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44話止まったままの距離
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鍵が回る音がして、ドアが開いた。
「ただいま」
ホルの声は、いつもと変わらない。
少しだけ、疲れたような響き。
「おかえり」
悠人はソファから顔を上げて、そう返した。
ホルは靴を脱ぎ、いつものように部屋に入ってくる。
上着を掛け、手を洗い、キッチンを一度見てから戻ってくる。
すべて、いつも通り。
ホルはコートをソファの背に掛け、そのまま腰を下ろした。
悠人の隣ではなく、少しだけ間を空けた位置。
その距離が、妙に気になる。
悠人は立ったまま、一度キッチンの方を見てから、
「……コーヒー、入れる?」
と、何でもないふうを装って聞いた。
「うん。お願い」
短い返事。
悠人は背を向け、ケトルに水を入れる。
蛇口の音が、やけに大きく響いた。
沸くまでの時間。
その間、ホルは何も言わない。
視線はテーブルの上に置かれたコップに向いている。
昨夜のままの位置。
二つ並んだ、その片方。
(……気づいてるよな)
悠人は、そう思いながらも、言葉にはしなかった。
コーヒーを淹れ、二つのマグを持って戻る。
テーブルに置くと、ホルが小さく礼を言った。
「ありがとう」
指先が、ほんの一瞬触れそうになって、触れない。
その距離が、昨夜を思い出させる。
二人でソファに座る。
今度は、さっきより少し近い。
肩が触れるほどではない。
でも、離れてもいない。
テレビをつける。
ニュースの音が、部屋に流れ始めた。
ホルがコーヒーを一口飲み、ふっと息を吐いた。
「……やっぱり、家の味だ」
「外で飲むのと、違う?」
「うん。落ち着く」
そう言って、少しだけ笑う。
その横顔を見て、胸の奥が静かに波打つ。
(……聞くべきか)
昨夜のこと。
聞こえなかった言葉。
でも、今ここで聞いてしまったら、
この空気が壊れてしまう気がした。
沈黙が落ちる。
不思議と、重くはない。
むしろ、心地いい。
ホルはマグを両手で包み込み、
視線を下げたまま、何か考えているようだった。
悠人も、同じように黙る。
言葉にしなくても、
同じ場所に立っている気がした。
ホルが、ふと顔を上げる。
「……ね」
その一言だけで、
悠人の背筋がわずかに伸びる。
「なに?」
ホルは、少しだけ迷うように視線を泳がせてから、
「……いや」
「あとで、話そう」
そう言って、またマグに視線を落とした。
“あとで”。
その言葉が、
逃げではないことだけは、分かった。
悠人は、何も言わずに頷いた。
(……大丈夫だ)
理由は分からない。
でも、そう思えた。
ただ——
何かが、止まっている。
悠人は、横目でホルを見る。
昨夜のことに、触れない。
告白にも、答えにも。
逃げているようには見えなかった。
むしろ、待っているようにも見えた。
そのことに、胸がざわつく。
(俺が、どうするか)
そう、言われている気がした。
ホルが悪いわけじゃない。
曖昧にしたのは、自分だ。
聞こえなかった言葉に、甘えているのは自分だ。
(……このままじゃ)
この夜は、静かに終わる。
何も壊れない代わりに、何も進まない。
それを選ぶのも、きっと簡単だ。
でも——
悠人は、膝の上で手を握りしめた。
(逃げたら、同じだ)
昨夜、言葉にした気持ちは本物だった。
なら、今日も、明日も。
自分から、踏み出さなければならない。
悠人は、深く息を吸う。
まだ言わない。
今じゃない。
でも、決めた。
次に口を開くときは、
聞こえなかった言葉に、逃げない。
曖昧な場所に、留まらない。
コーヒーを飲み終えた頃、
ホルが、少しだけ姿勢を変えた。
それだけのことが、やけに大きく感じられた。
(……次は)
悠人は、心の中でそう繰り返す。
