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第4章 魔法決闘〈マジカデュエル〉

リンネの匂い

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(はー。それにしてもさっきのアイツ、面白かったなー。霧の中のアイツの情けない顔。最高だったなー)
 夕日に照らされた皇急御珠みたま線の下り列車の車内。
 ソーマの中のルシオンが、ゴキゲンな声でそう繰り返していた。

 5時限目の魔法実技。
 トライボールの試合にかこつけて、ソーマを潰しにきた黒川キリト。
 ナユタの作った霧に紛れて襲ってきたキリトを、ルシオンが叩きのめした。
 無理やりソーマの体を奪い取って。

「『最高だったなー』じゃねーだろルシオン! お前、あいつのこと殺そうとしただろ?」
 ソーマは苦虫をかみつぶしたような顏で、小さくルシオンに話しかける。
 ソーマがどうにか、ルシオンの体に介入・・して彼女の動きを止めていなかったら。
 ルシオンは、自分のホタルでキリトを殺すところだった。

(キリト? ああ、アイツのことか。あたりまえだろう。インゼクトリア第3王女、このルシオン・ゼクトに刃を向けたのだぞ。なぜ生かしておかねばならないのだ?)
「……あのなぁ。アイツが手を出してきたのはの方だから。俺がどうにかする問題なんだよ!」

(……? ならばなぜ、お前が殺さないのだ? お前を侮辱してきた敵だぞ。名誉に関わる!)
「だ、か、ら! 敵とかそーゆうんじゃないんだよ! あそこは学校なんだ。でもってあいつは同じクラスのクラスメート。もっと難しくて複雑でメンドーな関係なんだよ!」

(……? まったく、人間の理屈はよくわからんな……)
 頭の中で不思議そうな様子のルシオンに、ソーマはため息をついた。
 
 異世界からやってきた魔王の娘に、人間社会のルールを説明するのはかなり難しい。

(……ところでドコに行くんだおまえ? 今日は家には帰らないのか? なんてゆうか……ほら、もうすぐ『夕食』なんじゃないか?)
「今日は用があるんだ。病院に行って姉さんと会う日なんだ。家に帰るのはそのあとだ、ルシオン……」
 ソーマの中でワクテカした様子のルシオンに、彼はアッサリそう答える。

 今日は火曜日。
 聖ヶ丘駅から御珠みたま線に乗って5駅。
 御珠病院に入院している姉のリンネに、ソーマが会いに行く日だった。

(ネーサン? なんだそれ?)
「ネーサンというのは、ソーマ様の姉上のことです。ルシオン様」
 不思議そうなルシオンの声に、ソーマの肩にとまった小さな青いチョウがそう答えた。

 ルシオンの侍女コゼット。
 まだこっちの世界に来て1日なのに、ソーマたちの言葉や慣習をあっという間に覚えてしまう。
 ものすごく優秀な侍女みたいだ。

「『姉上』!?」
 ビクンッ!
 ソーマの体がいきなりすくんだ。
 ルシオンの動揺に、ソーマの体まで反応したようだ。

「おいおい、どうしたんだよルシオン……いきなりビクビクしてさ?」
(な……なんでもない。なんでもない!)

「ルシオン様。姉上といいましても、ルシオン様のではありません。ソーマ様の姉上ですよ」
(そ……そんなこと、わかってるコゼット! ちょっと驚いただけだ!)
 コゼットの言葉に、ムキになって取り繕うような必死な感じのルシオン。

 どうやら「姉上」という言葉に、無条件に体が反応してしまったらしい。

「まったく、どんな姉上なんだよ……!」
 ルシオンに聞こえないように、ソーマは小さくそう呟いた。
 彼女は自分の姉に、相当イヤな思い出があるらしかった。

 そうこうしている内に……。

「間もなく御珠みたま病院前。御珠みたま病院前……」
 電車のアナウンスがそう告げる。
 ソーマは座席から立ち上がって、車窓の景色に目をやった。
 
 高架から見渡す夕日に照らされた御珠の街並みは、まるで流れていく絵画みたいに綺麗だった。
 だがソーマの顔は、なんだか憂鬱だった。

  #

「ソーマ。家の様子はどう? 父さんはちゃんと帰って来ている?」
「いつもと同じだよ姉さん。めったに戻ってこない。生活費は振り込まれてくるけどさ……」
 病院の一室。
 ベッドの横に腰かけながら、ソーマは姉のリンネと話をしていた。
 
「そう。ちゃんとご飯は食べているの? ソーマはわたしが居ないと、すぐにカップ麺だから」
「大丈夫だよ。ちゃんとしてる。最近ユナにも手伝ってもらってるんだ……」
「ユナちゃんに? あまりお隣に迷惑をかけては駄目よ。ユナちゃんだって自分の勉強があるんだから」
「わ、わかってる。ちゃんとするよ……!」
 口をとがらせてそう答えるソーマに、リンネが心配そうに形のいい眉をひそめた。

「姉さんこそ体の調子はどう? 食事はできてる?」
「ええソーマ。ここ何日か、落ち着いているし気分もいい。大丈夫、心配しないで……」
 姉の顔をのぞきこんでリンネを気遣うソーマ。
 リンネはにっこり笑ってソーマに答えるが、その笑顔がなんだか弱々しかった。

 御崎リンネ。
 3つ年上のソーマの姉。
 小さいときに母親を亡くしてから、ずっとソーマのことを気にかけてきた。

 母親というのが、どういうものかソーマは知らない。
 でもそんなことを気にもせずソーマが今までいられたのも、きっとリンネのおかげだろう。
 ソーマにとっては、リンネが母親みたいな存在だった。
 
