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妙子
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目が覚める。まだ暗いうちに起きだし仕度を済ませる。今はあの不思議な闇使と名付けた青年と二人暮らしをしている。誰かが一緒に暮らしているというのも久しぶりで、なんだか不思議な気分だ。
並んで畑へと向かうバスの停留所へ向かう。
畑も一か所広い場所を確保して、そこで皆働いているのだ。下手にばらけると防衛隊の手が届かなくなるためだ。
最初は記憶喪失ということもあり訝しがられた闇使であったが、見た目の良さと物腰の柔らかさも相まって、すぐに皆に受け入れられた。特に女性から。
「おはようであるの」
「「おはようございます」」
闇使がバスに乗り込み声をかけると、数多の女性から答える声がする。
妙子としては若干痛い視線を潜り抜け、なんとなくいつもの定席となっているところへ座る。闇使はもちろんその隣に座る。
「もたれても良いぞ」
「眠たくなったらお願いします」
小っ恥ずかしさを覚えながら窓の外を見る。バスは皆が乗ったことを確認すると、すぐに発車した。
およそ一時間程走ると、広大な畑へとやってくる。そこから降りてそれぞれの区画へと散っていく。
妙子の班に闇使も組み込まれていた。男手が増えたおかげか、作業がいつもよりも捗った。
そして闇使は紳士であった。重いものは女性に負担をかけないように気を配って率先して運ぶし、休憩をとる時なども率先して茶を皆に配った。
「闇使さん…。いいわね~」
「本当に」
女性たちの目がハートになるのも無理はないだろう。
「で? 妙子ちゃん。キスくらいしたの?」
「ぶぼっ?!」
闇使が茶を配っている間に寄ってきた、仕事仲間の蘭子さんと美鈴さんに両側を抑えられ、三人並んで土手に座り込む。
「あ、あの…?」
「だって、あんなにかっこいい人が一つ屋根の下で一緒に暮らしてるんでしょう? 何かあってもおかしくないし~」
「妙子ちゃんだって気になってるんでしょう?」
蘭子さんは20代後半、美鈴さんは20代前半とおおよその年は聞いている。どんな状況であれ、女子という生き物は恋バナが好きなものである。
そして蘭子さんは夫を、美鈴さんは婚約者を亡くしているとも聞いていた。皆トキメキに飢えているのかもしれない。
「で、でも、まだ出会って五日ですよ? そんな関係には…」
「そうお? 闇使君も妙子ちゃんのことかなり気にかけてるから~。そうなってもおかしくないな~とは思ってたんだけど」
「彼あちこちで噂になってるからね。気を付けないと手の早いのがしゃしゃり出てくるよ?」
「え、いや…でも…」
こんな世界になってしまったので、当たり前だが出会いというものは皆縁遠くなっている。いいと思った相手がいたら、速攻アタックしにいくのはすでに常識だ。
だからといって奥手の者がいきなりガンガンいけるわけがない。
「なんの手が早いと?」
「「「きゃあ!」」」
後ろから声がして、驚いて振り向く。いつものような微笑を浮かべた闇使が後ろに立っていた。
「あらやだ闇使君。いつから後ろにいたのよ~」
「つい今しがたであるが、なんの話をしていたのだの?」
「なんでもないわよ~」
美鈴の隣に腰を下ろし、闇使が三人に視線をやりながら茶をすする。
「闇使君は~、妙子ちゃんのことどう思う?」
「ら、蘭子さん!」
いきなり直球の質問をした蘭子に、妙子が顔を赤らめる。
「どう、とは?」
「そりゃあ、好きとか嫌いとか?」
妙子の顔の赤みが濃くなっていく。
「ふむ。難しい質問かの」
軽く空を見上げ、一口茶をすすってから三人を見た。
「何においても一番に守らなければならぬ者、という風には見ているがの」
蘭子と美鈴が黄色い悲鳴を上げる。
耳まで赤くなった妙子は顔を上げることができない。
「やだもぅ~。お姉さんお腹がいっぱいになっちゃう~」
「あたしも~」
妙子を置いて二人は盛り上がる。
妙子は俯いて静かに茶を啜っていることしかできなかった。
家族を亡くしてから、妙子は一人で頑張ってきた。
でも時々思う。
(あたし、なんで生きてるんだろう…)
魔物に襲われた後は遺骨など手に入らない。良くて生前使っていた形見などが見つかれば御の字だ。葬式などあげることもなく、ただ存在がいなくなったことから、その人は死んだと認識するのだ。
