32 / 40
第4章
32 私を待ち望む人
しおりを挟む
梅雨に入った頃から、私は有近家へ週に何度か通うようになっていた。
そして、『オグラ』の本店には、光華が入った。
『ただし、見習いとして働くことが条件』と、おじさんは言って、バイトの笑茉ちゃんの下につくよう光華に命じた。
スタッフ見習いでも、本店で働くのが夢だった光華は嬉しかったらしく、不満を言わず一生懸命働いている。
五十住さんと――
「五十住さんを連れ帰るの、ずっごく大変だったんだから!」
「は? 大変だったのは、こっちのほうだ!」
ちょっとしゃべると二人はこの調子で言い争っている。
店を辞め、フランスで働くはずだった五十住さんだけど、光華にフランスから連れ戻された。
二人じゃないと帰らないと、光華が言い張ったらしい。
「ちゃんと約束は守ってよ? 私がパパに一人前として認められたら、結婚してくれるって言ったんだから!」
「パパ? 店では社長って呼べよ」
「ぐっ! 社長に認められたらっ……」
ケンカ腰ではあるものの、二人の相性は悪くないようで、店の雰囲気は明るく、他のスタッフも笑いながら眺めている。
でも、笑茉ちゃんだけは、そんな二人の姿をジッと見つめ、はぁっとため息をついた。
「五十住さんが光華さんを見張ってくれてるなら安心ですね。将来に夢があっていいっていうか……」
最近の笑茉ちゃんは大学卒業後の進路に悩んでいるらしく、どこか憂鬱そうだ。
「笑茉ちゃん、大丈夫? 進学のこと?」
「あっ! は、はい。大学に入学した時は手堅い職業につこうって思っていたんですけど……」
「気持ちが変わったの?」
「そうですね。夕愛さんも光華さんも『オグラ』が大好きで楽しそうだから、私も夢をみてもいいのかなって思ったんです」
それなら、『オグラ』にと言いたいところだけど、決めるのは笑茉ちゃんだ。
「そうね。辛い時期があったけど、私にはお店があったから頑張ってこれたと思うわ」
「それって、すごく大事ですよね。失恋しても仕事が自分の支えになるって……。私、もう少し考えてみます」
「失恋?」
「なっ、なんでもないです! 失恋前提の恋なんてしてません!」
「そ、そう……?」
――笑茉ちゃんは進路のことで悩んでいるのもあるけど、もしかして、苦しい恋をしてるのかも?
私にできるアドバイスはないけれど、経験したことなら言える。
両親が死んだ時、玲我さんと別れた時――どんな時でも、お店は忙しくて、仕事に追われることで悲しみが紛れた。
私にとって、このお店にいれば、両親が生きていた頃の気配が残り、常連の都久山の人たちが声をかけてくれる場所。
家そのものだった。
だから、玲我さんは私に辞めろとは言わないし、私からお店を奪わない。
いずれ、ここから旅立つ日がやってくるとするなら、それは結婚した後のこと。
――私には玲我さんがいる。
今日は午後からお休みで、玲我さんと食事にでかける予定になっていた。
仕事に集中しなくてはと思いながら、ちらりと時計を眺めた瞬間――
「ゆーあ!」
「光華!」
ドンッと光華が私の背中から体当たりしてきた。
五十住さんにじろりとにらまれ、光華はしまったという顔をする。
「や、やあねぇ、ちょっとはしゃいだだけで、あんな怖い顔して……」
「光華。五十住さんは光華に一人前になってほしいって思ってるのよ」
「わかってる。でも、夕愛にフランスのお土産を渡すのを忘れてて。今日は午後から玲我さんと食事でしょ?」
光華は声をひそめ、エプロンのポケットから、なにか取り出した。
「夕愛。いいものあげる」
「いいもの?」
「いつも夕愛はいい子だけど、たまには悪さも必要だと思うの」
光華がくれたのは、フランスから買ってきたハイブランドの香水だった。
――香水? なぜ香水?
