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第2章
33 妻と恋人は違うでしょ? ※メリア
――イーザック様、わたくしの初夜はいつですか?
今夜もわたくしの部屋に、イーザック様は来ない。
わたくしだけが眠る用意だけをして、侍女たちは下がっていった。
イーザック様の愛の証しなのか、わたくしには歴代の王妃が使っていた立派な部屋が与えられた。
荘厳な絵画、金の刺繍のカーテン、豪華なシャンデリア――それらを見ても、わたくしの心は満たされず、むなしかった。
「妻になれば、恋人の時より大切にしてくれると思っていたのに……」
でもそれは、間違いだった。
イーザック様の一日の予定は、昼は政務、夜は勉強。
わたくしと過ごす時間は、食事以外でほとんどなかった。
わたくしの機嫌の悪さを察してか、夏になれば、休暇を取ると約束してくれた――約束してくれたけど!
「わたくしは今すぐ妻として扱ってほしいのよ!」
あまりの腹ただしさに、水差しが置かれたテーブルを叩いた。
テーブルが揺れ、水が散らばる。
ガラスの水差しに、嫉妬と憎悪で歪んだ顔が映った。
「こんなはずじゃ……こんなはずじゃなかったわ!」
古めかしいテーブルに爪をたてた。
テーブルに爪の細い線がいくつも残った。
結婚前は『メリア、愛してる』と言ってくれたイーザック様。
それが、結婚後のわたくしたちは、お互いを知れば知るほどすれ違い、『愛してるよ』なんて言ってくれない。
わたくしと過ごす休暇のため、忙しくされているのはわかっている。
――でも、待っていられないわ!
わたくしは焦っていた。
大臣たちから感じる無言の圧力!
『メリア妃、そろそろいい知らせを聞かせてもらえるのでは?』
『妃になれば、子をすぐにでも、もうけてみせると言ったのは、メリア妃ですぞ』
『メリア妃……いやいや、メリア嬢。そろそろ成果を見せてほしいものですな』
などと、大臣たちは『メリア妃』をわざと連呼する。
ぎりっと爪を噛んだ。
――イーザック様は頑固で、こうと決めたら、なかなか自分の意見を変えない方よ。夏休暇までの間、自分の生活を変えるつもりはないわ!
つまり、わたくしの初夜は夏までお預け。
夏の休暇まで、二ヶ月もある。
「夏までにイーザック様が心変わりしてしまったら……?」
お茶会の失敗により、わたくしの妃としての資質を疑いだしたイーザック様。
このままだと、レフィカ様を呼び戻すかもしれない。
――ベルタ! 早く! 早く邪魔者を始末して!
そう強く願った時、部屋の扉が開いて、夜風が吹き込んだ。
燭台の炎が揺れ、扉のほうへ顔を向けた。
「イーザック様!?」
夜に訪れるのは、イーザック様しかいない!
――ようやく、わたくしの初夜が!
期待して振り返ったけれど、そこにいたのはイーザック様ではなく、侍女の制服を着たベルタだった。
「ベルタだったの……」
わたくしのがっかりした様子に、なにかを察したベルタは、申し訳なさそうな顔で、小さくお辞儀をした。
「メリア様、申し訳ありません……」
「間違えただけよ。いちいち謝らないでちょうだい」
ベルタの同情する目が、我慢ならない。
「それより、あなたが戻ったということは、レフィカ様を始末できたということよね?」
これで、イーザック様はわたくし一人のもの。
安心して夏の休暇を迎えられる。
嬉しくて思わず、ふふっと笑みがこぼれた。
「レフィカ様の最期はどんなふうだったのかしら? 惨めに命乞いをしていた?」
「いいえ、その……」
「どういうこと? まさか始末せずに戻ってきたの?」
「レフィカ様のそばにベルクヴァイン公爵……ジグルズ様がいて近寄れませんでした」
――ジグルズ様。優秀で王になるだろうと、誰もが思っていたのに、みずから王位を捨てた第一王子。
もちろん、わたくしも知っている。
ジグルズ様は堂々とした振る舞いや容姿の良さから、令嬢たちからも人気があった。
でも、父親の国王陛下から嫌われていた。
だから、貴族たちはジグルズ様との付き合いに、とても慎重だったのを覚えている。
「メリア様。ジグルズ様は優しげに見えますが、見た目ほど穏やかな方ではありません」
「ベルタはジグルズ様を知っているの?」
「私の生まれ育った場所では、善良な人間であればあるほど生きていけません」
ベルタの生まれは王都の貧民窟で、住む場所もない人間が集まっているところだ。
「お金欲しさに、ジグルズ様を狙い、金目のものを奪おうとした人間を知っております」
「護衛がいたでしょう?」
「それが、誰もいませんでした」
「護衛がいないですって? ジグルズ様はそこまで父親から嫌われていたということ?」
「そのようです。ならず者たちが、ジグルズ様を誘拐しようとしたこともありましたが、勝てた者は一人としておりません」
強いとは聞いていたけど、ジグルズ様が王都にいたのは成年前の十六歳までのこと。
その頃からすでに、ジグルズ様は非凡な方だったとわかる。
「ジグルズ様がレフィカ様のそばにいては、近づけません」
「そんなにジグルズ様は、レフィカ様から離れないの?」
「はい。ほとんど一緒に行動なさってます。それ以外は、町役場で働いていて、大勢の人の目があります」
つまり、素人では近づけない――そう思った時。
「……ほとんど一緒にいるだと?」
わたくしとベルタは、声がしたほうを同時に見た。
ベルタは扉を閉め忘れ、そこにいたのはイーザック様だった。
――もしかして、とうとう初夜!?
