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42話一度、離れる朝
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ドアを閉めると、部屋の中は一気に静かになった。
外の夜気を含んだままの空気が、まだリビングに残っている。
靴を脱ぎ、鍵をかける音がやけに大きく聞こえた。
ホルは、玄関から数歩先で立ち止まっていた。
リビングの灯りは点けたまま。
薄いオレンジ色の光が、床に二人分の影を落としている。
距離は、二メートルもない。
それなのに、さっきまでの外よりも、息遣いが近く感じられた。
「……お茶、飲む?」
ホルが、背中越しに言う。
振り返らず、靴下のまま、少し体をこちらに向けただけ。
「ああ」
それだけ答える。
キッチンへ向かうホルの後ろ姿を見ながら、上着を脱ぐ。
ソファの背に掛けた手が、まだ少し熱を持っていた。
湯を沸かす音が、静かな部屋に広がる。
その間、特に会話はなかった。
カップを二つ並べるホルの手元。
白い陶器が、テーブルの中央に置かれる。
向かい合って座るわけじゃない。
ソファの端と端、少しだけ角度をつけて。
同じ空間にいるのに、
視線を合わせなくても成立する距離だった。
「……さっきのデザート」
ホルが、カップに視線を落としたまま言う。
「甘かったね」
「ああ」
それ以上は、続かなかった。
でも、気まずさはない。
沈黙が、柔らかく間に落ちる。
テレビはつけなかった。
時計の針の音と、湯気が消える気配だけ。
ホルがカップを持ち上げる。
一口飲んで、ふっと小さく息を吐いた。
「……今日は、ありがとう」
それは、礼というより、確認みたいな声だった。
「こっちこそ」
返事をしながら、自分の声が少し低いことに気づく。
その後は、言葉が途切れたまま時間が流れた。
どちらも、無理に埋めようとしなかった。
やがて、ホルが立ち上がる。
「シャワー、先に使っていい?」
「どうぞ」
浴室のドアが閉まる音。
水の流れる音が、壁越しに響く。
その間、ソファに深く腰を沈めたまま、天井を見る。
頭の中は、妙に静かだった。
聞こえたはずの言葉。
でも、確かめなかった。
それを思い出そうとすると、
代わりに、ホルの手の温度が浮かぶ。
シャワーが止む。
少しして、ドアが開く音。
ホルは、髪をタオルで拭きながら出てきた。
パジャマ姿で、さっきより少しだけ近い距離に立つ。
「次、どうぞ」
「ああ」
すれ違うとき、肩が軽く触れた。
それだけで、心臓が一拍跳ねる。
シャワーを浴びながら、
水音に紛れて、深く息を吐く。
(……落ち着け)
特別なことは、何も起きていない。
でも、元に戻った感じもしなかった。
寝室は、二つ。
それは変わらない。
布団に入る前、リビングの灯りを消す。
ホルの部屋のドアは、きちんと閉まっていた。
おやすみ、の声は、交わさなかった。
それでも、眠りは浅く、
何度か目を覚ました。
朝の光で、完全に起きる。
キッチンから、かすかな物音がした。
起き上がってリビングへ行くと、
ホルが、テーブルに小さなバッグを置いていた。
「おはよう」
「おはよう」
声は、いつも通り。
でも、どこか柔らかい。
朝食は簡単なものだった。
トーストと、コーヒー。
向かい合って座る。
夜よりも、視線が合わせやすい。
「……今日、一回帰るね」
ホルが、カップを持ったまま言う。
「置いてきた荷物、取りに行かないと」
「ああ」
理由は、ちゃんとしている。
だから、引き留める言葉は出なかった。
「夕方までには、戻れると思う」
それは断言じゃなく、予定だった。
「分かった」
それだけ答える。
食器を片付け、
ホルはバッグを肩に掛ける。
玄関まで見送る。
靴を履きながら、ホルがちらりとこちらを見る。
「……じゃあ、行ってくるね」
「ああ」
ドアが閉まる。
鍵の音がして、
足音が遠ざかる。
一人になった玄関で、
昨夜と同じ静けさが戻ってきた。
でも、違う。
胸の奥に、確かに残っているものがある。
聞こえた気がした言葉。
確かめなかったままの答え。
それでも、待っていいと思えた。