次は、ちゃんと。
次は、はっきり。
この気持ちを、終わらせないために。
「ただいま」
ホルの声は、いつもと変わらない。
少しだけ、疲れたような響き。
「おかえり」
悠人はソファから顔を上げて、そう返した。
ホルは靴を脱ぎ、いつものように部屋に入ってくる。
上着を掛け、手を洗い、キッチンを一度見てから戻ってくる。
すべて、いつも通り。
ホルはコートをソファの背に掛け、そのまま腰を下ろした。
悠人の隣ではなく、少しだけ間を空けた位置。
その距離が、妙に気になる。
悠人は立ったまま、一度キッチンの方を見てから、
「……コーヒー、入れる?」
と、何でもないふうを装って聞いた。
「うん。お願い」
短い返事。
悠人は背を向け、ケトルに水を入れる。
蛇口の音が、やけに大きく響いた。
沸くまでの時間。
その間、ホルは何も言わない。
視線はテーブルの上に置かれたコップに向いている。
昨夜のままの位置。
二つ並んだ、その片方。
(……気づいてるよな)
悠人は、そう思いながらも、言葉にはしなかった。
コーヒーを淹れ、二つのマグを持って戻る。
テーブルに置くと、ホルが小さく礼を言った。
「ありがとう」
指先が、ほんの一瞬触れそうになって、触れない。
その距離が、昨夜を思い出させる。
二人でソファに座る。
今度は、さっきより少し近い。
肩が触れるほどではない。
でも、離れてもいない。
テレビをつける。
ニュースの音が、部屋に流れ始めた。
ホルがコーヒーを一口飲み、ふっと息を吐いた。
「……やっぱり、家の味だ」
「外で飲むのと、違う?」
「うん。落ち着く」
そう言って、少しだけ笑う。
その横顔を見て、胸の奥が静かに波打つ。
(……聞くべきか)
昨夜のこと。
聞こえなかった言葉。
でも、今ここで聞いてしまったら、
この空気が壊れてしまう気がした。
沈黙が落ちる。
不思議と、重くはない。
むしろ、心地いい。
ホルはマグを両手で包み込み、
視線を下げたまま、何か考えているようだった。
悠人も、同じように黙る。
言葉にしなくても、
同じ場所に立っている気がした。
ホルが、ふと顔を上げる。
「……ね」
その一言だけで、
悠人の背筋がわずかに伸びる。
「なに?」
ホルは、少しだけ迷うように視線を泳がせてから、
「……いや」
「あとで、話そう」
そう言って、またマグに視線を落とした。
“あとで”。
その言葉が、
逃げではないことだけは、分かった。
悠人は、何も言わずに頷いた。
(……大丈夫だ)
理由は分からない。
でも、そう思えた。
ただ——
何かが、止まっている。
悠人は、横目でホルを見る。
昨夜のことに、触れない。
告白にも、答えにも。
逃げているようには見えなかった。
むしろ、待っているようにも見えた。
そのことに、胸がざわつく。
(俺が、どうするか)
そう、言われている気がした。
ホルが悪いわけじゃない。
曖昧にしたのは、自分だ。
聞こえなかった言葉に、甘えているのは自分だ。
(……このままじゃ)
この夜は、静かに終わる。
何も壊れない代わりに、何も進まない。
それを選ぶのも、きっと簡単だ。
でも——
悠人は、膝の上で手を握りしめた。
(逃げたら、同じだ)
昨夜、言葉にした気持ちは本物だった。
なら、今日も、明日も。
自分から、踏み出さなければならない。
悠人は、深く息を吸う。
まだ言わない。
今じゃない。
でも、決めた。
次に口を開くときは、
聞こえなかった言葉に、逃げない。
曖昧な場所に、留まらない。
コーヒーを飲み終えた頃、
ホルが、少しだけ姿勢を変えた。
それだけのことが、やけに大きく感じられた。
(……次は)
悠人は、心の中でそう繰り返す。
次は、ちゃんと。
次は、はっきり。
この気持ちを、終わらせないために。
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