今の話を聞かれていたかもしれないという可能性を考えるより先に、イーザック様がわたくしの部屋へ訪れたことが嬉しくて、胸の前で両手を握り締めた。
「イーザック様! ベルタの用事は終わりましたの。どうぞ、部屋の中へ入られてくださいませ! ベルタ、あなたは下がりなさい!」
「わざわざ、ベルタを部屋の外へ追い出さなくてもいい」
「そ、そんな、ベルタがいてもいいなんて……わたくし、恥ずかしいですわ……」
「俺の用事はすぐに済む。兄上がレフィカとずっといるというのは本当か?」
イーザック様の視線は、妻のわたくしではなく、ベルタに向けられていた。
――気になるのは、レフィカ様? わたくしとの初夜のために訪れたのではないの?
「は、はい……。お二人は親密なご様子でした」
「……レフィカは死ぬ気か?」
ジグルズ様がいたら、『レフィカ様を殺せない』と言うベルタ。
その一方で、ジグルズ様がそばにいると、『レフィカ様が死ぬ』と言うイーザック様。
――どういう意味?
「イーザック様。レフィカ様はジグルズ様がいると、なぜ、死にますの?」
「それはメリアであっても言えない。王である俺だけが知ることだ」
「わたくしに秘密だなんて……」
「メリアには関係ないことだ。くそっ! 忠告してやったというのに! あんな女、勝手にすればいい!」
そう言いながら、イーザック様はわたくしに背を向けた。
「どちらへ行かれますのっ!?」
「……部屋へ戻る」
「そんな……わたくしとの初夜はどうなりますの?」
イーザック様は振り向くことなく、背を向けたまま、拳を握り締めた。
「悪いが、今はそれどころではない」
わたくしの大切な初夜が、『それ』扱い。
そんなどうでもいいような扱いをされる覚えはない。
カッとなって、言い返そうとしたけれど、すでにイーザック様は、わたくしの部屋を出た後だった。
イーザック様は一度も振り返らず、早急にわたくしの部屋から出ていった。
「メリア様……」
ベルタは気づかわしげに、わたくしを見つめていた。
「部屋に来たのは、わたくしとの初夜ではなかったの……?」
ようやく初夜かと思って期待したのに、今夜もわたくしは一人。
――夏まで……夏休暇になるまで、イーザック様はわたくしを愛しているかしら?
心変わりをしたら、そこで終わり。
レフィカ様とわたくしの立場が逆転し、人々はわたくしを嘲笑うだろう。
わたくしの握りしめた手が、怒りと焦りで震えていた。
――なんとかしなければ……!
