身分差婚~あなたの妻になれないはずだった~

椿蛍

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第4章

33 どうか別れの言葉を

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 海辺にある鷹沢の別荘は、波の音がするだけのなにもない寂しい場所にあった。
 お手伝いさんが一人と看護師さんが一人いて、他に人はいなかった。
 
「夕愛ちゃん。鷹沢の当主だと思えないくらい寂しい場所で驚いた? でも、父さんがここを選んで。……思い出の場所なんだろうね」

 灰色の空と同じ色をした暗い海が広がる窓を背に、海寿さんが立っていた。
 先に別荘へ着いた海寿さんは、私たちを出迎え、いつもと同じ顔で笑って本心を隠す。
 誰にも気づかれないように――
 
 ――違う。一人だけ気づいている人がいた。

 玲我さんは海寿さんの本当の顔に気づいている。
 二人は鷹沢と有近なのに、昔からの友人のように親しかった。

「海寿。俺が海宏みひろさんの部屋に入ってもいいのか?」
「俺が出した夕愛ちゃんと会わせる時の条件の一つだ。玲我が同席していれば、なにがあっても安心だからね」
「……わかった」

 気のせいでなければ、海寿さんは海宏さんを信用してないような口ぶりだった。
 玲我さんも私と海宏さんの一対一で会わせる気はないらしく、警戒していた。
 海宏さんがいる奥の部屋へ向かう手前の部屋には、海宏さんが座っていたのか、暖炉前にソファーにクッションが置いてあるのが見えた。
 不器用な人が縫ったののか、いびつな刺繍がされたクッションは、立派な家具の中で浮いている。

『思い出の場所なんだろうね』

 まるで、誰の目にも触れたくない――外界を拒絶したような海辺の別邸は、都久山とまったく違うこじんまりとした小さな洋館。
 三人程度の家族が住むにはちょうどい大きさだった……

「夕愛ちゃん。父さんと会ってくれてありがとう」
「いえ……」
 
 私と海寿さんはお互いの顔を見て、どちらもなにも言わなかった。
 聞きたいことや言いたいことはあったはずなのに、なんと言えばいいのかわからず、私は視線を落とした。
 海寿さんは私と玲我さんに背を向け、白い扉の前まで案内する。
 そして、ゆっくりドアを開いた。

「夕愛ちゃん。嫌だったら出てきていいからね」

 そう言って、海寿さんは部屋のドアを閉めた。
 部屋には私と玲我さん、海宏さんの三人――部屋は病院の病室のようで、ベッドの周りは白いカーテンで遮られ、海宏さんの姿は見えなかった。

「やっと……連れてきたのか」

 昔、公園で聞いた海宏さんの声より、力がない声だった。
 海宏さんがカーテンに手をかけるのが見えたけど、その手はベッドの上に落ち、なかなかあがらなかった。
 
 ――本当にこれが最後かもしれない。

 海宏さんは気力だけで生きている。

「海寿は誰に似たのか、意地の悪い男だ。こんな姿になるまで、連れてこないなんてな。触れたくても触れられない……」

 体がこうなる前から、私にずっと会いたいと言っていたようで、声に悔しさが滲んでいた。

「海寿は少しも悪くありませんよ。悪いのはあなただ」

 玲我さんは私の代わりに返事をした。
  怒りに満ちた鋭い目で、玲我さんはカーテンの向こうにいる海宏さんをにらむ。

「有近か。お前は一番気にくわない男だ。欲しいものを手に入れて……」

 海宏さんの呼吸が浅くなり、言葉が途切れた。
 その途切れた言葉の先を埋めたのは、玲我さんだった。

「なにが気にくわないだ。気にくわないのはこっちだ! あんたの身勝手な行動でどれだけ多くの人間を傷つけたと思ってるんだ!」

 玲我さんが声を荒げる姿を始めて見た。
 それくらい腹が立ったのだと思う。

「こんな醜態を晒すくらいなら、反対されても結婚すればよかっただろう!」
「俺の人生を醜態と言うか……」
「違うのか? 俺はそう感じた。俺は海寿と違って、いっさい同情はしない。本当は海寿が俺を呼びにこなかったら、夕愛を合わせる気はなかった」

 ――玲我さんにこれ以上、ひどいことを言わせてはいけない。

 自分のためではなく、玲我さんは他の人のために怒ったのだ。
 海寿さん、鷹沢の奥様――そして、私の母と父、私のために。

「玲我さん、もう怒らないでください。大丈夫ですから」
「夕愛……」
「私の両親は幸せでした。私の記憶の中にある両親はいつも笑顔で、暗い顔をしていないんです」


 海宏さんの手がカーテンを握りしめ、心の中にあった重いものを吐き出すように、息を吐いた。

「幸せだった?」
「そうです。父と母は幸せでした」
「俺は幸せじゃなかった。だから、俺を一生忘れず、一緒に不幸になってほしかった……彼女も……俺と同じように」

 玲我さんが手を握り締めたのを見て、私の手を拳に重ねた。
 私のほうへ顔を向け、玲我さんは息を吐いて肩の力を抜く――自分と別れたから、不幸でいてほしいなんて、玲我さんなら思わない。

「あなたがどれだけ母の不幸を願っても、父と母は愛し合っていて、私は愛されて育ちました」
「……育った子供見れば、幸せでいることくらいわかってる」
 
 海宏さんの指がカーテンから離れ、再びベッドの上に力なく落ちた。
 もうカーテンを開ける力もなく、呼吸をするだけで精一杯だった。
 激しかった雨が弱まり、波の音だけが部屋に響く。何度か繰り返す波の音の後、海宏さんは言った。