故人を偲ぶ暇もなく、ただ生活に流されていく。そんな日々を送って、誰が生きる希望など見いだせるのだろう。
妙子も折れかけていた。誰もいない家に帰ることに。一人味気なく食事をとることに。
そんな色のない毎日を送っていたあの日。
畑から帰ってきて、いつもの曲がり角を曲がった時にそれはいた。
全体的にぬめぬめとしたピンクの肉の塊から異様な手足が何本か生えている。頭と思しきそこには獲物を飲み込むための気持ちの悪い口だけしかない。
まさかそんなところにいるとも思わず、妙子は魔物の目の前に姿を晒す状態になっていた。
「あ…」
助けを呼ぼうにも喉が引きつって声が出ない。
そいつはゆっくり妙子に近づいて来た。臭い息がかかる。逃げたいのに足が動かない。
死にたくない
そう思った。
希望も何もない世界なのに、自分は死にたくないんだと改めて強く感じた。しかし魔物は自分へと狙いを定める。
気色の悪い腕が伸びてくる。なのに足は動かない
ダメかもしれない
諦めかけた時、路地の暗がりから人影が飛び出してきた。その人は勢い魔物を蹴り飛ばした。
余程の衝撃だったのか、魔物は建物の壁にハンバーグのようにひしゃげて叩きつけられた。そしてそのまま淡い光を発しながら消えていった。
魔物は魔素の塊なので、倒すと光の欠片のように消えて行ってしまうらしい。
それを呆然と眺めていた妙子に、その人は手を差し伸べてくれた。
「大丈夫かの?」
そう聞かれて顔を上げる。心配そうに見下ろす瞳があった。涙が溢れそうになった。
魔物を蹴り飛ばしたなどという常識はずれなことも忘れた。
延ばされたその手に自分の手を重ねようとしたその時。
魔物は一体ではなかったのだ。
その人の背後に音もなく現れた魔物がその人を殴り飛ばした。先ほどの魔物のように吹っ飛んでいくその人を見て、改めて終わったと思った。
臭い息がかかる。魔物の口元からだらしなく涎がぼとぼとと零れ落ちる。
(噛まれたら痛いだろうな…)
思考が考えることを放棄したのか、ぼんやりとそんなことを思っていた。
魔物の口が近づいてきて、大きく開いた。このまま丸のみされるのだろうか。
「其奴に触れるなあ!!」
死んだと思ったその人が瓦礫を押しのけて飛び込んで来た。妙子の目の前から魔物が消える。代わりにその人が目の前に立った。
魔物を殴り倒したのだ。ようやっと目の前のことを頭が理解し始める。信じられない光景だった。
「だい…じょうぶ…か」
そのままその人がその場にぶっ倒れてしまった。
遅ればせながらなんとか脳みそが目の前の状況を理解する。
恩人をそのままにしておくわけにもいかず、どうにかこうにか家まで運び、なんとか手当を施した。
「ん…」
手当が終わって少ししたら、その人が目を覚ました。
「あ、気がつきました?」
改めて座りなおして身なりを整える。はっきり言ってもの凄い美形だ。どうということでもないのだが、なんとなく身構えてしまう。
「? お主は?」
「え? ああ、ええと、先ほどはありがとうございました。おかげで助かりました」
「?」
とりあえずお礼をと口にしたが、何か分かっていない様子。
起き上がって体を眺めていた。出血は頭から少し。その他はちょっと酷い打撲のような感じだったので、大丈夫だろうとは思うのだが…。やはりどこかひどく痛めているところでもあったのだろうか。
「? このケガは…?」
「あ、先ほどの、魔物との戦いで、お怪我されたみたいだったので、えと、拙いながら手当、したんですけど…」
今病院はほとんど機能していない。病院のベッドのほとんどは防衛隊の人達で埋まっており、力を持たない一般人は余程のことがなければ入ることはできなかった。
「戦い?」
そう言って首を傾げる。なんだか様子がおかしい。
「あの…?」
「お主…、我が輩は誰だの?」
「え?」
「何も…何も覚えておらぬ…」
目を覚ましたその人は、どうやら記憶を失くしてしまっているようだった。
名前も覚えていないようなので、適当に「闇使」でどうだと言ったら採用されてしまった。いいのか。こんな若干中二病が入った名前で…。
しばらく厄介になりたいと丁寧に言われて、深く考えずにOKしてしまった。
「怪我をしているとはいえ、我が輩、男なのだが…」
「…あ…」
もうちょっと考えるべきだったと反省。
体中打ち身だらけだし、大丈夫でしょう。と自分に言い聞かせる。大丈夫だよね?
