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March
5 視線
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気合いの入ったメイクと持っている中で一番大人っぽいワンピースを選んだ。
ひざ丈のクラシカルなベージュのワンピースにパールがついたクラッチバッグ。
シフォンのシルクスカーフはロングタイプで同系色を選んだ。
ボブの髪をなんとかアップにして大人っぽくする。
『ウサギちゃん』なんてもう呼ばせない。
呼ばせてなるものか……!
アンクルストラップ付のクリーム色のパンプスをはいた。
ヒールの高いパンプスを選んで身長の底上げをした。
どこからどうみても高校生なんかに見えない。
「ちょっとがんばりすぎたかな……」
でも、これで私が大人の女だということはわかるはず―――って、私のことなんて梶井さんはもう忘れてるかも。
会場は広いし、私なんかきっと目に入らない。
そんなことわかってる。
手にしたチケットをジッと見つめた。
『梶井理滉クラシックコンサート』とチケットには書いてある。
あの人はオーケストラと共演する大ホールでのコンサートができてしまうすごい人。
大勢の中の一人でしかない自分。
わかっているくせにいつもより着飾ってしまった。
「ちゃんとわかってるけど……キスなんかするから」
勘違いして期待してしまう。
私はただのカフェ店員。
向こうは世界的に有名なチェリスト。
付き合ってる女性は掃いて捨てるほどいて、梶井さんにしたらキスなんて挨拶がわりみたいなもの。
でも、向こうが私を見つけなくてもいいの!
私は純粋にコンサートを楽しみにきただけなんだから!
梶井さんはドイツに拠点を置いている。
だから、これは久しぶりの国内コンサートだった。
コンサートの発表から、私はずっとこの日を楽しみにしてきた。
私はただのファン。
そう自分に言い聞かせて、パンフレットをもらってホールに入った。
私の席は一階の前の方のはじっこの席。
人気があるから、いい席はとれなかった。
梶井さんのコンサートは熱心な女性ファンが多い。
それもファン層は年齢層が高めでお金を持ってる人ばかり。
「そういう人を集めてしまう体質なのかも……」
さっと席を見渡してもクラシックコンサートになれている年配の方が多い。
マダムのパトロンと戯れる梶井さんを思い浮かべた。
とても絵になる。
それくらい梶井さんは色気がある。
背伸びしてます!ってかんじで頑張ってる自分が悲しくなった。
「楽しみねぇ」
「ドイツまで私、聴きに行ったのよ」
「あら、私も。一度しか行けなかったけど」
そんな会話が聞こえてくる。
うやましい。
一度でも行けたらいいと思う。
私が海外旅行に行ったのは一度だけ。
菜湖ちゃんに便乗して一緒にくっついて行った。
自分一人で行く勇気はない。
それにしても海外遠征までしてしまうとは梶井さんファンはベテラン揃いだけある。
「海外で演奏する梶井さんも素敵よね」
「梶井さんのファンなら絶対見逃せないわ」
ファンを名乗るのなら、海外遠征は当たり前だったみたい……
で、でも、私だって一度だけ海外で梶井さんの演奏を聴いたことあるんだから。
オーケストラと演奏するのを―――って、なにを張り合っているんだろう。
それにあれは自分でチケットを買ったんじゃないのに―――梶井さんにとってはあれも気まぐれでなんでもないこと。
「大人の男ってほんとやだ……」
こっちの気持ちも知らないで、簡単に心を奪っていくんだから。
思い出して泣きそうになっていると開演の時間になった。
幕があがる―――オーケストラを従えて、登場する梶井さん。
最初の曲はエルガーのチェロ協奏曲。
一瞬だけのシンッとした空気は緊張し、ピンッとはりつめた糸のようだ。
その一瞬の静寂を破るチェロの音。
梶井さんが奏でるチェロの音は自信に満ちているのにどこか切なく悲しく響いた。
母を亡くした彼の苦しみが音にすべて込められているような気がした。
インタビューで読んだことがある。
高校生で母を亡くした梶井さんは思うように弾けなくなり、やめようと思った時期があると。
けれど、そんな自分をかっこいいと言ってくれた人がいるから、また弾けるようになったとも。
第一楽章から第二楽章へ移る。
苦しみもがく時代から逃げるように明るく振舞う音。
音は少しずつドラマティックに変化し、力強くなっていく。
今の梶井さんのよう。
続いて弾いたのは彼が一番得意とする曲。
サンサーンスの白鳥。
この曲は梶井さんにとって特別な曲だった。
雑誌のインタビューで『亡くなった母親が一番好きな曲だった』と言っていた。
いつもこの曲だけは重く悲しく響いて、泣きたくなる。
傷を負ったままの白鳥がうつむき、暗い森の湖面に一羽、漂っているような寂しい音。
まるで泣いているような音色がホールに響いていた。
二曲終わると梶井さんは立ち上がり、お辞儀をした。
大きな拍手、そして周りの人達は涙をぬぐっていた。
「やっぱり白鳥は梶井さんじゃないと」
「素晴らしいわねぇ」
「次の曲はリベルタンゴね」
チェリストの深月さんと一緒に弾いて以来、ファンを虜にしてしまった曲だった。
さっきとは違う女性を魅了してしまうような色気たっぷりで奔放な音。
視線を客席へ向ける。
たったそれだけのことなのに場が盛り上がるのがわかる。
こちらにも目が向けられた瞬間、さっきより長くその視線はその場に留まり、私を見ているような気がした。
―――私の気のせいだろうけど、なぜか私の心は激しく揺れ動いた。
それは曲のように熱くて激しい感情だった。
ひざ丈のクラシカルなベージュのワンピースにパールがついたクラッチバッグ。
シフォンのシルクスカーフはロングタイプで同系色を選んだ。
ボブの髪をなんとかアップにして大人っぽくする。
『ウサギちゃん』なんてもう呼ばせない。
呼ばせてなるものか……!