「似ているのは見た目と声だけだったな」

 私の両親は二人とも優しくて儚くて、どこかふんわりした人だったと思う。
 私が変わったのは、両親が死んで叔父夫婦と暮らすようになってからのような気がする。
 特に自由奔放な光華みつかの影響が大きい。

「人は変わります。私を産んでから、母は強くなったと周りの人は言っていましたし、変わるチャンスは何度もあったと思います」
「いやみか……」

 息をするのもやっとで、苦しいはずなのに、海宏さんは私との会話を限界まで続けた。

「……最後に頼みがある」
「なんでしょうか?」

 難しい頼みだったらどうしようと思った。
 でも、海宏さんが私に頼んだのは――

「俺に言ってほしい。さよならと」

 海宏さんが私に望んだのは、別れの言葉だった。
 最初から、それを頼むために海宏さんは私を呼んだのだ。
 終わりのない自分の恋に決着を着けて旅立ちたかった。
 未練を残さずに――

「さよなら……海宏さん」

 母の代わりに、別れを告げた。

早恵さえ。さよなら……」

 母の名を呼んだ後は、凪いだ海のように静かになった。
 
 ――これで、よかった。
 
 玲我さんが私の手を引き、病室を出る。
 ドアを閉め、廊下に出ると、さっきまで感じていた息苦しさが消え、自分が緊張していたことに気づいた。

「あいつのせいで関わった全員が苦しんだ。夕愛、あの男のために泣くな。涙がもったいない」
「玲我さん。私は小椋の両親の子供ですよね……?」
「それは間違いない。俺が保証する」

 そうだろうと思っていたけど、玲我さんに肯定してほしかった。

 ――私は小椋の両親の子だけど、海寿さんは……

 そう思った瞬間、玄関のあたりが騒がしくなった。
 玄関に黒塗りの車が停まり、着物姿の線の細い女性が足早に入ってくる。
 玲我さんはその女性を避けようとしたのか、後ろを振り返った。
 でも、私たちの後ろは海宏さんの部屋で、戻るわけにはいかない。
 運転手さんが止めようと、後ろを追いかけてくるけれど、女性は必死の形相でそこらじゅうのドアを開けた。

「奥様! お待ちください」
「海寿さん! 海寿さんはどこ!?」

 着物の女性は必死に海寿さんを探している。
 声を聞きつけた海寿さんが居間から出てきて、顔色を変えた。

「母さん。どうしてここに? 今日は都久山にいる予定じゃ……」

 ――この方が鷹沢の奥様?

 キリッとした顔立ちの女優みたいに綺麗な方だった。
 けれど、私の姿を見た途端、鬼のような顔をし、憎々しげに私をにらみつけた。

「やっぱり来てよかったわ。また泥棒猫が鷹沢に入ってきたのね! 私から婚約者を奪って、子供まで奪うつもり!?」
「母さん、違う。あれは小椋さんと早恵さんの娘だ」

 海寿さんが違うと言っても、鷹沢の奥様は聞く耳をもたなかった。

「嘘。そんな嘘に騙されないわ。海寿はここにいるわね? いるわよね?」

 諦めたように海寿さんはつかまれた腕を振りほどかず、うなずいた。

「……ああ」
「それならいいの。私の子供が連れ去られてしまうのかと思ったわ」

 まるで、鷹沢の奥様だけ別の世界にいるようだった。

「夕愛、こっちへ」

 私を呼んだ玲我さんに気づき、鷹沢の奥様が怯んだ。

「有近の子……?」
「父さんではないとわかるんですね。俺は玲我ですよ。海寿と同じ年齢に有近の息子がいたのを覚えてますか?」

 玲我さんは同情的だったけど、それは鷹沢の奥様というより、海寿さんを気にしているように見えた。

「鷹沢の妻が有近の前で醜態を見せてもいいのですか?」
 
 有近の名前に動揺するのがわかった。
 正気を取り戻したのか、私と玲我さんを見比べた。
 わからないなりに、なにかおかしいと思ったようだった。
 戸惑っている間に、玲我さんは私を玄関まで連れていく。
 玲我さんの顔と声で、鷹沢の奥様は正気に戻ったのか、静かになった。

「有近と鷹沢の不仲も役に立つな」

 鷹沢の奥様が私たちを追ってくることはなく、無事に車へ戻ることができた。
 車のドアが閉まり、玲我さんと二人だけになるとホッとして 、肩の力が抜けた。

「あの、玲我さん……。このまま帰っても海寿さんは平気ですか?」
「ああ。海寿なら慣れてる」

 私は小椋の父と母がいて幸せだった。

 ――でも、海寿さんは鷹沢にいて幸せだった?

 身分差の恋の代償。
 多くの人が傷ついた恋だったと、玲我さんが怒るのも無理はない。
 私と玲我さんも一歩間違えば、同じようになっていた。
 でも、そうならなかった。

「夕愛?」

 海宏さんは恋を諦め、玲我さんは諦めなかった。
 
「玲我さん。好きです。大好きです……」
「俺もだよ」

 玲我さんは笑って、私にキスをした。
 私を手に入れるために、あなたがどれだけ必死になってくれたのか。
 あなたと別れた四年間。
 それは、私たちが結ばれるのに必要な時間だった――
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