整えて昆布を沈めた湯に次々と落とす。
 湯の中から浮き上がった物から順次掬い上げて、鶏のツミレの出来上がり。後は盛り付けるだけだった。

 蕎麦が茹で上がる迄に、丼にあらかじめツミレの茹で汁を注いで温めて置き、柚子の絞り汁を少々垂らして麺つゆで割り、蕎麦、鶏団子、刻み葱、柚子の皮を盛り付けて...、

「鶏柚子蕎麦の出来上がりっと...。ああ、良い香りだ...」
 元は某京風うどんのチェーン店の季節限定メニューを真似た物だった。
 もっとも、そこで使っていたのは鴨とうどんだったし、南瀬が自分の舌を頼りにそれっぽく仕上げただけなので原形を留めていないが。

「...頂きます」
 南瀬はその年最後の箸を取ったが、そのまま丼を持ち上げて柚子の香りを楽しんだ。
 日本は古くから多様な柑橘類を愛して来たが、柚子は特にその香り高さから風味付けに多用される。
 最近ではフランスで香水に使われたりするらしい。
 蜜柑と同じく血行促進、冷え症改善等の薬効があり、ビタミンも豊富なので、ビタミン不足で肌のカサつく真冬には誠に有難い果物だった。

 まずつゆを啜ると、柚子で少し酸味が利いていて、腹にじんわり染み渡るようだ。
 麺つゆにポン酢や梅干を利かすと、特にうどんとの相性が良い。
 だが蕎麦だと余り酸っぱくすると合わないので、若干控え目に柚子を搾ったが、どうやら上手くいった様だ。鶏の出汁も利いて実に美味い。
 続けて蕎麦を啜ると麺に絡んだ柚子の香りが口一杯に広がって、実に堪らない。
 更に鶏のツミレを頬張る。

「あっつ!ほっふっほっ...。鍋物つついてるみたいな気分だなぁ」
 実家では鰯のツミレが主流だったが、湯豆腐に次々と魚肉餡を煮てはポン酢で食べていた味を南瀬は思い出した。

「...ふう」
 じっくり味わい、かつ一気に平らげた南瀬は丼を置いて、白い湯気にけぶる柚子の香りのする吐息を吐いた。
 そこでふと南瀬は、自分の手からも柚子が薫る事に気が付いた。調理中に手に付いたのだろう。
「...柚子の搾りカスは湯船に浮かべて柚子湯にするかな」


 乾く手に、柚子のかほり、しみじみと。


 柄にも無く、そんな句が頭に浮かんだ南瀬だった。

 ともあれ。丁度除夜の鐘が鳴り終わる頃に...、
「...ご馳走様でした」
南瀬は箸を置いた。

ー完ー
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

二重のカーテン (スカートの下の黒い意志)

MisakiNonagase
青春
洗濯物の隙間に隠したのは、母としての祈りと、娘のプライド。 かつて、女子高生という生き物はもっと無防備で、自由だった。 44歳の主婦、愛子が朝のベランダで手にするのは、娘たちが毎日履き替える漆黒のオーバーパンツ、通称「黒パン」。それは、令和を生きる娘たちが自らの尊厳を守るために身に着ける、鉄壁の「鎧」だった。 小学校時代のママ友たちとのランチ会。そこで語られるのは、ブルセラショップに下着を売っていた奔放な50代、無防備なまま凛と歩くしかなかった40代、そして「見せないこと」に命を懸ける10代の、あまりに深い断絶。さらには、階段で石像のように固まる父、生徒の背後に立たないよう神経を削る教師……。 一枚の黒い布を通して浮き彫りになる、現代社会の歪さと、その根底にある不器用なまでの「優しさ」。 ベランダに干された黒いカーテンの向こう側に、あなたは何を見ますか?

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します

白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。 あなたは【真実の愛】を信じますか? そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。 だって・・・そうでしょ? ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!? それだけではない。 何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!! 私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。 それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。 しかも! ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!! マジかーーーっ!!! 前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!! 思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。 世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

可愛らしい人

はるきりょう
恋愛
「でも、ライアン様には、エレナ様がいらっしゃるのでは?」 「ああ、エレナね。よく勘違いされるんだけど、エレナとは婚約者でも何でもないんだ。ただの幼馴染み」 「それにあいつはひとりで生きていけるから」 女性ながらに剣術を学ぶエレナは可愛げがないという理由で、ほとんど婚約者同然の幼馴染から捨てられる。 けれど、 「エレナ嬢」 「なんでしょうか?」 「今日の夜会のパートナーはお決まりですか?」  その言葉でパートナー同伴の夜会に招待されていたことを思い出した。いつものとおりライアンと一緒に行くと思っていたので参加の返事を出していたのだ。 「……いいえ」  当日の欠席は著しく評価を下げる。今後、家庭教師として仕事をしていきたいと考えるのであれば、父親か兄に頼んででも行った方がいいだろう。 「よければ僕と一緒に行きませんか?」

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

処理中です...