「メリア様。陛下に今の話を聞かれていたのではないでしょうか? もし、レフィカ様の命を狙う話を聞かれていたら……」
「ベルタ。なにを言ってるの! レフィカ様の話をしていなければ、今日がわたくしの初夜だったわ!」
「メリア様、初夜どころではございません。レフィカ様は正妃です。もし、失敗して捕まったら、私もメリア様も死刑です!」
――正妃。
今のわたくしの胸に鋭く突き刺さったのは、死刑という言葉よりも『正妃』の呼称だった。
わたくしがどれだけ望んでも、ずっと手に入らない『正妃』の名と立場。
わたくしから正妃の地位を奪ったのは、レフィカ様。
彼女さえ、いなければ、わたくしが正妃だったはず――
「ベルタ。腕利きの暗殺者を雇いなさい。ジグルズ様がそばにいるなら、あなたでは難しいでしょう」
「暗殺者を……」
ベルタはしょせん素人。
最初から、ベルタにやらせようとしたのが間違いだった。
銀の鏡台まで早足で歩き、引き出しの取っ手を引く。
引き出しの中には、宝石がついたアクセサリーがたくさん入っていた。
「暗殺者を雇うのに、この宝石を使いなさい」
引き出しの中から、宝石がついたアクセサリーをいくつも取り出して、ベルタに渡す。
「お待ちください。もし、陛下が先ほどの話を耳にしていたら、メリア様も罪に問われます……! 今なら、まだ!」
「わたくしに惨めなままでいろと言うの? 妻になったのに、初夜すらまだなのよ。なぜだかわかる? イーザック様はレフィカ様に惹かれているからよ!」
ベルタはハッとした表情を浮かべ、わたくしに頭を下げた。
「イーザック様の愛が手に入るなら、宝石なんて、いくらでもくれてやるわ! ベルタ、あなたはわたくしの味方でしょう?」
「もちろんです。私はメリア様に拾われた身。裏切ったりなどしません」
ベルタは宝石のついたアクセサリーを両手で、恭しく受け取った。
「……メリア様のため、レフィカ様を始末しますわ。吉報をお待ちくださいませ」
「ベルタ! わたくしが頼れるのは、ベルタだけよ!」
「メリア様の信頼は私だけのもの。その信頼にお応えしてみせます」
ベルタは覚悟を決めた顔で、わたくしに一礼し、きゅっと唇を結ぶ。
そして、部屋から出ていった。
「そうよ……。もう信じられるのは、ベルタだけ……ベルタだけよ……」
誰も信用できない――わたくしを『愛している』と言っていたイーザック様。
――あなたが言った『愛している』は、本物の愛でしたか?
当たり前のように愛情を注がれてきたイーザック様。
イーザック様にとって、『人を愛する』ことがどんなことなのか、気づいていなかったとしたら……
――イーザック様の初恋はレフィカ様。
どこからか、冷たい夜風が入り込み、ぶるっと寒気が走った。
そんなはずないと思いたい。
でも、今のイーザック様が、わたくしに言わなくなった言葉がある。
それは――
『愛している』
レフィカ様がいなくなれば、言えますわよね?
昔のように何度でも、わたくしに『愛しているよ、メリア』と――
今夜もわたくしの部屋に、イーザック様は来ない。
わたくしだけが眠る用意だけをして、侍女たちは下がっていった。
イーザック様の愛の証しなのか、わたくしには歴代の王妃が使っていた立派な部屋が与えられた。
荘厳な絵画、金の刺繍のカーテン、豪華なシャンデリア――それらを見ても、わたくしの心は満たされず、むなしかった。
「妻になれば、恋人の時より大切にしてくれると思っていたのに……」
でもそれは、間違いだった。
イーザック様の一日の予定は、昼は政務、夜は勉強。
わたくしと過ごす時間は、食事以外でほとんどなかった。
わたくしの機嫌の悪さを察してか、夏になれば、休暇を取ると約束してくれた――約束してくれたけど!
「わたくしは今すぐ妻として扱ってほしいのよ!」
あまりの腹ただしさに、水差しが置かれたテーブルを叩いた。
テーブルが揺れ、水が散らばる。
ガラスの水差しに、嫉妬と憎悪で歪んだ顔が映った。
「こんなはずじゃ……こんなはずじゃなかったわ!」
古めかしいテーブルに爪をたてた。
テーブルに爪の細い線がいくつも残った。
結婚前は『メリア、愛してる』と言ってくれたイーザック様。
それが、結婚後のわたくしたちは、お互いを知れば知るほどすれ違い、『愛してるよ』なんて言ってくれない。
わたくしと過ごす休暇のため、忙しくされているのはわかっている。
――でも、待っていられないわ!
わたくしは焦っていた。
大臣たちから感じる無言の圧力!
『メリア妃、そろそろいい知らせを聞かせてもらえるのでは?』
『妃になれば、子をすぐにでも、もうけてみせると言ったのは、メリア妃ですぞ』
『メリア妃……いやいや、メリア嬢。そろそろ成果を見せてほしいものですな』
などと、大臣たちは『メリア妃』をわざと連呼する。
ぎりっと爪を噛んだ。
――イーザック様は頑固で、こうと決めたら、なかなか自分の意見を変えない方よ。夏休暇までの間、自分の生活を変えるつもりはないわ!
