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第1章
1 許されない相手①
「息子と別れていただけないかしら?」
テーブルには札束があった。
すぐに言葉が出なかったのは、まるでドラマのような札束を目にして、現実感がまったくなかったせいだ。
そばの封筒には札束を入れるためか、『小椋夕愛様』と私の名前が書かれた封筒が準備されている。
――お金を渡せば、別れると思われてる……?
付き合っている相手の両親が、私と対面で座り、私が『別れます』と言うのを待っていた。
――お金目当てで付き合ってるわけじゃないのに、どうしてこんな……
今まで経験したことない状況に戸惑うしかなかった。
高校生の私に札束を用意するなんてあり得ないし、まして、こんな大金を受け取れるわけがない。
そもそも、ここへやってきたのも別の理由で、こんな話をするためだと知らされていなかった。
――注文の電話は罠。
お惣菜屋を経営している我が家では、注文が入るのは普通のことで、注文内容はたしか……来客に使えるお菓子をという内容だったと思う。
でも、それはただの口実だった。
その証拠に届けた焼き菓子の箱はそのままで、見向きもされてない。
来客があるから、急いで届けてほしいと電話で言われ、手が空いていた私が配達を引き受けた。
夕方の忙しい時間帯、抜け出せるスタッフはほとんどいない。
学校から帰り、店に顔を出したばかりの私くらい。
彼の家は高級住宅地『都久山』の頂きにあり、名家と呼ばれる有近家。
私が住んでいる家は都久山の坂の下で、デリカテッセン『オグラ』という総菜屋を営んでいる。
隣町の坂の下から長い坂を上り、辿り着く都久山の頂上は、とても見晴らしがよく、眼下の町を一望できた。
彼の家は常連で、よく料理やお菓子を注文するから、今日もそうだと思っていた。
けれど、私がインターフォンを押すと、家政婦さんが顔を出し、注文の焼き菓子を受けとらずに居間に通された。
気づいた時には、彼の両親から『息子と別れろ』と言われていた――全部、私に別れを要求するための罠だったらしい。
でも、私は別れたいなんて思ってない。
「突然、別れろと言われても困ります……」
子供の頃から憧れていた人と恋人同士になって、まだ一年。
泣き出しそうな顔をしている私を見て、彼の父親が気まずそうに咳払いをした。
「夕愛さんは四月から大学に通うそうだね。こちらからの祝い金だと思って、受け取ったらどうだろう」
「祝い金……?」
「そう。夕愛さんにあげるお金よ」
――お祝いなんて嘘。これは手切れ金だわ。
気づくと、膝の上にのせた自分の手が震えていた。
受け取らずに眺めていると、札束が私の前にスッと差し出された。
札束を差し出したのは、彼の両親ではなく、この場に同席していた私と同じ年齢の女子高生――
「総菜屋の娘が玲我さんと付き合って、結婚できるとでも思ったの?」
そう言ったのは、学費が高いので有名なお嬢様学校の制服を着ている女子高校生――有近妃莉さんだった。
有近家の分家のお嬢様で華やかな顔立ちをしていて、昔から目立っていた。
しっかりメイクをし、香水の香りを漂わせている。
玲我さんの家族と親しく、黒塗りの高級車ででかける姿を何度か目にしたことがある。
「早く受け取ったら? お金が必要でしょ?」
「受け取れません」
「強情ね。受け取ったほうが、あなたのためよ」
――お金を受けとったら終わり。
それくらい駆け引きを知らない私にだってわかることだ。
「私、玲我さんとお金目当てで付き合っているわけじゃありません。ただ一緒にいたいだけなんです!」
「玲我は春から海外へ赴任することになったの」
「え……? 海外へ……?」
そんな話は玲我さんから聞いてない。
今、初めて知った。
「その顔だと玲我から聞いてなかったようだな。海外支店で勉強させる」
「だから、夕愛さんは大学へ通うでしょ? 留学するなら別だけど……」
「私は留学するの。玲我さんのそばにいるためにね」
妃莉さんはふふっと笑った。
札束に手にし、私の顔を覗き込む。
「ただで一緒にいられるとでも思っているの? この先、玲我さんのそばにいていい女性は彼にふさわしい女性だけよ。遊びで付き合うのは、これで終わりってこと。わかるかしら?」
「……遊びじゃありません」
私の声が震えているのに気づいている妃莉さんは、可笑しそうに笑っていた。
うつむく私に妃莉さんが追い打ちをかける。
「留学したら、いつも一緒に玲我さんといるつもり。それが私にはできるから」
「いつも……一緒に……」
――私にはできる?
春から大学へ通い、お店を手伝うつもりでいた。
デリカテッセン『オグラ』は店舗を増やす予定でいて、今より人手が必要になる。
「玲我の奴に行ってこいと言ったら、連れていきたい女性がいると言い出した」
「玲我さんが……?」
「あのね、夕愛さん。期待させてしまって申し訳ないけれど、玲我さんは若いから感情的になってしまっているの。冷静に考えてごらんなさい。あなたと玲我が対等な関係かしら?」
――高級住宅地『都久山』の住人と坂の下に住む私。
それを言われたら、私はなにも言い返せない。
「住む世界が違うとは思います……。でもっ……!」
「その先は言わなくて結構よ」
私の言葉をきつい語気で遮った。
「大事なのはあなたの気持ちではなく、玲我の将来なのよ!」
海外へ行くからという理由じゃなくて、行かなくても最初から認めるつもりはなかったのだ。
思えば、私と玲我さんが会うのは、学校帰りが多く、自宅周辺で会ったことが一度もなかった。
――両親から反対されるってわかってたから。両親だけじゃないわ。親戚からも……
分家の娘である妃莉さんがここにいるということは、誰も私たちの関係を認めてくれない証拠。
「なにかあってからでは困る。問題が起きる前に別れてほしい。玲我のために」
私の存在をまるで息子の汚点のように言った。
――私たちの関係はそこまで否定されるものじゃない。
私は受験を控え、店の手伝いもあって忙しく、玲我さんと会えるのはわずかな時間だけ。
玲我さんと会うのはいつも図書館か、学校周辺のカフェだった。
それも受験勉強をみてもらっていたから、家庭教師と生徒に見えたと思う。
私が大人になって、ふさわしい女性になれば許される?
「あの……。私、玲我さんにふさわしい女性になりますから! もう少しだけ待ってください!」
テーブルには札束があった。
すぐに言葉が出なかったのは、まるでドラマのような札束を目にして、現実感がまったくなかったせいだ。
そばの封筒には札束を入れるためか、『小椋夕愛様』と私の名前が書かれた封筒が準備されている。
――お金を渡せば、別れると思われてる……?
付き合っている相手の両親が、私と対面で座り、私が『別れます』と言うのを待っていた。
――お金目当てで付き合ってるわけじゃないのに、どうしてこんな……
今まで経験したことない状況に戸惑うしかなかった。
高校生の私に札束を用意するなんてあり得ないし、まして、こんな大金を受け取れるわけがない。
そもそも、ここへやってきたのも別の理由で、こんな話をするためだと知らされていなかった。
――注文の電話は罠。
お惣菜屋を経営している我が家では、注文が入るのは普通のことで、注文内容はたしか……来客に使えるお菓子をという内容だったと思う。
でも、それはただの口実だった。
その証拠に届けた焼き菓子の箱はそのままで、見向きもされてない。
来客があるから、急いで届けてほしいと電話で言われ、手が空いていた私が配達を引き受けた。
夕方の忙しい時間帯、抜け出せるスタッフはほとんどいない。
学校から帰り、店に顔を出したばかりの私くらい。
彼の家は高級住宅地『都久山』の頂きにあり、名家と呼ばれる有近家。
私が住んでいる家は都久山の坂の下で、デリカテッセン『オグラ』という総菜屋を営んでいる。
隣町の坂の下から長い坂を上り、辿り着く都久山の頂上は、とても見晴らしがよく、眼下の町を一望できた。
彼の家は常連で、よく料理やお菓子を注文するから、今日もそうだと思っていた。
けれど、私がインターフォンを押すと、家政婦さんが顔を出し、注文の焼き菓子を受けとらずに居間に通された。
気づいた時には、彼の両親から『息子と別れろ』と言われていた――全部、私に別れを要求するための罠だったらしい。
でも、私は別れたいなんて思ってない。
「突然、別れろと言われても困ります……」
子供の頃から憧れていた人と恋人同士になって、まだ一年。
泣き出しそうな顔をしている私を見て、彼の父親が気まずそうに咳払いをした。
「夕愛さんは四月から大学に通うそうだね。こちらからの祝い金だと思って、受け取ったらどうだろう」
「祝い金……?」
「そう。夕愛さんにあげるお金よ」
――お祝いなんて嘘。これは手切れ金だわ。
気づくと、膝の上にのせた自分の手が震えていた。
受け取らずに眺めていると、札束が私の前にスッと差し出された。
札束を差し出したのは、彼の両親ではなく、この場に同席していた私と同じ年齢の女子高生――
「総菜屋の娘が玲我さんと付き合って、結婚できるとでも思ったの?」
そう言ったのは、学費が高いので有名なお嬢様学校の制服を着ている女子高校生――有近妃莉さんだった。
有近家の分家のお嬢様で華やかな顔立ちをしていて、昔から目立っていた。
しっかりメイクをし、香水の香りを漂わせている。
玲我さんの家族と親しく、黒塗りの高級車ででかける姿を何度か目にしたことがある。
「早く受け取ったら? お金が必要でしょ?」
「受け取れません」
「強情ね。受け取ったほうが、あなたのためよ」
――お金を受けとったら終わり。
それくらい駆け引きを知らない私にだってわかることだ。
「私、玲我さんとお金目当てで付き合っているわけじゃありません。ただ一緒にいたいだけなんです!」
「玲我は春から海外へ赴任することになったの」
「え……? 海外へ……?」
そんな話は玲我さんから聞いてない。
今、初めて知った。
「その顔だと玲我から聞いてなかったようだな。海外支店で勉強させる」
「だから、夕愛さんは大学へ通うでしょ? 留学するなら別だけど……」
「私は留学するの。玲我さんのそばにいるためにね」
妃莉さんはふふっと笑った。
札束に手にし、私の顔を覗き込む。
「ただで一緒にいられるとでも思っているの? この先、玲我さんのそばにいていい女性は彼にふさわしい女性だけよ。遊びで付き合うのは、これで終わりってこと。わかるかしら?」
「……遊びじゃありません」
私の声が震えているのに気づいている妃莉さんは、可笑しそうに笑っていた。
うつむく私に妃莉さんが追い打ちをかける。
「留学したら、いつも一緒に玲我さんといるつもり。それが私にはできるから」
「いつも……一緒に……」
――私にはできる?
春から大学へ通い、お店を手伝うつもりでいた。
デリカテッセン『オグラ』は店舗を増やす予定でいて、今より人手が必要になる。
「玲我の奴に行ってこいと言ったら、連れていきたい女性がいると言い出した」
「玲我さんが……?」
「あのね、夕愛さん。期待させてしまって申し訳ないけれど、玲我さんは若いから感情的になってしまっているの。冷静に考えてごらんなさい。あなたと玲我が対等な関係かしら?」
――高級住宅地『都久山』の住人と坂の下に住む私。
それを言われたら、私はなにも言い返せない。
「住む世界が違うとは思います……。でもっ……!」
「その先は言わなくて結構よ」
私の言葉をきつい語気で遮った。
「大事なのはあなたの気持ちではなく、玲我の将来なのよ!」
海外へ行くからという理由じゃなくて、行かなくても最初から認めるつもりはなかったのだ。
思えば、私と玲我さんが会うのは、学校帰りが多く、自宅周辺で会ったことが一度もなかった。
――両親から反対されるってわかってたから。両親だけじゃないわ。親戚からも……
分家の娘である妃莉さんがここにいるということは、誰も私たちの関係を認めてくれない証拠。
「なにかあってからでは困る。問題が起きる前に別れてほしい。玲我のために」
私の存在をまるで息子の汚点のように言った。
――私たちの関係はそこまで否定されるものじゃない。
私は受験を控え、店の手伝いもあって忙しく、玲我さんと会えるのはわずかな時間だけ。
玲我さんと会うのはいつも図書館か、学校周辺のカフェだった。
それも受験勉強をみてもらっていたから、家庭教師と生徒に見えたと思う。
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*こちらは元の小説の途中に、エピソードを追加したものです。
文字数が倍になっています。