アンクルストラップ付のクリーム色のパンプスをはいた。
ヒールの高いパンプスを選んで身長の底上げをした。
どこからどうみても高校生なんかに見えない。
「ちょっとがんばりすぎたかな……」
でも、これで私が大人の女だということはわかるはず―――って、私のことなんて梶井さんはもう忘れてるかも。
会場は広いし、私なんかきっと目に入らない。
そんなことわかってる。
手にしたチケットをジッと見つめた。
『梶井理滉クラシックコンサート』とチケットには書いてある。
あの人はオーケストラと共演する大ホールでのコンサートができてしまうすごい人。
大勢の中の一人でしかない自分。
わかっているくせにいつもより着飾ってしまった。
「ちゃんとわかってるけど……キスなんかするから」
勘違いして期待してしまう。
私はただのカフェ店員。
向こうは世界的に有名なチェリスト。
付き合ってる女性は掃いて捨てるほどいて、梶井さんにしたらキスなんて挨拶がわりみたいなもの。
でも、向こうが私を見つけなくてもいいの!
私は純粋にコンサートを楽しみにきただけなんだから!
梶井さんはドイツに拠点を置いている。
だから、これは久しぶりの国内コンサートだった。
コンサートの発表から、私はずっとこの日を楽しみにしてきた。
私はただのファン。
そう自分に言い聞かせて、パンフレットをもらってホールに入った。
私の席は一階の前の方のはじっこの席。
人気があるから、いい席はとれなかった。
梶井さんのコンサートは熱心な女性ファンが多い。
それもファン層は年齢層が高めでお金を持ってる人ばかり。
「そういう人を集めてしまう体質なのかも……」
さっと席を見渡してもクラシックコンサートになれている年配の方が多い。
マダムのパトロンと戯れる梶井さんを思い浮かべた。
とても絵になる。
それくらい梶井さんは色気がある。
背伸びしてます!ってかんじで頑張ってる自分が悲しくなった。
「楽しみねぇ」
「ドイツまで私、聴きに行ったのよ」
「あら、私も。一度しか行けなかったけど」
そんな会話が聞こえてくる。
うやましい。
一度でも行けたらいいと思う。
私が海外旅行に行ったのは一度だけ。
菜湖ちゃんに便乗して一緒にくっついて行った。
自分一人で行く勇気はない。
それにしても海外遠征までしてしまうとは梶井さんファンはベテラン揃いだけある。
「海外で演奏する梶井さんも素敵よね」
「梶井さんのファンなら絶対見逃せないわ」
ファンを名乗るのなら、海外遠征は当たり前だったみたい……
で、でも、私だって一度だけ海外で梶井さんの演奏を聴いたことあるんだから。
オーケストラと演奏するのを―――って、なにを張り合っているんだろう。
それにあれは自分でチケットを買ったんじゃないのに―――梶井さんにとってはあれも気まぐれでなんでもないこと。
「大人の男ってほんとやだ……」
こっちの気持ちも知らないで、簡単に心を奪っていくんだから。
思い出して泣きそうになっていると開演の時間になった。
幕があがる―――オーケストラを従えて、登場する梶井さん。
最初の曲はエルガーのチェロ協奏曲。
一瞬だけのシンッとした空気は緊張し、ピンッとはりつめた糸のようだ。
その一瞬の静寂を破るチェロの音。
梶井さんが奏でるチェロの音は自信に満ちているのにどこか切なく悲しく響いた。
母を亡くした彼の苦しみが音にすべて込められているような気がした。
インタビューで読んだことがある。
高校生で母を亡くした梶井さんは思うように弾けなくなり、やめようと思った時期があると。
けれど、そんな自分をかっこいいと言ってくれた人がいるから、また弾けるようになったとも。
第一楽章から第二楽章へ移る。
苦しみもがく時代から逃げるように明るく振舞う音。
音は少しずつドラマティックに変化し、力強くなっていく。
今の梶井さんのよう。
続いて弾いたのは彼が一番得意とする曲。
サンサーンスの白鳥。
この曲は梶井さんにとって特別な曲だった。
雑誌のインタビューで『亡くなった母親が一番好きな曲だった』と言っていた。
いつもこの曲だけは重く悲しく響いて、泣きたくなる。
傷を負ったままの白鳥がうつむき、暗い森の湖面に一羽、漂っているような寂しい音。
まるで泣いているような音色がホールに響いていた。
二曲終わると梶井さんは立ち上がり、お辞儀をした。
大きな拍手、そして周りの人達は涙をぬぐっていた。
「やっぱり白鳥は梶井さんじゃないと」
「素晴らしいわねぇ」
「次の曲はリベルタンゴね」
チェリストの深月さんと一緒に弾いて以来、ファンを虜にしてしまった曲だった。
さっきとは違う女性を魅了してしまうような色気たっぷりで奔放な音。
視線を客席へ向ける。
たったそれだけのことなのに場が盛り上がるのがわかる。
こちらにも目が向けられた瞬間、さっきより長くその視線はその場に留まり、私を見ているような気がした。
―――私の気のせいだろうけど、なぜか私の心は激しく揺れ動いた。
それは曲のように熱くて激しい感情だった。
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