いやいや、自分を助けてくれた人なんだし、大丈夫だよ! 大丈夫だよね?
葛藤しつつも、疲れたのか眠った闇使さんを起こすわけにもいかない。念のため別の部屋に布団を敷いて寝ることにした。
朝起きて、何もなかったことに安堵。若干残念な気がしたのは何故だろう。
最後の食材でなんとか朝食をこしらえ、闇使さんにも食べてもらう。微妙な顔をしていたのは気づかないふり。
クロが戻って来ない。賢い子なので大丈夫だとは思いたいが、近頃は犬猫も食料にしている人がいると聞いているので心配だ。一応首輪はきちんとしているのだが。
配給所へと向かう。どこから来たのかは分からないが、貴重な生き残りだ。申告しなければならない。
(素手で魔物を倒してたのよね…)
きっと防衛隊に所属している人なのだろうと思う。ただ、素手で戦う人の話は聞いたことがなかったけれど。新しい戦法なのかもしれない。
久しぶりに誰かがいるという空間で過ごした。ちょっとドキドキしたが、誰かがいてくれる安心感というものを味わった。それももう終わりだ。
申告を済ませて、少し離れて様子を見ていた。魔晶石がどれくらい光るのだろうかと眺めていた。が、まったく光らなかった。
「魔力なし、か。はい、ご苦労さん」
魔力がなければ用はないとばかりにさっさと出される。
当たり前のように闇使がこちらへやってくる。
「待たせたかの」
あれえ?とも思うが、防衛隊に行かないのならば、当然闇使はしばらく妙子の家で暮らすのだろう。
「いえいえ。さ、並びましょうか」
妙子も至極当然とばかりに闇使と共に配給の列に並んだ。
今しばらくは一緒にいられるのだ。妙子は胸がドキドキしていた。
誰かと一緒にいられるというのはやはり嬉しい。それがこんなイケメンだったら超絶嬉しい。
いやいやそんな変なことを期待しているわけではなくて、頼れる誰かが側にいてくれるというのはとても有難いことでありまして…。
妙子は必死に心の中で誰かに弁明していた。
闇使さんはとても気が利いて優しい人だった。
畑に行ってもその容姿は人目を集めるし、働き者で気が利いてとなれば女性から黄色い悲鳴が上がり始めるのも無理はない。
日が経つにつれ、闇使がいろんな女性から声をかけられる所を目撃することが増える。さすがにもやっとするが、ただ一緒に住んでいるだけの妙子に口を出す権利などない。
蘭子や美鈴には「妙子からいっちゃえ!」などと発破をかけられていたが、特に美人とも言えない自分に、そこまで押せる度胸もなかった。
それに、何故か闇使は誰の誘いも断っていた。ある時などは防衛隊に所属する女性からも声をかけられていたのだが、それも断ったらしい。
防衛隊の関係者になれば、そこそこ生活は保障される。普通の人なら二つ返事で付いていったかもしれない。
さすがに気になったので、何気なさを装って闇使に尋ねてみた。
「闇使さん、防衛隊の人に、声かけられてませんでした?」
声が若干震えていた気がする。
「うむ。もちろん断っただの。それが何か?」
「え、だって、防衛隊の施設に行けば、ここより安全が保障されてて…」
「妙子の話が本当であれば、我が輩は素手で魔物を屠ることができるのであろう? であれば別にどこにいようとかわらぬであろうの」
そういうものか?
