私の婚約者には好きな人がいる

椿蛍

文字の大きさ
20 / 24

20 雨

しおりを挟む

マンションに帰ると、静代さんがいて、私の姿を見るなり、怒りをあらわにした。
「高辻のお嬢様になんてことを!」
「静代さん、落ち着いて」
「いいえ!落ち着いてなんかいられませんよ!惟月いつき様はなにをしておいでですか!こんな危険な目にあわせるなんて、とんでもない!」
「惟月さんは悪くないわ」
赤く擦りむいた膝や手のひらを静代さんは消毒してくれた。
「旦那様にご報告しなくては!」
「やめて。たいしたことないのに大騒ぎしないで。お父様は私の結婚に賛成してくださって、もう高辻ではないの。清永きよながなのよ?私と惟月さんで解決するようにとおっしゃるに違いないわ」
不満そうに静代さんは私を見た。
「それでも、お嬢様はまだ高辻のお嬢様ですよ。旦那様はそうおっしゃるかもしれませんが、恭士きょうじ坊ちゃまは違います。きっと連れ帰るようおっしゃいますよ」
「お兄様はそうかもしれないけれど……」
否定できなかった。
「静代さん、お兄様には絶対に言わないで」
呆れた顔で静代さんは私にため息を吐き、無言で立ち上がった。
静代さんは冷たい態度で、キッチンに消えて行った。
お茶の用意をしてくれているらしく、カップの音とお湯を沸かす音が聞こえた。
惟月さんは後始末をすると言ったけれど、どうするつもりなんだろう。
冷静な時の惟月さんなら、ともかく―――
「お茶が入りましたよ」
「ありがとう」
熱いお茶を飲むと、ホッとして少し眠くなってきたような気がした。
「お嬢様、少しお休みになられたらどうですか。お疲れになったんでしょう」
「ええ……そうね」
眠気が襲い、まぶたが閉じかけた。
違和感があった。
こんな急に眠くなる?
おかしいと、思って静代さんを見ていると、目の前がぼやけて、誰かが入ってくる足音がした。
咲妃さきは?」
「眠っておいでです」
まだ眠ってないわ、と思ったけれど、声がでない。
「そうか」
恭士お兄様の声に目を懸命に開けようとしたけど、ぼんやりとしか、その顔は見えなかった。
体を抱えられ、外に連れ出されて車に乗せられたのが、分かった。
「高辻にいれば、こんな目にあわせないものを!」
怒りの声を最後に眠ってしまった。


◇      ◇    ◇     ◇     ◇


惟月さんと初めて会ったのは成人式を控え、新しい振り袖ができあがったばかりの頃だった。
「お見合いなんて、気がすすまないわ」
「ははは。咲妃お嬢様、とても素敵な方かもしれませんよ」
いつもの運転手が励ましてくれたけど、そうかしら?と反発する気持ちを抑えられなかった。
自分の心の中のように重たいグレーの空を見上げた。
雨が降りそうで降らない。
中途半端な天気だった。
女子大学生になり、学校はずっとエスカレーター式とはいえ、大学ともなると外部からの生徒が多く入学してきて、ようやく自分が箱入り娘なのかも?と思い始めていた。
そして、恋をする機会もないまま、この年齢まで来てしまったと気づいた頃には遅く、親が決めた相手とお見合いが決まっていた。
「憂鬱だわ」
「旦那様が選んだなら、きっと間違いない方ですよ」
「商売と結婚相手を選ぶのは違うもの」
いつもなら、そうね、と済ますところを我慢できずに反論した。
運転手が困っていたので、それ以上は言わずに黙って窓の外を眺めていた。
お見合い場所はお父様が懇意にしている料亭があり、そちらを使うことになっていた。
「傘はよろしいですか」
「降っていないから、大丈夫よ」
面白くなくて、意地を張ってそう言った。
車から降りて、足場の悪い砂利の駐車場を出たところで雨がポツポツと降りだして後悔した。
冷たい雨が頬や手の甲にあたる。
さっきまで降っていなかったのに今、降らなくても。
灰色の空を恨めしく思った。
着物のせいで、急ぐこともできず、投げやりな気持ちで歩いていると、突然、頭上に影が出来て、見上げると傘があった。
驚いたけれど、傘をさしてくれた人に頭をさげた。
「ありがとうございます」
「いいえ」
お見合い相手がこんな優しい方だといいのに―――
そんなことを思いながら、足元を気を付けながら、歩いた。
料亭の入り口に行くと、料亭の女将さんが待っていた。
「まあ。お揃いで。お足の悪いところ、よくいらしてくださいましたね。高辻様、清永様」
清永様?その名前は今日のお見合い相手の名前だった。
傘を静かにとじていた男性に視線をやると、まるで西洋のお人形のように綺麗な方で驚いた。
陶器のような白い肌に長いまつげ、茶色のサラサラの髪と瞳。
こんな―――隣に並んでいるのも申し訳なく思うくらい綺麗な方が私のお見合い相手?
あまりにも自分が身の程しらずで、図々しい気がして、お見合いの間中、うつむいたまま、目を合わすことができなかった。
これが、私の初恋だと気づいたのはお見合いが終わって、次はいつ会えるのだろうと去っていく後ろ姿を見送っている時だった―――
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

離婚すると夫に告げる

tartan321
恋愛
タイトル通りです

壊れていく音を聞きながら

夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。 妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪 何気ない日常のひと幕が、 思いもよらない“ひび”を生んでいく。 母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。 誰も気づきがないまま、 家族のかたちが静かに崩れていく――。 壊れていく音を聞きながら、 それでも誰かを思うことはできるのか。

〈完結〉遅効性の毒

ごろごろみかん。
ファンタジー
「結婚されても、私は傍にいます。彼が、望むなら」 悲恋に酔う彼女に私は笑った。 そんなに私の立場が欲しいなら譲ってあげる。

離婚した妻の旅先

tartan321
恋愛
タイトル通りです。

(完結)私より妹を優先する夫

青空一夏
恋愛
私はキャロル・トゥー。トゥー伯爵との間に3歳の娘がいる。私達は愛し合っていたし、子煩悩の夫とはずっと幸せが続く、そう思っていた。 ところが、夫の妹が離婚して同じく3歳の息子を連れて出戻ってきてから夫は変わってしまった。 ショートショートですが、途中タグの追加や変更がある場合があります。

妻の遺品を整理していたら

家紋武範
恋愛
妻の遺品整理。 片づけていくとそこには彼女の名前が記入済みの離婚届があった。

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

不倫の味

麻実
恋愛
夫に裏切られた妻。彼女は家族を大事にしていて見失っていたものに気付く・・・。

処理中です...