Chisatoーその悪意回避不可ー

不幸中の幸い

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現場

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朝の南秋大学は、湿った曇天に覆われていた。
昨夜から降り続いていた雨はすでに止んでいるのに、
舗道の上にはまだ、細かい粒が光っていた。風はない。
けれど、木々の葉だけがかすかに擦れ合っている。
まるで誰かが、そこに顔を寄せて囁いているように。

校門を抜けた先、黄色い規制線が風に揺れていた。
その向こうで、警官たちが低い声で何かを交わしている。
言葉の輪郭は掴めない。ただ、空気に重みだけがあった。

カラスが一羽、屋根の上を横切って鳴いた。
遠くの講義棟からチャイムが鳴る。
朝の一限の始まりを告げる音が、どこか場違いに響いた。
学生たちは足を止め、スマホを覗きこみ、
何が起きているのかを確かめようとする。
誰もが息を潜めていた。

その中心に、松本沙雪が倒れていた。
白いブラウスが血に濡れ、肌に貼りついている。
胸の上下は、ほとんど動かない。
意識はなく、唇は微かに動いていた。
何かを言おうとして、
言葉にならないまま、息だけがこぼれていく。

 「……救急、まだか……!」
警官の声が震え、無線が割れる。
周囲に立つ学生の誰もが、
顔を覆いながら、その場を離れられずにいた。

宇田川梓は、その群れの外側から一歩、足を踏み出した。
革靴の底が濡れたアスファルトを鳴らす。
音がやけに鋭く、広がっていく。手には取材用の小型カメラ。
ストラップの金属が小さく触れて、かちりと鳴る。
目を細めた梓は、テープ越しに現場を見据えた。
彼女の頭の中では、すでにタイトルが浮かんでいた。
——「南秋大学、女子学生重体」。
ただ、その見出しの先に広がるものが、まだ言葉にならない。

 「あの新聞社の方ですか?」

背後から声がした。振り返ると、
学生証をぶら下げた若い女性が立っていた。
長い黒髪を後ろで束ね、眼鏡の奥の瞳は真っ直ぐだった。
神谷千咲——そう名乗った。心理学部三年。
その声は妙に落ち着いていて、
現場の空気から切り離されているように思えた。

「ええ、東雲日報の宇田川と言いますが」
 
千咲はゆっくり言葉を探すように話した。

「紅紐事件と、同じパターンです」
 
その言葉に、梓の胸の奥がひやりとした。
記憶の底。 
—五年前、旧心理実験棟で三名が死亡した未解決事件。
全員が首に紅色の紐を巻かれていた。

チャイムが止む。風がやっと吹き抜けた。
木々の葉が擦れ、どこかで鳥が鳴いた。
誰もその音を意識しなかった。
世界が、少しだけ遅れて動き出した。

梓はカメラを下ろし、目の前の千咲を見た。
 「その話、後で詳しく聞かせてくれる?」
千咲は小さく頷き、その場を後にした。
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