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第4章
39 海辺の家
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私と海寿さんが会えたのは、夏が終わり、鷹沢グループの秋の人事が発表された後だった。
玲我さんに聞いた話によれば、若い海寿さんを支えるために揃えられた手堅い人事異動だったらしい。
海寿さんは私と会う日は誰も連れず、一人でやってきた。
「玲我は何度か会ってるけど、夕愛ちゃんは久しぶりだね」
「お久しぶりです。海寿さん……」
さらさらと音もなく、秋雨の降る海を眺めていた私は振り返り、海寿さんをじっと見つめた。
私のそばには玲我さんがいて、私と同じように海寿さんを見ていた。
「嫌だな。二人とも。俺が取り乱して泣くとでも思った?」
海寿さんは笑って傘をたたみ、海辺の家の鍵を私たちに見せた。
「雨に濡れるから、中へ入ろう。父さんの部屋はもうなにもないけど、たまに管理人が来て、掃除してくれてる」
鍵を開け、海辺の家へ入ると、中はそれほど変わってなかった。
奥の部屋だけ片付けたらしく、他の部屋は時を止めたかのように、そのままだった。
――海宏さんとお母さん、海寿さんの三人が住んでいた場所……
そして、海寿さんはお母さんの血を引いている。
「夕愛ちゃん。俺の顔を見て、お母さんの面影を探しても無駄だよ。俺は嫌になるくらい父さんにそっくりだからね」
あはははっと明るく笑う海寿さんを見て、玲我さんはドアに寄りかかった。
「海寿。素で話していいぞ。ここには俺たちと夕愛しかいない」
「せっかく、俺が素敵な兄を演じてるのにさ。これだから、玲我は……」
海寿さんの完璧な笑みが崩れ、痛みに耐えるような――そんな表情を見せた。
「海寿さん。大丈夫ですか?」
「うん、夕愛ちゃんは優しいな。玲我と違って」
「おい。夕愛、騙されるなって言ったはずだぞ」
そういえば、玲我さんは海寿さんのことを詐欺師だとかなんとか、言っていた気がする。
でも、演技には見えなかった。
近づいた私の顔をのぞきこみ、嬉しそうに海寿さんは笑った。
「夕愛ちゃん。夕愛って呼んでもいい?」
「はっ、はい!」
――私はなんて呼べば? 海寿お兄ちゃん? お兄さん?
悩んでいると、海寿さんから言ってくれた。
「今まで通りでいいよ。いきなり、兄ですなんて言われても困るだろうし」
「そんなことありません。 私、海寿さんがお兄さんと知って、すごく嬉しかったんですから!」
「本当?」
「はい!」
玲我さんが冷ややかな目で海寿さんを眺め、名前を呼ぶ。
「海寿」
「素で話してるだろ?」
「お前の素は、やっぱり詐欺師だ」
「夕愛には怖い保護者がついてるなぁ」
茶化した海寿さんを玲我さんは厳しい目で見る。
「海寿。忙しいんだろ? あまり時間がないって言ってなかったか?」
「そうそう。この後、取引先と食事会があるんだ。明日も社長就任のお祝いだって言われて、スケジュールが詰まってる。お誘いが山のように来て、忙しくて死にそうだよ」
「頃合いを見て、帰れるようにしてやるから、顔だけは出せよ」
「玲我なら、そう言ってくれると思ったよ。頼りになる義弟だ」
海寿さんから義弟と言われて、玲我さんはものすごく嫌そうな顔をした。
「おい。俺を義弟にするな。そして、呼ぶな」
「夕愛が俺の妹なら、玲我は義弟になるだろ? ね、夕愛?」
「そうですね。海寿さんは私のお兄さんですから……」
私が『お兄さん』と照れながら言うと、ますます海寿さんはテンションが上がり、両腕を広げた。
海寿さんが私を抱き締めようとした瞬間、玲我さんが海寿さんの頭をつかみ、怖い顔でにらみつけた。
「やっていいことと悪いことがある。海寿。わかるな?」
「兄なのに! 感動の抱擁は?」
「ない!」
二人のやり取りがおかしくて笑うと、玲我さんと海寿さんは、お互いに『笑われたのは、こいつのせいだ』という顔をした。
私を抱擁するのを諦めた海寿さんは、残念そうな顔をして、この家の鍵を玲我さんに投げた。
「ん? なんだ?」
「玲我。実はここを待ち合わせ場所にした理由があるんだ」
「……お前はいつも無駄な行動をしない男だな」
尊敬できることのはずなのに、玲我さんの口調はなぜか呆れていた。
「待ち合わせに、なにか特別な意味があるんですか?」
「さあ……? 俺は感傷に浸るのか、それとも手頃な場所だからなのかと思っていたが……」