「妙子の安全を保障してくれるというのであれば、付いていったかもしれぬの」
顔が赤くなる。
時々この人はこんな感じのことを言う。
そのたびに胸がうるさくなる。
「大事にしたい」とか「一番に守りたい存在」とか、迂遠に好きだと言われている気がするのだが、自分の勘違いなのだろうか。
(いやいや、きっと勘違いだよ)
自分がこんな綺麗な人に好かれる要素があるとは思えない。人によっては可愛いと言ってくれる容姿ではあるが、決して美人とは言えない顔をしていることは自覚している。
性格だってどちらかというと人見知りで、際立って良いところがあるわけではない。
とどのつまり、記憶を失くして世話になっているからという義務感なのではないかと思うことにしている。
でなければ胸がうるさくて仕方がない。
勘違いで迫って拒絶されることも怖いし、この穏やかな生活が壊れることも怖い。だったら何もしない方がいい。
必死に自分の気持ちを押し留めた。
並んで畑へと向かうバスの停留所へ向かう。
畑も一か所広い場所を確保して、そこで皆働いているのだ。下手にばらけると防衛隊の手が届かなくなるためだ。
最初は記憶喪失ということもあり訝しがられた闇使であったが、見た目の良さと物腰の柔らかさも相まって、すぐに皆に受け入れられた。特に女性から。
「おはようであるの」
「「おはようございます」」
闇使がバスに乗り込み声をかけると、数多の女性から答える声がする。
妙子としては若干痛い視線を潜り抜け、なんとなくいつもの定席となっているところへ座る。闇使はもちろんその隣に座る。
「もたれても良いぞ」
「眠たくなったらお願いします」
小っ恥ずかしさを覚えながら窓の外を見る。バスは皆が乗ったことを確認すると、すぐに発車した。
およそ一時間程走ると、広大な畑へとやってくる。そこから降りてそれぞれの区画へと散っていく。
妙子の班に闇使も組み込まれていた。男手が増えたおかげか、作業がいつもよりも捗った。
そして闇使は紳士であった。重いものは女性に負担をかけないように気を配って率先して運ぶし、休憩をとる時なども率先して茶を皆に配った。
「闇使さん…。いいわね~」
「本当に」
女性たちの目がハートになるのも無理はないだろう。
「で? 妙子ちゃん。キスくらいしたの?」
「ぶぼっ?!」
闇使が茶を配っている間に寄ってきた、仕事仲間の蘭子さんと美鈴さんに両側を抑えられ、三人並んで土手に座り込む。
「あ、あの…?」
「だって、あんなにかっこいい人が一つ屋根の下で一緒に暮らしてるんでしょう? 何かあってもおかしくないし~」
「妙子ちゃんだって気になってるんでしょう?」
蘭子さんは20代後半、美鈴さんは20代前半とおおよその年は聞いている。どんな状況であれ、女子という生き物は恋バナが好きなものである。
そして蘭子さんは夫を、美鈴さんは婚約者を亡くしているとも聞いていた。皆トキメキに飢えているのかもしれない。
「で、でも、まだ出会って五日ですよ? そんな関係には…」
「そうお? 闇使君も妙子ちゃんのことかなり気にかけてるから~。そうなってもおかしくないな~とは思ってたんだけど」
「彼あちこちで噂になってるからね。気を付けないと手の早いのがしゃしゃり出てくるよ?」
「え、いや…でも…」
こんな世界になってしまったので、当たり前だが出会いというものは皆縁遠くなっている。いいと思った相手がいたら、速攻アタックしにいくのはすでに常識だ。
だからといって奥手の者がいきなりガンガンいけるわけがない。
「なんの手が早いと?」
「「「きゃあ!」」」
後ろから声がして、驚いて振り向く。いつものような微笑を浮かべた闇使が後ろに立っていた。
「あらやだ闇使君。いつから後ろにいたのよ~」
「つい今しがたであるが、なんの話をしていたのだの?」
「なんでもないわよ~」
美鈴の隣に腰を下ろし、闇使が三人に視線をやりながら茶をすする。
「闇使君は~、妙子ちゃんのことどう思う?」
「ら、蘭子さん!」
いきなり直球の質問をした蘭子に、妙子が顔を赤らめる。
「どう、とは?」
「そりゃあ、好きとか嫌いとか?」
妙子の顔の赤みが濃くなっていく。
「ふむ。難しい質問かの」
軽く空を見上げ、一口茶をすすってから三人を見た。
「何においても一番に守らなければならぬ者、という風には見ているがの」
蘭子と美鈴が黄色い悲鳴を上げる。
耳まで赤くなった妙子は顔を上げることができない。
「やだもぅ~。お姉さんお腹がいっぱいになっちゃう~」
「あたしも~」
妙子を置いて二人は盛り上がる。
妙子は俯いて静かに茶を啜っていることしかできなかった。
家族を亡くしてから、妙子は一人で頑張ってきた。
