僕とトラの怪異譚

小笠原慎二

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見ぃつけた

見ぃつけた

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あの後もう一度下の住人らしき人が来たが、部屋の明かりが消えているのを見て諦めて帰ったようだった。

「おかしいな。うるさくないな」

などと呟きながら。
心の中でごめんなさいと呟きながら、和彦は布団にくるまっていた。昼間もあまり体を動かしていないのだから、さほど眠気も感じていない。それでも横になっていればウトウトとしてくる。

ピンポーン

チャイムの音を聞いてハッと目が覚める。幻聴かと思ったが、もう一度、

ピンポーン

と音がして幻聴ではないと確信する。
時計を見れば午前2時。こんな時間に訪ねてくる者などいない。いるとしたらば…。

ピンポーン

「開けて…。入れて…」

女の恨めしそうな声が聞こえた。
和彦は耳を塞ぐ。

「絶対に開けない。絶対に開けない。絶対に開けない」

そう呟きながら。

ピンポーン

チャイムはしばらく鳴り続けた。










4日目の朝。
寝不足に運動不足と不足が続き、ついでに日光にも当たっていないことに気付く。さすがに日の光が恋しくなり、恐る恐るカーテンの隙間から顔を覗かせた。
窓にあの女の顔でも張り付いているのではないかと、怖々カーテンを開けるがそんなことはなかった。
眩しい日の光に和彦は嬉しさを覚えた。窓を開けて風に当たりたい衝動に駆られるが、それは出来ない。

「あと3日。あと3日なんだ…」

半分は乗り切った。ここまでくればなんとかなるかもしれない。
久しぶりに日の光を浴びたおかげか、少し気持ちが前向きになる。

「ちょっと久しぶりに米でも食うか」

チンするご飯を買ってきていたので、それをチンして温める。ついでにお湯で溶かす味噌汁も入れて、おかずに母親が置いて行ってくれていた梅干しを付けた。なんだかそれだけでも豪勢に見える。

「いただきます」

テレビでは朝の番組をやっている。念の為音量は下げていた。ニュースに天気予報、どこそのお店の何が話題なのだと。
質素だが久しぶりの米と味噌汁を啜り、やはり日本人だななどと実感しつつのんびり食べ終えた。
そしてふと気付く。差し込む光の中におかしな影があることに。
見てはいけない。
本能がそう叫ぶ。
しかしカーテンをしめなければそれは否が応でも視界に入ってしまう。
近づくことさえ嫌だったが、そちらに視線を向けないようにして窓辺へと向かう。そしてゆっくりとカーテンへと手を伸ばす。

「開けてぇ…」

女の声がし、思わず視線を向けてしまった。
髪の長い、大きな口だけしかない顔をした女が、ベランダに逆さまの状態で部屋を覗き込んでいた。

「うわあああああ!!」

和彦はカーテンを思い切り閉めた。
それからは窓に近づく事もカーテンに手を伸ばすことも出来なくなった。またあの女がいたらと思うと開ける気になれない。
ぼんやりとテレビを見ていてもつまらない。早く時が過ぎないかとチラチラと時計を見るが、時計は正確に時を刻むだけだ。
昼を食べる気にもなれず、ダラダラと過ごしていた時、突然ぐらりと部屋が揺れた。

「地震?!」

慌ててテーブルの下に潜り込む。
揺れは大きく、長いこと続いた。
やっと収まりテーブルの下から顔を出す。

「長かったな…。外はどうなったんだろう…」

だが出ることは出来ない。窓から外を覗く勇気も無い。
テレビで速報でもやっていないかと見てみるが、おかしなことにどこのテレビ局でも今の地震のことに触れなかった。

「まさか…」

和彦を外に出すためにこの部屋、もしくはこの建物だけ揺らしたのだろうか?
周りの部屋は昼間はいない部屋が多いせいか、特に騒ぎにもなっていない。もしかしたらこの部屋だけ揺れたように錯覚させられたのかもしれない。
和彦を外に出すだけのために…。
和彦は背筋がぞくりと寒くなった。