海寿さんはなにも思いつかない私と玲我さんに、にこっと微笑んだ。
「よかったら、この家をもらってくれないかな? 玲我と結婚したら住んでもいいし、別荘にしてもいい」
開け放った窓からは、波の音が繰り返し響き、主のいない家に寂しげな空気を漂わせていた。
この家は海寿さんにとって特別な場所だ。
ここは、海寿さんが家族三人で暮らした思い出の残る家で、海寿さん以外の人に渡してはいけない気がした。
「受け取れません。この家は海寿さんに大切な人ができたら、一緒に過ごすべき家だと思います」
玲我さんのほうをちらりと見た。
とても余裕ぶって見えるけど、私は『そんな余裕を見せてる場合ではないですよ』と、玲我さんに言いたかった。
「私が結婚して住む場所は、もう決まってるんです」
「そう。会社近くのマンションに……」
「都久山です」
玲我さんと海寿さんは同時に、『えっ!』という顔をした。
「結婚後は有近家の本邸に住みます」
「夕愛。それは……」
「『オグラ』にも通勤しやすいですし、和花子さんと一緒に暮らせば、呼び出されることもなくなります。玲我さん、家族みんなで住みましょう!」
「まいったな……」
やられたという顔をした玲我さんを見て、海寿さんは笑いだした。
「玲我のそんな顔を見られるなんて、やっぱり夕愛は最高だな。残念だったね、玲我。夕愛のほうが上手だ」
「海寿さんもご近所ですから、なにか辛いことや困ったことがあれば、すぐに相談できる距離ですよ」
「鷹沢が有近に相談に行くなんて、前代未聞だよ! でも、たしかに目の前だしね。ご近所か……。悪くないね。そうだ、夕愛。玲我に泣かされたら、いつでも俺を頼ってくるんだよ?」
「それはない」
きっぱり玲我さんは言いきった。
「そっか……。夕愛も都久山に来たんだ」
「そうです。私も同じ場所にいます。そ、その……海寿お兄さんがいるところに……」
私が照れながら言うと、海寿さんは泣き笑いのような表情を浮かべて、私を抱き締めた。
「夕愛、ありがとう。玲我と幸せに……」
「おい、海寿……」
私から海寿さんを引き離そうとした玲我さんは驚き、手を止めた。
海寿さんは泣いていた。
泣いているのを自分に見られたくないだろうと思ったのか、玲我さんは顔を逸らし、『今だけだぞ』と言って、見て見ぬふりをしてくれた。
「どうか海寿さんも幸せになってください」
私はお母さんならきっとこうしただろうと、海寿さんを抱き締め、背中をなでながら声をかけた。
海寿さんがこの家で、幸せだった過去を思い出せるようにと――願いを込めて。
玲我さんに聞いた話によれば、若い海寿さんを支えるために揃えられた手堅い人事異動だったらしい。
海寿さんは私と会う日は誰も連れず、一人でやってきた。
「玲我は何度か会ってるけど、夕愛ちゃんは久しぶりだね」
「お久しぶりです。海寿さん……」
さらさらと音もなく、秋雨の降る海を眺めていた私は振り返り、海寿さんをじっと見つめた。
私のそばには玲我さんがいて、私と同じように海寿さんを見ていた。
「嫌だな。二人とも。俺が取り乱して泣くとでも思った?」
海寿さんは笑って傘をたたみ、海辺の家の鍵を私たちに見せた。
「雨に濡れるから、中へ入ろう。父さんの部屋はもうなにもないけど、たまに管理人が来て、掃除してくれてる」
鍵を開け、海辺の家へ入ると、中はそれほど変わってなかった。
奥の部屋だけ片付けたらしく、他の部屋は時を止めたかのように、そのままだった。
――海宏さんとお母さん、海寿さんの三人が住んでいた場所……
そして、海寿さんはお母さんの血を引いている。
「夕愛ちゃん。俺の顔を見て、お母さんの面影を探しても無駄だよ。俺は嫌になるくらい父さんにそっくりだからね」
あはははっと明るく笑う海寿さんを見て、玲我さんはドアに寄りかかった。
「海寿。素で話していいぞ。ここには俺たちと夕愛しかいない」
「せっかく、俺が素敵な兄を演じてるのにさ。これだから、玲我は……」
海寿さんの完璧な笑みが崩れ、痛みに耐えるような――そんな表情を見せた。
「海寿さん。大丈夫ですか?」
「うん、夕愛ちゃんは優しいな。玲我と違って」
「おい。夕愛、騙されるなって言ったはずだぞ」
そういえば、玲我さんは海寿さんのことを詐欺師だとかなんとか、言っていた気がする。
でも、演技には見えなかった。
近づいた私の顔をのぞきこみ、嬉しそうに海寿さんは笑った。
「夕愛ちゃん。夕愛って呼んでもいい?」
「はっ、はい!」
――私はなんて呼べば? 海寿お兄ちゃん? お兄さん?