つまり、わたくしの初夜は夏までお預け。
夏の休暇まで、二ヶ月もある。
「夏までにイーザック様が心変わりしてしまったら……?」
お茶会の失敗により、わたくしの妃としての資質を疑いだしたイーザック様。
このままだと、レフィカ様を呼び戻すかもしれない。
――ベルタ! 早く! 早く邪魔者を始末して!
そう強く願った時、部屋の扉が開いて、夜風が吹き込んだ。
燭台の炎が揺れ、扉のほうへ顔を向けた。
「イーザック様!?」
夜に訪れるのは、イーザック様しかいない!
――ようやく、わたくしの初夜が!
期待して振り返ったけれど、そこにいたのはイーザック様ではなく、侍女の制服を着たベルタだった。
「ベルタだったの……」
わたくしのがっかりした様子に、なにかを察したベルタは、申し訳なさそうな顔で、小さくお辞儀をした。
「メリア様、申し訳ありません……」
「間違えただけよ。いちいち謝らないでちょうだい」
ベルタの同情する目が、我慢ならない。
「それより、あなたが戻ったということは、レフィカ様を始末できたということよね?」
これで、イーザック様はわたくし一人のもの。
安心して夏の休暇を迎えられる。
嬉しくて思わず、ふふっと笑みがこぼれた。
「レフィカ様の最期はどんなふうだったのかしら? 惨めに命乞いをしていた?」
「いいえ、その……」
「どういうこと? まさか始末せずに戻ってきたの?」
「レフィカ様のそばにベルクヴァイン公爵……ジグルズ様がいて近寄れませんでした」
――ジグルズ様。優秀で王になるだろうと、誰もが思っていたのに、みずから王位を捨てた第一王子。
もちろん、わたくしも知っている。
ジグルズ様は堂々とした振る舞いや容姿の良さから、令嬢たちからも人気があった。
でも、父親の国王陛下から嫌われていた。
だから、貴族たちはジグルズ様との付き合いに、とても慎重だったのを覚えている。
「メリア様。ジグルズ様は優しげに見えますが、見た目ほど穏やかな方ではありません」
「ベルタはジグルズ様を知っているの?」
「私の生まれ育った場所では、善良な人間であればあるほど生きていけません」
ベルタの生まれは王都の貧民窟で、住む場所もない人間が集まっているところだ。
「お金欲しさに、ジグルズ様を狙い、金目のものを奪おうとした人間を知っております」
「護衛がいたでしょう?」
「それが、誰もいませんでした」
「護衛がいないですって? ジグルズ様はそこまで父親から嫌われていたということ?」
「そのようです。ならず者たちが、ジグルズ様を誘拐しようとしたこともありましたが、勝てた者は一人としておりません」
強いとは聞いていたけど、ジグルズ様が王都にいたのは成年前の十六歳までのこと。
その頃からすでに、ジグルズ様は非凡な方だったとわかる。
「ジグルズ様がレフィカ様のそばにいては、近づけません」
「そんなにジグルズ様は、レフィカ様から離れないの?」
「はい。ほとんど一緒に行動なさってます。それ以外は、町役場で働いていて、大勢の人の目があります」
つまり、素人では近づけない――そう思った時。
「……ほとんど一緒にいるだと?」
わたくしとベルタは、声がしたほうを同時に見た。
ベルタは扉を閉め忘れ、そこにいたのはイーザック様だった。
――もしかして、とうとう初夜!?
今の話を聞かれていたかもしれないという可能性を考えるより先に、イーザック様がわたくしの部屋へ訪れたことが嬉しくて、胸の前で両手を握り締めた。
「イーザック様! ベルタの用事は終わりましたの。どうぞ、部屋の中へ入られてくださいませ! ベルタ、あなたは下がりなさい!」
「わざわざ、ベルタを部屋の外へ追い出さなくてもいい」
「そ、そんな、ベルタがいてもいいなんて……わたくし、恥ずかしいですわ……」
「俺の用事はすぐに済む。兄上がレフィカとずっといるというのは本当か?」
イーザック様の視線は、妻のわたくしではなく、ベルタに向けられていた。
――気になるのは、レフィカ様? わたくしとの初夜のために訪れたのではないの?
「は、はい……。お二人は親密なご様子でした」
「……レフィカは死ぬ気か?」
ジグルズ様がいたら、『レフィカ様を殺せない』と言うベルタ。
その一方で、ジグルズ様がそばにいると、『レフィカ様が死ぬ』と言うイーザック様。
――どういう意味?
