身分差婚~あなたの妻になれないはずだった~

椿蛍

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第4章

32 私を待ち望む人

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 梅雨に入った頃から、私は有近家へ週に何度か通うようになっていた。
 そして、『オグラ』の本店には、光華みつかが入った。
『ただし、見習いとして働くことが条件』と、おじさんは言って、バイトの笑茉えまちゃんの下につくよう光華に命じた。
 スタッフ見習いでも、本店で働くのが夢だった光華は嬉しかったらしく、不満を言わず一生懸命働いている。
 五十住いそずみさんと――

「五十住さんを連れ帰るの、ずっごく大変だったんだから!」
「は? 大変だったのは、こっちのほうだ!」

 ちょっとしゃべると二人はこの調子で言い争っている。
 店を辞め、フランスで働くはずだった五十住さんだけど、光華にフランスから連れ戻された。
 二人じゃないと帰らないと、光華が言い張ったらしい。

「ちゃんと約束は守ってよ? 私がパパに一人前として認められたら、結婚してくれるって言ったんだから!」
「パパ? 店では社長って呼べよ」
「ぐっ! 社長に認められたらっ……」

 ケンカ腰ではあるものの、二人の相性は悪くないようで、店の雰囲気は明るく、他のスタッフも笑いながら眺めている。
 でも、笑茉ちゃんだけは、そんな二人の姿をジッと見つめ、はぁっとため息をついた。

「五十住さんが光華さんを見張ってくれてるなら安心ですね。将来に夢があっていいっていうか……」

 最近の笑茉えまちゃんは大学卒業後の進路に悩んでいるらしく、どこか憂鬱そうだ。

「笑茉ちゃん、大丈夫? 進学のこと?」
「あっ! は、はい。大学に入学した時は手堅い職業につこうって思っていたんですけど……」
「気持ちが変わったの?」
「そうですね。夕愛さんも光華さんも『オグラ』が大好きで楽しそうだから、私も夢をみてもいいのかなって思ったんです」

 それなら、『オグラ』にと言いたいところだけど、決めるのは笑茉ちゃんだ。

「そうね。辛い時期があったけど、私にはお店があったから頑張ってこれたと思うわ」
「それって、すごく大事ですよね。失恋しても仕事が自分の支えになるって……。私、もう少し考えてみます」
「失恋?」
「なっ、なんでもないです! 失恋前提の恋なんてしてません!」
「そ、そう……?」

 ――笑茉ちゃんは進路のことで悩んでいるのもあるけど、もしかして、苦しい恋をしてるのかも?

 私にできるアドバイスはないけれど、経験したことなら言える。
 両親が死んだ時、玲我さんと別れた時――どんな時でも、お店は忙しくて、仕事に追われることで悲しみが紛れた。
 私にとって、このお店にいれば、両親が生きていた頃の気配が残り、常連の都久山の人たちが声をかけてくれる場所。
 家そのものだった。
 だから、玲我さんは私に辞めろとは言わないし、私からお店を奪わない。
 いずれ、ここから旅立つ日がやってくるとするなら、それは結婚した後のこと。

 ――私には玲我さんがいる。

 今日は午後からお休みで、玲我さんと食事にでかける予定になっていた。
 仕事に集中しなくてはと思いながら、ちらりと時計を眺めた瞬間――

「ゆーあ!」
「光華!」

 ドンッと光華が私の背中から体当たりしてきた。
 五十住さんにじろりとにらまれ、光華はしまったという顔をする。

「や、やあねぇ、ちょっとはしゃいだだけで、あんな怖い顔して……」
「光華。五十住さんは光華に一人前になってほしいって思ってるのよ」
「わかってる。でも、夕愛にフランスのお土産を渡すのを忘れてて。今日は午後から玲我さんと食事でしょ?」

 光華は声をひそめ、エプロンのポケットから、なにか取り出した。

「夕愛。いいものあげる」
「いいもの?」
「いつも夕愛はいい子だけど、たまには悪さも必要だと思うの」

 光華がくれたのは、フランスから買ってきたハイブランドの香水だった。

 ――香水? なぜ香水?

 私がわからず、首を傾げていると光華は悪い顔をして言った。
 
「玲我さんにね、香水をつけてって頼むの。誘惑するのよ」
「ゆっ、誘惑!?」
「絶対喜ぶと思うのよね」
「まさか、その手で五十住さんを陥落して……」
「なにが誘惑だ。本店に来て早々サボってどうする。早く掃除しろ」

 ひそひそ話す私と光華の背後から、五十住さんの低い声がして、光華が飛び上がった。

「わっ、わかってるわよ!」
「見習いがサボるな。ほら、早くイートインスペースの食器を片付けろ」

 光華は五十住さんにずるずる引きずられていく。
 引きずられながら、光華は私に最後の最後までアドバイスを出す。

「夕愛、たまには玲我さんの喜ぶようなことをしなきゃ駄目よ!」
「う、うん……」

 光華は五十住さんに叱られながら、テーブルの片づけと掃除のやり方を教えてもらっていた。
 ああ見えて、五十住さんは光華を大事にしていると思う。
 本当に嫌いな相手なら、わざわざ教えたりしないからだ。
 
 ――誘惑がうまくいったってこと?