でも時々思う。
(あたし、なんで生きてるんだろう…)
魔物に襲われた後は遺骨など手に入らない。良くて生前使っていた形見などが見つかれば御の字だ。葬式などあげることもなく、ただ存在がいなくなったことから、その人は死んだと認識するのだ。
故人を偲ぶ暇もなく、ただ生活に流されていく。そんな日々を送って、誰が生きる希望など見いだせるのだろう。
妙子も折れかけていた。誰もいない家に帰ることに。一人味気なく食事をとることに。
そんな色のない毎日を送っていたあの日。
畑から帰ってきて、いつもの曲がり角を曲がった時にそれはいた。
全体的にぬめぬめとしたピンクの肉の塊から異様な手足が何本か生えている。頭と思しきそこには獲物を飲み込むための気持ちの悪い口だけしかない。
まさかそんなところにいるとも思わず、妙子は魔物の目の前に姿を晒す状態になっていた。
「あ…」
助けを呼ぼうにも喉が引きつって声が出ない。
そいつはゆっくり妙子に近づいて来た。臭い息がかかる。逃げたいのに足が動かない。
死にたくない
そう思った。
希望も何もない世界なのに、自分は死にたくないんだと改めて強く感じた。しかし魔物は自分へと狙いを定める。
気色の悪い腕が伸びてくる。なのに足は動かない
ダメかもしれない
諦めかけた時、路地の暗がりから人影が飛び出してきた。その人は勢い魔物を蹴り飛ばした。
余程の衝撃だったのか、魔物は建物の壁にハンバーグのようにひしゃげて叩きつけられた。そしてそのまま淡い光を発しながら消えていった。
魔物は魔素の塊なので、倒すと光の欠片のように消えて行ってしまうらしい。
それを呆然と眺めていた妙子に、その人は手を差し伸べてくれた。
「大丈夫かの?」
そう聞かれて顔を上げる。心配そうに見下ろす瞳があった。涙が溢れそうになった。
魔物を蹴り飛ばしたなどという常識はずれなことも忘れた。
延ばされたその手に自分の手を重ねようとしたその時。
魔物は一体ではなかったのだ。
その人の背後に音もなく現れた魔物がその人を殴り飛ばした。先ほどの魔物のように吹っ飛んでいくその人を見て、改めて終わったと思った。
臭い息がかかる。魔物の口元からだらしなく涎がぼとぼとと零れ落ちる。
(噛まれたら痛いだろうな…)
思考が考えることを放棄したのか、ぼんやりとそんなことを思っていた。
魔物の口が近づいてきて、大きく開いた。このまま丸のみされるのだろうか。
「其奴に触れるなあ!!」
死んだと思ったその人が瓦礫を押しのけて飛び込んで来た。妙子の目の前から魔物が消える。代わりにその人が目の前に立った。
魔物を殴り倒したのだ。ようやっと目の前のことを頭が理解し始める。信じられない光景だった。
「だい…じょうぶ…か」
そのままその人がその場にぶっ倒れてしまった。
遅ればせながらなんとか脳みそが目の前の状況を理解する。
恩人をそのままにしておくわけにもいかず、どうにかこうにか家まで運び、なんとか手当を施した。
「ん…」
手当が終わって少ししたら、その人が目を覚ました。
「あ、気がつきました?」
改めて座りなおして身なりを整える。はっきり言ってもの凄い美形だ。どうということでもないのだが、なんとなく身構えてしまう。
「? お主は?」
「え? ああ、ええと、先ほどはありがとうございました。おかげで助かりました」
「?」
とりあえずお礼をと口にしたが、何か分かっていない様子。
起き上がって体を眺めていた。出血は頭から少し。その他はちょっと酷い打撲のような感じだったので、大丈夫だろうとは思うのだが…。やはりどこかひどく痛めているところでもあったのだろうか。
「? このケガは…?」
「あ、先ほどの、魔物との戦いで、お怪我されたみたいだったので、えと、拙いながら手当、したんですけど…」
今病院はほとんど機能していない。病院のベッドのほとんどは防衛隊の人達で埋まっており、力を持たない一般人は余程のことがなければ入ることはできなかった。
「戦い?」
そう言って首を傾げる。なんだか様子がおかしい。
「あの…?」
「お主…、我が輩は誰だの?」
「え?」
「何も…何も覚えておらぬ…」
目を覚ましたその人は、どうやら記憶を失くしてしまっているようだった。
名前も覚えていないようなので、適当に「闇使」でどうだと言ったら採用されてしまった。いいのか。こんな若干中二病が入った名前で…。
しばらく厄介になりたいと丁寧に言われて、深く考えずにOKしてしまった。
「怪我をしているとはいえ、我が輩、男なのだが…」
「…あ…」
もうちょっと考えるべきだったと反省。
体中打ち身だらけだし、大丈夫でしょう。と自分に言い聞かせる。大丈夫だよね?