私がわからず、首を傾げていると光華は悪い顔をして言った。
「玲我さんにね、香水をつけてって頼むの。誘惑するのよ」
「ゆっ、誘惑!?」
「絶対喜ぶと思うのよね」
「まさか、その手で五十住さんを陥落して……」
「なにが誘惑だ。本店に来て早々サボってどうする。早く掃除しろ」
ひそひそ話す私と光華の背後から、五十住さんの低い声がして、光華が飛び上がった。
「わっ、わかってるわよ!」
「見習いがサボるな。ほら、早くイートインスペースの食器を片付けろ」
光華は五十住さんにずるずる引きずられていく。
引きずられながら、光華は私に最後の最後までアドバイスを出す。
「夕愛、たまには玲我さんの喜ぶようなことをしなきゃ駄目よ!」
「う、うん……」
光華は五十住さんに叱られながら、テーブルの片づけと掃除のやり方を教えてもらっていた。
ああ見えて、五十住さんは光華を大事にしていると思う。
本当に嫌いな相手なら、わざわざ教えたりしないからだ。
――誘惑がうまくいったってこと?
仕事が終わる時間になり、服を着替えて、香水をバッグに入れる。
そろそろ玲我さんが来るかもと思いながら、店へ戻ると、ちょうど店の前に車がとまったのが見えた。
でも、車は二台。
玲我さんが私を迎えに来ると言っていたから、一台は玲我さんの車だけど、もう一台は違う車だった。
店に入ってきたのは、玲我さんと海寿さんだった。
有近と鷹沢が揃って来店すると、店の空気も凍りつくものだけど、今日は違っていた。
二人は話をしながら、店に入ってきて、仲のいい雰囲気だったからだ。
光華とショーケースを拭いていた五十住さんが二人に気づき、なんともいえない微妙な表情を見せた。
「いらっしゃいませ……。お揃いで」
たまにお店で会うこともあったと思うけど、海寿さんは意味ありげな笑みを浮かべて、五十住さんに挨拶をした。
「久しぶり。元気だった?」
「おかげさまで」
「自由っていいね」
「いい性格してますよ……」
なんの話をしているのか、誰もわからなかったけど、玲我さんが二人の会話を聞いて笑っていた。
でも、他の人たちは笑えない。
どうして、玲我さんと海寿さんが二人でいるのかわからなかったからだ。
「夕愛。少し早いけど、もう出れる?」
「はい。大丈夫です」
言われて気づいたけど、待ち合わせの時間より少しだけ早かった。
それに玲我さんの様子がいつもと違う。
海寿さんが一緒にいるのも不思議な気がして、胸がざわついた。
――なにかあった?
「……少し早いですけど、店を出ましょうか」
私がそう言うと、海寿さんと玲我さんは、一瞬だけ安心したような表情を見せた。
「じゃあ、車へ」
玲我さんが私の背中に触れ、軽く押した。
海寿さんはすぐに車へ向かわず、笑茉ちゃんに声をかけた。
「笑茉ちゃん。これ、この間のお返し」
「お返しなんて申し訳ないです」
「気持ちばかりのお返しだよ」
――お返し? いったいなんのお返し?
バレンタインでもないし、誕生日でもない。
笑茉ちゃんはなにか言いかけたけど、口を閉じ、海寿さんにぺこりと会釈をした。
「海寿。知られたのか?」
「ああ。たまたま病院で出会って、お見舞いの花をもらったんだ」
「それでお返しか」
店を出た海寿さんと玲我さんは、誰かの話を始めた。
病院だとかお見舞いという言葉に、海寿さんの家族になにかあったのだとわかった。
「優しくて真面目ないい子だね」
「笑茉ちゃんは明るくて素直で、働き者なんですよ。とても助かってます」
玲我さんは私を見て、それから海寿さんに言った。
「……海寿。本当に夕愛を会わせるつもりか?」
「最後に一度だけ会いたいって言うから、それをそのまま玲我に伝えただけだ。俺は会おうが会うまいが、どちらでもいいと思ってる」
遠くで雷が鳴り、梅雨入りが近いと天気予報が言っていたのを思い出した。
「今さら都合がよすぎる。自分だけ楽になろうなんて卑怯だ」
今まで心の底に隠していた海寿さんの本音を聞いた気がした。
雨が降りだし、私が海寿さんの顔を見る前に、玲我さんは私の背中を押した。
「雨だ。夕愛、車へ」
「はい……。でも……」