 仕事が終わる時間になり、服を着替えて、香水をバッグに入れる。
 そろそろ玲我さんが来るかもと思いながら、店へ戻ると、ちょうど店の前に車がとまったのが見えた。
 でも、車は二台。
 玲我さんが私を迎えに来ると言っていたから、一台は玲我さんの車だけど、もう一台は違う車だった。
 店に入ってきたのは、玲我さんと海寿みことさんだった。
 有近と鷹沢が揃って来店すると、店の空気も凍りつくものだけど、今日は違っていた。
 二人は話をしながら、店に入ってきて、仲のいい雰囲気だったからだ。
 光華とショーケースを拭いていた五十住さんが二人に気づき、なんともいえない微妙な表情を見せた。

「いらっしゃいませ……。お揃いで」

 たまにお店で会うこともあったと思うけど、海寿さんは意味ありげな笑みを浮かべて、五十住さんに挨拶をした。

「久しぶり。元気だった?」
「おかげさまで」
「自由っていいね」
「いい性格してますよ……」

 なんの話をしているのか、誰もわからなかったけど、玲我さんが二人の会話を聞いて笑っていた。
 でも、他の人たちは笑えない。
 どうして、玲我さんと海寿さんが二人でいるのかわからなかったからだ。

「夕愛。少し早いけど、もう出れる?」
「はい。大丈夫です」

 言われて気づいたけど、待ち合わせの時間より少しだけ早かった。 
 それに玲我さんの様子がいつもと違う。
 海寿さんが一緒にいるのも不思議な気がして、胸がざわついた。

 ――なにかあった?

「……少し早いですけど、店を出ましょうか」
 
私がそう言うと、海寿さんと玲我さんは、一瞬だけ安心したような表情を見せた。

「じゃあ、車へ」

 玲我さんが私の背中に触れ、軽く押した。
 海寿さんはすぐに車へ向かわず、笑茉ちゃんに声をかけた。

「笑茉ちゃん。これ、この間のお返し」
「お返しなんて申し訳ないです」
「気持ちばかりのお返しだよ」

 ――お返し? いったいなんのお返し?

 バレンタインでもないし、誕生日でもない。
 笑茉ちゃんはなにか言いかけたけど、口を閉じ、海寿さんにぺこりと会釈をした。

「海寿。知られたのか?」
「ああ。たまたま病院で出会って、お見舞いの花をもらったんだ」
「それでお返しか」
 
 店を出た海寿さんと玲我さんは、誰かの話を始めた。
 病院だとかお見舞いという言葉に、海寿さんの家族になにかあったのだとわかった。

「優しくて真面目ないい子だね」
「笑茉ちゃんは明るくて素直で、働き者なんですよ。とても助かってます」

 玲我さんは私を見て、それから海寿さんに言った。

「……海寿。本当に夕愛を会わせるつもりか?」
「最後に一度だけ会いたいって言うから、それをそのまま玲我に伝えただけだ。俺は会おうが会うまいが、どちらでもいいと思ってる」

 遠くで雷が鳴り、梅雨入りが近いと天気予報が言っていたのを思い出した。

「今さら都合がよすぎる。自分だけ楽になろうなんて卑怯だ」

 今まで心の底に隠していた海寿さんの本音を聞いた気がした。
 雨が降りだし、私が海寿さんの顔を見る前に、玲我さんは私の背中を押した。

「雨だ。夕愛、車へ」
「はい……。でも……」

 雨のせいか、海寿さんは笑っているのに泣いているような顔に見えた。

「玲我に任せるよ。玲我は夕愛ちゃんを傷つけないだろうから」

 車のドアが閉まり、運転席に玲我さんが座る。

「いったいなんのことを話しているんですか?」

 玲我さんが悩んでいるのがわかる。
 海寿さんもそうだった。
 この二人が頭を悩ませ、困らせることができる相手はそれほど多くない。

「玲我さん。そんな苦しい顔をしないでください。私に会いたいと言っている人がいるなら会います」

 私のことで、玲我さんが苦しむ姿は見たいくない。

「……入院しているのは、海寿さんのお父様、鷹沢海宏みひろさんですよね?」
「そうだ」
「この間、写真に写っていた海宏さんは痩せていましたし、海宏さんがいた場所は都久山の方がよく使う緩和ケアの病院前でした」
「あの時からわかっていたのか……。今は病院じゃなく、別の場所で過ごしてる」

 都久山には人様の家の内情に立ち入ってはいけないという暗黙のルールがある。
 そのルールを知っているから、玲我さんが言わないことを聞いてはいけない気がして、私は黙っていたのだ。
 けれど、さっき海寿さんは『最後に』と言った。
 海宏さんに助かる見込みがあるなら、玲我さんもここまで悩まなかったはずだ。
 そして、二人が急いで私を迎えに来たということは、あまりよくない状態なのかもしれない……

「私には玲我さんがいます。だから、玲我さん。私は大丈夫です」

 今の私なら、どんな真実を知ったとしても、玲我さんがいる限り、受け止められる気がした。
 私の言葉に玲我さんは笑った。

「それを言われたら、俺は全部話してしまいたくなる」
「全部話してください。だって、夫婦になるんですから」 
「夫婦か……。わかった。海宏さんに会いに行こう。きっとこれが海宏さんと話せる最後の機会になるだろうから」

 雨が激しさを増す中、玲我さんは車のエンジンをかけた。
 気がつくと、すでに海寿さんの車はなく、急ぐ海寿さんの姿に海宏さんの残された時間は少ないと知ったのだった――
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