朝の光が、床を照らしている。
夜は終わった。
でも、何かは――始まっている。
外の夜気を含んだままの空気が、まだリビングに残っている。
靴を脱ぎ、鍵をかける音がやけに大きく聞こえた。
ホルは、玄関から数歩先で立ち止まっていた。
リビングの灯りは点けたまま。
薄いオレンジ色の光が、床に二人分の影を落としている。
距離は、二メートルもない。
それなのに、さっきまでの外よりも、息遣いが近く感じられた。
「……お茶、飲む?」
ホルが、背中越しに言う。
振り返らず、靴下のまま、少し体をこちらに向けただけ。
「ああ」
それだけ答える。
キッチンへ向かうホルの後ろ姿を見ながら、上着を脱ぐ。
ソファの背に掛けた手が、まだ少し熱を持っていた。
湯を沸かす音が、静かな部屋に広がる。
その間、特に会話はなかった。
カップを二つ並べるホルの手元。
白い陶器が、テーブルの中央に置かれる。
向かい合って座るわけじゃない。
ソファの端と端、少しだけ角度をつけて。
同じ空間にいるのに、
視線を合わせなくても成立する距離だった。
「……さっきのデザート」
ホルが、カップに視線を落としたまま言う。
「甘かったね」
「ああ」
それ以上は、続かなかった。
でも、気まずさはない。
沈黙が、柔らかく間に落ちる。
テレビはつけなかった。
時計の針の音と、湯気が消える気配だけ。
ホルがカップを持ち上げる。
一口飲んで、ふっと小さく息を吐いた。
「……今日は、ありがとう」
それは、礼というより、確認みたいな声だった。
「こっちこそ」
返事をしながら、自分の声が少し低いことに気づく。
その後は、言葉が途切れたまま時間が流れた。
どちらも、無理に埋めようとしなかった。
やがて、ホルが立ち上がる。
「シャワー、先に使っていい?」
「どうぞ」
浴室のドアが閉まる音。
水の流れる音が、壁越しに響く。
その間、ソファに深く腰を沈めたまま、天井を見る。
頭の中は、妙に静かだった。
聞こえたはずの言葉。
でも、確かめなかった。
それを思い出そうとすると、
代わりに、ホルの手の温度が浮かぶ。
シャワーが止む。
少しして、ドアが開く音。
ホルは、髪をタオルで拭きながら出てきた。
パジャマ姿で、さっきより少しだけ近い距離に立つ。
「次、どうぞ」
「ああ」
すれ違うとき、肩が軽く触れた。
それだけで、心臓が一拍跳ねる。
シャワーを浴びながら、
水音に紛れて、深く息を吐く。
(……落ち着け)
特別なことは、何も起きていない。
でも、元に戻った感じもしなかった。
寝室は、二つ。
それは変わらない。
布団に入る前、リビングの灯りを消す。
ホルの部屋のドアは、きちんと閉まっていた。
おやすみ、の声は、交わさなかった。
それでも、眠りは浅く、
何度か目を覚ました。
朝の光で、完全に起きる。
キッチンから、かすかな物音がした。
起き上がってリビングへ行くと、
ホルが、テーブルに小さなバッグを置いていた。
「おはよう」
「おはよう」
声は、いつも通り。
でも、どこか柔らかい。
朝食は簡単なものだった。
トーストと、コーヒー。
向かい合って座る。
夜よりも、視線が合わせやすい。
「……今日、一回帰るね」
ホルが、カップを持ったまま言う。
「置いてきた荷物、取りに行かないと」
「ああ」
理由は、ちゃんとしている。
だから、引き留める言葉は出なかった。
「夕方までには、戻れると思う」
それは断言じゃなく、予定だった。
「分かった」
それだけ答える。
食器を片付け、
ホルはバッグを肩に掛ける。
玄関まで見送る。
靴を履きながら、ホルがちらりとこちらを見る。
「……じゃあ、行ってくるね」
「ああ」
ドアが閉まる。
鍵の音がして、
足音が遠ざかる。
一人になった玄関で、
昨夜と同じ静けさが戻ってきた。
でも、違う。
胸の奥に、確かに残っているものがある。
聞こえた気がした言葉。
確かめなかったままの答え。
それでも、待っていいと思えた。
朝の光が、床を照らしている。
夜は終わった。
でも、何かは――始まっている。
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