雨のせいか、海寿さんは笑っているのに泣いているような顔に見えた。
「玲我に任せるよ。玲我は夕愛ちゃんを傷つけないだろうから」
車のドアが閉まり、運転席に玲我さんが座る。
「いったいなんのことを話しているんですか?」
玲我さんが悩んでいるのがわかる。
海寿さんもそうだった。
この二人が頭を悩ませ、困らせることができる相手はそれほど多くない。
「玲我さん。そんな苦しい顔をしないでください。私に会いたいと言っている人がいるなら会います」
私のことで、玲我さんが苦しむ姿は見たいくない。
「……入院しているのは、海寿さんのお父様、鷹沢海宏さんですよね?」
「そうだ」
「この間、写真に写っていた海宏さんは痩せていましたし、海宏さんがいた場所は都久山の方がよく使う緩和ケアの病院前でした」
「あの時からわかっていたのか……。今は病院じゃなく、別の場所で過ごしてる」
都久山には人様の家の内情に立ち入ってはいけないという暗黙のルールがある。
そのルールを知っているから、玲我さんが言わないことを聞いてはいけない気がして、私は黙っていたのだ。
けれど、さっき海寿さんは『最後に』と言った。
海宏さんに助かる見込みがあるなら、玲我さんもここまで悩まなかったはずだ。
そして、二人が急いで私を迎えに来たということは、あまりよくない状態なのかもしれない……
「私には玲我さんがいます。だから、玲我さん。私は大丈夫です」
今の私なら、どんな真実を知ったとしても、玲我さんがいる限り、受け止められる気がした。
私の言葉に玲我さんは笑った。
「それを言われたら、俺は全部話してしまいたくなる」
「全部話してください。だって、夫婦になるんですから」
「夫婦か……。わかった。海宏さんに会いに行こう。きっとこれが海宏さんと話せる最後の機会になるだろうから」
雨が激しさを増す中、玲我さんは車のエンジンをかけた。
気がつくと、すでに海寿さんの車はなく、急ぐ海寿さんの姿に海宏さんの残された時間は少ないと知ったのだった――
そして、『オグラ』の本店には、光華が入った。
『ただし、見習いとして働くことが条件』と、おじさんは言って、バイトの笑茉ちゃんの下につくよう光華に命じた。
スタッフ見習いでも、本店で働くのが夢だった光華は嬉しかったらしく、不満を言わず一生懸命働いている。
五十住さんと――
「五十住さんを連れ帰るの、ずっごく大変だったんだから!」
「は? 大変だったのは、こっちのほうだ!」
ちょっとしゃべると二人はこの調子で言い争っている。
店を辞め、フランスで働くはずだった五十住さんだけど、光華にフランスから連れ戻された。
二人じゃないと帰らないと、光華が言い張ったらしい。
「ちゃんと約束は守ってよ? 私がパパに一人前として認められたら、結婚してくれるって言ったんだから!」
「パパ? 店では社長って呼べよ」
「ぐっ! 社長に認められたらっ……」
ケンカ腰ではあるものの、二人の相性は悪くないようで、店の雰囲気は明るく、他のスタッフも笑いながら眺めている。
でも、笑茉ちゃんだけは、そんな二人の姿をジッと見つめ、はぁっとため息をついた。
「五十住さんが光華さんを見張ってくれてるなら安心ですね。将来に夢があっていいっていうか……」
最近の笑茉ちゃんは大学卒業後の進路に悩んでいるらしく、どこか憂鬱そうだ。
「笑茉ちゃん、大丈夫? 進学のこと?」
「あっ! は、はい。大学に入学した時は手堅い職業につこうって思っていたんですけど……」
「気持ちが変わったの?」
「そうですね。夕愛さんも光華さんも『オグラ』が大好きで楽しそうだから、私も夢をみてもいいのかなって思ったんです」
それなら、『オグラ』にと言いたいところだけど、決めるのは笑茉ちゃんだ。
「そうね。辛い時期があったけど、私にはお店があったから頑張ってこれたと思うわ」
「それって、すごく大事ですよね。失恋しても仕事が自分の支えになるって……。私、もう少し考えてみます」
「失恋?」
「なっ、なんでもないです! 失恋前提の恋なんてしてません!」
「そ、そう……?」
――笑茉ちゃんは進路のことで悩んでいるのもあるけど、もしかして、苦しい恋をしてるのかも?