いやいや、自分を助けてくれた人なんだし、大丈夫だよ! 大丈夫だよね?
葛藤しつつも、疲れたのか眠った闇使さんを起こすわけにもいかない。念のため別の部屋に布団を敷いて寝ることにした。
朝起きて、何もなかったことに安堵。若干残念な気がしたのは何故だろう。
最後の食材でなんとか朝食をこしらえ、闇使さんにも食べてもらう。微妙な顔をしていたのは気づかないふり。
クロが戻って来ない。賢い子なので大丈夫だとは思いたいが、近頃は犬猫も食料にしている人がいると聞いているので心配だ。一応首輪はきちんとしているのだが。
配給所へと向かう。どこから来たのかは分からないが、貴重な生き残りだ。申告しなければならない。
(素手で魔物を倒してたのよね…)
きっと防衛隊に所属している人なのだろうと思う。ただ、素手で戦う人の話は聞いたことがなかったけれど。新しい戦法なのかもしれない。
久しぶりに誰かがいるという空間で過ごした。ちょっとドキドキしたが、誰かがいてくれる安心感というものを味わった。それももう終わりだ。
申告を済ませて、少し離れて様子を見ていた。魔晶石がどれくらい光るのだろうかと眺めていた。が、まったく光らなかった。
「魔力なし、か。はい、ご苦労さん」
魔力がなければ用はないとばかりにさっさと出される。
当たり前のように闇使がこちらへやってくる。
「待たせたかの」
あれえ?とも思うが、防衛隊に行かないのならば、当然闇使はしばらく妙子の家で暮らすのだろう。
「いえいえ。さ、並びましょうか」
妙子も至極当然とばかりに闇使と共に配給の列に並んだ。
今しばらくは一緒にいられるのだ。妙子は胸がドキドキしていた。
誰かと一緒にいられるというのはやはり嬉しい。それがこんなイケメンだったら超絶嬉しい。
いやいやそんな変なことを期待しているわけではなくて、頼れる誰かが側にいてくれるというのはとても有難いことでありまして…。
妙子は必死に心の中で誰かに弁明していた。
闇使さんはとても気が利いて優しい人だった。
畑に行ってもその容姿は人目を集めるし、働き者で気が利いてとなれば女性から黄色い悲鳴が上がり始めるのも無理はない。
日が経つにつれ、闇使がいろんな女性から声をかけられる所を目撃することが増える。さすがにもやっとするが、ただ一緒に住んでいるだけの妙子に口を出す権利などない。
蘭子や美鈴には「妙子からいっちゃえ!」などと発破をかけられていたが、特に美人とも言えない自分に、そこまで押せる度胸もなかった。
それに、何故か闇使は誰の誘いも断っていた。ある時などは防衛隊に所属する女性からも声をかけられていたのだが、それも断ったらしい。
防衛隊の関係者になれば、そこそこ生活は保障される。普通の人なら二つ返事で付いていったかもしれない。
さすがに気になったので、何気なさを装って闇使に尋ねてみた。
「闇使さん、防衛隊の人に、声かけられてませんでした?」
声が若干震えていた気がする。
「うむ。もちろん断っただの。それが何か?」
「え、だって、防衛隊の施設に行けば、ここより安全が保障されてて…」
「妙子の話が本当であれば、我が輩は素手で魔物を屠ることができるのであろう? であれば別にどこにいようとかわらぬであろうの」
そういうものか?
「妙子の安全を保障してくれるというのであれば、付いていったかもしれぬの」
顔が赤くなる。
時々この人はこんな感じのことを言う。
そのたびに胸がうるさくなる。
「大事にしたい」とか「一番に守りたい存在」とか、迂遠に好きだと言われている気がするのだが、自分の勘違いなのだろうか。
(いやいや、きっと勘違いだよ)
自分がこんな綺麗な人に好かれる要素があるとは思えない。人によっては可愛いと言ってくれる容姿ではあるが、決して美人とは言えない顔をしていることは自覚している。
性格だってどちらかというと人見知りで、際立って良いところがあるわけではない。
とどのつまり、記憶を失くして世話になっているからという義務感なのではないかと思うことにしている。
でなければ胸がうるさくて仕方がない。
勘違いで迫って拒絶されることも怖いし、この穏やかな生活が壊れることも怖い。だったら何もしない方がいい。
必死に自分の気持ちを押し留めた。
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