女スパイと蜜の罠

奥山紅葉

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9.懐かしい人

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何とか時間内に作業を終わらせ、管理人さんに案内をお願いする。
誰もいない静かな廊下を、飲み物を持った管理人さんの後に付いて進んでいく。

ダイヤの寮は一階に共用スペースがあり、二階以上に個人の部屋がある。
役職持ちの部屋は最上階だ。

前を歩く管理人さんの足を見て、思いきって声を掛けた。

「あのっ、グラスを持たせてください。」
「お客様にそのようなことをさせる訳にはいきません。」
「はい。それは承知しているのですが、その……足にお怪我をされていませんか?」

最初に挨拶したときには気付けなかったのだが、後ろを歩いていて気付いたのだ。

「お気遣い、ありがとうございます。では、あのテーブルまではこのまま参りましょう。」

管理人さんは優しげな笑みを浮かべて、少し先にあるテーブルを見やった。


テーブルで分担を決め、私がグラスを、管理人さんがピッチャーを持った。
全部私が持っても良かったのだが、重い物を女性に持たせる訳にはいかないと固持された。
紳士だ。


さて、問題の階段だ。
管理人が段差に足を掛け、一歩、二歩と登っていく。

「大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫です。違和感ありましたか?」
「いいえ、ないです。」

先程の違和感は気のせいだったのかと思うほど、今は自然な歩みだ。

「今は特に意識しています。」

管理人さんが悪戯っぽく笑い、釣られて笑みが漏れる。

「意識していては、上に着くまでに疲れてしまいませんか?楽にしてください。」
「ふふっ、では、遠慮なく。」

改めて管理人さんの歩みを観察する。
良く気を付けて見なければ分からない程度だが、左右で足運びが違う。

「怪我は右足でしょうか?」
「正解です。」

トランプの仕事は基本的に情報収集だ。
ダイヤの場合、基本は市場やギルド、娼館など情報の集まる場所に配置される。
そうして集まった噂を選別し、裏付け調査を行う。
情報を守ろうとする側と戦闘になり、怪我をすることは少なくない。
ハートの場合はそこに王族警護も加わり、他のチームに比べて格段に戦闘になる機会は多いはずだ。
管理人さんもそうして負傷したのだろうか。

「不躾だとは承知しているのですが、その……お怪我をされてトランプの施設で働いていらっしゃる方は多いのでしょうか?」
「貴女は何歳になりましたか?」
「16歳です。」
「スペードで宿や連絡員のお仕事はされませんでしたか?」

トランプでは、成人前に何度か実地研修がある。
子供の下働きとして各地に送り出され、年齢が上がるにつれ、訓練より研修の期間が長くなっていく。
私はお役目が決まっていたので、お役目に合った場所が割り振られた。

「いえ。研修は繁華街やお屋敷が殆んどでした。」
「そうですか。徹底してますね。」

管理人さんは苦笑した後、説明してくれた。
スペードやクラブで現地の人間に紛れて暮らす人達は、年齢や怪我で前線に立てなくなった人が多いことを。
スペードの経営する宿は研修先の定番で、前線を離れた人達と一緒に生活し、話を聞く機会になる。
また、連絡員は馬に乗れるまで回復した人が多く、その人の補助をしながら各地を回るそうだ。

「私はリハビリも兼ねて、ここで働いています。リハビリしてどこまでできるようになるか……、望みを捨てたくない人間です。今はここで指導しつつ、復帰できるよう努めています。外の子達はどうですか?」
「頑張っていると思いますよ。先程からきちんと私を見張っています。」

ここハートの寮は年長者の研修先の一つだ。
ハートへの配属がほぼ決定になった人達が敷地内を警備している。
歳はあまり違わないので、知ってる人もいるかもしれない。
でも仕事は仕事。
外から来た私は監視対象だ。
足の悪い管理人さんが上まで同行するのも、私に勝手な行動をさせないためだ。