私にできるアドバイスはないけれど、経験したことなら言える。
両親が死んだ時、玲我さんと別れた時――どんな時でも、お店は忙しくて、仕事に追われることで悲しみが紛れた。
私にとって、このお店にいれば、両親が生きていた頃の気配が残り、常連の都久山の人たちが声をかけてくれる場所。
家そのものだった。
だから、玲我さんは私に辞めろとは言わないし、私からお店を奪わない。
いずれ、ここから旅立つ日がやってくるとするなら、それは結婚した後のこと。
――私には玲我さんがいる。
今日は午後からお休みで、玲我さんと食事にでかける予定になっていた。
仕事に集中しなくてはと思いながら、ちらりと時計を眺めた瞬間――
「ゆーあ!」
「光華!」
ドンッと光華が私の背中から体当たりしてきた。
五十住さんにじろりとにらまれ、光華はしまったという顔をする。
「や、やあねぇ、ちょっとはしゃいだだけで、あんな怖い顔して……」
「光華。五十住さんは光華に一人前になってほしいって思ってるのよ」
「わかってる。でも、夕愛にフランスのお土産を渡すのを忘れてて。今日は午後から玲我さんと食事でしょ?」
光華は声をひそめ、エプロンのポケットから、なにか取り出した。
「夕愛。いいものあげる」
「いいもの?」
「いつも夕愛はいい子だけど、たまには悪さも必要だと思うの」
光華がくれたのは、フランスから買ってきたハイブランドの香水だった。
――香水? なぜ香水?
私がわからず、首を傾げていると光華は悪い顔をして言った。
「玲我さんにね、香水をつけてって頼むの。誘惑するのよ」
「ゆっ、誘惑!?」
「絶対喜ぶと思うのよね」
「まさか、その手で五十住さんを陥落して……」
「なにが誘惑だ。本店に来て早々サボってどうする。早く掃除しろ」
ひそひそ話す私と光華の背後から、五十住さんの低い声がして、光華が飛び上がった。
「わっ、わかってるわよ!」
「見習いがサボるな。ほら、早くイートインスペースの食器を片付けろ」
光華は五十住さんにずるずる引きずられていく。
引きずられながら、光華は私に最後の最後までアドバイスを出す。
「夕愛、たまには玲我さんの喜ぶようなことをしなきゃ駄目よ!」
「う、うん……」
光華は五十住さんに叱られながら、テーブルの片づけと掃除のやり方を教えてもらっていた。
ああ見えて、五十住さんは光華を大事にしていると思う。
本当に嫌いな相手なら、わざわざ教えたりしないからだ。
――誘惑がうまくいったってこと?
仕事が終わる時間になり、服を着替えて、香水をバッグに入れる。
そろそろ玲我さんが来るかもと思いながら、店へ戻ると、ちょうど店の前に車がとまったのが見えた。
でも、車は二台。
玲我さんが私を迎えに来ると言っていたから、一台は玲我さんの車だけど、もう一台は違う車だった。
店に入ってきたのは、玲我さんと海寿さんだった。
有近と鷹沢が揃って来店すると、店の空気も凍りつくものだけど、今日は違っていた。
二人は話をしながら、店に入ってきて、仲のいい雰囲気だったからだ。
光華とショーケースを拭いていた五十住さんが二人に気づき、なんともいえない微妙な表情を見せた。
「いらっしゃいませ……。お揃いで」
たまにお店で会うこともあったと思うけど、海寿さんは意味ありげな笑みを浮かべて、五十住さんに挨拶をした。
「久しぶり。元気だった?」
「おかげさまで」
「自由っていいね」
「いい性格してますよ……」
なんの話をしているのか、誰もわからなかったけど、玲我さんが二人の会話を聞いて笑っていた。
でも、他の人たちは笑えない。
どうして、玲我さんと海寿さんが二人でいるのかわからなかったからだ。
「夕愛。少し早いけど、もう出れる?」
「はい。大丈夫です」
言われて気づいたけど、待ち合わせの時間より少しだけ早かった。
それに玲我さんの様子がいつもと違う。
海寿さんが一緒にいるのも不思議な気がして、胸がざわついた。
――なにかあった?
