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五 蘭、天狼神様とお会いする
しおりを挟む『明日、我の元へ来い』
天狼神様は、私の顔をみつめて話された。
『急か?』
「い、いえ! 今日中に引継ぎが出来れば、大丈夫です」
まさか天狼神様のお話を、断れない。
持ち物は少ないので、自分の荷物のまとめは昨日のうちに終わっていた。
『そうか』
天狼神様は優しく微笑んで、私の頬を指で撫でた。
「……え」
私は生贄ではないのか? 天狼神様の優しい微笑みに動揺して、固まった。
すると、ドガ! ドガ! ドガ! という大きな足音とともに閉めていた扉が乱暴に開けられた。
「翡翠! 朝ご飯が、まだできてないぞ!」
父と蘭がお祈りの時間だというのに、断りもなく入って来た。
天狼神様の前なのに!
「父上、蘭。控えなさい! 天狼神様の御前です!」
私は不敬な二人へ注意した。普段は良くても、天狼神様の御前だ。
「早く食事を作れよ! ……えっ!?」
「ひっ!」
蘭がいつもより早く起きたからか、朝ご飯の催促をしてきた。
父は天狼神様のお姿を見つけて、腰を抜かして床へ尻もちをついた。
『無礼な』
天狼神様は腕を前に突き出すと、二人が飛ばされて壁へ激突した。
「うわぁ!」
「ぐっ!」
強く背中を打ったようで、二人は動けないでいた。突風が吹いたようだった。
私は二人の姿を見てこぶしを握った。
ケガは心配だが、天狼神様の前で無礼を働いた。この時間はお祈りの時間と知っているはず。
それなのに、声掛けもなしにいきなり扉を開けて入ってくるとは……。
『現当主! そのくらいで済んで、良かったと思え!』
響く声で天狼神様は二人にいら立ちながら言った。
「ううっ……。申し訳ございません……!」
父はよろけながら土下座をして謝罪した。
「あ……」
蘭を見ると口を切ったのか、口から一筋、血を流していた。赤い顔をして、天狼神様をみつめていた。
蘭の様子がおかしい。
「ほらっ、蘭! お前も謝罪しなさい!」
父が無理やり、蘭の頭を掴んで下げた。
『明日、翡翠を連れて行く。引継ぎ……とやらを、しっかりやるのだな』
「は、はいっ!」
蘭が先に、天狼神様へ返事をした。
胸の位置で指を組んで、天狼神様をキラキラした瞳で見ていた。
蘭……。まさか。
私はジッと天狼神様をみつめている蘭のことを見て、胸がもや……っとした。
『翡翠。では明日、迎えに来る』
「はい」
私は天狼神様を見上げて返事をした。
『待っていろ』
親指で、私の目尻に沿って耳まで触れて離れた。
天狼神様の触れた耳が熱い。――いや私の頬が赤くなっているようだ。
フッ……と天狼神様は消えて、お帰りになった。
視線を感じて振り向くと、蘭が私を睨んでいた。
今までは蔑みの目を私に向けてきたけれど、今は憎しみの籠った視線をぶつけてきている。
謝罪の言葉も言わず、なぜ?
「痛い……。父さん、打ち身の手当てしよう。それに話がある」
蘭は私から視線を反らして、父に話しかけた。
「そうだな……。手当をしよう。ひどい目に合った……」
蘭に肩を借りて私の前からいなくなった。
やはり父も、私には謝罪がなかった。
「引継ぎをしなくては……」
明日、天狼神様の元へ行く。その前に、今日中に引継ぎをしないといけない。
ちゃんと話を聞いてくれると、良いのだけれども……。
台所へいつもの時間へ行き、朝ご飯の用意を始めた。
お手伝いさんへ、三人の味の好みを引継ぎをしてもらった。
ノートに書いてあるので、それを見ながらやって欲しいとお願いした。
「お三方の味の好みを、毎日それぞれ変えてお料理されてらっしゃったのですか!?」
お手伝いさん達が驚いていた。
「ええ」
苦笑いするしかない。
「ちょっと……、ねえ?」
「他でそんなことは、やらなかったわ」
「お三方のそれぞれの味付け、お一人お一人の好き嫌いの多いのを考慮して、翡翠様が料理をお一人で?」
「その他にお掃除やお洗濯も、おやりになってましたよね……?」
お手伝いさんの反応が……。
お手伝いさんは、お湯を沸かしてもらったりお野菜を洗ってもらったりして私が作ったお料理を運んでもらっていた。
これからは作ってもらう予定だ。
「今まで、大変でしたわね……。手際が良くて、まさかそんな凝ったことをされているとは、気が付きませんでした」
長く通ってきてくれるお手伝いさんが、私の手を握って涙をにじませていた。
「これからは、お幸せになって下さい。皆、翡翠様の幸せを願っています」
お手伝いさん達が涙を流して、私を気遣ってくれた。
「……全部は無理ですが、出来るだけ引継ぎできるようにいたします」
「ありがとう」
お手伝いさん達に引継ぎはできた。
次は蘭か父に、お祈りのことを頼まなくてはいけない。
私は皆が集まるリビングに向かった。
ドアをノックして挨拶をする。
「翡翠です。お話があるので……。失礼します」
父と蘭は起きていたはずなので直接、話すつもりだ。
神社なので母屋は和風のお屋敷なのだけれど、リビングはソファーとテーブルが並ぶ、洋式の部屋になっている。
「なんだ?」
父と蘭はソファーへ座って楽しそうに会話をしていた。不機嫌になった父へ話しかけた。
「あの。朝のお祈りを父上か蘭に、明日から私に代わってお祈りして欲しいと……」
私は立ったまま、返事を待った。
「え――? 朝のお祈り? 嫌だね。それよりさ? あんたと俺、天狼神様へ行くの、代わってくれない?」
蘭はソファーに座ったまま、顔だけ向けて私に返事をした。
今、なんて……?
「天狼神様のとこに行くの、無能のあんたじゃ、もったいないよ。俺の方がふさわしい」
ニヤリと笑って私に向かって言った。
「え……? でも……」
「翡翠! 蘭が代わりに、行ってくれると言っているだろう!?」
父は大きな声で私に怒鳴ってきた。天狼神様とお話したことを忘れているのだろうか?
「能力が開花している蘭の方がふさわしい! 代わりなさい」
バンッ! とテーブルを強く叩いた。
「父上、天狼神様とのお約束をお忘れですか?」
「うっ……」
天狼神様との約束は絶対なのに。
「明日、天狼神様が私をお迎えに来てくれます。お約束を違えぬように、お願いいたします」
そう言い、私は部屋を出た。
蘭が爪を噛みながら、私を恐ろしい目で見てたことは知らなかった。
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