「イーザック様。レフィカ様はジグルズ様がいると、なぜ、死にますの?」
「それはメリアであっても言えない。王である俺だけが知ることだ」
「わたくしに秘密だなんて……」
「メリアには関係ないことだ。くそっ! 忠告してやったというのに! あんな女、勝手にすればいい!」
そう言いながら、イーザック様はわたくしに背を向けた。
「どちらへ行かれますのっ!?」
「……部屋へ戻る」
「そんな……わたくしとの初夜はどうなりますの?」
イーザック様は振り向くことなく、背を向けたまま、拳を握り締めた。
「悪いが、今はそれどころではない」
わたくしの大切な初夜が、『それ』扱い。
そんなどうでもいいような扱いをされる覚えはない。
カッとなって、言い返そうとしたけれど、すでにイーザック様は、わたくしの部屋を出た後だった。
イーザック様は一度も振り返らず、早急にわたくしの部屋から出ていった。
「メリア様……」
ベルタは気づかわしげに、わたくしを見つめていた。
「部屋に来たのは、わたくしとの初夜ではなかったの……?」
ようやく初夜かと思って期待したのに、今夜もわたくしは一人。
――夏まで……夏休暇になるまで、イーザック様はわたくしを愛しているかしら?
心変わりをしたら、そこで終わり。
レフィカ様とわたくしの立場が逆転し、人々はわたくしを嘲笑うだろう。
わたくしの握りしめた手が、怒りと焦りで震えていた。
――なんとかしなければ……!
「メリア様。陛下に今の話を聞かれていたのではないでしょうか? もし、レフィカ様の命を狙う話を聞かれていたら……」
「ベルタ。なにを言ってるの! レフィカ様の話をしていなければ、今日がわたくしの初夜だったわ!」
「メリア様、初夜どころではございません。レフィカ様は正妃です。もし、失敗して捕まったら、私もメリア様も死刑です!」
――正妃。
今のわたくしの胸に鋭く突き刺さったのは、死刑という言葉よりも『正妃』の呼称だった。
わたくしがどれだけ望んでも、ずっと手に入らない『正妃』の名と立場。
わたくしから正妃の地位を奪ったのは、レフィカ様。
彼女さえ、いなければ、わたくしが正妃だったはず――
「ベルタ。腕利きの暗殺者を雇いなさい。ジグルズ様がそばにいるなら、あなたでは難しいでしょう」
「暗殺者を……」
ベルタはしょせん素人。
最初から、ベルタにやらせようとしたのが間違いだった。
銀の鏡台まで早足で歩き、引き出しの取っ手を引く。
引き出しの中には、宝石がついたアクセサリーがたくさん入っていた。
「暗殺者を雇うのに、この宝石を使いなさい」
引き出しの中から、宝石がついたアクセサリーをいくつも取り出して、ベルタに渡す。
「お待ちください。もし、陛下が先ほどの話を耳にしていたら、メリア様も罪に問われます……! 今なら、まだ!」
「わたくしに惨めなままでいろと言うの? 妻になったのに、初夜すらまだなのよ。なぜだかわかる? イーザック様はレフィカ様に惹かれているからよ!」
ベルタはハッとした表情を浮かべ、わたくしに頭を下げた。
「イーザック様の愛が手に入るなら、宝石なんて、いくらでもくれてやるわ! ベルタ、あなたはわたくしの味方でしょう?」
「もちろんです。私はメリア様に拾われた身。裏切ったりなどしません」
ベルタは宝石のついたアクセサリーを両手で、恭しく受け取った。
「……メリア様のため、レフィカ様を始末しますわ。吉報をお待ちくださいませ」
「ベルタ! わたくしが頼れるのは、ベルタだけよ!」
「メリア様の信頼は私だけのもの。その信頼にお応えしてみせます」
ベルタは覚悟を決めた顔で、わたくしに一礼し、きゅっと唇を結ぶ。
そして、部屋から出ていった。
「そうよ……。もう信じられるのは、ベルタだけ……ベルタだけよ……」
誰も信用できない――わたくしを『愛している』と言っていたイーザック様。
――あなたが言った『愛している』は、本物の愛でしたか?
当たり前のように愛情を注がれてきたイーザック様。
イーザック様にとって、『人を愛する』ことがどんなことなのか、気づいていなかったとしたら……
――イーザック様の初恋はレフィカ様。
どこからか、冷たい夜風が入り込み、ぶるっと寒気が走った。
そんなはずないと思いたい。
でも、今のイーザック様が、わたくしに言わなくなった言葉がある。
それは――
『愛している』
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