「……少し早いですけど、店を出ましょうか」
私がそう言うと、海寿さんと玲我さんは、一瞬だけ安心したような表情を見せた。
「じゃあ、車へ」
玲我さんが私の背中に触れ、軽く押した。
海寿さんはすぐに車へ向かわず、笑茉ちゃんに声をかけた。
「笑茉ちゃん。これ、この間のお返し」
「お返しなんて申し訳ないです」
「気持ちばかりのお返しだよ」
――お返し? いったいなんのお返し?
バレンタインでもないし、誕生日でもない。
笑茉ちゃんはなにか言いかけたけど、口を閉じ、海寿さんにぺこりと会釈をした。
「海寿。知られたのか?」
「ああ。たまたま病院で出会って、お見舞いの花をもらったんだ」
「それでお返しか」
店を出た海寿さんと玲我さんは、誰かの話を始めた。
病院だとかお見舞いという言葉に、海寿さんの家族になにかあったのだとわかった。
「優しくて真面目ないい子だね」
「笑茉ちゃんは明るくて素直で、働き者なんですよ。とても助かってます」
玲我さんは私を見て、それから海寿さんに言った。
「……海寿。本当に夕愛を会わせるつもりか?」
「最後に一度だけ会いたいって言うから、それをそのまま玲我に伝えただけだ。俺は会おうが会うまいが、どちらでもいいと思ってる」
遠くで雷が鳴り、梅雨入りが近いと天気予報が言っていたのを思い出した。
「今さら都合がよすぎる。自分だけ楽になろうなんて卑怯だ」
今まで心の底に隠していた海寿さんの本音を聞いた気がした。
雨が降りだし、私が海寿さんの顔を見る前に、玲我さんは私の背中を押した。
「雨だ。夕愛、車へ」
「はい……。でも……」
雨のせいか、海寿さんは笑っているのに泣いているような顔に見えた。
「玲我に任せるよ。玲我は夕愛ちゃんを傷つけないだろうから」
車のドアが閉まり、運転席に玲我さんが座る。
「いったいなんのことを話しているんですか?」
玲我さんが悩んでいるのがわかる。
海寿さんもそうだった。
この二人が頭を悩ませ、困らせることができる相手はそれほど多くない。
「玲我さん。そんな苦しい顔をしないでください。私に会いたいと言っている人がいるなら会います」
私のことで、玲我さんが苦しむ姿は見たいくない。
「……入院しているのは、海寿さんのお父様、鷹沢海宏さんですよね?」
「そうだ」
「この間、写真に写っていた海宏さんは痩せていましたし、海宏さんがいた場所は都久山の方がよく使う緩和ケアの病院前でした」
「あの時からわかっていたのか……。今は病院じゃなく、別の場所で過ごしてる」
都久山には人様の家の内情に立ち入ってはいけないという暗黙のルールがある。
そのルールを知っているから、玲我さんが言わないことを聞いてはいけない気がして、私は黙っていたのだ。
けれど、さっき海寿さんは『最後に』と言った。
海宏さんに助かる見込みがあるなら、玲我さんもここまで悩まなかったはずだ。
そして、二人が急いで私を迎えに来たということは、あまりよくない状態なのかもしれない……
「私には玲我さんがいます。だから、玲我さん。私は大丈夫です」
今の私なら、どんな真実を知ったとしても、玲我さんがいる限り、受け止められる気がした。
私の言葉に玲我さんは笑った。
「それを言われたら、俺は全部話してしまいたくなる」
「全部話してください。だって、夫婦になるんですから」
「夫婦か……。わかった。海宏さんに会いに行こう。きっとこれが海宏さんと話せる最後の機会になるだろうから」
雨が激しさを増す中、玲我さんは車のエンジンをかけた。
気がつくと、すでに海寿さんの車はなく、急ぐ海寿さんの姿に海宏さんの残された時間は少ないと知ったのだった――
309
あなたにおすすめの小説
三年の想いは小瓶の中に
月山 歩
恋愛
結婚三周年の記念日だと、邸の者達がお膳立てしてくれた二人だけのお祝いなのに、その中心で一人夫が帰らない現実を受け入れる。もう彼を諦める潮時かもしれない。だったらこれからは自分の人生を大切にしよう。アレシアは離縁も覚悟し、邸を出る。
※こちらの作品は契約上、内容の変更は不可であることを、ご理解ください。
子持ちの私は、夫に駆け落ちされました
月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。
私が生きていたことは秘密にしてください
月山 歩
恋愛
メイベルは婚約者と妹によって、崖に突き落とされ、公爵家の領地に倒れていた。
見つけてくれた彼は一見優しそうだが、行方不明のまま隠れて生きて行こうとする私に驚くような提案をする。
「少年の世話係になってくれ。けれど人に話したら消す。」
悪女の秘密は彼だけに囁く
月山 歩
恋愛
夜会で声をかけて来たのは、かつての恋人だった。私は彼に告げずに違う人と結婚してしまったのに。私のことはもう嫌いなはず。結局夫に捨てられた私は悪女と呼ばれて、あなたは遊び人となり、私を戯れに誘うのね。
いつか彼女を手に入れる日まで〜after story〜
月山 歩
恋愛
幼い頃から相思相愛の婚約者がいる私は、医師で侯爵の父が、令嬢に毒を盛ったと疑われて、捕らえられたことから、婚約者と結婚できないかもしれない危機に直面する。私はどうなってしまうの?