悩んでいると、海寿さんから言ってくれた。
「今まで通りでいいよ。いきなり、兄ですなんて言われても困るだろうし」
「そんなことありません。 私、海寿さんがお兄さんと知って、すごく嬉しかったんですから!」
「本当?」
「はい!」
玲我さんが冷ややかな目で海寿さんを眺め、名前を呼ぶ。
「海寿」
「素で話してるだろ?」
「お前の素は、やっぱり詐欺師だ」
「夕愛には怖い保護者がついてるなぁ」
茶化した海寿さんを玲我さんは厳しい目で見る。
「海寿。忙しいんだろ? あまり時間がないって言ってなかったか?」
「そうそう。この後、取引先と食事会があるんだ。明日も社長就任のお祝いだって言われて、スケジュールが詰まってる。お誘いが山のように来て、忙しくて死にそうだよ」
「頃合いを見て、帰れるようにしてやるから、顔だけは出せよ」
「玲我なら、そう言ってくれると思ったよ。頼りになる義弟だ」
海寿さんから義弟と言われて、玲我さんはものすごく嫌そうな顔をした。
「おい。俺を義弟にするな。そして、呼ぶな」
「夕愛が俺の妹なら、玲我は義弟になるだろ? ね、夕愛?」
「そうですね。海寿さんは私のお兄さんですから……」
私が『お兄さん』と照れながら言うと、ますます海寿さんはテンションが上がり、両腕を広げた。
海寿さんが私を抱き締めようとした瞬間、玲我さんが海寿さんの頭をつかみ、怖い顔でにらみつけた。
「やっていいことと悪いことがある。海寿。わかるな?」
「兄なのに! 感動の抱擁は?」
「ない!」
二人のやり取りがおかしくて笑うと、玲我さんと海寿さんは、お互いに『笑われたのは、こいつのせいだ』という顔をした。
私を抱擁するのを諦めた海寿さんは、残念そうな顔をして、この家の鍵を玲我さんに投げた。
「ん? なんだ?」
「玲我。実はここを待ち合わせ場所にした理由があるんだ」
「……お前はいつも無駄な行動をしない男だな」
尊敬できることのはずなのに、玲我さんの口調はなぜか呆れていた。
「待ち合わせに、なにか特別な意味があるんですか?」
「さあ……? 俺は感傷に浸るのか、それとも手頃な場所だからなのかと思っていたが……」
海寿さんはなにも思いつかない私と玲我さんに、にこっと微笑んだ。
「よかったら、この家をもらってくれないかな? 玲我と結婚したら住んでもいいし、別荘にしてもいい」
開け放った窓からは、波の音が繰り返し響き、主のいない家に寂しげな空気を漂わせていた。
この家は海寿さんにとって特別な場所だ。
ここは、海寿さんが家族三人で暮らした思い出の残る家で、海寿さん以外の人に渡してはいけない気がした。
「受け取れません。この家は海寿さんに大切な人ができたら、一緒に過ごすべき家だと思います」
玲我さんのほうをちらりと見た。
とても余裕ぶって見えるけど、私は『そんな余裕を見せてる場合ではないですよ』と、玲我さんに言いたかった。
「私が結婚して住む場所は、もう決まってるんです」
「そう。会社近くのマンションに……」
「都久山です」
玲我さんと海寿さんは同時に、『えっ!』という顔をした。
「結婚後は有近家の本邸に住みます」
「夕愛。それは……」
「『オグラ』にも通勤しやすいですし、和花子さんと一緒に暮らせば、呼び出されることもなくなります。玲我さん、家族みんなで住みましょう!」
「まいったな……」
やられたという顔をした玲我さんを見て、海寿さんは笑いだした。
「玲我のそんな顔を見られるなんて、やっぱり夕愛は最高だな。残念だったね、玲我。夕愛のほうが上手だ」
「海寿さんもご近所ですから、なにか辛いことや困ったことがあれば、すぐに相談できる距離ですよ」
「鷹沢が有近に相談に行くなんて、前代未聞だよ! でも、たしかに目の前だしね。ご近所か……。悪くないね。そうだ、夕愛。玲我に泣かされたら、いつでも俺を頼ってくるんだよ?」
「それはない」
きっぱり玲我さんは言いきった。
「そっか……。夕愛も都久山に来たんだ」
「そうです。私も同じ場所にいます。そ、その……海寿お兄さんがいるところに……」
私が照れながら言うと、海寿さんは泣き笑いのような表情を浮かべて、私を抱き締めた。
「夕愛、ありがとう。玲我と幸せに……」
「おい、海寿……」
私から海寿さんを引き離そうとした玲我さんは驚き、手を止めた。
海寿さんは泣いていた。
泣いているのを自分に見られたくないだろうと思ったのか、玲我さんは顔を逸らし、『今だけだぞ』と言って、見て見ぬふりをしてくれた。
「どうか海寿さんも幸せになってください」
私はお母さんならきっとこうしただろうと、海寿さんを抱き締め、背中をなでながら声をかけた。
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