午前2時。

ピンポーン

またチャイムが鳴った。

「開けてぇ…」

女の声が響き渡る。
和彦は耳を塞ぐ。

「あと3日…あと3日…」

そう呟きながら。
窓がバン!と鳴った。

「開けてぇ…」

女の声が響き渡る。
和彦は布団に潜り込む。

「あと3日…あと3日…」

女の声やチャイムの音は、しばらく鳴り響いていた。











5日目。

「あと2日…」

すでに食欲はなかった。カップ麺を食べる気にもなれず、簡単な携行食を食べて済ませてしまう。
テレビは点けっぱなしにして音を聞くだけ。ベッドに横になって早く時が過ぎるのを待った。
寝不足もたたったか、うつらうつらとしていると、突然、

「火事だー!」

と外から声が聞こえた。
はっと目を覚ましてみると、カーテンの隙間から赤い光が漏れてきていた。

「火事…」

咄嗟に玄関に走り、ドアノブに手を掛ける寸前で動きを止める。

「出、出ちゃ駄目だ…」

しかし出なければ火に撒かれてしまう。しかし出ればあの女に掴まってしまう。
和彦は迷った。この場合どうすれば良いのだろう。
とにかく状況を確かめねばと、今度はベランダへと向かう。しかしカーテンに手を掛けるが開ける勇気が出ない。

(また、あの女が…)

しかし状況が分からなければ動くに動けない。和彦は勇気を出してカーテンを開けた。
赤い光が差し込んできた。夕日の赤い光だった。
窓から見える範囲でどこが火事になっているのかと探してみる。しかし不思議な事に、火事になっているはずなのに野次馬の影もない。

(まさか…)

これもあの女の罠なのか…?
和彦は急いでカーテンを閉めた。
そうだ。もし本当に火事ならば、少ししたら消防車などがやって来るはずだ。それを待ってからでも遅くないかもしれない。
和彦はベッドに腰を下ろし、待った。10分経ち、20分経っても消防車のサイレンの音は聞こえてこなかった。

(罠だった…)

和彦は顔を手で覆った。今回はさすがに少し危なかった。もう少しで玄関を開けてしまう所だった。
和彦は安心したせいか急にどっと疲れた気がして、ベッドに倒れ込んだ。







午前2時。
やはりチャイムと女の声が響き渡る。
そして、それは朝になっても止むことが無かった。










6日目

「あと1日…」

夜中から断続的に続くチャイム、音、女の声。眠る事も出来ず和彦はぼんやりと宙を見つめる。

ピンポーン

ドン!

「開けてぇ…」

しばらくすると今度は壁から、

ドン!

「入れてぇ…」

和彦がウトウトすると、

バン!

「開けてぇ…」

これが繰り返される。
テレビを付ける気にもならず、和彦はベッドに横になったまま、ぼんやりと宙を見つめていた。

「あと1日…」

それを繰り返し呟きながら。
女の声が一日中響き渡っていたが、不思議な事に午前0時になった途端、ピタリと止んだ。

「7日目…?」

もしかして、助かったのだろうか…。そんな希望を抱きつつ、念の為朝まで待つことにした。
携帯の電源を入れ、時計が午前7時になるまでじりじりと待った。
牡丹灯籠では朝の光と月の光を間違えて外に出てしまい幽霊に掴まってしまうのだ。和彦もその話しは知っていた。
7時になったら尚弥に連絡を取ろうとじりじりと待っていると、1分前に思い描いていた人物から電話が来た。急いで出る。

「尚弥?!」
「和彦か? 無事か?」
「ああ! 無事だ! 俺、乗り切ったんだな?! やったんだな?!」
「落ち着けって。そうだ。やりきったんだ。頑張ったな」
「やったんだな…。良かった…。これで、外に出られるんだな…」
「ああそうだ。やったな。早速出るんだろ? 僕もそっちに向かうから、祝杯でも上げようぜ」
「ああ。分かった…。ありがとう」
「いいって。すぐに行くから」
「ああ…」

そして電話を切った。
喜び勇んで出ようとしてふと思いとどまる。鏡の前に立ち、自分の有り様を見てげんなりする。

「なんだこの顔…」

思い出してみればこの2日程シャワーさえ浴びていない。尚弥が来る前に軽くシャワーを浴びてしまおうと風呂に向かった。その時だ。着信があった。

「尚弥か?」

つい今さっきまで話していた尚弥から着信だった。通話ボタンを押して出る。

「尚弥? どうした?」
「和彦? 無事か?」
「何言ってるんだ。今さっき話した所だろう」
「…。いや、僕は今初めて電話したぞ」
「え…?」

血の気が引いた。

「じょ、冗談だろ…?」
「冗談じゃない。叔父さんから嫌な予感がするから連絡してみろって言われて、今電話したんだ」

携帯を落としそうになった。

「だ、だったら、さっき話してたのって…」
「外に出るとか言ってなかったか?」
「言ってた…。祝杯を上げようって…」
「まだ出るな。あと1日残ってるだろ」
「今日、7日目…」
「今日を乗り切ったら終わりだ。明日まで外に出るんじゃないぞ」
「そういう意味なのか…」

その時、玄関のチャイムが鳴った。

「和彦ー? いるんだろー?」

尚弥の声だった。いくらなんでも早すぎる。

「…、尚弥の声が、玄関から…」
「それは偽物だ。出るなよ、和彦。決して家から出るな。扉を開けるなよ。ついでに明日まで携帯も電源切れ」
「わ、分かった…」

通話終了のボタンを押し、そのまま電源を切った。

「和彦ー? 変だな。いるんだろー? おーい」

尚弥の声が聞こえてくる。和彦はベッドに駆け、また布団を頭から被った。










何をする気力も湧かず、ただぼんやりと一日が過ぎるのを待った。

「今日を…、今日を乗り切れば…」

外に出られる。
いつの間にか夜になり、気付けば明るくなっていた。時計を見ると6時。念の為携帯の電源を入れ、午前6時であることを確認する。

「乗り、切った…?」

あれからなんの物音もしない。なんだか乗り切った感じがなかった。また尚弥に「もう一日」と言われそうな気もした。
時計が7時を回った頃、電話が来た。

「和彦? 無事か?」
「尚弥? 本物か?」
「…。う~ん、どうやって本物だって証明したら良いんだろう…」

その悩み方になんだか笑えてきた。

「7日間、俺乗り切ったんだな?」
「ああ。頑張ったな。きちんと7日経ったよ。もう外に出られることは出られるが、出たい気はあるか?」
「その言い方は本物っぽいな。もちろん出たいさ」
「分かった。そっちに向かうよ。そうだな。近くに行って変なものがないか僕が1度確認するよ。そして大丈夫か電話する。ベランダから僕の姿を確認したら安心出来るんじゃないか?」
「なるほど。分かった。待ってる」

そして電話を切った。

「ああそうだ…、シャワー浴びないと…」

昨日もあれから動けなくなってしまい、シャワーも浴びていない。立ち上がると足がふらついた。思い出してみればご飯もまともに食べていない。
とりあえず携行食を口に入れ、風呂場へ向かう。この7日間肌身離さず持っていた人型は、脱いだ服の間に挟んでおく。
シャワーを浴びるとなんだかスッキリしてきた。伸び放題の無精髭も剃る。
新しい服に着替え、忘れずに人型もポケットに入れる。気分がスッキリしてきたら無性に腹が減ってきた。
まだ時間はあるだろうかと少し心配しつつ、急いで湯を沸かす。カップ麺に注いでじりじりと3分、は待てなかったので2分で食べ始めた。少し固いが空きっ腹には美味かった。
汁を飲み干す寸前で電話が鳴る。着信は尚弥からだった。

「はい」
「和彦か? どうやら怪しいものは見当たらなさそうだぞ」
「本当か?」
「一応ベランダから僕の姿を確認してみてくれ」
「分かった」

恐る恐るベランダの窓へと近づく。怖々カーテンを開けてみれば、眩しい朝の光が差し込んでくる。
右手に見える道の端で、尚弥が手を振っているのが見えた。こちらも振り返す。

「今からそっちに行くよ」
「ああ」

電話を切り、出る仕度を整える。

ピンポーン

チャイムの音にちょっと驚く。

「和彦? ええと…、本物です。じゃなくて、どうしたらいいんだ?」

困ったような尚弥の声に、和彦は噴き出した。

「今開けるよ」

札は後で取ればいいと、玄関の鍵を開け、ノブを回して扉を開けた。
そこには尚弥が嬉しそうな顔で立っていた。

「和彦…。ちょっと痩せたか?」
「そうかもな…。なんだか閉じ籠もってると動く気になれなくて…」

お互いに嬉しそうに笑い合う。

「ファミレスでも行くか? 叔父さんから小遣いもらったんだ。疲れてるだろうからいっぱい食べさせてやれって」
「マジか。実は良い人じゃん?」
「う~ん、それはなんとも言い難い」

靴を履き、和彦が玄関から一歩外に出た。その時。

「見ぃつけた」

耳元で女の声がした。
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