「いつかあなたを手に入れる日まで」のその後のお話です。単独でもわかる内容になっていますが、できればそちらから読んでいただけると、より理解していただけると思います。
地味な私を捨てた元婚約者にざまぁ返し!私の才能に惚れたハイスペ社長にスカウトされ溺愛されてます
久遠翠
恋愛
「君は、可愛げがない。いつも数字しか見ていないじゃないか」
大手商社に勤める地味なOL・相沢美月は、エリートの婚約者・高遠彰から突然婚約破棄を告げられる。
彼の心変わりと社内での孤立に傷つき、退職を選んだ美月。
しかし、彼らは知らなかった。彼女には、IT業界で“K”という名で知られる伝説的なデータアナリストという、もう一つの顔があったことを。
失意の中、足を運んだ交流会で美月が出会ったのは、急成長中のIT企業「ホライゾン・テクノロジーズ」の若き社長・一条蓮。
彼女が何気なく口にした市場分析の鋭さに衝撃を受けた蓮は、すぐさま彼女を破格の条件でスカウトする。
「君のその目で、俺と未来を見てほしい」──。
蓮の情熱に心を動かされ、新たな一歩を踏み出した美月は、その才能を遺憾なく発揮していく。
地味なOLから、誰もが注目するキャリアウーマンへ。
そして、仕事のパートナーである蓮の、真っ直ぐで誠実な愛情に、凍てついていた心は次第に溶かされていく。
これは、才能というガラスの靴を見出された、一人の女性のシンデレラストーリー。
数字の奥に隠された真実を見抜く彼女が、本当の愛と幸せを掴むまでの、最高にドラマチックな逆転ラブストーリー。
【完結】番としか子供が産まれない世界で
さくらもち
恋愛
番との間にしか子供が産まれない世界に産まれたニーナ。
何故か親から要らない子扱いされる不遇な子供時代に番と言う概念すら知らないまま育った。
そんなニーナが番に出会うまで
4話完結
出会えたところで話は終わってます。
【電子書籍化進行中】声を失った令嬢は、次期公爵の義理のお兄さまに恋をしました
八重
恋愛
※発売日少し前を目安に作品を引き下げます
修道院で生まれ育ったローゼマリーは、14歳の時火事に巻き込まれる。
その火事の唯一の生き残りとなった彼女は、領主であるヴィルフェルト公爵に拾われ、彼の養子になる。
彼には息子が一人おり、名をラルス・ヴィルフェルトといった。
ラルスは容姿端麗で文武両道の次期公爵として申し分なく、社交界でも評価されていた。
一方、怠惰なシスターが文字を教えなかったため、ローゼマリーは読み書きができなかった。
必死になんとか義理の父や兄に身振り手振りで伝えようとも、なかなか伝わらない。
なぜなら、彼女は火事で声を失ってしまっていたからだ──
そして次第に優しく文字を教えてくれたり、面倒を見てくれるラルスに恋をしてしまって……。
これは、義理の家族の役に立ちたくて頑張りながら、言えない「好き」を内に秘める、そんな物語。
※小説家になろうが先行公開です
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる