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すべては食べた後の祭り
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一学期の最初の朝礼で、根本信也は黒板に白いチョークで大きく
「和」と書いた。
白粉が指に付く。舞い上がる粉は、光の粒になって教室を漂う。
「このクラスは“和”を大切にします。みんなで悩み、みんなで解決する。
誰ひとりも置いていかない」
十五歳の顔が三十いくつも並ぶ。
うなずく子、よそ見する子、靴の先で床をこすって音を作る子。
根本は微笑み、板書を囲むように円い矢印を描き加えた。輪は輪を呼ぶ。
その輪郭のなめらかさが、指の皮膚に沁みる。
放課後、生徒たちは各々の家に帰った。
自転車のベルの音、透明な買い物袋の擦れる音、夕方の匂い。
「いい先生だね。あんた当たり引いたね」
台所で玉ねぎを刻む母親が笑う。皿の音、味噌汁の湯気。
和、和、と言葉を口の中で転がしてから、子は「うん」と返事をした。
「理想論だ。弱い奴は淘汰される。和なんて群れの言い訳だ」
ソファに沈んだ父は、缶のプルタブを音を立てて引いた。
「颯真、飲み込まれるな。やられる前にやれ」
子は曖昧に笑ってうなずく。
父の口元に流れる語尾は、薄い脂の匂いがした。
別の家では、母親が指先だけで拍手をした。
「みんな仲良く? きれいごとね。やられた方が悪いの」
テーブルに置かれた小皿の漬物は、塩が強い。
名前はまだ出ない。けれども、言葉に混じる匂いで、人は名乗る。
住良木。鷲尾。槍口。
根本の舌は、その三つの苗字を覚えていた。
喉の奥のほうで、金属片みたいに引っかかっている。
六月の半ば、林間学校。
山の空気は濃く、杉の幹は黒く湿っている。
キャンプ地に着くと、子どもたちは一気に走り出し、ロープで張られたテントに体をぶつけ、笑い転げた。
「まずは徹底的に遊ぶぞ。夜はみんなでご飯だ」
根本は声を張った。
空に白い雲。午後の光。草の先から水滴が落ちる。
遊び尽くさせ、汗を引かせ、腹を空かせる。
夜の鍋は、そういうリズムでおいしくなる。
夕方、飯盒の白い蒸気が立ちのぼり、班長の声が飛ぶ。
根本は大鍋の前で玉ねぎを炒めた。
木べらが底をなでる。油が熱に透け、甘い匂いが立つ。
じゃがいもを入れ、水を注げば、薄い音をたてて沸き始める。
肉を落とす。灰汁をすくう。火を弱める。
蓋を少しずらして、隙間から香りを逃がす。
ここまでの手順は、だれに見られても恥ずかしくない。家庭の台所の所作だ。
母の背中を思い出す。弱い身体で働きながら、夜には台所に立ち続けてくれた母。
母の教えはひとつ――「暴力では、何も解決しない。和を大切にしなさい」
その母は、息子を守るために学校へ通い、
加害者の名を告げ、過保護だと罵られ、
その訴えによって、逆に職を失い、
近所から孤立し、そして自ら死を選ばざるを得なかった。
その母が最後作ってくれたもの。それは、このシチューだった。
「先生、これ、何シチュー?」
背中に声。
根本は振り向かない。
「母の味だ。思い出の」
木べらの先で、鍋の底を軽く叩く。コン、と芯のある小さな音が返る。
匂いは甘く、記憶は甘い。
舌は、最初に覚えた甘さに逆らえない。
人はそれを、思い出の味と呼ぶ。
祈りは要らない。
ただ、順番通りに、やるべきことをやる。
最後に隠し味をひとつ落とす。
具体の名を呼ぶ必要はない。名前は力を持つからだ。
これは料理であって、実験ではない。
これは過去であって、未来ではない。
「できたぞ。みんな、器を持って並べ」
鍋が煮立つ。香りは甘く、懐かしい。
子どもたちは器を手に並んだ。
「先生の作ったやつ、うまそう!」
白い湯気が夜空へ昇る。
木の椀が手から手へ渡る。
夜の空気に白い湯気が巻き上がる。
班ごとに輪を作り、シチューをすくって口へ運ぶ。
第一声はいつだって「うまい!」で始まる。
「ほんとだ、うまい」
「やわらかい」
「家とちがう」
舌が正直に働く。
根本も自分の椀を手に、ひと口すすった。
スプーンを歯に当てない。音を立てない。
舌の上に、幼い日の台所と母の背中が広がる。
安いルーの角、乳脂肪の丸さ、玉ねぎの透明、じゃがいもの粉。
熱が喉を降り、胃が受け止める。
胸の中央に、やわらかい空洞が開く。
――母さん。
この味を守りたかった。
この味が、いつも僕の心を守ってくれたのに。
「ねえ先生、なんでそんなに静かに食べるの?」
ひとりの生徒が笑いながら言う。
根本はスプーンを置き、膝の上で指を組んだ。
火の揺れが瞳に映る。
子どもたちの笑顔は、火の輪の中で変わらない。
今から変わるのは、この輪に流れる意味だけだ。
「話をしよう」
根本は静かに言った。
「これは母のシチューだ。思い出の味でもある。
……それから、今日、この場にふさわしい話でもある」
空気が微かに引き締まる。
夜の山が近づいてくる。
「先生は、昔、毎日いじめられていた。それは地獄のような毎日だった」
火がぱち、と小さな音を立てる。
「母は、身体が弱かった。
それでも働いて、帰ってくると台所に立って、シチューを作ってくれた。
先生は、学校で何があったかを話さなかった。
母を心配させたくなかったからだ。
……でも隠せないものはある。痣、破れたノート、なくなる弁当」
火の粉がひとつ飛ぶ。
根本は瞬きをし、つづけた。
「母は学校に行った。担任に、教頭に、何度も。でも『いじめはなかった』と言われた。やがて母は、加害者の名前を言った。
……そのせいで、母は“過保護な馬鹿親”と言われ、パートを切られ、
近所から無視され、そして最後は――川で見つかった」
耳をふさぐ子がいる。顔を上げられない子もいる。
根本は、声を荒げない。
怒鳴ることは、復讐ではない。
復讐は、輪のかたちをしている。
「先生は教師になった。母が信じていた“和”を、
ちゃんと作れるか確かめたかったからだ。
みんなで悩み、みんなで解決する。……それが、母の教えだった」
根本は子どもたちの顔を一人ずつ見た。
火の輪に浮かぶ眼。
その中に、三つの苗字の影がある。
生まれたときから刻まれた音は、舌の上に残り続ける。
「今から三つ、名前を言う。心当たりがある者は、そのまま器を置きなさい」
沈黙が、輪の表面張力をぴん、と張る。
「住良木」
どこかで息が止まる音。
「鷲尾」
彼方でビニールが擦れる音。
「槍口」
誰かの唇が震える。
一人の少年が器を膝に落として、白い液体が土に吸われた。
周囲の子が顔を見合わせる。
「……嘘だろ」
別の子が、かすれ声で言う。
「嘘でも本当でも、君たちが食べた味は変わらない」
根本は椀を両手で包んだ。
「これは母の味だ。……そして、今日、それは違う”味”でもある」
夜風が吹き、木の葉がざわめく。
火が低くなる。
冷えは、気配の輪郭を強くする。
「先生な、もし世界に正しい“和”があるなら、
輪から外れた誰かの骨の上に立つ輪じゃなくて欲しかった。
でも、君たちのお父さんやお母さんは、それを選ばなかった。
子どもたちよ、これは大人の罪だ。
……だけど、罪は血を流れて君たちの口に入った。
“思い出の味”は、伝わる」
根本は首を横に振る。
「だが、罪は三人だけのものじゃない。あのとき、クラスの誰ひとり、
助けてくれなかった。輪から外れた人間は、存在しないのと同じにされた」
火が爆ぜる。器を持つ手が震える。
「だから先生は決めた。和をもって死となす。
……君たち全員に、母の思い出の味を分け与えた」
ひとりの少女が、胸を押さえた。
ひとりの少年が、額に手を当てた。
吐き気の波が輪の内側を巡る。
根本は顔を上げ、言葉を置く場所を探すみたいに空を見た。
星の数は、誰も数えない。
数えるのは、約束だ。
「今日君たちに伝えたいことは唯一つ。
……大人が選んだ和(わ)は、輪(わ)にならなかったことを」
手が震え始める子、歯の根が合わない子、顔から色が引いていく子。
器が地面に落ちる音が続いた。
火の向こうで、遠くのバンガローから教師たちの笑い声がかすかに聞こえた。
同僚は、この輪の意味を知らない。知らせる必要もない。
知らない者は、輪に含まれない。それだけのことだ。
呻き声、悲鳴、混乱。輪が崩れる。
だが崩れたその形も、ひとつの和だった。
翌朝、鳥の声が高く、霧が降りていた。
キャンプ場の片隅に、器とスプーンが散らばっている。
白いものが土に染み、甘い匂いがまだ漂っている。
遠くで、救急車とパトカーのサイレンが山肌に絡む。
大鍋の底は、うっすら白く曇っていた。
木べらで擦ると、コン、と小さな音が返る。
根本はベンチに座った。
指先に、古い台所の手触りが戻ってくる。
母の背中は、もうどこにもいない。
けれど、この匂いは、どこにでもいる。
「母さん」
声は、火の消えた石のように乾いていた。
「……やっと“和”になったよ」
根本は椀の底に残った最後の欠片をすくい、口へ運んだ。
舌に乗せる。
噛む。
飲み込む。
喉を下る熱が、胸に穴を開けたままの空洞を撫でる。
――和は、輪。
輪は、閉じる。
閉じたら、開かない。
それが祭りだ。
祭りは終わるためにある。
終わってからしか名前がつかない。
すべては、食べた後の祭り。
甘い匂いは、風にほどけて、林の向こうへ流れていった。
「和」と書いた。
白粉が指に付く。舞い上がる粉は、光の粒になって教室を漂う。
「このクラスは“和”を大切にします。みんなで悩み、みんなで解決する。
誰ひとりも置いていかない」
十五歳の顔が三十いくつも並ぶ。
うなずく子、よそ見する子、靴の先で床をこすって音を作る子。
根本は微笑み、板書を囲むように円い矢印を描き加えた。輪は輪を呼ぶ。
その輪郭のなめらかさが、指の皮膚に沁みる。
放課後、生徒たちは各々の家に帰った。
自転車のベルの音、透明な買い物袋の擦れる音、夕方の匂い。
「いい先生だね。あんた当たり引いたね」
台所で玉ねぎを刻む母親が笑う。皿の音、味噌汁の湯気。
和、和、と言葉を口の中で転がしてから、子は「うん」と返事をした。
「理想論だ。弱い奴は淘汰される。和なんて群れの言い訳だ」
ソファに沈んだ父は、缶のプルタブを音を立てて引いた。
「颯真、飲み込まれるな。やられる前にやれ」
子は曖昧に笑ってうなずく。
父の口元に流れる語尾は、薄い脂の匂いがした。
別の家では、母親が指先だけで拍手をした。
「みんな仲良く? きれいごとね。やられた方が悪いの」
テーブルに置かれた小皿の漬物は、塩が強い。
名前はまだ出ない。けれども、言葉に混じる匂いで、人は名乗る。
住良木。鷲尾。槍口。
根本の舌は、その三つの苗字を覚えていた。
喉の奥のほうで、金属片みたいに引っかかっている。
六月の半ば、林間学校。
山の空気は濃く、杉の幹は黒く湿っている。
キャンプ地に着くと、子どもたちは一気に走り出し、ロープで張られたテントに体をぶつけ、笑い転げた。
「まずは徹底的に遊ぶぞ。夜はみんなでご飯だ」
根本は声を張った。
空に白い雲。午後の光。草の先から水滴が落ちる。