だけど、ちょっと視線が痛い……。

「いえ。むしろ見過ぎかと。」

やっぱりそうですか……。

「貴女が綺麗で目が離せなくなってるんです。」
「アリガトウゴザイマス。」

公爵家ではブスメイクで過ごしているので、ここに来るにあたりいつもとは違うメイクにして来た。
かわいい感じにできたと思う。
目を引かないようにしたつもりだったけど、失敗したかなぁ。

「私もつい見てしまいました。お美しい女性が静かに手作業をされるところなど、滅多にここでは見られませんから。」

いえ、監視ですよね……。

「まあ、ジェイが女性と親しげにしていたのが珍しいのもあるでしょうが。続いていたとは私も知りませんでした。」
「ジェイとは、──もしかして、私のこと、ご存じ……でしたか?」
「はい。」

え!?誰?
数段上の階段にいる人をじっくり見るけど、思い当たる人が出てこない。
執事服をきっちり着こなした、すらりとした立ち姿。
涼しげな目は先程までと違い面白そうな色を宿している。

「ここまで綺麗に忘れられていると、いっそ清々しいですね。
『目先のことだけ見るな。全体を見ろ。』
──これでも、思い出せませんか?」

トランプの養成所で訓練をつけてくれた大先輩の言葉です。

「トエットさん?」
「はい。」

「体格が……。」
「療養中に筋肉が落ちてしまいました。」

「声が……。」
「頑張ってみました。」

「雰囲気が……。」
「なりきり執事です。」

…………。
私、ヒドい女です。
ハジメテの後ろを捧げた人をど忘れしていました。

いや、これはトランプの変装技術すごいってことでいいんじゃないのかな。


「気付くの遅すぎんだよ。ばーか。もう階段終わるのに、これでも気付かなかったら、どうしようかと思ったぜ。」

あ、はい。
こんな話し方の人でした。

「すみません。」

襟元を弛め、前髪を下ろすと、雰囲気がガラリと変わり、知っている人のものになる。
でも、以前の精悍さはなく、少し寂しい。

「お前視野狭すぎって、昔注意したよな。目の前の物は見えすぎってくらいよく見えているのに、離されたり隠されたりすると全くダメ。」
「はい……。」

すみません。
自分のせいでしたね。

いやいや、やっぱり無理だよ!


「で、今何してるんだ?」

他には誰もいないし、事情を知ってるこの人なら言って大丈夫か。

「クリスティーナ・アルトバイン公爵令嬢の侍女です。」
「公爵令嬢に付いて、後宮入りすんの?」
「その予定です。」
「それで、見初められて愛妾入りか。うわー、こえー、えげつねー。ヘイト煽るねー。流石ロイだわ。」
「……。」

怖いので、同意致しかねます。

「それにしても、ジェイと続いてるとはなー。役目のことで制限もあるから普通の恋人は無理だろうけど、ある意味今のうちだと思うぞ。」
「いえ、そんなのではないので……。」

今のうちに恋人って、無理じゃないかな?
もう処女を守らなくていいから、いいのかな?

階段を登り切ったところで、トエットさんが立ち止まった。
くるりと私の方を向き、少し屈んで私の顔を覗き込む。

顎を指で掴まれ、顔を上に向かせられる。
手にはグラス、すぐ後ろは階段。
降りてきた唇をおとなしく受け止める。
何度か合わせた後、唇を唇で食まれて、「ああ、トエットさんだ。」と思った。


扉が開いた音がして、トエットさんがキスを止めた。
ゆっくり離れていく顔を見上げれば、優しい笑顔があった。
うん、この人は優しい人だ。
初めて肌を合わせた時だって、痛くしてゴメンとずっと気遣ってくれていた。

横から腕を引かれて、手にしていたトレイの上でグラスがカチャリと音を立てる。
これくらいでバランスを崩すような鍛え方はしていないけど、文句は言う。

「ジェイ、危ないって。」
「お前は部屋行っとけ。」

怖い顔で言われて、開いている扉へと向かう。

数歩進んで、横目で二人の様子を窺った。
ハージェイがトエットさんに何かを言い、トエットさんがあしらっているっているが、話している内容は聞き取れない。
あの二人なら私に聞こえるかどうかの声量調節なんてお手のものだろうと、諦めて部屋へと足を進めた。
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