クロの黒歴史

小笠原慎二

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誘惑

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人の世で暮らすには、大事な事がある。
嫌われて生きるか、好かれて生きるか。
どちらが生きやすいかと言えば、断然後者であろう。
有り難いことに容姿は整っていた。第一印象というものは大事だ。
しかしいくら容姿が良くとも性格が悪ければ意味がない。
何故か自分には人の考えが少し読めた。となれば、その者の望む行動をしてやれば良い。気が利くというのは大いに追加点となる。
そして怠け者でも駄目だ。慣れない事でも積極的に関わって、一生懸命さをアピールする。
本当なら日向で寝転がっていたいものだが、人の世で生きるには働かなければならない。
世話になっている妙子のためにも、畑仕事を一生懸命にこなした。自分が受け入れられない人間と判断されれば、連れてきた妙子にも被害が及ぶ。
そのうちに最初は訝しげな視線を寄越していた者達も、やがて自分を受け入れ始めた。
まあ若干名、容姿の良さが徒となり、反感を買ってはいるが。

「ねえ、闇使君、だよね?」

自分は男であり、いわゆるイケメンという部類に入る容姿の持ち主だ。いずれこういうお誘いが来るだろうことは想像がついた。
休憩に入ろうとしていたところを呼び止められた。
言われずとも聞かれる事は分かっている。
チラリと妙子がいる場所を確認する。何かがあっても十分駆けつけられるところにいた。

「何か用かの?」

素知らぬ振りをしてにっこり笑顔で問いかける。
目の前にいる女は自分の容姿とスタイルに並々ならぬ自信を持っているようだ。この女に食われた男も数しれず。今もこの女に関心を持っている男達からいろいろな物を貢がせ、代わりに性欲を満たしてやっているようだ。
ある意味とても生き上手と言える。

「闇使君てさぁ、どんな女の人が好みかな?」

良いとも言っていないのに腕に縋りつき、その豊満な胸を二の腕に擦り付けてくる。
なるほど。確かに胸というものは柔らかいのだな。そんなことを考える。
普通の男ならばこの胸の圧力で一発ノックアウトなのだろうが、自分は驚くほど反応しない。というか興味が持てない。

「あたしみたいなのとか、興味ない?」

上目遣いでこちらを見上げてくる。
普通の男ならばこの視線でダブルノックアウトなのかもしれないが、自分はまったくもって何も感じない。

「申し訳ないのであるが、我が輩にはもったいない話であるので…」
「あら、遠慮しなくて良いのよ」

迂遠に断ったつもりだったが、こういう女には通用しないようだ。

「君だったら、タダでやらせてあ・げ・る」

バチコンウィンク。
好かれるのはいいが、ここまで好かれるのも厄介なものである。
そしてなんだか、妙子の視線を感じる。
あまり妙子の不興を買って、側にいられなくなるというのも困る。
仕方がない。あまり使いたくはなかったが…。
その女を抱きしめるような体勢に持って行く。これで顔が近くなる。その耳元へ口を近づけ、囁く。

「申し訳ないが、我が輩、女性では感じられぬ体質らしいのでの」
「は?」

自分が告げた言葉を理解するのに時間がかかったのだろう。然程抵抗なく身体を離すことができた。

「ということで、申し訳ないのだの」

女性を蕩けさせる(蘭子談)微笑みを返し、その女から離れた。
女はしばらくそこで硬直していたが、やがて我に返るとこちらを睨みつけて去っていった。
おかしな噂が広まるかもしれないが、それはそれでこの後の処理がだいぶ楽になるかもしれないので放っておくことにする。

「すまぬの。茶を配れなかった」

たむろする妙子達の元へやってくる。
蘭子と美鈴はニヤニヤとこちらを見上げて来る。

「もしかして~、お誘い受けてたんじゃないのぉ?」

蘭子はだいぶ無遠慮だ。しかしそこには妙子に対する気遣いも含まれているので、悪い気はしない。

「うむ。だがきっぱり断ってきたぞ」
「ええ?! なんでなんで?! どうして?!」

美鈴もゴシップに飢えてでもいるのか、食いつきが良すぎて怖い。

「うむ。我が輩、巨乳には興味がないのでの」

何故か三人とも胸元を確認する。

「ええ! じゃあ、あたしまさか、狙われてる?!」
「あたしは…え、巨乳てどっから?」

控えめな蘭子は調子にのり、主張の激しい美鈴は項垂れる。
妙子は何も言わなかったが、顔が赤くなっているだろうことは予想できた。








「ここで大匙2であるな」
「これね」
「それはレンゲだの…。計量匙はないのかの?」
「ええと、どれだ?」

妙子の食を改善するため、闇使も共に台所に立っている。
然程頭がよくないというわけでもないのに、何故か料理に関しては驚くほど呑み込みが悪い。

「そして小匙で…」
「これね」
「それはマドラーだの…」

目の前に計量匙があるのに認識できていない気がする。
どうにかこうにかほどほどに美味いと思える料理が出来上がる。

「で、仕上げに胡椒を少々…」
「はい」

ドザー

何故か中蓋が外れ、胡椒が山盛りになる。

「……頑張って食すであるぞ…」
「はい…」

なにせ物資は限られている。
胡椒のききすぎた夕飯をなんとか頑張って平らげた。
その後は風呂に入り、少しまったりと過ごす。

「あれから、クロが帰って来なくて…」

闇使に助けられたその日から、愛猫が行方不明になっているらしい。
なんとなく胸がざわりとなるが、何なのかは分からない。

「賢い子ならば大丈夫ではないかの? もう少し様子を見てからでも」
「そうですよね」

気持ち半分諦めているのだろう。笑顔が暗い。
「私に残された唯一の家族なの」と言うくらいに大事な存在が行方不明となれば、心配も一入ひとしおであろう。
しかし何故か闇使にはその猫が大丈夫な気がしてならない。姿を見せないだけで、そこらへんでのうのうと生きている気がする。