遊び尽くさせ、汗を引かせ、腹を空かせる。
夜の鍋は、そういうリズムでおいしくなる。
夕方、飯盒の白い蒸気が立ちのぼり、班長の声が飛ぶ。
根本は大鍋の前で玉ねぎを炒めた。
木べらが底をなでる。油が熱に透け、甘い匂いが立つ。
じゃがいもを入れ、水を注げば、薄い音をたてて沸き始める。
肉を落とす。灰汁をすくう。火を弱める。
蓋を少しずらして、隙間から香りを逃がす。
ここまでの手順は、だれに見られても恥ずかしくない。家庭の台所の所作だ。
母の背中を思い出す。弱い身体で働きながら、夜には台所に立ち続けてくれた母。
母の教えはひとつ――「暴力では、何も解決しない。和を大切にしなさい」
その母は、息子を守るために学校へ通い、
加害者の名を告げ、過保護だと罵られ、
その訴えによって、逆に職を失い、
近所から孤立し、そして自ら死を選ばざるを得なかった。
その母が最後作ってくれたもの。それは、このシチューだった。
「先生、これ、何シチュー?」
背中に声。
根本は振り向かない。
「母の味だ。思い出の」
木べらの先で、鍋の底を軽く叩く。コン、と芯のある小さな音が返る。
匂いは甘く、記憶は甘い。
舌は、最初に覚えた甘さに逆らえない。
人はそれを、思い出の味と呼ぶ。
祈りは要らない。
ただ、順番通りに、やるべきことをやる。
最後に隠し味をひとつ落とす。
具体の名を呼ぶ必要はない。名前は力を持つからだ。
これは料理であって、実験ではない。
これは過去であって、未来ではない。
「できたぞ。みんな、器を持って並べ」
鍋が煮立つ。香りは甘く、懐かしい。
子どもたちは器を手に並んだ。
「先生の作ったやつ、うまそう!」
白い湯気が夜空へ昇る。
木の椀が手から手へ渡る。
夜の空気に白い湯気が巻き上がる。
班ごとに輪を作り、シチューをすくって口へ運ぶ。
第一声はいつだって「うまい!」で始まる。
「ほんとだ、うまい」
「やわらかい」
「家とちがう」
舌が正直に働く。
根本も自分の椀を手に、ひと口すすった。
スプーンを歯に当てない。音を立てない。
舌の上に、幼い日の台所と母の背中が広がる。
安いルーの角、乳脂肪の丸さ、玉ねぎの透明、じゃがいもの粉。
熱が喉を降り、胃が受け止める。
胸の中央に、やわらかい空洞が開く。
――母さん。
この味を守りたかった。
この味が、いつも僕の心を守ってくれたのに。
「ねえ先生、なんでそんなに静かに食べるの?」
ひとりの生徒が笑いながら言う。
根本はスプーンを置き、膝の上で指を組んだ。
火の揺れが瞳に映る。
子どもたちの笑顔は、火の輪の中で変わらない。
今から変わるのは、この輪に流れる意味だけだ。
「話をしよう」
根本は静かに言った。
「これは母のシチューだ。思い出の味でもある。
……それから、今日、この場にふさわしい話でもある」
空気が微かに引き締まる。
夜の山が近づいてくる。
「先生は、昔、毎日いじめられていた。それは地獄のような毎日だった」
火がぱち、と小さな音を立てる。
「母は、身体が弱かった。
それでも働いて、帰ってくると台所に立って、シチューを作ってくれた。
先生は、学校で何があったかを話さなかった。
母を心配させたくなかったからだ。
……でも隠せないものはある。痣、破れたノート、なくなる弁当」
火の粉がひとつ飛ぶ。
根本は瞬きをし、つづけた。
「母は学校に行った。担任に、教頭に、何度も。でも『いじめはなかった』と言われた。やがて母は、加害者の名前を言った。
……そのせいで、母は“過保護な馬鹿親”と言われ、パートを切られ、
近所から無視され、そして最後は――川で見つかった」
耳をふさぐ子がいる。顔を上げられない子もいる。