 ソーマはしげしげと姉の横顔を見つめる。

 夜の闇を流したような長い黒髪。
 黒目がちな切れ長の目。
 磨き上げた氷みたいに真っ白で滑らかな肌。
 艶やかな赤い唇。
 まるで人形みたいに整った顏。

 今年17歳になるリンネは、弟のソーマが見てもちょっとゾクッとするような凄い美貌の持ち主だった。
 街中を歩いていれば、声をかけて来る男はきっと数えきれないだろう。

 でも今のリンネに、それは無理な話だった。

 魔法過敏症マジカセンシビティ
 医者はリンネの症状をそう診断したが、こんなに重い症例は世界でも類を見ないらしい。

 魔法の発動を間近に感じると、酷く体調を崩したり、心のバランスを失ってしまう。
 小さい頃からリンネを苦しめてきたその症状が、最近は特に重かった。
 魔法の使用が禁止された特殊病室から、出ることもできないのだ。

 時々ソーマは恐ろしくなる。

 ソーマが目をつむって次にその目をあけた時、リンネの姿はどこかに消えてしまっているのではないか。
 リンネの姿が窓からさしこむ夕日に透けて、そのままいなくなってしまうのではないか。
 姉の横顔を見ていると、ソーマはそんな錯覚と強烈な不安に襲われる。

 それくらい、今のリンネは儚く見えた。
 繊細なガラス細工みたいに。
 ソーマが触ったらそのまま砕けてしまいそうに。

「どうしたの? ソーマ……?」
「え? い、いや。なんでもないよ姉さん!」
 自分の横顔を見ているソーマに、リンネが首をかしげる。
 ソーマは顔を赤らめてリンネにそう答えた。

「フフ……おかしなソーマ」
 リンネはソーマを見つめて、クスリと笑った。
 そして……。

「さあ……来てソーマ」
 リンネが黒珠のような瞳をキラキラさせながら、ソーマの方に手をさしのべた。

「ウン……」
 ソーマは姉に言われるまま。

 オズオズとリンネのベッドの横に腰かける。
 リンネのすぐそばに腰かける。

 そして、スルリ……。
 白いヘビみたいにやわらかくて冷ややかなリンネの腕が、ソーマの首に絡みついた。

「あぁ……ソーマ……」
 ソーマの体を抱き寄せて、リンネは弟の顔を自分の胸にうずめた。

 リンネがかすれた声をあげた。
 リンネの黒珠のような目がうるんでいた。
 リンネの白磁みたいな頬が、今はっすら薔薇色に染まっていた。
 花びらみたいな赤い唇が妖しく濡れていた。

  #

 まだ小さい頃、リンネにソレを求めていたのはソーマだったはずだ。
 子供の時のソーマは、怖がり屋だった。
 夜、暗い場所でちょっとでも何かの気配がすると、もう怖くて眠れなかった。

「大丈夫よソーマ。お姉ちゃんが、ソーマが寝るまで起きててあげる」
 そんな時、リンネは笑顔でソーマに話しかけると。
 小さな体でソーマをギュッと抱きしめた。
 ソーマが安心して眠るまで、ずっとそのままでいてくれた。

 でも今、ソレをソーマに求めているのはリンネだった。

「気のせいかな……ソーマとこうしていると落ち着く・・・・の。気持ちも体もスッと軽くなって……昔に戻ったみたいに感じる・・・……!」
 2人きりの病室。
 初めて病室でソレをした時。
 リンネはソーマにそう言った。

 ソーマの近くにいると。
 ソーマの体を抱きしめていると。
 いっとき魔法過敏症マジカセンシビティの症状が消えるという。
 気分が良くなるという。

 だったらどうして、ソーマにソレを拒むことができるだろう。
 
 それから3ヶ月の間。
 週に1度の面会の日。
 ソレはソーマとリンネの間で必ず交わされる「儀式」みたいなものになっていた。

 ユナもリンネを心配していた。
 しきりに会いたがってもいた。

 でも、今はだめだ。
 ソーマとリンネのこんな姿を、ユナに……幼馴染に見せるわけにはいかなかった。

  #

「姉さん……」
 リンネの腕の中で、ソーマはか細くうめいた。
 リンネの柔らかな胸が、ソーマの顏に押し当てられていた。
 リンネの鼓動が、リンネの温もりが、リンネの胸ごしにソーマにも伝わって来る。

 甘くて涼しげな水仙みたいな香がソーマの鼻孔を通りぬける。
 それはリンネの匂い。
 リンネがソーマとソレをする時にだけ放つ匂い。
 ソーマとリンネしか知らない2人だけの秘密・・だった。

「ん……ソーマ。ソーマ。大事なソーマ。わたしだけのソーマ……!」
 リンネは甘い吐息を漏らした。
 細くて真っ白なリンネの指先が、ソーマの髪をウズウズとまさぐっていく。
 リンネの冷たくすべらかな掌が、ソーマの頬を優しく撫でまわす。

 リンネの匂いが、病室全体を甘い花の香で満たす。
 そしてソーマの内側を満たす。

 もどかしいような、むずかゆいようなこの感覚。
 頭の奥が甘く痺れて焼き切れてしまいそうな、いつもの感覚!

「姉さん……姉さん……!」
 姉がソーマを離すまでしばらくの間、ソーマはリンネのされるがままだった。

 病室の窓のむこう。
 山並に消えかかった赤黒い夕日。
 病室の一角を照らした日の名残りが、2匹の蛇みたいに絡み合ったソーマとリンネの姿を血の色に濡らしている。


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