寝る時間になって、二人はそれぞれの寝室に引っ込んだ。別室だ。もちろんだ。
布団の中で闇使は、自分という存在について考える。
いろいろと妙なことがある。
畑仕事など初めてなのだが、どこかで見たような気がする。仕事の流れはなんとなく分かるが、実際にやったことがないだろうことはなんとなくわかる。やったことがあるならば、体が覚えているはずだ。
それと、妙子に対するこの「何を置いてでも守らなければならない」という思い。何故自分があの娘にそれほどの思いを抱いているのか、よくわからない。
それに、何故か妙子のことを良く知っている。笑い方、癖、生活習慣。考えを読んだわけでもないのに、何故か事細かに知っている。
これらのことを総合すると…。

『ストーカー』

この単語が思い浮かぶ。

(いや待て、さすがにそんな人間の屑のようなことを…)

していたとは考えたくはないが、妙子のことを良く知っていること、畑仕事の流れだけ知っていること、などを考えると用意に説明がついてしまう。
陰ながら妙子の生活、行動を監視。畑仕事も妙子を監視していたのならば知っていることにも説明がつく。
妙子は闇使のことを知らないと言っていた。これほど目立つ人物がいたならば覚えていただろうと。
しかし、ここで疑問が一つ生まれる。
今の世の中、食料に関しては配給以外に手に入れる方法はない。地域の者に知られず食料を手にすることなどできるだろうか。
その謎が解けなければ、自分がストーカーであったと言い切ることはできない。
誰かに貢がせていた可能性もないではないが、ならばその人物が闇使のことを「知っている」と名乗り出てこないのもおかしい。いや、ストーカー行為に手を貸していたから反対に名乗り出にくい?

(だがしかし…、いやしかし…)

否定したくとも確固たる否定できる証拠もない。
それと、とても否定したい感覚がある。
何故だろう。『妙子に抱かれたい』と時々思う。抱くといっても男女の交わりではなく、抱っこの方である。
体格的に考えてまず無理な話なのだが、あの腕の中に納まりたいと思ってしまう時がある。
あの腕に抱かれ、首筋に頬を擦り付け甘えたい…。

(変態ではないか!!)

男女の思いではなく、どちらかというと子が親に甘えるように妙子に甘えたい。
多分ではあるが自分は妙子よりも年上だろう。そんな年下、二十歳の女の子に甘えるなどと…。
何故自分がそんな思いを抱くのか分からず、布団で転がりながら闇使は頭を掻き毟るのだった。







「少し寄りかかっても良いかの?」
「いいですよ? 寝不足ですか?」
「うむ。ちと昨夜考え事をしてしまっての…」

バスに乗り込んですぐ、闇使は目を閉じた。
昨夜はアホな考え事の深みにはまり、なかなか寝付けなかった。
ほどなく意識は深淵に入り込む。
バスが揺れ、力の抜けた体が揺れる。意識していたわけではないが反対側は通路だ。下手に体が傾いでしまえば邪魔になるだろう。必然的に体は妙子の方へ傾くことになる。
重いだろうかと心配しながら、闇使は睡魔に抵抗できなかった。
妙子が顔を赤くしながら闇使の体を支えていたことには気が付かなかった。








一人そういう人物が現れると何かストッパーでも外れるのだろうか。
あれから連日のように女性に声をかけられる。内容は皆同じだ。
おなじみの決まり文句で誘いを断るのだが、どうにも感触が悪い。
自分が衆道趣味という噂が広まってもおかしくないのだが、どうもそういう気配がない。

(おかしいの?)

不思議に思いつつ、妙子達の元へと行く。お馴染み三人組はいつものように並んで茶を啜っている。
この並びだと闇使が妙子の隣に座れないので並びを変えてもらいたいものである。
しかしそんなことを言って不興を買うわけにはいかない。なので妙子の後ろに座る。

「闇使君。いつもの決まり文句でまた振ってきたの?」

にやにやと蘭子が聞いてくる。さすが耳聡い。

「我が輩が何と言って断っているか知っているのかの」
「そりゃもちろん。女子たちの間で噂になってるわよ」

女性とはいつまでが女子なのかと疑問に思いながら、丁度そのことを知りたかったので聞いてみる。

「女性には感じないとか言ってるんでしょ? 多香美が悔しがって言いふらしてたわよ」

多香美とはあの一番最初に声をかけてきた女性のことだろう。やはり言いふらしていたらしい。であれば女性が寄ってこないはずなのであるが?

「我が輩が男色家であろうと噂が回っているのではないかの?」
「やあねえ。そんなわけないじゃない」

美鈴が笑う。

「これだけ妙子に向って熱い視線飛ばしてる人が、男色家なんて言っても信じないわよ。闇使君、しょっちゅう妙子のことチラ見してるじゃないの」

美鈴の言葉に冷や汗が流れる。
確かに妙子のことが心配でしょっちゅう確認しているが、それをそんな風に捉えられていたとは…。
そしてそれに気づかれていたとは…。
闇使が片手で顔を覆う。

「そんなに…しょっちゅう見ていたかの…」
「あたしたちが気づくくらいだからねぇ」
「皆知ってるんじゃない? というか、自覚なかったの?」

なかった。

妙子はやっぱり顔を赤くして俯いていたのだった。
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