根本は、声を荒げない。
怒鳴ることは、復讐ではない。
復讐は、輪のかたちをしている。
「先生は教師になった。母が信じていた“和”を、
ちゃんと作れるか確かめたかったからだ。
みんなで悩み、みんなで解決する。……それが、母の教えだった」
根本は子どもたちの顔を一人ずつ見た。
火の輪に浮かぶ眼。
その中に、三つの苗字の影がある。
生まれたときから刻まれた音は、舌の上に残り続ける。
「今から三つ、名前を言う。心当たりがある者は、そのまま器を置きなさい」
沈黙が、輪の表面張力をぴん、と張る。
「住良木」
どこかで息が止まる音。
「鷲尾」
彼方でビニールが擦れる音。
「槍口」
誰かの唇が震える。
一人の少年が器を膝に落として、白い液体が土に吸われた。
周囲の子が顔を見合わせる。
「……嘘だろ」
別の子が、かすれ声で言う。
「嘘でも本当でも、君たちが食べた味は変わらない」
根本は椀を両手で包んだ。
「これは母の味だ。……そして、今日、それは違う”味”でもある」
夜風が吹き、木の葉がざわめく。
火が低くなる。
冷えは、気配の輪郭を強くする。
「先生な、もし世界に正しい“和”があるなら、
輪から外れた誰かの骨の上に立つ輪じゃなくて欲しかった。
でも、君たちのお父さんやお母さんは、それを選ばなかった。
子どもたちよ、これは大人の罪だ。
……だけど、罪は血を流れて君たちの口に入った。
“思い出の味”は、伝わる」
根本は首を横に振る。
「だが、罪は三人だけのものじゃない。あのとき、クラスの誰ひとり、
助けてくれなかった。輪から外れた人間は、存在しないのと同じにされた」
火が爆ぜる。器を持つ手が震える。
「だから先生は決めた。和をもって死となす。
……君たち全員に、母の思い出の味を分け与えた」
ひとりの少女が、胸を押さえた。
ひとりの少年が、額に手を当てた。
吐き気の波が輪の内側を巡る。
根本は顔を上げ、言葉を置く場所を探すみたいに空を見た。
星の数は、誰も数えない。
数えるのは、約束だ。
「今日君たちに伝えたいことは唯一つ。
……大人が選んだ和(わ)は、輪(わ)にならなかったことを」
手が震え始める子、歯の根が合わない子、顔から色が引いていく子。
器が地面に落ちる音が続いた。
火の向こうで、遠くのバンガローから教師たちの笑い声がかすかに聞こえた。
同僚は、この輪の意味を知らない。知らせる必要もない。
知らない者は、輪に含まれない。それだけのことだ。
呻き声、悲鳴、混乱。輪が崩れる。
だが崩れたその形も、ひとつの和だった。
翌朝、鳥の声が高く、霧が降りていた。
キャンプ場の片隅に、器とスプーンが散らばっている。
白いものが土に染み、甘い匂いがまだ漂っている。
遠くで、救急車とパトカーのサイレンが山肌に絡む。
大鍋の底は、うっすら白く曇っていた。
木べらで擦ると、コン、と小さな音が返る。
根本はベンチに座った。
指先に、古い台所の手触りが戻ってくる。
母の背中は、もうどこにもいない。
けれど、この匂いは、どこにでもいる。
「母さん」
声は、火の消えた石のように乾いていた。
「……やっと“和”になったよ」
根本は椀の底に残った最後の欠片をすくい、口へ運んだ。
舌に乗せる。
噛む。
飲み込む。
喉を下る熱が、胸に穴を開けたままの空洞を撫でる。
――和は、輪。
輪は、閉じる。
閉じたら、開かない。
それが祭りだ。
祭りは終わるためにある。
終わってからしか名前がつかない。
すべては、食べた後の祭り。
甘い匂いは、風にほどけて、林の向こうへ流れていった。
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